キスしてくれと言われましても
「説明……と、言っても、今話した通りなのだけれど?」
「いやその説明がざっくらばんすぎて理解しきれてないんですけど……」
「…………あら、そうなの。でも考えてみれば確かに、この状況でいきなり説明しても、理解はしてもらえないかもしれないわね」
目の前の女の子はさも意外と言ったような面持ちでこちらを見つめるけれど、こっちからしたらそりゃこんな反応になりますよと言いたくなる。
炎の大精霊、クリムゾン。人間界を作ったとされる大精霊の中で、炎を司るとされる大精霊。この人間界に「炎」を与え、人の生活を大いに発展させた。
初等部の子どもでも知ってる、高名な大精霊。そんな精霊が目の前にいるっていうのはあんなの見せられちゃこの際信じるしかないとして。
現界とか、憑依とか、なんの話ですか。
契約ってどういうことっすか。
キスってなんのことっすか。
今まで考えてたシリアスな内容が全部頭の中から吹っ飛んじゃうくらいには、色々わからないことだらけで理解が追いつかない。
目の前の彼女は目を伏して暫く何かを考える仕草を見せるが、考えを整えるにそこまで時間がかからなかったのかすぐに顔を上げる。
「じゃあ腰を据えてゆっくり話しましょう。ここだと落ち着かないから、別のところで、ね」
そう言って彼女は、きれいな指をぱちんと鳴らす。
すると、世界が一瞬にして白く染まった。
突然のことで一瞬動揺する。けど、どうにか心を落ち着けてあたりを見回す。
ぐるっと一面、真っ白。何もない世界だ。そこに僕と、彼女がただ二人立っている。
「あの、ここはいったいどこなんで……?」
「ここ? 単にあなたと私だけの小規模な「世界」を作り出しただけよ。いくら力が人間界の程度に合わせて落ち込んでるとはいえ、精霊として最低限の力くらいは使えるわ」
「さらっとすごいことしてますね」
「そう? これくらいどうと言うことはないのだけれど……」
世界を錬成するなんてそんな真似、錬成系ギフテッドを所有する人の中でも、僕の知る限り世界で1人しかいなかったはずなんだけどな。しかもその人でさえ、何日もかけて魔力を練りこんで、具体的なイメージを頭に思い浮かべて初めて錬成できるものだとどこかで聞いたことがある。
それを指パッチン一つでやってのけるなんて、どんな規格外……って思うけど、むしろ彼女が大精霊であることの証左であるような気もして、そんな言葉も喉元で飲み込んでしまえる。
「さて、私と貴方、2人きりになれた事だし、説明を始めましょうか。まずは––––––」
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「–––––いや、ちょっと待ってください。貴女がここに来た経緯までは理解できるんですけど、契約のためにキスってそんなの–––––」
「ハードルが高い、かしら……? あんなもの挨拶がわりでしかないと思うのだけれど?」
「ちょっと精霊界の文化どうなってんのかわからないんですけど。僕にはそうは捉えられませんよ」
さて、と。この目の前にいる、いかにもクールビューティーという言葉が似合う美少女、もとい大精霊様が話してくれたことを要約すると以下の様になる。
長年、人間界と魔界は程よいパワーバランスの元存在しあっていたけど、この頃そのバランスを揺るがしかねない動きが水面下で魔界においてあるとのことだ。
そもそも魔界っていうのは人間界で生まれた闇の感情とか、薄暗い部分が凝り固まってできたもので、そのエネルギーから生み出された魔界の住人達っていうのは人間界の人たちよりも遥かに強い力を持つ傾向にある。
だから、精霊達は人間達に自分たちの力の縮小版を与えて魔界に劣らぬ力を付けさせ、人間界≒魔界のパワーバランスを作り出した……というのが僕の知る限りの通説だ。
少し話が逸れてしまったけれど。
とにかく、その様にして精霊が作ったパワーバランスが崩れ、人間界に危害が及ぶ可能性があるから、クリムゾンさん含む大精霊達が人間界の救済を目的に人間界に派遣された。けど、彼女たち精霊は人間界に現界すると、自身が本来持つ力の2〜3割ほどしか出せなくなってしまうとのことだ。
自身のパワーを完全ではないにしてもある程度のものまで引き出すには、精霊が見初めた人間に憑依する必要があるという。
まあ、ここまではいい。人間界の危機的状況に大精霊が力を貸してくれる。これほど心強い事はない。
問題はこの先だ。
その大精霊が見初めた相手とは僕のことで、
その憑依の為には、唇と唇の接触、いわば「キス」をする必要があるというのだ。
うん。ちょっと待とうか。つまりなんのこっちゃこれ。
そもそも僕がそんな大層なものだったって事自体が信じられないし。
それに、「キス」なんでそんな、色々許し合ってる異性とやるイメージがある様なもの、そんなほいっとできるものじゃない。
そんなこと言ってる場合じゃないだろって?
それとこれとは話が別だよ。
なんて事色々言い合って、今に至る。
「……もう。いちいち細かい男は嫌われるわよ? それに、大精霊に見初められるなんて、もっと喜んでもいいものだと思うけれど」
「そんなのキスなんてなければもっと……いや、そもそもなんで僕なんですか。もっと他にも適任者がいるはずでしょ」
少し顔を顰めて不機嫌そうになる大精霊様。少し聞き捨てならない様な言葉が耳を掠めるけどこの際無視だ。
それに、なんで頼む先が僕なんだろう。
こんな、「精霊に見捨てられた少年」なんて言われてる僕なんかに、なぜ? それこそシルヴィアとか、もっと適任者っぽいのいるはずなのに。
「貴方……。ずっと思ってたけど、あまりにも無知すぎないかしら? 「適合者」についてとか、私達が現界した時のこととか、ちゃんとした資料に残ってるはずよ」
「はい? 知らないって一体……? そもそも「適合者」なんて言葉、少なくとも公には聞いたことも……。貴方たちがこの世界に来たことだって僕の知る限りはどこにも」
「……なるほど。あの時代の人間共が記録するの怠ったのね。しっかり史実として残しときなさいって言ったのに……。あの馬鹿共」
彼女はさらに顔を顰めて、眉間に手を当てて少し唸る。ついでに少し不穏な言葉も聞こえたけれど……聞かなかったことにしておこうか。
「まぁとりあえずキスしましょう。それで全てわかるわ。これ以上説明するのめんどくさいし」
「ちょっと待ってください。これ以上説明無駄だって悟った様な顔しないでってやめて近い近い!」
「む、失礼ね。後ずさるなんて。昔は二つ返事で快諾してくれたのに……、時代なのか単純にこの子がウブなのか」
「ごめんなさい時代だと思います」
冗談じゃない。そんなことを言われてすぐにハイどうぞで済ませるなんて、冗談じゃないや。
昔の価値観が割と本気で理解できないんだけど。
そして僕はなんで謝ったんだろう。
「とは言っても、こっちも譲れない事情があるのよね。なんとしても契約してもらわなきゃいけないのよ」
「だからそれは他に適任者がいるはずだとあれほど」
「だ・か・ら、貴方じゃなきゃダメなのよ」
「だから何故に」
「だからそれを説明するのがもう……、ああもうっ。これ以上は平行線ね」
だから尽くしに嫌気がさしたのか、彼女は少し感情的な口調になる。きっとこの人にも譲れない事情があるであろうことはわかるけど、さ。
僕にも心の準備とか色々あるし、女の子との付き合いがサキ先輩以外皆無だったし、僕には少しハードルが高い。
それに、まだ「魔界に不穏な動き」なんて言われても実感が持てませんって。
「……なんとなく貴方がウブすぎるっていうのはわかったわ。まず契約してもらうには、そこをなんとかする必要がありそうね」
「いやウブなんじゃなくてこれ価値観の問題な気も」
「その為には……うん、そうね。そうしましょう」
「いや僕の話聞いてますってか自分で納得してないでください何考えてんですか」
彼女は呆れた様子で何か考え込んでたけど、勝手に1人で納得して何かを思いついたらしく、にこやかな笑顔でこちらを向く。「少し荒療治だけれど」と付け足して、話を切り出した。
「貴方の家、どこかしら? しばらく居候させてもらうことにしましょうか」
「あ?」
それはあまりにも突然で、さらに突拍子のないことだったから。
思わず威嚇する様な声が出た。
これも仕方ないことだと思うな。