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太陽の子 六万年前  作者: まきの・えり
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太陽の子4

『お母さん、僕は、今はまだ色々なことを覚えているけれど、もうじき何もかもを忘れてしまうだろう。

 僕は、きっといい子になる。

 もしも表面上は、そう見えなくても、絶対にいい子になる。

 だから、お母さんだけは、そのことを覚えていて。

 僕が何をしても、お母さんだけは、僕をいい子だと思っていて。

 それが無いと、僕は生きてはいけないから』

「達幸なの?

 あなたは、達幸なの?」

『そうだよ、お母さん。

 お母さんの愛が無くなれば、僕は死ぬ』

「どういうことなの?

 それは、どういうことなの?」と尋ねた時には、少年の姿が消え、あどけない天使のような顔をしている、赤ん坊の達幸しかいなかった。

 自分は、産後のショックか何かで、気が狂ってしまったんだろうか、と私は思った。

「可愛い寝顔だ」という声が背後から聞こえて、ぎょっとした。

 夫が、足音をしのばせて、部屋に戻ってきていたのだ。

 目尻の下がった夫の顔を見ると、自分の見たものなど、ただの幻覚に過ぎないと思えた。

 とても、夫に話せたものではない。

「何とか、もう一週間休めることになった」と夫は、嬉しそうに言った。

 そして、退院して一週間もした頃、どういうわけか、私は、夫に抱いて欲しくなった。

「産後は……」と口では言った夫だが、結局、私を拒むことはできなかった。

 どちらにしても、逹彦を身籠もったと思って以来の夫婦生活だったからだ。

 私自身も、夫と再び夫婦生活をするなんて、その瞬間まで思ってもみなかったのだから。

 そして、また、私は、自分が身籠もったことを知った。

 なぜ、そんな幻が見えるのか、今度は、長い黒髪の少女の姿が瞼の裏に見えた気がした。

「女の子です」と思わず、私は口走っていた。

「達幸を女の子だと間違えた後、女の子なら、美月にしようと思っていた」と夫が言った。


 達幸は、本当によく眠る、おとなしい赤ん坊だった。

 時々、死んでいるのではないか、と不安になって、寝息を伺うぐらい、よく眠った。

 産院で知り合ったお母さん達が、夜泣きでノイローゼになったとか、お乳を飲まないで困るとか、昼は寝ていて、夜中起きているとか、言っているのを、検診ごとに聞いたが、そんなことを聞くと、夜泣きもせず、よく乳を飲み、それ以外は、死んだように眠っている我が子のことが、不安になったりした。


 一九七九年 美月誕生


 達幸が九ヵ月の時に、美月が誕生した。予定日より三週間も早かった。


 一九七九年三月三十日。


 兄妹ではあるけれど、学年としては同じになった。

 夫は、私が、妊娠五ヵ月を過ぎた時に、元看護婦だったという女性を、我が家に常駐させるようになっていた。

 達幸には、ほとんど手がかからなかったので、私は、必要ないと言い張ったのだが、今回ばかりは、夫は強引に、自分の意見を通し、私も折れた。

 七ヵ月になっても、八ヵ月になっても、達幸は、寝返りもはいはいもせず、何とか離乳食を食べさせるまでにはなったが、それ以外は、相変わらず、眠ったままでいた。

 元看護婦だったという女性、三崎節子さんと言ったが、彼女は、何とか達幸を起こして、はいはいの練習をさせようとしたり、ごろごろ転がしたりしたが、何の変化も無かった。

「私としては、専門のお医者様に診ていただいた方がいいと思います」と彼女は言った。

 そして、言い難そうに、付け加えた。

「もしかすると、脳に何らかの障害があるかもしれませんし」

 私も夫も、医学に関しては何の知識も無かったので、彼女の言うことに、大いに不安になって、著名な小児科医に診てもらったり、大学病院で検査を受けたりしたが、その結果、何の異常も見つからなかった。

 けれど、どの医者も、一様に首は傾げた。

「まあ、赤ちゃんというのは、個性がありますが、こんなに、よく眠る赤ちゃんも見たことがありません」

 そして、美月が生まれた。

 達幸に優るとも劣らない可愛い女の子だった。

「君に似ていて、良かった。

 もし、僕に似ていたら、と本当は、内心気が気じゃなかった」と夫が、病院で真面目な顔をして言ったので、お医者さんも看護婦さんも、止めようとしても、笑いを抑えることができなかった。

 夫は、またも、休暇を取り、達幸の時のことも知っている医師や看護婦の間でも、「今時、まれに見る、いいご主人だ」と病院中の評判だったらしい。

「でも、あなた、美月には私がついているから、達幸のそばにいてあげて」と私は、夫に頼んだ。

 なぜか、達幸のことが、妙に気掛かりだったのだ。

 美月は、顔立ちや仕種が愛らしいだけでなく、泣き声まで可愛かった。

 達幸の時のように、皆が入れ替わり立ち替わり、抱きにくるということはなかったけれど、天使のような笑顔や、愛らしい仕種を、飽かずに眺めに来た。

 退院してからも、それまでは、達幸にかかりきりだった、元看護婦の三崎節子さんは、美月の世話に没頭し、達幸の存在なんかスッカリ忘れてしまったみたいだった。

 夫も、美月の笑顔やぎゅっと握っている両手にスッカリ骨抜きになっていた。

 やはり、親友の子よりも、我が子が可愛いのだろうか、と思ったりする私自身もが、よく美月の仕種に見惚れてしまっていた。

 本当に、何て愛くるしい子なんだろうか。

 特に、生まれて間もないくせに、達幸がまだ発したこともない、「あー」とか「うー」とか、まるで何かを伝えているような愛らしい声。

 一体、何を伝えたいのだろう、と皆の関心を引きつけずには、おかなかった。

 皆の関心が、美月にだけ集中した時に、普段は眠ってばかりいる達幸は、ウギャア、ウギャア、というような奇怪な泣き声を発するようになった。

 その声は、今までいた天国から、地獄に引きずり落とされるような声で、母親の私でさえ、背筋がぞっと寒くなった。

 可哀相に、まだ赤ちゃんだという一才にもならない時に、妹に家族の愛情を全部奪われたような気持ちなんだろう、と頭では理解できても、ウギャア、ウオオオ、グアア、という、神経に刺さってくるような叫び声は、母親としての私に、いたたまれない想いをさせていた。

 どこかに、夫以外の男性の子供を産んだという、夫に対する罪の意識のようなものもあったのかもしれない。

 せめて、地を揺るがすような不気味な叫び声を上げず、ああんああんとか、えーんえーん、せめて、わあわあ、と泣いて欲しかった。

 でも、私は、その叫び声が聞こえると、美月の授乳中であっても、達幸のところに走った。

「達幸、どうしたの?

 お母さんは、ここにいますからね」

 もう離乳食を食べていたというのに、達幸は、私のお乳を飲みたがり、私は、片方の乳を美月に、もう一方の乳を達幸に飲ませる。

 すると、達幸は、足で、まだ生まれたばかりの美月を蹴るのだった……

 私は、一ヵ月もしないうちに、毎朝、髪の毛が、ごっそりと抜けるようになった。

 多分、夫が、私の状態を見兼ねたのだろう。

 三崎節子さんが、達幸の世話をすると申し出た。

「僕も、達幸にかかり切るから、君は、美月の世話を頼むよ」

 しかし、本能的に、そんなことではおさまらないことはわかっていた。

 表面上は、しばらくの間、うまくいっているように見えていたが、私は、心労のためか、美月にあげるお乳が、徐々に出なくなって行き、美月が、あの可憐な声で、ふーんふーんと泣くようになった。

「どうも、お乳の出が悪くなりました。

 あなたと三崎さんで、美月の面倒を見てくださいませんか」と言うしか無くなった。

「そうか。それでは仕方がないな」と夫は言ったが、内心、達幸から解放されて、ほっとしているのがわかった。

「まあ、男の子さんは、本当に、育てにくいと言いますから」と夫を慰めている三崎さんの甘ったるい声が、なぜか、耳に刺さった。

 私が、達幸にかかりきりになったとたん、達幸は、今までの騒動が嘘だったみたいに、また、よく食べて、よく寝る子供に戻った。

 しかし、夫婦の間に、微妙な不共和音は残った。

 夫の考えていることはわかった。

 好きだった男の子供だから、特別に可愛がるんだな、と言葉にしないまでも、思っているようだった。

 美月は、三ヵ月で寝返りをうち、夫と三崎さんは大喜びした。

 私も喜んだが、まだ寝たままの達幸を不憫に思った。

 美月は、はいはいを始め、初めてのつかまり立ちをした。

 夫と三崎さんは、大喜びだ。

 私だって、嬉しいが、心は複雑だった。

 誰に尋ねるわけにもいかないけれど、何で、達幸は、まだはいはいどころか寝返りもしないのかと尋ねてみたかった。

 そんなある夜、皆が寝静まった深夜、私は、変に胸騒ぎがして目が覚めた。

 私は、何者かに導かれるように、美月のベビーベッドのある部屋に入った。

 私は、金縛りにあったように、その場に身動きが取れなくなった。

 まだ、はいはいをしたこともない達幸が、美幸のベッドの側に立っていたからだ。

 私がいることには気がつかないのか、達幸は、自分が手に持っている枕を美月の顔の上に置いた。

「達幸」と私は、掠れた声で呼んだ。

「やめてちょうだい」と声は、もっと掠れた。

 達幸は、無表情な顔で、私の方を振り返ると、また、枕を持って部屋から出て行った。

 私は、美月のベッドに走り寄り、美月の寝息を聞いて、その場にへなへなと腰が折れるように座った。

 考えるまい、考えるまい、としても、達幸が美月を殺そうとしていたとしか思えなかった。

 何で、そんなことを、達幸。

 何で、実の妹を。

 幼い兄弟の嫉妬は、恐ろしいものだと、元看護婦の三崎さんは、何度も語っていた。

 嫉妬の余り、弟を殺そうとした姉もいたのだ、と。

 また、実際に、弟を殺してしまった兄もいたのだ、と。

「とは言っても、姉を殺そうとした弟とか、妹を殺そうとした兄の話は、聞いたことがありませんけどね」

 翌日から、私は、今まで以上に、達幸にかかりきりになった。

「美月ちゃんが、可哀相みたいですね」と三崎さんに言われても、理由を言うわけにはいかなかった。

 これが、ひいては、美月を守ることになるのだ。

 誰もいない部屋で、私と二人きりの時だけ、達幸は立った。

「ねえ、達幸、お母さんは、達幸が大好きよ。

 だから、もう、あんなことはしないでね」と言ったとたん、私の目から涙が流れた。

 理由はわからないけれど、なぜか、不憫な息子。

 そして、その理由に思い到った時、息子の不幸の根が見えた。

 実の父親を知らずに生まれた、我が息子。

 すると、息子は、まるで、私の心の中がわかるかのように、私の首に抱きついた。

「お母さん」と息子は言った。

「お母さん」

 あーも、まーも言わず、ウギャア、グアアアと言うことしかなかった息子が、私を、「お母さん」と呼んだ。

「達幸、達幸」と私も、息子を呼んだ。

 その時以来、息子は、皆の前でも、はいはいを始め、つかまり立ちをし、ついに、よちよちと歩いて見せた。

 そして、最初に、「パーパ」と言って、夫を号泣させた。

 私のことは、御飯と一緒で、『マンマ』と呼んだ。

 以後、私が死ぬ前日まで、皆の前で「お母さん」と言うことは無かった。

 夫と三崎さんに、まかせきりだったせいか、誰にでもなつく美月が、私には、なついてくれなかった。

 美月は、まるで、夫と三崎さんの子供のようだった。

 美月は、三崎さんを『ママ』と呼び、夫を『パパ』と呼んだ。

 達幸と違って、話すのもずっと早かった。

 夫は、何度も、私を『ママ』と呼ぶように言ったが、私が、「だって、三崎さんに育てていただいたんだから、仕方がないわよ」と言って、そのままになった。


 一九八一年 死亡


 達幸が三才になった時に、私は死んだ。

 死因は、母と同じ、急性心不全。

 ケーキを焼いている最中に倒れて、そのままだったようだ。

 死ぬ前の日、私の寝室に、達幸が来た。

 その時には、自分が翌日死ぬとは思っても見なかった。

「僕は、大きくなったら、お母さんと結婚する」と達幸が言い、私は笑った。

『パパ』『マンマ』『ブーブー』『デンシャ』『コレ』のようなことしか言ったことのない達幸が、そんな複雑なことを言ったことが、不思議でもあり、おかしくもあった。

「うん。いいわよ。結婚してあげる。

 でも、お母さんは、達幸が大人になったら、おばあちゃんになるわよ」と私は笑いながら答えた。

「ならない」と達幸は、真剣な顔で言った。

「そうね。きっとならないわね」

「うん」

 その頃には、私は、夫と三崎さんの関係を知っていた。

 言ってみれば、夫と三崎さんと美月の家族の中に、私と達幸が居候しているような気分になっていた。

 考えてみれば、変な話だ。

 この家は、母と私の家であり、名義は私のものなのに。

 自分で、でかしたと思ったのは、長年、年に一回正月だけに会う父に、その年だけ、死ぬ一ヵ月前に会った。

 なぜか、父に会いたくて、連絡を取ったのだ。

 父は、どこか迷惑そうな、どこか嬉しそうな顔で、私に会った。

 夫と三崎さんのことは言わなかったけれど、父は何となく知っている気がした。

「お父さんには、言っていませんでしたが」と達幸の出生の秘密を打ち明けた。

 達幸が生まれる前は、あれだけ、達幸の父親の両親が喜ぶだろうと言っていた夫だったが、生まれて以後、そんなことは思い出さないようだったし、私も、あえて、思い出させそうとしなかった。

「よく言ってくれた」と意外にも父が言った。

「お前が聞けば腹を立てるだろうが、お前達のことは知っていた。

 あの境逹彦という人は、お前のお母さんとも、ずっと以前から、お前の相手にと、話し合っていた男だった。

 私達は、あちらの両親とも懇意だったし。

 お母さんも気にいっていた。

 お母さんさえ、もっと長生きしてくれていたら、とお前が縁談を断った時には思ったもんだ。

 私としては、飼い犬に手をかまれ、後足で砂をかけられたような気分だった。

 けれど、そんなことも、お母さんと話し合っていた。

 お前が選ぶ相手なら、しぶしぶでも認めようと」

 やはり、父は、私が思っていた以上の狸親父だった。

「そこまで御存知なら、もし、私に何かあった場合、達幸のことを、よろしくお願いします。

 美月は、誰からも愛される子ですが、達幸は、そうではありません。

 多分、お父さんにとっても、面倒な子かもしれませんが、いずれにしろ、まだ、三才です。

 どうか、よろしくお願いします」

「それなら」と父は、色々なアドバイスをくれた。

「お前より先にくたばる私だから、こんなアドバイスも役には立つまいが、いずれは、役に立つかもしれん」

 その時には、家屋や株券や預貯金の時価を計算すると、私には、約十億の資産があった。

 父の弁護士と会計士立ちあいの元に、私は、その全てを、達幸に譲る旨の遺言書を作成した。

「ま、これで、幸子に何が起こっても、残りの連中には、たとえ裁判を起こしても、法定分の遺産しか残らない」と父は言った。

 そして、父を達幸が成人するまでの、管財人とした。

「私も、お母さんも、若いうちに遺言書を作成した。

 お母さんは、残念にも二十年もしないうちに亡くなった。

 だが、一般には、遺言書を作成すると長生きすると言われている。

 お前も、きっと長生きする」

 私は、父を冷酷非情な人間だと誤解していた気がして、どこかで済まない気持ちで一杯だった。

「何か、お父さんと、こんな話ができるとは思わなかったわ」

「私は……お前には、嫌われていたしな。

 ま、自業自得なんだが」

「これからも、色々と相談に乗ってくださいね」と私は言った。

「だが、一番いいのは……」と父は言いかけたが、そこで言葉を切った。

 多分、離婚するのが一番いいと言いたかったのだろう。

「ま、自分で決めることだ」

 そして、それから一ヵ月で、私は死んで、元いた世界に戻った。



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