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太陽の子 六万年前  作者: まきの・えり
4/10

太陽の子3

 一九七六年 夏 長沢英俊 


 翌日、父の使いだという男性が我が家を訪問した。

「お初にお目にかかります。

 私、長沢英俊と申します」

 と男性は、まるで時代劇の侍のように、畳に額をつけるようにして、挨拶した。

「アメリカに出張しておりましたので、お母上のご葬儀に出席できず、失礼いたしました。

 お線香の一本も上げさせていただこうかと思います」

 私は笑った。

 そういうことは何もしていなかったからだ。

 我が家には、仏壇も神棚も無い。

「お気持ちだけで結構です。

 お線香なら、父の所にあるんではないかしら」

「は、はあ」と汗をかいている。

 私は、扇風機を出してきた。

「何か、不自由することは無いか、お尋ねして来いということで参りましたが」

「別に、大丈夫です」

「社長の言われる通り、気丈な方だ」

 一緒に、コーヒーを飲みながら話を聞いた。

 父は以前から、大学生になったら、私を手元に置いて、会社の仕事を手伝わせたいと言っていたらしいが、母は、ガンとして受け付けなかったそうだ。

 で、その母も亡くなったことだし、娘を一人で暮らさせる訳にもいかないので、この家を出て、会社の近くのマンションで暮らさないか、という話だった。

「お断りします」と私は言った。

 私の心と身体の根は、この家から生えている。

「話す前から、断られる気がしていました」と相手が言い、私は『おや?』と思った。

 葬儀社の若い男みたいに、長々した説得のことばが続くと思っていたので、予想が外れたのだ。

「私は、何か御用はないかと、ここに足しげく通うことにします。

 差し当たって、何かありませんか?

 家来だと思って、何でも言いつけて下さい」

 ということで、母親と一緒に収穫する途中だった庭の畑のトマトやキュウリやナスを、一緒に摘むことになった。

「これは、見事ですね。

 私の家でも作っていましたが、こんなに色艶のいいものはできませんでした」

「母が丹精こめて作っていましたから」

「そうですか。

 淋しくなられますね。

 私、老けて見られますが、こう見えても、まだ二十歳でして。

 親のいない淋しさは……」

「えーーー!」と私は驚いた。

「嘘ーー!」

「は?」

「二十歳?

 嘘ー!」

「大抵、驚かれますが、そこまで驚かれるとは。

 でも、仕事をする上では、かなり有利なんですよ」

「えーーー!」

「参ったな」

 私は、ジロジロと相手を見た。

 どう見ても、三十過ぎのおじさん顔だ。

「ええと」と相手は、手を洗いに行って、ポケットをゴソゴソしていた。

「はい。学生証。

 二部の学生ですが」

「先生に間違えられない?」

「昼間と違って、夜間は年長の人も多いんで、それはありませんが」

 私は、学生証をしげしげと見た。

 私の通う大学のお隣さんだ。

 そして、生年月日を見て、また、驚いた。

 一九五六年六月六日。

 私も手を洗って、自分の学生証を取ってきた。

「へえ、誕生日がスッカリ同じですね。

 僕の友達にも、同じ日が誕生日のヤツがいますよ。

 今度、三人で誕生祝いでもしませんか。

 今年はもう終わっていて残念ですが」

 私は、収穫した野菜を二つに分けて、無理に持って帰らせた。

『あのおじさんと同じ年』それを思い出すと、笑えて仕方がなかった。

「聞いて、お母さん、私と生年月日が同じ人がいたんやけど、もうまるで、おじさんなのよ。

 一緒に、畑に出て、野菜を取っている時に聞いたの」

『そうか。けど、それは、いい人とお知り合いになれたなあ』

「そやね。お父さんの会社で働いているていうから、最初は警戒したんやけどね」

 長沢英俊は、その翌日もやってきて、畑の野菜を取り入れ、また、半分を無理やり持たされて帰って行った。

 私は、すっかり彼に心を許してしまい、家のこととか保険のこととかまで、相談するようになった。

 彼が連れてきてくれた父の弁護士と会計士が、一切を片づけてくれ、家は私の名義になり、母の預金も私のものになった。

 その上保険金と利息も私の手に入り、実感は余りないけれど、大金持ちになったような気がした。

 会計士は、普通預金のお金を安定した株式に投資することを勧めてくれ、私は、百貨店や航空会社の株を持つことになった。

「凄い大金ですね」と長沢英俊は連発し、「僕は、ボディガードもやりますよ」と言った。

 そのことば通り、彼は毎日畑仕事を手伝ってくれたり、家の模様替えを手伝ってくれたりした。

 そのうち、一緒に食事に行ったり、家で一緒に食事を作って食べるようになった。

 母のいなくなった隙間を、彼が埋めてくれたと言ってもいい。

 時折、母と話しているような錯覚に陥った。

 ずっと以前から、兄弟のように、一緒に暮らしていたように思えた。

 彼の両親は、高校の時に、交通事故で亡くなっていた。

 そのため、アルバイトをしながら、夜間高校に通い、夜間大学に通っていた。

 時給がいいからと勧められて、父の塾チェーンの講師をし、今では、父に言われて、海外出張をするまでになっていた。

 どう見ても、同じ年令とは思えないほど、彼が老けて見えるのも、そういう苦労の名残なのかもしれない。

 決してハンサムでもなく、背も高くはない。

 けれど、一緒にいて感じる安心感は、肉親に近いものだった。

 親しくはなっても、決して、なれなれしくなったりすることもなく、常に、『社長のお嬢さん』として、私に接していた。

 そう。彼は、父に命令されて、私の世話をしているに過ぎない。

 彼にとっては、仕事なのだ。

 そう思うと、奇妙に物悲しい気持ちになった。

 そして、母が、私にとっては、家族であっただけでなく、保護者であり、友達でもあったのだ、と改めて思った。

 だから、私には、母以外に親しい友達も必要ではなかったのだ。

 大学の後期が始まると、彼は、車で大学まで送り迎えしてくれるようになった。

 私が固辞しなかったのは、実は、通学途中の電車で痴漢に会うことが多かったせいだ。

 私は、後部座席に座り、彼は、ただの運転手役に徹した。

 金持ちの子弟も多い大学だったが、車での送り迎えは、滅多に無かった。

 母なら、「そんな勿体ないことをして」と眉をひそめたかもしれないが、私は、内心、少し得意だった。

 眼鏡をコンタクトに変えると、デートの申し込みが来た。

 髪の毛をといて、パーマをかけると、デートの申し込みがもっと増えた。

 どれも丁重にお断りした。

「天は二物を与えず、と言いますが、幸子さんは、才色兼備ですね」と長沢英俊は、よく言った。

「僕なんて、こんな親父顔ですから、羨ましいですよ」と言って笑わせる。

 長沢英俊は、しかし、父が目をかけるほどの人物なのだ。

 見ている限りでは、ただのおじさん顔の男性だが、出会ってから、ほんの一日で、私をすっかり安心させ、完全に信頼させてしまった。

 今までに、母以外の誰とも、そういう信頼関係を結んだことのない私を。

 それは、やはり、相当な能力だと言えるだろう。

 そして、少しずつ、父のことを私の記憶に刻みこんでいく。

 さり気なく。

 父は、良い部下を持っている、と私は思った。

 父が慌てた様子を描写しては、私を笑わせ、母が亡くなった後、めっきり老けこんだ、と淋しそうに話す。

 ただの冷血漢だった父のイメージが、笑いも悲しみもする、血の通った人間に変化していく。

 そんなわけで、その年のクリスマスに父に会った時、私は、父に対して、かなり優しい気持ちになっていた。

 長沢英俊が同席して、あれこれと心を砕いてくれたお蔭もある。

 父が葬式の時に涙を流し続けたのも、本当に悲しかったからだと思えるようになったのも、不思議な話だ。

「元気そうだね」と父は言い、ちょっと淋しそうに笑った。

「二度と会ってもらえないかと思っていたよ」

 内心、二度と会いたくないと思っていたので、父に対して申し訳ない気持ちがした。

「長沢君にも、本当に世話になった。

 ありがとう」と父が言った。

「私も、本当に、何から何までお世話になりました。

 ありがとうございます」と言いながら、もしかすると、これで、長沢さんとの縁が切れるのか、と思った。

 それは、それで、仕方がない、と自分の心を思い定めた時、「これからも、よろしく頼むよ」と父が言い、私は、自分が、ほっとしたことに気がついた。

 長沢英俊は、黙って頭をさげたままだった。

 さり気なく、手の甲で涙を拭うのを、私は見てしまった。

 それは、ショックだった。

 なぜ、泣いているんだろう。

 何を泣いているんだろう。

 表面上は、見て見ぬふりをしたけれど、その涙は、ずっと、私の心に引っ掛かったままだった。


 一九七七年 堺達彦


 年が明けた。

 元旦に、父が長沢英俊と一緒に、我が家に来ることになっていた。

 年末、私と彼は家の大掃除をし、おせちの材料を買って、一緒に料理を作った。

 まるで、母との年の瀬みたいだった。

 一緒に紅白歌合戦を見て、年越しそばを食べた。

 実を言うと、母が見なかったので、私はそれまで、紅白歌合戦というものを見たことが無かった。

 男女対抗歌合戦だった。

 一人では見なかっただろうが、長沢英俊は、毎年見ているのだと言う。

 それで、一緒に見ることになった。

 長沢英俊は、全部の歌を知っていて、それを一緒になって歌っていた。

 私は、ほとんどの歌を知らなかったので、呆気に取られて、彼が歌う姿を見ていた。

 歌手の歌う姿よりも、彼の歌う姿の方が好ましかった。

 午前0時を過ぎ、彼は改まって、新年の挨拶をした。

「喪中ですので、おめでとうは申せませんが、本年も、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 彼が、こんなに遅くまでいたのは、初めてだった。

 帰っていく後ろ姿を見ながら、毎年、こうだったらいいと思い、いや、むしろ、一緒に暮らしたい、と思った。

 二十歳の暮れに、初めて、結婚のことを思った。


 元旦の昼過ぎに、父と長沢英俊が、我が家を訪問した。

「おー、これはおいしいですね」と自分が作ったおせちを食べながら、彼が言ったので、私だけでなく、父までが大笑いをした。

 父は、仕事があるからと一時間ほどで、長沢英俊を残して帰って行った。

 父がいなくなると、奇妙に気詰まりな雰囲気になった。

「どうしたの?」と私が、尋ねるほど、彼は、真剣な表情をしていた。

「今日は、お父様に頼まれたことがありまして」と言ってから、ずっと手元に置いていた、カバンから、一枚の写真を取り出した。

「怒らないで、聞いて下さい」と彼は言った。

「お父様は、この方とお見合いをして欲しい、と言っておられます」

 私は、無言で、その写真を見た。

 そのとたん、全身を糸で巻かれるような圧迫感を感じた。

 全身の不快感が、喉元から吐き気となって出てくるみたいだった。

「私も知らなかったのですが、以前、同じ生年月日の友達がいると話したことがありましたね」

「はい」

「私も、お父様から、この見合いの話を聞いた時、心底驚きました。

 バイト先で知り合った友達で、まさか、と思いました」

 非常にハンサムな青年が、椅子に手をかけて立っていた。

 背も高いのだろう。

「きっと、幸子さんは、政略結婚かと思われるでしょうが、彼は、食品会社の跡取りでして、でも、本当に、気のいいヤツなんです。

 僕は、そんな事情を知らなかったし、幸子さんだって、もし、こういう形で無ければ、絶対にいい友達になれたと思うんです。

 そのことが、残念でなりません」

 ふっと、クリスマスの時の彼の涙を思い出した。

「長沢さんは、このお話をお勧めになるんですか?」

「社長に頼まれたので、仕事としてお話させていただきました。

 でも、僕としては、正式なお見合いの席を設ける前に、僕の友達として、会っていただいてはどうかと思うのです。

 いいヤツだというのは、保証します。

 背が高くてハンサムで、僕と違って、非常に女性にもてますが、けれど、いい加減な付き合いをしたことはありません。

 会ってみて、その上で、お見合いをするかどうかを決められては、いかがでしょうか。

 幸子さんのことは、ただの僕の友達として、紹介します」

 ふっと、心が動いた。

 何となく、父を出し抜く陰謀に加担したような気持ちだ。

 長沢英俊は、私の心を見抜いたように、その日から、父から預かっているという、財布とクレジットカードを持って、美容院に私を連れて行き、デパートに連れて行って、堺逹彦という、食品会社の御曹司との出会いの準備を始めた。

 貧しい出だということなのに、彼は、女性の髪型や服装のことも、よく心得ているようだった。

 そうして、冬休みの間に、私と堺逹彦との出会いの場が設定された。

 自分でも、気持ちが浮き立つのがわかった。

「いいですか。気楽にいきましょう、気楽に。 

 リラックス、リラックス。

 軽く食事して、ダンスに行きます」

「えー!私、ダンスなんてできない」と私は言った。

「え。本当ですか?

 女性は、男性のリードにまかせればいいので、簡単なんですが」と言いながら、長沢英俊は、ワルツ、ブルース、タンゴ、ジルバといったダンスを、手取り足取りして、私に教えてくれた。

 おじさん顔の彼が、非常に上手な踊り手であることがわかった。

 私は、彼とのダンスを本当に楽しんだ。


「綺麗ですよ、本当に」

 鏡に写った自分の姿、まるで、この世のものではなく、妖精みたいに美しかった。

 心も、もう、この世のものではなかった。

 長沢英俊運転の車に乗って、私は目的地に向かっていた。

 堺逹彦は、すでに、ホテルのロビーに到着していた。

 写真で見るよりも、数段ハンサムで、思っていたよりも、もっと背が高かった。

 相手が、一目で、私に恋したのがわかった。

「長沢、どこに、こんな美しい人を隠していたんだ」と彼は言った。

 一緒に食事をしたが、満足に、喉を通らないみたいだった。

 私は、相手を異性として意識した。

 その時になって初めて、私は、長沢英俊を、異性として意識したことは、一度も無かったことに気がついた。

 堺逹彦と踊った時、また、全身を糸で巻かれるような圧迫感を感じた。

 けれど、今度は、不快感ではなく、一種の快感だった。

 私は、幾重もの糸が、私と彼とを巻いていくのを感じていた。

 私は、目の端で長沢英俊を見ていた。

 そして、彼の悲しみを、自分の悲しみのように感じていた。

「また、会ってくれますか」と堺逹彦に言われ、「はい」と答えた。

 また、会うことになるだろう、イヤでも。


 それ以後も、私と長沢英俊との関係は変わらなかった。

 今度は、彼は、私と堺逹彦との、見合いのために、心を砕いていた。

 内心、私は、腹立たしかった。

 彼のおじさん顔にまで、腹が立った。

 父の部下、父の大のお気に入り。

 そして、父の犬。

「お座り」

「お手」

「お回り」そして、

「お預け」。

 彼が、父の命令で、私の世話をしていることまでが、腹立たしくなった。

 もう、顔も見たくない、とも思った。

 けれど、一日に一度、顔を見ずには、私の生活は始まらなかった。

 私と堺逹彦とは、見合いをし、私は驚かなかったが、相手は驚いていた。

 父と彼の両親は、大喜びの様子だった。

「まあ、何て美しいお嬢さんなんでしょう」

「本当に、似合いの二人ですな」

 わっはっは、あっはっは。

 私には、心に決めていたことがあった。

 何度か、堺逹彦とデートをした。

 充分以上に楽しかった。

 長沢英俊の言う通り、彼は、本当に、気さくで魅力的で、ハンサムでかっこよく、私を夢の世界に連れて行ってくれた。

「幸子さん、僕と結婚してください」と筋書き通りに言われた時、私の身体に巻かれた、十重二十重の糸が、するすると解けた気がした。

「それは、できません」と私は言った。

「私には、好きな人がいます」

「長沢ですか」と相手は言った。

「はい」と私は答えた。

 ふっと、相手は笑った。

「最初に、あなたを紹介された時、僕なんかが入り込めない絆があるように感じました」

「え?」

「言ってみたら、あなたと長沢は、運命の赤い糸で結ばれている、ま、そんな感じでした。

 長沢は、僕と違って、自分で会社を経営している」

「え?」

「聞いてないんですか。

 うちの父の商売敵ですよ。

 あなたの父上が、彼の才覚を見込んで、食品会社を興させた。

 奥床しいヤツだな、相変わらず。

 あれは、本当に、いいヤツですよ。

 いつも、自分のことより、相手のことを考えている。

 僕は、卑怯な男ですよ。

 彼の気持ちを知っていながら、この話に乗った。

 僕は、あなたに一目惚れして、どうしても、あなたが欲しくなった。

 今でも、その気持ちに変わりはない。

 けど、あなたの好きな相手が、あいつなら、祝福します」

「でも……長沢さんは、私のことなんか、父親の娘としか見ていません……」

「それは、あいつの性分ですよ。

 僕のためにも、着る服や、話題、ダンス、全部力になってくれました。

 あいつの一番の欠点は、いつも、自分を後回しにすることだ。

 そして、そのために、自分では思わなくても、周囲を傷つける……

 あいつが言うことよりも、何をしたかを見ることですね。

 そこに、きっと答えがある」

 私は、このハンサムで魅力的な男性を、新たな思いで見た。

「もしも、長沢さんと出会う前に会っていたら、私は、あなたと恋に落ち、結婚したと思います」

「僕も、そう思います。どうか、お幸せに」

「ありがとうございます」



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