最終話 決断
最終話
ただ走る。妹の結婚式の為に走った彼の者のように。
ただ足を前に出し、体が前に出たら、また足を前に出す。
どれだけ走っただろうか。
月は沈み、日がまた登ろうとしている。
空は白み、空気が霞を纏う。
吸い込んだ空気が、肺を浄化するかのような美しさを感じる。
「はっ……はっ……はぁっ……」
これだけ走ったのは、いつぶりだろうか。
涙は滲み、唇は乾ききっている。
頬を伝う汗は、首を舐め、背中をも撫で回す。
ただ無心で走り続けていると、目の前には見慣れた景色が存在していた。
木の台だ。
肝試しの時に使った、札を置く用の木の台が、そこには存在していた。
その台に手をつき、息を落ち着かせる。
引くことの無い汗は、足首までをも濡らしていく。
平静と同じような呼吸のリズムになり、大通りへ向けて歩き出す。
木々が減り、目の前には石畳の道が見える。
そこがゴールだ。
あと一歩、あと一歩で。
「待ってくれ」
腕を掴まれたと、そう錯覚する声が耳に届く。
振り返り、姿を確認する。
「……志人」
「……見たのか」
私の質問には答えず、逆に質問を投げかけてくる。
「見たよ」
「……そうか」
それ以上は何も言わない。
私も、志人も。
「帰るのか?」
「……うん」
「そうか」
志人は顔を下げてしまい、どのような表情をしているのか、見ることは出来ない。
「……ねぇ、志人」
「……」
「あれは本当に志人なの?」
「あぁ」
「……そっか」
「帰れてよかったな」
「……ありがとね、志人」
「……あぁ」
振り返る。目の前には石畳の道があり、あと一歩進めば、もうこの樹海に足を踏み入れることは無いだろう。
「……じゃあな」
その声を聞き、振り返ってしまう。
ほんの僅かだが、恋をした相手だ。
「志人っ」
走り出し、
抱きつく
……事は出来なかった。
伸ばした腕は空を切り、志人の体を通過した。
「志人」
「……」
「好きだよ」
「……」
「……笑って?」
苦しそうな、辛そうな、そんな顔をしていた。
カーテンの奥には、首を吊って亡くなっている志人がいた。
死後どれくらいが経ったのだろうか。死体は未だ腐っておらず、死体とは思えないほど美しかった。
志人が使っていたコップ。あの部屋の机の上に置かれていた。
思えば、足音を聞くことも、触れ合うこともしなかった。
志人は最初から、死んでいたのだ。
「志人……ありがとう」
「……あぁ」
もう一度振り返り、歩き出す。
今度は足を止めない。
降り出した足が、久しぶりに土以外を踏む。言っても昨日ぶりだが。
後ろを見る。木々は生い茂り、奥を見ることは出来なかった。
それはどこか、私が再び入る事を拒んでいるようだった。
石畳の道を歩いて帰る。
私はもう、迷わない。
あと二千話くらい続けたかったです。嘘です。