第1章【Homemade Berserk~ミル(人形)と名付けられて~】その5
「なるほどね……確かに、貴女のマスターは凄いかもしれないわ」
今日一日で何度驚いたか。この数時間で何度考えを改めたか。そしてまた、目の前で繰り広げられている光景に驚き考えを改める。
先ほど休憩していた場所から二十キロも歩き、太陽は遥かな頭上で正午過ぎ。気温も瞼を重くする暖かさで眠気を誘う。
「ほらっ、次は反対側のお耳をカキカキするから……ボクの方を向いてリオ」
そんな中、小高い山の峠で、脇道の木陰で行われていたのは、カリカリと優しい音を立てる耳掃除。
カリカリ、竹で作られた道具を使って。
カリカリ、外耳を丁寧になぞって。
カリカリ、さじを奥の方まで差し込んで行く。
小悪魔は幸せそうに微笑み、尻尾でハートの形を作ってパタつかせながらマスターの耳を綺麗に掃除し、マスターは従者に膝枕されながら気持ち良さそうに目をつむる。
「ん~っ、こんなもん、かなぁ……それじゃ仕上げに、ボンテンって綿みたいなフワフワした奴を入れるよぉ」
カサカサ、サワサワ。カサカサ、サワサワ。
最後の最後は、フーッと耳の中へ息を吹き掛け、これでやっと耳掻きが終わった。
この光景、この光景を、リオとエーヴィヒカイトだけ切り取って見れば何のへんてつも無い。が、全景として見たらどれほどに異端か。
エーヴィヒカイト、リオ、リオが抱き枕の代わりに抱き締めているのは、自身の倍近く細長い機械製のムカデ。
ムカデは器用に手足を体内に引っ込めて主人がケガをしないように気を使うと、小さく金属音を鳴らしてジッと抱き枕に徹する。
エーヴィヒカイトが背を預けるのは、更に巨大な蜘蛛の腹部。
蜘蛛もただジッと動かずに目をつむり、見掛けとは結び付かない可愛らしい寝息を立てていた。
種族も、性別も、何もかもが異なるのに、異なる全てが寄り添い合う。
「アリス……こいつらに話して正解だったかもしれないでしゅね? 案外こいつらなら、でぃしゅみるを何とかするんじゃないでしゅか?」
その異様、道を挟んだ逆側の離れた位置から眺めるのは、二人でも二体でも有る特殊人造人間、アリスとイルマ。
もはや戦おうと言う意思は無い。意味も無い。この団体をごっそり一式、仲間へと引きずり込んだのだから。
「そう……かもね。いいえ、そうでなくちゃ困るわ。そうでないと、早くしないと、ディスミルが壊れちゃうもの」
まだ戦う意思が有った時。意味が有った時。まだ小屋で牽制し合ってた時。決め手になったのはマスターの帰還。
決め手はマスター……が引きずって来たモノだ。
ズルズル、ズルズル、重そうな何か。
ズルズル、ズルズル、小屋の前で止まる。
「エーヴィ開けて~っ」
声は聞こえるのに、声は聞こえてる筈なのに、サーヴァントの小悪魔は動かない。戸を開けない。鍵代わりになっている木の重しを退けようともしない。
ニヤリと笑いながら視線をこちら側に流し、「まぁ見てろ」と暗に示している。
「エーヴィ~っ、いないの? 何か有ったの~っ?」
トン、トン──。
戸が叩かれる。一回。二回。三回。四回。
「もしかして着替え中……って訳でも無いよね? 勝手に、開けるよ?」
四回叩き終えて、一定のリズムを刻んでいた音が止まった。代わりに、変わりに、『動いた』のは、この小屋に居た四人目。
気付く切っ掛け……初めは湿度。湿気。朝の森で、ましてや湖の隣、単なる霧だと思って疑わない。
けれど、視界がボヤける。朝霧だとしたら吸っても清々しくなると言うのに、これは何故か息苦しささえ感じて。
「それじゃあ『二人とも』……僕が中に入れるように、あけてっ」
ああ、それは当然だ。だってこの霧は、生きているのだから。
そしてマスターの発した、「あけて」。
「あけて」と発音したのだから、「あけて」としか聞き取れないが、聞き取った相手次第で全く別のリアクションを取る。
この現状がまさにそう。異変は一度に二度起きた。
「なによコレっ!!?」
「なんなんでしゅかコレは!!?」
一つ目は小屋の入り口、木製の杭の形をした重し。それが中心部から『ひしゃげた』。グシャリと巨大な音を響かせて噛み砕かれる。
二つ目は背後、小屋の壁。まるでダンボールをカッターで切り抜いたように丸く人大の穴ができ、切り抜かれた壁は外へこちらも巨大な音を響かせて落ちた。
マスターの言った「二人とも」、「あけて」。一人は鍵を壊して戸を開けて、一人は壁に穴を空けた。どちらも結果としてマスターが小屋の中へ入れるが、その過程は全く違う。
これで確認したのは、エーヴィヒカイトを含めて七枚中の六枚。六枚中の三枚は戦闘タイプで、残り三枚は非戦闘タイプ……までをアリスは瞬時に頭で駆け巡らせ、再び戦う、リターンマッチ、アンチイヴィルが有るから……その結論を破棄した。
スキルを発動して小悪魔を完全無力化したとして、ラヴィ達を敵戦力から完全に除外して、この小屋を『あけた』二枚をアリスとイルマの二人と同等以下だと仮定して、最後の一枚も非戦闘要員だと決め付けて、そこまで有利に、極端に、自分達に甘くしてやっと五分五分。
実際はここから不確定要素が出るごとに勝率はどんどん急降下して行くのだ。そんな危険なギャンブル、仕掛けられる筈も無い。
「ごめ~んリオ~っ、ちょっと寝てた~っ、今すぐ出るから、入って来なくていいよぉ」
火蓋は切って落とされた。どうする? どうする? どうする?
下唇を噛み締め、緊張で汗の滲む手を握り締め、本日何回目かもわからないアイコンタクトで確認し合う。
エーヴィヒカイトはわざとらしく今起きました的な寝起き声をマスターに返すと、こちらへ向けてベーっと長い舌を見せ、壁に空いた穴からとっとと抜け出して行ってしまった。
いつの間にか霧さえ晴れて、小屋の中に取り残された二人だけが未だ佇んだまま思考を巡らせる。
「アリス……頼んでみたらどうでしゅか? もしかしたら、もしかするかも知れないでしゅよ?」
「そうね……って言うより、ここで相手のマスターを説得できなきゃ大ピンチかも。でも、まっ、上手くやるわ」
恐怖を知りたいディスミルと、
恐怖を知らないリオ。
一見すると全く別のベクトルを走る二本の線。しかしだからこそ、何らかの要因でそれらが交わったとしたら、劇的な変化が産まれるのではないか?
いや、例え効果が期待出来なかったとしても会わせる。そこに確率が1%でも2%でも有るのなら……ディスミルが元に戻る確率が。
「ふぅぅっ……行くわよ? 説得に失敗したらアンチイヴィルを発動して少しでも時間を稼ぐから、その隙に逃げて」
深呼吸。小屋の入り口に向かって一歩、一歩。ゆっくりと進み、取っ手を掴んで深呼吸。
そして、外へと一歩踏み出せば、そこはやはり霧世界。霞と呼べる程の薄い霧が、森全体に広がっていた。
「ちょっとこれは、逃げれそうに無いでしゅね……変な笑いが止まらないでしゅよ」
あちこちでバチバチと蒼白い火花を散らせ、霧の中を電気を纏う何者かが遊泳する。
霧だって分類すれば水分なのだから、水は電気を良く通す。高いボルトで放電されたら、霧に覆われてる全員がビリビリノックアウト。ミストとエレキの相性は抜群だと言えるだろう。
「ほらっ、お前らさ……リオに聞きたい事、お願いしたい事、あるんだろ?」
その霧の中でさえ透き通る視線の先、自身のマスターに後ろから抱き着いている小悪魔の声。
聞きたい事、お願いしたい事、助けてくれますか? 助けてください? そうじゃない。
アリスはイルマと顔を合わせると小さく頷き、エーヴィヒカイトとリオに向かって深々と頭を下げた。
「マスターの少年にお願いしたい!! 我が仲間、ディスミルを救う為に、貴方の力を貸してくれ!!!」
響く。真剣な願いを乗せた少女の叫びが、周辺一帯にこだまする。
お願い、お願い、お願い!! その言葉だけを繰り返す、心まで余さず覗かせて。
「ディスミル……って、エーヴィが言ってたお人形さん(ドーリィ)?」
その叫びは唐突で突然で、リアクションの取れない小悪魔よりも早く、そのマスターが反応した。
「そっ、そうだね、南の地方の方言で『お人形さん(ミル)』……うん、間違いないと思うよ」
リオは右手を上げて従者の頭を撫で、その行為でハッと我に返ったエーヴィヒカイトが即座に言葉を繋げる。
最近、ここら辺で『マスター狩り』が出るんだってさ。
魔力の高い、強力なカードを持ってるマスターを連れ去った後、ボコボコにやっつけちゃうって。
あははっ、リオは心配しなくてもボクが守ってあげるから大丈夫♪
えっ、そいつの名前? たしか~っと、『お人形さん(ドーリィ)』、だったかな?
今朝の会話を思い出し、今こうして説明を受け、目をつむる。目を開く。
自分に対して頭を下げる二人の少女が、マスター狩りの実行犯だと気付いて、危険分子だと気付いて、リオは、笑った。
「そっか……それでさ? エーヴィじゃなくて、ボク本人に対してのお願いなんだよね?」
そして問い掛ける。今度は二人の少女へ、カードに囲まれた袋の鼠へ。
子供の声で、子供の表情で、子供の笑顔で。しかし「たかが子供」、そんな台詞は絶対に吐かせない雰囲気でこの場全体を支配する。
「その、つもりでしゅが?」
その雰囲気はヒシヒシと少女達にも伝わっていて、返答の為に頭を上げるだけでも気が重い。
このメンバー、『ヤバい』のはエーヴィヒカイト一人だけだと思っていた。サディズムの化身で有る深淵の悪魔だけだと思っていた。
だが足りない。それだけでは『ヤバい』が足りない。拷問を楽しむ悪魔も、視界を遮る霧も、壁をくり貫く電気もヤバくて、どれだけ神経が図太ければこんな奴らを配下にして置けるのか?
このマスターが、一番ヤバい。
「そっかそっか、いつもはそう言うの断ってるんだけど、お願い……聞いても良いよっ」
筋力の無いマスター? 魔力の無いマスター? 子供のマスター?
「ほんとでしゅか!?」
例えば人族で、機族で、魔族で、本人が出場して戦う武道大会や魔術大会にエントリーしたならば、リオは問答無用で予選落ちか初戦敗退だろう。
筋力も最低で魔力も最低、ましてや子供で知識すら皆無なのだから。予想オッズは1倍で必負。
「で、貴女達は僕に何をくれるの? まさか無償で……とか、思ってた訳じゃないでしょ?」
だが、
リオは、なんだ?
リオは、マスター。
実戦では己の筋力だけで、魔力だけで戦う事はまずない。マスターは己の『カード』を筋力とし、魔力として戦う。
巨大な岩が道を塞いでいるんなら、力持ちの魔族でも召喚して破壊して貰えば良い。
流れの激しい川を越えたいなら、空を飛べる機族でも召喚して乗せて行って貰えば良い。
だからどれだけ筋力が無かろうが、魔力が無かろうが、子供だろうが、見合っていなかろうが、極上の恐怖をカードとして従えたリオは、何と言われようと、誰に言われようと、間違いなく……『強い』のだ。
少なくともカード三枚に囲まれた現状でならば、カード三枚に少女二人が囲まれた現状でならば、リオは少女二人よりも強いだろう。
そのリオが述べているのは『報酬』について。幼い頃よりこうやって生きて来た証で、カード以外からの『お願い』には、必ず対価をいただいて行動する。
ミュリ=エルナードの件に関しても、エーヴィヒカイトが仲介に入ったから引き受けただけで、普段なら断り続けるし、どうしてもとなったらミュリから対価を請求した筈。
それが当たり前だと思っていて、両親に今よりもっと幼い頃から始めさせられた『仕事』は、その考えを植え付けるには余りにも充分過ぎた。
「まさか、命をよこせ……とか言う気じゃないでしょうね?」
ただそんな生い立ちなんぞ知る訳も無く、エーヴィヒカイトとの口論を思い返しながらアリスは睨み問い直す。
いつでもアンチイヴィルを発動できるように力を高め、アロンダイトの落ちた位置を確認して、拾うまでの全力歩数を計算する。
「ううん。気持ちが籠ってれば何でも良いんだ。あっ、さっき助けた騎士さんからは『コレ』貰っちゃったよ」
その計算に割り込んだのはリオの返答。リオが、左手で引きずっていたモノ。 引きずっていた抜き身の武器。
ホワイトミスリル鉱で打たれた、グランパレス騎士団特注のミスリルソード。
それを「う~ん」と唸って重そうに両手で持ち上げると、自身の僅か前の地面に突き立てた。
柄のグリップ部分には金属で加工が施されており、この剣が騎士の中でも地位有る者の所持品だったと教えている。
「つっ……わたしたちの、武器が、欲しいんでしゅか?」
精霊の愛より産まれしアロンダイト。光粒子で敵を切るフォトンセイバー。
片方は四大元素の結晶で、片方は科学の結晶。どちらも換算しきれない程の価値を誇る。
「ん~っ、要らない……それよりも、『スキ』って、言って欲しい、かな?」
アリスもイルマもそのレアウェポンを仕方なく……けれど納得して手放そうとして、しかし相手は武器など必要としない。
剣の格好良さに惹かれて、エーヴィヒカイトへ自慢しようと引きずって来たものの、それはグラリスから剣を受け取った後に、「この剣かっこいい」と思ったからで、最初から剣が欲しくて貰ったのでは無い。
「はっ? しゅきって……なんでしゅかそれは?」
リオが欲しかったのは『気持ち』。騎士だったグラリスの場合は幾多の戦場を供に越えた友、長年の間ずっと身に付けていた魂、見逃す変わりに『たまたま』最も気持ちの籠っていた剣を要求した。
剣では無くとも、もしグラリスがリオに「一目惚れした。好きだ」。剣に籠っていた気持ち以上で言ったなら、そのセリフだけでも良かっただろう。
気持ち……子供の頃に親から初めて買って貰ったオモチャや、恋人とデートした楽しい思い出や、好きな異性を告白しようと体育館の裏に呼び出して、それを待つ間のドキドキなど。
嬉しかった、楽しかった、悲しかった、ツラかった、その気持ち。気持ちの入った物を、思い出を、言葉を、記憶を、気持ちを、文字通り『貰う』。
「リオはね、お前らの『スキ』が欲しいって言ってるんだよ。うぶな少女が告白でもするつもりでやってみな?」
未だリオの考えが読めず戸惑う二人に、エーヴィヒカイトはふーっと溜め息を吐いてアドバイスを溢す。
まぁ、わからない。わからないさ。自分から相手に好きだと言ってくれと言い、それで好きだと言って貰えたとして、果たして嬉しいのか?
「ねっ、スキって……言って? そうしたら、お願い聞くから」
だがリオはお構い無しに催促を繰り返すと、いつの間にか霧の晴れた森の中でエーヴィヒカイトを優しく振りほどき、ニコニコと微笑みながら少女達へと近付いて行く。
そして目前、唇の艶さえもハッキリと見える程まで歩いて立ち止まった。後は気持ちだけ……アリスとイルマが、今朝会ったばかりの子供に嘘でも良いから気持ちを込めて告白するだけ。ならもう、選べる道は一つしか無かった。
二人は顔を見合わせて小さく頷くと、心の中で「せ~の!!」と一拍挟んでリオを見詰め、わざとらしく頬を染めて……
「「私、リオくんの事が……」」