第1章【Homemade Berserk~ミル(人形)と名付けられて~】その4
一キロ。つまり千メートルである。
グランパレス第三騎士団のディーナが、『神弓ヨイチ』を用いた際に標的を誤差3mm範囲で射抜ける距離が、約千メートル。
千メートル離れた場所から、人の耳に付いているイヤリングを狙い撃ちできる。
誤差範囲が30cmまで許されるなら、更に千メートル離れた所からの狙撃も可能。
大貴族サイレンス家の三女にして、若干21歳のディーナ=サイレンス。別名『弓姫ディーナ』。
石器時代でも無い近代、弓よりもボウガン。ボウガンよりも銃。銃よりもバルカン砲。バルカン砲よりもミサイル。
そこまで科学が発達した世界で、リーナが扱うのは尚も最古武器。
弓姫ディーナ。
弓姫。
姫。
ヒメ。
一番始めはヒメ。
人とコミュニケーションを取るのが苦手で、何を考えてるのかわからなくて、幼い頃から毎日毎日ずっと弓を握っていて、弓以外の行事や習い事には全て反発して逃げ出すワガママで、そんな大貴族の娘を、近所の子供達や姉妹は蔑称として『ヒメ』と呼んだ。
そうなってしまった発端は、世界最後の弓職人だった祖父に有る。
最後の弓職人が、培った技術と知識の全てを注ぎ、完成までに三年と五ヶ月……四十一月を費やして出来たのが『四壱』。
ヨイチを、ディーナが五歳になった誕生日にプレゼントしたのだ。
祖父は悔いていた。祖父は情けなかった。祖父は少しでも報いたかった。
ひたすら工房に籠って弓作りに没頭した人生。妻の小さなSOSに気付けず、病気だったとも気付かず、死に目にも会えず、そこでやっと愚かさに気付く。
世界一の弓職人と呼ばれて、おだてられて、半ば悦に入っていた自分。弓作りだけをやっていた自分。
妻には優しくしてやれなかった。息子には愛してやれなかった。孫には何もしてやれてない。
なんて事だ──
工房を出て、世の中を見渡せば弓など誰も必要とせず、この数十年で飛躍的に進歩した科学に全て喰われている。
もう自分の時代は終わってしまっていて、ようやく暇になっても優しくしようとした妻は死んだ。
ほったらかしにしていた息子にだって嫌われていて、孫にも会わせて貰えない。長女にも、次女にも。屋敷の前で門前払いされるだけだった。
そして三女が産まれた後、祖父は再び工房に籠り始める。
何日も、何週間も、何ヵ月も、籠って、籠って、ついにヨイチを完成させた。
自分の懺悔、自分の後悔、自分の生きた証。それを、『もう来ないからこれだけ渡させてくれ』と頼み込んで、五歳になったディーナに、初めて会ったディーナに、妻の面影の有るディーナにプレゼントして、屋敷から去った。
ディーナはプレゼントを気に入り、その日から弓を引き、引いた数が五十万を越えた13の誕生日を迎えた頃、自分が周りから浮いている存在だと知る。
ただ、友達は、いた。友達はヨイチ。最上級の素材で、最高の職人が長い歳月を経て完成させて、同じく長い歳月を使い込まれる事によって、宝具の域まで神化したサイレンス家の魂。
ヨイチは、人の言葉を喋り、人の姿に変化するのも可能な『神弓ヨイチ』に生を移した。
ディーナも、改めてそこで思う。もしかして私は、強いのではないか? と。
そして騎士団の門を叩き、実力を見せて雑用と言う形ながらも団入りを許された。
これがディーナ=サイレンスの歴史で、そのディーナ=サイレンスは今、二つの問題に頭を抱えている。
騎士団宿舎の一際大きな自室、そこで机に肘を着いて椅子に座り、何度目かもわからない溜め息を吐く。
「さて、どうしたもんかなぁ……」
問題の一つは、五年前にディーナが大佐まで上り詰めた切っ掛けにもなった事件に付いて。
五年前……人を廃人にまで追い込む違法薬物を城下で流し、この国を壊滅させようとした組織が存在した。
相当な実力者も居たが、発覚から僅か数日でディーナのヨイチにより全員射抜かれて事件は解決。
しかし昨日、その組織が復活したと噂が入って来た。それも今度はディーナへ復讐する為に。
この情報がガセなら良い……噂で終われば心配は無い。が、街をパトロールした時に感じた微かな殺気が、情報は本物だと念押ししている。
問題のもう一つは、最近発見されたレアメタル『ピンクダイヤ』に付いて。
正確には、ピンクダイヤに『願いを叶えて貰った』姫に付いてだ。
弓姫と呼ばれているディーナでは無く、城の後ろにそびえ立つ巨大な塔。その最上階に『幽閉』されている、この国の本当の姫……ヴァルキュリア嬢。
「やっと決心が固まったのに、ツイテないな……私」
ヴァルキュリアは、二人居る──
こんな事実が発覚したのはいつだったか……
剣士としても強く、そして美しく、シルバーの長髪をなびかせて戦場の最前線で活躍する姿、兵士達から『戦乙女』と呼ばれ慕われても反論の余地は無い。
民からも尊敬され、この人の為に命を賭けようと思わせる程の絶対的なカリスマ。
ただ、ただ、その栄光も今は昔。今は戦場に出る事を許されず、白いドレスに身を包んで塔の最上階。もう一人のヴァルキュリアが捕まるまで、ずっとこのまま。
「なぁヨイチ? 私はどうしたら……んっ?」
「ディーナ大佐、グラリスです。ただいま戻りました」
ディーナの思考を遮断したのは、ドアを叩くノック音に、続いて聞こえる部下の声。
今朝、王の命令で不条理な任務に向かった最も信頼を置く人物、グラリス曹長。
「いいぞ、入れ」
ディーナは表情を直して顔を上げると、ドアに向けて答えを返す。
「失礼します」
すると当然、と言うか必然、入室して来るのはグラリスで、そのグラリスはドアを閉めると、ディーナと机を挟んだすぐ目の前まで進み『休め』の姿勢を取る。
いつも通りのやりとり。何十、何百と数えて来た事。しかし大佐の地位に着いてから最もグラリスと接していたディーナは、そのグラリス。そのグラリスを見て……異変に気付く。
いや、誰でもこの異変には気付くだろう。任務に行く前と今では、明らかに『アレ』が無くなっているのだから。
「ではグラリス、結果報告を頼む」
だが敢えて問わず、一度ゆっくりと目を閉じ、開き、いつも通り、いつも通りに。
椅子に座ったまま部下を見上げ、いつも通りに言葉を続ける。
「満月兎は討伐しました。魔族側にもバレてないでしょう。それと、明日また正式に脱退の表明証を持って伺いますが、騎士団を抜けたいと考えています」
いつも通りの顔で、いつもよりも清々しさを感じる顔で、グラリスは『いつも通り』を終わらせた。
微かに笑みさえ覗かせ、眉を潜める上官を前にしても臆する事なく、自分の決めた決断を最後まで言い切る。
「そ、うか。お前が決めたのだ、止めはしないが……しかし、理由ぐらいは聞いても構わないだろう?」
それから感じ取れるのは硬い決意。まだまだ若い少年、青年と呼べる人物ならば引き留められるだろうが、今年で三十になり、騎士としてもベテランの域まで達し、人間としても完成されたグラリスほどの男が「騎士団を抜ける」と言ったのだ。止めれる訳も無い。
だとしたら止めない。頑張れと送り出してやるだけだ。ディーナはフッと微笑んで表情を崩すと、新たに産まれた興味の実態を問い掛ける。
「ディーナ大佐……いえ、弓姫ディーナ。私は相手が誰で有ろうとも、試合で貴女に勝てる者は居ないと思っています。例えレジェンドと呼ばれるカードが復活したとしても、この意見は変わりません」
しかし、思いもしない質問の答えに、再び眉を潜めて今日までの部下を睨む。
「グラリス、何が言いたい?」
ヤメる理由を問うた筈なのに、この状況で自分をおだてる必要性が分からない。
それもおだて過ぎ。実際に見た事もない歴史上のレジェンドを引き合いに出して、尚も勝つと言う。
「しっかりとルールを定めた、準備も済ませた、試合ならば、『決闘』ならば、貴女は誰を相手にしても勝つでしょう。ですが、先ほど思い知らされました……世の中は広い」
だが、よくよく聞けば、それは別段にディーナをおだてていたのでは無いとも分かる。
この話しの持って行き方。この話しの組み立て方。つまりグラリスは……
「そこまで私を持ち上げて置きながら、私より強い奴が居ると……そう言いたいのか?」
試合には勝っても、戦いには負ける。アマチュア(ルール有り)では勝てても、ガチンコ(何でも有り)では負ける。
直接では無いにしても、それに近い事を言っているのだ。厳密には更に深い部分。『何でも有り』の意味の部分。
「そうですね……例えばこの騎士団の食事係が他国に寝返り、貴女の食事に毒を混ぜたとしたならどうです?
例えば私と大佐が弓の的当て勝負をしたとして、私が一般市民の人質を取り、貴女の放った矢が的に当たったら人質を殺す……そう言ったならどうです?」
例え、例え、だが。毒に関しては気付いたとしても、人質……人質に関しては逆らえない。
グラリスが人質を取る筈が無い。殺す筈が無い。されどもこの国の騎士としての立場としたならば、的に矢を当てる事はできない。
「ふむ……確かに。その条件なら、土壇場での劇的な閃き、天啓が無ければ、私は負けになるだろうな」
ディーナもリアルに場面を考え、想像し、出た結論をゆっくりと答える。
実際には勝負にすらなっていない。勝負を迎える前の段階、そこで決着が付く。
国の為。国民の為。それを理由に戦う事でモチベーションが上がるのは事実だが、同時に重い足枷なのも事実。
背負うモノが無く、忠義するモノが無い方が、どれだけ気楽に戦えるか……戦いのみに集中できるか。
そしてその結論は、ディーナ自身が前々から思っていた事。
大佐……肩書きこそ立派だが、所詮は国の中だけの権利。ずっと国に留まって、国だけの平和の為に尽くして来た。世間知らず。
このまま騎士を続けていては、部下の育成をしながら、いずれはどこかの貴族と見合いして結婚するのだろう。それも良いかも知れない。
しかし、ディーナはもっと外を見たかった。世界を知りたかった。歩きたかった。まだ若い内に、力がピークを迎えている内に、自らの力を試したかったのだ。
だから騎士団から抜けるように進言するつもりだったが、立て続けて起こった二つの事件……考えている間に先を越されてしまった。
「失言をスミマセンでした。ですが、真っ直ぐな強さだけが勝敗を決めるのでは無いと……私も、つい先ほど理解したばかりの事を、まだ若い貴女に知っておいて欲しかったのです」
越したのは深く頭を下げて謝罪する部下。グラリスが居れば私が抜けても……と多少なり思っていたが、流石にしばらくは待たねばならない。
騎士団は他にも存在するし、国にして見ればたかだか騎士が二名離れるだけだが、第三騎士団に限って言えばNo.1とNo.2が居なくなるのだ。多数の部下が混乱しないように配慮したり、後任の選出も有る。
やはりグラリスと同時に……と言う訳には行かない。
「ついさっき……か。ふふっ、そこに腰掛けろよグラリス。久々に私が茶を淹れてやろう。だから『ソレ』が無い事や、『ついさっき』見た事を置き土産に話してけ」
ディーナは深く溜め息を吐いて表情を砕けさせると、グッと伸びをしながら立ち上がり、テーブル横のソファーへ座るよう促す。
そしてそのまま棚に向かい、二人分のティーセットを取り出して茶葉を選別し始めた。
「かしこまりました、ディーナ=サイレンス。あっ、貴女の好きなオレンジペコで構いませんよ?」
「そう言うなよ。たまには別なのを飲まないと減らないからな。スペシャルブレンドのダージリンを振る舞ってやるぞ」
グラリスは珍しい光景を横目に眺めながらソファーへ腰掛け、ディーナは目分量で次々とハーブを混ぜ合わせて行く。
一見すると雑にしか感じないが、グラム単位を正確に量り取る指先は、ある意味で神業にまで達していた。弓姫が弓を除く唯一の特技。
「それは楽しみですな。では……こちらも話を。ついさっき、ついさっきですが、これは本当に見た事……霧が、生きていたのです」