第1章【Homemade Berserk~ミル(人形)と名付けられて~】その3
「ふ~ん、なるほど……お前らはディスミルの為に強いマスターを探していた。つまり、最近この辺で起こってる『マスター狩り』はお前らのせいか?」
一時間前。リオが出掛けた一時間前より更に前の朝食の前。エーヴィヒカイトが言っていた事。
生きた人形が、マスターを襲っているらしい。
その人形……ディスミルに加担する二人へポットから注いだコーヒーを差し出すと、悪魔はイロリを挟んだ反対側にあぐらを掻いて腰を下ろした。
「ええ、強いマスターなら強いカードと契約してる……そして強いカードなら、ディスミルの望みを叶えてあげられる」
質問に答えるのは、同じくあぐらを掻いて座る、髪型が縦巻きロールツインテに戻ったアリス=マリン。
「まぁ、おまぃしゃんのましゅたーは、よわっちぃからだいじょぶれふょ」
イルマは冷まさずに飲んだコーヒーで舌を軽く火傷させながらも、平静を装ってアリスのセリフに捕捉を付け加えて行く。
もう二人とも体力は回復しており、戦いの、奉仕の、ダメージは全く残っていなかった。
そして、それぞれの語りを、ただジッと、紅茶をすすりながら聞き、考え、エーヴィヒカイトは言葉を選ぶ。
強いマスターを探してると言うのはわかったが、どうして探しているのかがわからない。
ディスミルの為? どうしてディスミルの為に、強いマスターと強いカードが必要になる?
これが一番の疑問。本来ならこの質問を真っ先に聞いてしかるべしだ。だが、もう我慢ができない。
出会った時にアリスが言った事。たった今、目の前でイルマが言った事。とどのつまりコイツらは、圧倒的で壊滅的な敗北をきしてなお、自分のマスターをナメている。バカにしている。
リオが居れば笑って過ごせるが、居ない所で言われるのは陰口と似ていて……尽くしている身としたら歯がゆく、やるせなく、気にしてないフリをしてたってやはり……
「あの、さ? もしかしてお前ら……リオを勘違いしてないか?」
マスターをフォローしたい!! リオは凄いんだって、自慢したい!!
大体にして、管理委員、今は変則的ながら配下のミュリ=エルナードも、『リオに気付かなかった』。
リオは子供だから。リオは弱いから。
どこの国に行こうが誰も敵と認識しないから。
警戒しないから。
裏を取れるから。
それ故、調査に向いている。
と、しか、思ってなかった。
だからリオの前に、のこのこと女一人で現れる。女一人しか送らない。
リオは、普通の、子供の、マスター。
この結論から、ミュリも管理委員も、『ヒント』は有ったのに未だ真実へ辿り着けない。
「リオの異常さに気付かなかったか? まっ……ヒントは有ったんだ、少し考えてみろよ?」
そう、『ヒント』は先ほどの戦いの最中にも存在したのだ。
アリスは感じて、イルマも感じて、エーヴィヒカイトですら感じて、リオは、感じなかった……『ヒント』を。
「ん~っ、何が、言いたいんでしゅか?」
思い出せ。ライトメアフィールドに幽閉されていたのは四人。アリス、イルマ、エーヴィヒカイト、リオ。
その中で一番リオと接していた筈のイルマが、答えを導き出せずに詰まる。
記憶を蘇らせ、再生。巻き戻し、再生。リピート。アリスとエーヴィヒカイトが戦ってる間、自分は何をしていたのかと。
最初は、観察していた小屋からとんでもない殺意……プレッシャーを感じて、アリスに逃げようかとも提案したが、そのアリスは自身のスキル故に逃げる事を拒んだ。
あの悪魔と遊んで来るよ
これは小手調べだと、余裕の微笑み。結果は見ずとも約束された勝利。
そう自惚れさせたのはアンチイヴィル……悪魔に対しての絶対的な保有スキルが、プレッシャーの恐怖をすぐさま吹き飛ばしていた。
イルマもそれをわかっていて、強くは止めず、やれやれと言った感じで傍観者を演じる。見方の完封完投の完全試合を微塵も疑わずに。
しかし、異変は、完了済み。
あれっ? なんだ? おかしい? 思った時には手遅れ。
約束された勝利は裏切られ、アリスの表情は余裕から苦悶へ、アンチイヴィルは木偶のカススキルに。
そこで、賢明に考え、考えに考えて現状を打破すべくイルマが閃いたのは、人質を取る事。ライトメアフィールドの範囲に小屋も存在しているのだから、まだ中にマスターが居る筈だと願いを込めて。
ライトメアフィールドから外へ離脱してなければ、まだ小屋に居れば、マスターさえ、マスターさえ、マスターさえ人質にできればっ!!逆転できるっ!!!
巨木の後ろから、草木の影から、気配を殺し、消して、二人のアリスの決着を横目で見届けて、バレずに小屋まで忍び近付いた。
勝った。今度こそ勝利。
間違いない。間違いなく、戸を開け、未だに座ったまま味噌汁をすすってる、この緊張感の欠片も無いマスターを人質に取れば……大、逆、転!!
と、その時は思っていた。
ジッとしてろと言えば、
命が惜しかったら暴れるなとサバイバルナイフを向ければ、
大人しく、不思議そうに、こちらを、見つめる子供。
──そうだっ。
何度も何度も、繰り返し繰り返し、記憶のテープが擦り切れるまで繰り返して、やっと『ヒント』の匂いを嗅ぎ付ける。
どうして、どうしてあの子供は、悪魔がリオと呼んだマスターは……
「おっ、そっちのチビはわかったって顔をしてるね? そうだよ……リオは、『恐怖』を、知らない。感じない」
再生終了。リピート終了。イロリを挟んで向かい合う、エーヴィヒカイトが回答を述べる。
「ボクが本気で放った殺気やプレッシャーなんて、うちわで扇がれた程度にしか感じないのさ……マスターなんだから、自分の下僕に怖がる訳がないって思うかもしれないけど、そうじゃない。言ってる意味、理解してるかな?」
リオが弱い事は、マスターが弱い事は、その下に就いているカード達が最も良くわかる事。
筋力が無い。魔力が無い。才能が無い。マスターで在る前に、人として、人間として生きる為に必要なモノが、リオにはまるっきり足りてない。
「つまり、おまぃのましゅたぁは、恐怖を感じない……だから恐いモノが無い。つまりつまり、その事で『マスターは強い』……と言いたいんでしゅか?」
ん~っ、と唸って、目を閉じて座禅を組んでも、閃きの豆電球は光らなかった。
わかるか? と言われてもわからない。仮に恐いモノが無い事が本当だとして、そこからそれ以上に何を読み取れと諭しているのか?
チラリと横目でマリアを見ても、同じく腕を組んで首を傾げているだけだった。
「リオはどんな恐怖も感じない。受け入れるんだから、他から拒絶された恐怖は、他では理解されない罪や罰は、自然とリオの元に集まるのさ」
それを軽い優越感に浸るエーヴィヒカイトが、静かに、淡々と、先ほどまで殺し合いをしていた相手に語り掛ける。
少しずつ、少しずつ、リオの『凄さ』をバラして行き、少しずつ、少しずつ、核心へ近付く。
「恐怖、罪、罰、ねぇ……貴女のマスターに朝ごはんを作ってたラヴィ達も、それに該当するって言うの? さすがにそれは無いでしょ?」
次に反応したのはアリス=マリン。覗いていた時、観察していた時、確認した三枚のカード。三匹のラヴィ。どう下駄を履かせてみても恐怖とは程遠い。
しかし、エーヴィヒカイトは、その質問を、待っていた。
「ああ、あの子らね? あの子ら、ああ見えてね……ヒトを、二人、殺してるんだよ。それも、リオの父親と母親を……結構やるだろ?」
マスターの為にいつも朝食を作り、出会った頃からマスターの遊び相手で、共に成長した三匹のラヴィ。カードの契約を結んだ後もそれは変わらない。
リオから受けた恩は一生を賭けて返す。その思いは、これからもずっと変わらない。
「あっ、正確には『みんなで』……だけどね。ボクと、他の六枚……七枚のカード全員で協力して、父親と母親を殺してやったんだよ。愉しかったぜ♪」
───────
手足の肉が、末端からジュクジュクと腐って垂れ落ちて行く──
指の肉が紫に変色して溶け出し、骨が見えて、これは血なのか肉なのか──
もう歩けない。立ってさえいられない。手首から先は、足首から先は、骨だ──
徐々に、徐々に、変色部分が中心に近付いて来て、痛みは無いが恐怖で悲鳴を上げた──
タ ス ケ テ!!!!!
悲鳴は届いた。身体の腐敗は止まった。でも、痛い。痛い、痛い、いたいいたいイタイイタイイタイ──
腐っていたのは手首まで。腐っていたのは足首まで。悲鳴を上げたら、肘から先を切り落とされた。膝から先を切り落とされた──
これで腐って死ぬ事は無いぞ? その声で看取られて、イモムシになった私たち夫婦は、正気を、失ってしまった──
もう何がなんだか分からない。お腹をほじくられて臓器を食べられてるのに、ムシャムシャ胸を食べられてるのに気持ち良くなって──
首の無い夫をみながら、心臓に牙が突き刺さるのを感じながら、私は──
「あ」
イ ッ た。
───────
「狂ってる……あんた狂ってるよ!! 大切だって、信じてって、土下座するぐらい好きなマスターの家族なんだろっ!?」
そのエーヴィヒカイトの告白、黙って聞き終えるにはあまりに衝撃的で……
アリスは大声で反論しながらガタンと立ち上がると、表情が歪な笑みに変わって行く悪魔を見下ろして睨む。
「ボクが忠誠を誓ってるのはリオだぜ? その親は関係ない……ってかさ、質問良いか?」
──お前ら、なんでそんなにリラックスできてんの?
「はっ?」
及ばない。アリスも、イルマも、『そこまで』考えは及ばない。及びもしない。
及ばないから分からない。エーヴィヒカイトの質問の意味に。
「どう言う……ことでしゅか?」
ただ、匂う。的確にアラームが反応して脳に知らせるのは、静かに笑ってる顔を、自らの片手で隠す悪魔から漂う……最大級の危険香。
誰だってこうだ。考え付けと言う方が無理。誰だってこう『勘違い』する。
マスターのご機嫌取りに協力した。
あれから時間も経ってる。
コーヒーでもてなされて、深い部分の世話ばなしもした。
いつの間にか友達感覚。
「ボクがそっちの立場だったら、出されたコーヒーを簡単に飲むなんてできないね。無味無臭の毒が混ざってたらどうすんだよ? それとこれは大前提でさ……もしかしてお前ら」
──自分たちは助かったとか思っちゃってる?
勘違いに勘違いを重ねてグラデーションを作り、もはやどれが本当かも見当がつかない。
把握してるのは一人。一枚。一匹。その全てで言い表せるエーヴィヒカイト。
「あ、ひっ、けひっ、ひひっ……あははははははははっ!!! あんまり笑かすなよお前ら♪ ボクはカードだ、下僕だ。リオの指示を仰ぐ為に、帰宅を待ってる間を繋いでるに過ぎない。リオが『殺せ』と言えば、あっさりと殺すぞ?」
しかしそのエーヴィヒカイトは、腹を押さえてゴロゴロと転げ回り、一通り笑い終えると真顔でアリスを睨み返す。
いつだってそうだ。
いつの世も、真実と言うのは決まって残酷なモノ。残酷な結果が訪れる可能性は必ず有るのに、誰しもが無意識に残酷な未来の予想を避けている。
何事も、良い方に、良い方に、考える。ボジティブ思考。
悪い方に、悪い方の結果に関しては、いつの間にか隅に追いやられ、いつの間にかどこかへ投げ捨てられる。
だが、なぜ投げ捨てられるのか? 最悪の結果を想像せずに、良い結果しか思い浮かべないのか?
それは大半の者が、予期せぬ展開に進んでも、例え最悪の結果が訪れても……
最悪の、
結果……
最悪の、
結果、
を……
切り開く!!
力を持っているから。
ベストな結果は、与えられるのを待つのでは無く、自分の手で掴み取る。
「あの小さなマスターの口から、『殺せ』、とか、物騒な言葉が出て来るとは思えないけどね」
アリスの全身に力が満ちる。次は負けない。負けるはずがない。
万が一、『殺せ』が発音されて、この悪魔と再戦になろうとも、充電完了。チャージ完了。2秒でアンチイヴィルを放ってこの悪魔をネジ伏せる。
エーヴィヒカイトは気付かなかった。気付いていなかった。先ほど完膚無きまでに圧勝した相手の『切り札』に。
「ほぉ……ずいぶん強気だな? さっき泣き叫んで助けを求めてた奴とは思えないよ。でも、それじゃあ、まぁ……ちょうど帰宅したみたいだし、我がマスターに問え。私たちを助けてくれますか、ってな」
だが、同じくまた、アリスも、イルマも気付いていなかった。悪魔との決着問答に意識を取られ、小屋の中の『湿度』に気付いていなかった。
遠くから、遠くから、耳を澄ませば聞こえて来る。小さな、小さな、物音が。
「んっ!?」
アリスは慌てて目を手の甲で擦る。物音に反応してでは無く、自らの視界に反応して。
目に映る風景が、悪魔が、仲間が、微妙に『ボヤけて』見える感覚。さっき出された飲み物に毒物は感じなかった。感じているのは現在進行形、今、この時、この瞬間。
「アリス、あいつの足音が変でしゅ!!」
物音だってオカシイのだ。聞こえるのは子供の足音……いや、足音なのかも怪しい。
ズル、ズル──
ズル、ズル──
ズル、ズル、ズル、ズル、何かを引きずる音が近付いている。
下僕のエーヴィヒカイトが、「マスターが帰って来た」と言ってるんだから、十中八九マスターで間違いない。
あの、子供のマスターが、ナニカを、引きずって来る。
ズル、ズル、と。重量感の有るナニカを。