第1章【Homemade Berserk~ミル(人形)と名付けられて~】その2
後に今日の出来事を、人国グランパレスの第三騎士団曹長グラリスはこう語った。
──霧が生きている。と。
広い領地を誇る大国グランパレスと言えば、『神弓ヨイチ』を操るレイナ大佐の第三騎士団が有名過ぎる。
グラリスは肩書きを省いた実力でのNo.2。レイナが自らの右腕として信頼を置く人物。
その人物が数名の部下を引き連れて望むのは、領土の境界線ギリギリに巣くった満月兎の討伐。
「王が不安になるのはわかる……しかし、これでは」
だが、一人の騎士として、この命令は到底納得できるものでは無かった。
グラリスは顔をしかめ、辺りを見渡し、右手に持つミスリル鉱で打たれた剣を大きく振って、刃に付着した血液を払い飛ばす。
場所は森の中。その奥に存在する洞窟と呼ぶには短い穴蔵の中。壁や天井に当たる部分は薄く脆く、隙間から日の光が差し込んで暗さを感じさせない。
すなわち、この『匂い』も籠る事は無いのだ。獣臭い満月兎の死体の匂いも……
太い手足は切り落とされ、急所には深々と長槍が突き刺さり、下の窪みには血の溜まりを作る。それが三匹分。
恐らく親子だろう。月兎種は月の満ち欠けに比例して名前と凶暴さを変え、新月に近付くほど大人しく、満月に近付くほど戦闘を好む。
好む。好む……が、だ。それはその生物の習慣と習性で、雌を争っての雄同士の戦いや縄張り争いに殆ど限定される。
確かに他の生物を襲う事も有るが、繁殖期や縄張りに侵入したりしない限りは、他の魔属と比べたらよっぽど安全な生物。
それも一つの理由で、もう一つ、グラリスがこの討伐を嫌った理由が有った。
「グラリス曹長、死体はいかがなさいますか?」
「焼け。そして埋葬、最後に黙祷だ。我々ができるのは……これぐらいだからな」
この巣が存在しているのは境界線ギリギリの位置。人属と、魔属の、境界線ギリギリの……ギリギリ、魔属側の土地だから。
つまり、こちらから他種族の領土に侵入し、勝手に殺した。「もしかしたら、凶暴化して村や街が襲われるかも」。そんな当て外れな予想で。
「了解です。しかし、これは大丈夫なのでしょうか?」
「居たのが三匹で良かった……大量に殺したら流石にバレる。そうしたら、戦争にもなりかねんからな」
グラリスは満月兎の死体を眺めたまま、部下の方を見ずに背中で問いに答えると、自分のした事、自分の支える国について考え深い溜め息を吐く。
──あんな『情報』が漏れて来たから、王は不安なのだ 。
どこかの、レジェンドカードが、解放された。
この情報を未だに隠し通してると思い込んでるのは、管理委員のマヌケだけ。
とっくに漏洩して、どこもかしくも不安に満ち溢れているのに……肝心の管理委員はマヌケで溢れて返っていた。
この世界は12の『大国』に別れ、それぞれの大国で1枚のレジェンドカードが厳重に保管され、そのカードはエルガンド=ルールルーラーの封印で有ると同時に、強力な切り札でも有る。
もし、レジェンドカードの力を得たなら、他の国を乗っ取る事など容易い。
しかしそれを見越して先人はカードを分け、解放の方法を後世に残さなかった。レジェンドの力は、仏が悪魔に変わるほど魅惑的だから……
そんなカードの封印が解かれたかもしれないとなれば、どこの国も動く。嘘と、虚勢と、探りの駆け引き。
「だが、解放されたのでは無く、そうでは無く……」
──12枚以外のレジェンドカードが出現したとは考えられないだろうか?
「準備が整いました。合図をお願いします」
「んっ!? あっ、ああ……では、始めるか」
グラリスは部下の声で我に帰ると、顔を左右に振って余計な雑念を掻き消した。
そして合図をしようと、満月兎の方を見ようとして、
目の前に並ぶ白銀の鎧を纏う騎士達の姿を見ようとして……
見えない。
「ぐっ、みんな大丈夫かっ!?」
霧が、濃霧が、一瞬の間に洞窟の中を覆っていたから。
それは、
あかく(赤く)、
あかく(紅く)、
あかく(朱く)、
色付いて、
あかく(ゆっくり)、
あかく(指先から)、
あかく(身体の自由を)、
奪い取る。
麻痺性の毒霧だとわかったのは、悲鳴を上げるのも叶わずにドサドサと部下が全て倒れ終わった後、筋肉が細かく震え出し、呼吸が苦しいと感じた後だ。
紫に近い赤色の霧。満月兎から流れ出ていた血液と同じ色。血の霧が視界を遮る。
「少し、痺れるだけだから……だから、心配しないでください」
唐突に響く、濃霧でさえも透き通る声。子供の声。小さな足音。
それに続いて聞こえるのは……
グシャッ!! グチャッ!! グチャッ、グチャッ!!
何かが、肉を噛み砕く音。咀嚼する音。
目をやれば、目を凝らせば見えて来る。赤い霧の中で蠢く、更に赤い霧の塊。
『蜘蛛』の形に浮かび上がる霧の獣が、人大は有ろうかと言う満月兎を喰っていた。
正確に光景は直視できなくとも、音と、位置と、霧の濃淡で、正確に蜘蛛の情報は伝わって来る。
「その子の主食は死肉なの。かと言って食事の度に生き物を殺すのもどうかなって思うじゃない? で……ね。近くで死肉を見付けたら食べさせるようにしてるんだ」
しかし、しかし。本当に注意すべきは、霧の蜘蛛では無い。麻痺毒をまるで空気のように吸い込んで喋る、この子供の方だ。
グラリスは麻痺に気付いてから瞬時に耐毒マスクで顔を覆って防いだが、洞窟の中、霧の中に居る筈の声は、未だに透き通ったまま。何も身に付けている様子は無い。
「だから、別に貴方達には何もしないから。少しだけ、食事が終わるのを待っててね?」
そこまででやっと。子供の、少年のセリフが途切れる。姿の見えぬ、霧に隠れた少年。
問われていた……目的を偽りもせず話した少年に。グラリスと、呼吸しかできぬグラリスの部下達全員が。
お前らは、どうするんだ?
そう問い掛けて来ていた。まともに動けるのはグラリスだけの壊滅寸前まで陥った騎士団に。
何もしなければ、見逃せば、食事が終わるまで待てば、それまでだろう。喰って貰えれば火葬する手間が省けて、メリットすら考えられる。
だが、危険察知のアンテナは振り切れていて……ここに上官のレイナが居たら、もしくは自分一人だったら戦っていた。
だが、だが。身動きの取れない部下は人質と同じ。下手な事はできないのも理解していて。
だが、だが。だが……傍観者にも徹していられない。国に仕える騎士として、この少年が何者なのか少しでも調べなくては、アクションを起こさねばならない。
「少年。その蜘蛛を、俺が斬ると言ったら……どうする?」
グラリスは剣の柄を握り直し、カキンと短い金属音を鳴らす。
無論、本当に斬るつもりなど無かった。少年の反応を伺っているだけ。
それに……とも思う。霧と言う特殊形状の生態をしているが、力的に倒せない程では無いとも感じていた。少年に至っては、幾ら贔屓目に見ても、そこいらの田舎町の青年ぐらいが関の山。
万が一、蜘蛛と、少年と、戦う事になろうとも、動けない部下を襲われなければ何とかなる……と読んでいた。
だから、だから、
「そっ、か……じゃあ、『完全に召喚』するね?」
そんな読みの甘さだから、実力は有るのに、いつまで経っても曹長と言う立場から上になれない。
霧は言わば『搾りカス』。思念体。カードから中途半端な召喚をされた成れの果て。
本体はカードに収まったまま、魔力だけを放出して餌を喰っていた。
「くっ、召喚……と言う事は、マスターか? そして蜘蛛は、そのカード!?」
ここまで。わかったのはここまで。
魔力の弱いマスター、そのマスターには不釣り合いの凶悪なカード、肉を喰う霧、毒を酸素のように吸い込む子供、禍々しい漆黒の五芒星。
一瞬で洞窟を包んだ霧は、一瞬で少年を中心に巻き起こる魔力の風に吹き飛ばされた。
視界はクリア。対峙するのはマンツーマン。少年はグラリスに向けて右手を翳し、空に描かれた魔方陣からカードを引きずり出す。
「行くよ……ドロー」
死毒に至れ
猛毒蠱毒
「アビスタラント、召喚ッ!!!」
────────。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!
少年の呼び掛けに応じて現れたのは、
粒子が、分子が、高速召集して形作られてゆくのは、
カードの中から現界したのは、
満月兎三匹を完食して納得させるほどの、巨大な蜘蛛。
それが大気さえビリビリと震わせる咆哮を放ち、マスターに召喚された喜びで哭く。
───────
アビスタラント。その生態は特徴的で、生涯が常に死と隣り合わせである。
死の谷と呼ばれる陽の当たらない極寒の谷底で、一匹の親蜘蛛が何十万と言う途方もない数の子蜘蛛を産む。
そして産まれた子蜘蛛はすぐに寄って集って親蜘蛛を喰い散らかし、出産でエネルギーを使い果たした親蜘蛛はそのまま子供達の餌になるのだ。
しかしそこは草木すら伸びぬ地。食料など有るはずも無く、アビスタラントは生き抜く為に『共食い』を始める。
喰って、喰われて、成長して。最後の一匹になるまで何ヵ月も何年も続いて、最後の一匹になったら、雌雄同体のその一匹が再び何十万の子供を産み、喰われて死んで行く。
これがアビスタラントの生態。最強の蜘蛛が勝ち残り、最強の遺伝子を持った子供達が、再び最強が決まるまで喰らい合い、繰り返す。
なら……それだけの蜘蛛が居るのだから、何百年に一度、何千年に一度、天文学的な数値で、『外の世界に出たい』と意思を持った蜘蛛が居ても不思議はないのではないか?
出血毒、神経毒、麻痺毒、針毒、様々な毒が体内で精製され、先端特化で鋼のように硬い爪と牙、どんな生物も噛み砕く屈強な顎。
黄色と紫の凶々しいフォルム。小動物を余裕でショック死させるバインドボイス。全てが恐怖の象徴で、全てを賭けて……
「ヨシヨシ♪ 頭を撫でてあげるから、ちょっとだけガンバってね?」
この少年を守っている。
───────
さっきの霧の力を3とするなら、今は7~10。大きく過剰評価して約三倍との読み。
けれども、三倍としたとしてもなお、
「ふむ、なるほど……」
グラリスは負けるとは思わなかった。
確かに苦戦はするだろう。
無傷では済まないだろう。
むしろ正体が掴めない分、霧で居られた時の方が驚異に感じたほど。
蜘蛛には負けない
この戦いが、『一対一』であったなら
グラリスは足元の小石を真上に蹴りあげると、それを剣の側面ですくうようにして少年に軽く打ち飛ばす。
少年はアビスタラントの前に出ていて、
頭を撫でる為にこちらへ背を向けていて、
二人の距離は10メートル前後で、
このままなら後頭部に石がぶつかるはずで、
なのに、ぶつからなかった。
「はいはい、ヨシヨシ♪ イイコイイコ♪♪」
撫でられ易く頭を下げ、気持ち良さそうに複眼を細める蜘蛛の姿が見えるだけで。
背伸びして、爪先立ちになって蜘蛛の頭部を撫でる、少年の後ろ姿が見えるだけで。
「やはり、もう一匹いたか」
石は二人の中間地点まで飛び……細切れに斬れ、パラパラと落ちた。
蜘蛛では無い。蜘蛛ならば、切る、より、潰す、や、砕く、だろう。
それに『コイツ』も霧と同じく、絞りカス。思念体。魔力だけの、特別な身体だとも予想が着く。
石をまるで豆腐のように切り、その刹那を目視できた。
刹那、刹那。一秒と一秒の隙間と呼べるほど短い刹那。グラリスが見たのは、自然界の雷よりも科学の電気と称するのが近いプラズマと、薄く淡く青く光り灯る刃。
それでヒントは足りる。もう一匹の秘密も解けた。蜘蛛が霧なら、『これ』の形態は目には映らない超光学迷彩。刃も目には映らない伸縮自在な高周波震動ブレード。
体の一部が伸び、そこから更にブレードが伸びる形。注意すればブレードの振られた軌跡にバチバチとプラズマが通ってるのがわかる。
二匹を、二枚のカードを表すなら、霧と隠密。属性は魔と機。蜘蛛と、百足。
最弱のマスターが宿すのは、最凶にして最狂の下僕。ネタのバレてない『初見』と言う条件でのみ本領を発揮する、死毒の矛と不可視の盾。
「まだまだ、こんなもの達が存在しようとは……」
そこまで考察して、フッとグラリスの口元が弛んだ。
どこの王も安心しないはずだ。まだまだ、まだまだ、知らない、手におえない者達が山ほど居る。
だから、どれだけ戦力を強化しても安心できない。もっと、もっとと欲を掻く。
もし、安心できるとしたら、レジェンドの力を得た時。他の国よりも多くのレジェンドを手に入れた時。
その安息を求めて……
レジェンドカード争奪戦
が、今まさに始まろうとしていた。
しかし、そんな心配は後回し。まず、まずは……
「どしたのお兄さん? 凄く緊張してるのが伝わって来てるよ?」
まずは、この現状から生きて帰還する事を最優先で、プライドを捨てようとも、誇りを捨てようとも、命こそが最も大切。
騎士が死ぬ時は国の為。騎士の命は国のモノ。少なくとも、騎士個人の、『カレの力を知りたい』なんて都合で失って良いモノではないのだ。
そうしたならば。動けない部下を守らなければならぬ立場だとしたならば。取るべきは必然と決まって来る。
「下手を打ってすまなかった……どうか、ここは引いてもらえないだろうか?」
剣を逆手で持ち直し、
足元の地面に突き立て戦う意志が無い事を示し、
その場から三歩も後ろに下がって、
深々と少年に頭を……
「通らない!! そんなのは通らないって、子供のボクだってわかるよ!? 貴方は自分の大切な人に剣を突き付けた奴がいて、だけど囲まれて逃げれないと思ったソイツがさ? その後に『ごめん、軽いジョークなんだ』って言ったら、ソイツを許せる? 逃がせる?」
棒立ち。グラリスは棒立ちで、謝罪を拒否されて、急変で訪れた少年の激昂に身を硬直させる。
しかし元々、無償で助かろうとも思っていなかったのも事実。差し出せる物は差し出す考えでいた。