第1章【Homemade Berserk~ミル(人形)と名付けられて~】
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ヒト に ナリタイ
喜びを知った。
怒りを知った。
悲しみを知った。
後は? ヒトに成る為に、足りない感情は?
「イケない、ヤメろディスミル」
ゴメンねクリス……
「ミルさん!! そんな事は止めてください!!」
ゴメンねカトル……
ゴメンね、みんな。だけど、これしか残ってないの!! 考えつかないの!!
私が唯一、唯一知らない感情……『恐怖』さえわかれば、私はヒトになれるのよっ!!
だから、
だからほらっ……
泣きながら逃げ惑う、
貴方の恐怖を見せて。
「ま、待てよっ!! この通り、手持ちのカードは全部やられちまった。お願いだから……見逃してくれっ!!」
男のヒトが、ドゲザをしています。
辺りには砕けたカードのカケラ達。
このヒトのヒキツッタ顔が 恐怖 なのでしょうか? わかりません。
ワカラナイから、
「『幾億の孤独』……」
もう少し、アナタの恐怖を教えてくださいね。
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「お人形さん(ドーリィ)?」
「そっ、Type-Dolly……ディスミル」
まだ薄暗い早朝。小高い丘の川辺に在る山小屋の中。
眠い目を擦りながら、パチパチと火の粉の舞う『イロリ』を二人と三匹が囲んでいる。
二人はリオ、そしてエーヴィヒカイト。
三匹は、リオが所持する六枚の内の三枚……マッシュラヴィ、ソードラヴィ、マジカルラヴィの、ラヴィトリオ。
どれも羽毛に覆われたサッカーボールほどの全長で在りまんまるの球体で、そこから伸びる腕代わりの鳥の翼、足、尾羽。全体的にふわふわもこもこ。大きな瞳。
そんな三匹の役割は調理で、マッシュラヴィの頭に生えるキノコをソードラヴィが切り取って盾をまな板代わりに細かく刻み、マジカルラヴィが炎の魔法で温めた鉄鍋に放り込む。
最後にエーヴィヒカイトがお玉で味噌を溶かし入れて完成。ここ三日間、毎日の朝食になっているキノコの味噌汁。
「らぅいー」
「らぅいー」
「らぅいー」
それが終わると、ラヴィ達はリオの隣に一直線に並んだ。これも又、三日間続いてる光景。
「明日も美味しいキノコをお願いね……ちゅっ♪」
先頭の頭にキノコが生えたマッシュラヴィを目線の高さまで持ち上げて抱き締めると、フサフサの頬っぺに短いキスをする。
「らぅいぃ~っ」
するとマッシュラヴィは幸せそうな声を上げ、リオの手から消えた。
徐々に薄くなって透明になる……まるで空気中に溶けたかのように。
これは三種類の契約の一つ『ビーム』。ラヴィ達は主に朝食の時に精霊の森から転送されて呼ばれ、食事の準備が終わると元々居た場所へと戻って行く。
勿論、いざとなったら戦いにも参加するが、基本の仕事は朝食当番なのだ。
だが……
「ちゅっ」
「らぅい~♪」
そんな関係に、ラヴィ達は不満の一つも無い。心から尽くし、リオに尽くせる事を心から喜んでいる。
「またよろしくね? ちゅっ……」
「らぅい゛~~っ♪」
こうやってハグして貰い、頬にキスして貰うだけで、ラヴィ達には至高の幸せ。
そのお礼の為だけに、頼られればどんな無茶な仕事でもこなすだろう。
リオには魔力が無い。力が無い。マスターとしての素質はまるで無い。
しかし、ただ一つ、リオにはズバ抜けたモノが有る。
「ねぇ、早くご飯を食べてチュッチュしよぅよリオ♪ ボク……もぉ辛抱たまらないんだっ」
それは、『受愛』。愛される才能だけは、他のどんなマスターよりも持ち合わせているのだ。
リオの前へ茶碗によそった味噌汁を差し出すエーヴィヒカイトも、小屋から元居た森へと戻って行ったラヴィ達も、残りの三枚の住人も、種族は違えど、種別は違えど、心から皆、忠誠と愛で遣えている。
「えっ!? あのっ、うん……エーヴィ、今は女の子だよね?」
エーヴィヒカイトが、ラヴィが、そして残りの三枚のカードに宿る住人達が、皆が皆、この頼りないマスターを支えて上げたいと言う一心で、リオ=ストナーは成り立っているのだ。
無知で、無力で、子供で……それで尚も一流のマスター。
知識はエーヴィヒカイトが、力は残りの三枚が、子供の部分はラヴィ達がカバーする。しかし、当の本人だけが気付かない。
リオは少し迷った後、恥ずかしさを誤魔化すように茶碗を両手で持って味噌汁をすすると、視線をチラチラとエーヴィヒカイトに向けて問い掛ける。
「んっ? 今日は女の子だよ……って、あ~~っ、なぁるほどねぇ~~っ♪」
しかし鈍感なマスターに傅く敏感なエーヴィヒカイトは、すぐに真意を汲み取ってニヤニヤと頬を緩ませながらスリ寄って行く。
「けほっ、げほっ……ち、違うよぉ。何となく気になったから聞いただけだってば……そんな、別に、どっちでもいいし」
思いもよらぬ言葉に小さく咳き込むマスターの姿を見つめながら、いつものように後ろから手を回して抱き締め……抱き締めようとしたところで動きは止まった。
「んっ、エーヴィ?」
身体も離し、離した小悪魔は苛立ちを隠さない表情で小屋の入り口を睨む。
「いち、にっ……二人か? 二人、覗いてる奴が居るね。どうしようマスター? 覗いてる奴が居るんだけど……殺しちゃう?」
そして、
変わる。
変わる。
変わる。
空気が、大気が、魔力の流れが、急激に最悪へ流移する。
瞳は金色に変色し、爪は指よりも長く伸び、羽は一回り大きくなって左右に広がり、犬歯は唇に掛かるまで成長して、ドス黒い魔力を纏いてその場に立ち竦む。
これぞ底も底、第4地獄よりも遥かに底の闇より産まれし完全悪……深淵なるエーヴィヒカイト。その正体。
「すぐ、戻って来るから」
入り口の戸を開け、外に出て、見渡せるのはムーの大森林を連想させる自然の深緑。
聞こえるのは小動物達の鳴き声と、湖で跳ねる魚の水音と、
それに混じって届くのは……
微かな、僅かな、呼吸音。
「出てきなよ……ボク、見せ付けるのは大好きだけど、覗かれるのは大嫌いなんだ。3つ数えるまで待つから……出てこいっ!!」
木の枝で羽を休める鳥は遠くへと飛び立ち、リスも、ウサギも、並んで遠くへ走り去る。
そうさせたのは、動物にさえも殺気を悟らせる極上のプレッシャー。
「ひとーつ」
動きは無い。ただ真っ直ぐに、数十メートル先の対で存在する巨木を見据える。
「ふたーつ」
カウントダウンは続く。
その巨木の後ろに一人ずつ隠れていると確信しているのに動かず、
確信された二人も、それでもまだ動かない。
「みぃーっつ」
ギチリ……
イライラと、歯を噛み締めたのはエーヴィヒカイト。
カウントダウンが終わっても相手は自ら姿を表さない。
チャンス……を与えたつもりだった。「覗いてすみませんでした」と軽く頭を下げて貰えれば、「こっちこそ脅かしてゴメン」と笑って許す筈だった。
しかし、そんな笑い事で済むラインは、とうとう踏み越えられた。
「馬鹿が……」
──ドンッッ!!!
エーヴィヒカイトは右足を真上まで振り上げると、そのままけたたましい音を響かせて大地に踏み下ろす。
ヤバくなったら逃げればいい。
マスターを置いてまで追っては来ない。
巨木の後ろで身を潜める二人の考えはこう。
そんな甘っちょろい考えだから、
「ライトメアフィールド……展開ッ!!」
気付けば取り返しの付かない事態に陥る。
追っては行かない。
逃がしなどはしない。
この半径五十メートルの空間に、二人の運命を閉じ込める。
「ふふっ、つーかまーえた♪」
白く、白く、どこまでも白い。真っ白な空間が『色を飛ばす』。
大地も白、深緑も白、まるで画用紙に鉛筆で輪郭だけを縁取ったような世界。白だけしか存在しない世界。
エーヴィヒカイトを中心に半径五十メートルで完成した世界は、物理的な力では一切干渉できない死への牢獄。
これこそが、魔力遮断結界ライトメアフィールドの真の力。エーヴィヒカイトしか魔力を発揮できない反則スレスレな世界を作り出し、『外』と隔離する。
「はぁ……やれやれだわ。気配は消してたんだけどね」
そしてやっと、巨木の後ろから姿を表し、ゆっくりとエーヴィヒカイトに向けて歩むのは少女。
色は飛ばされて判別できないが大きく強気な瞳に、左右でクルクルと巻かれたロールヘアーに、ゴシックの入ったドレスを身に纏う。
「私はアリス……アリス=マリン。ちょっと訳があってね、見させて貰ったわ……だけど、あんたのマスターは失格」
だが、それ以上に目を引くのは、軽々と右腕一本で担がれた大剣。刃先から刃元まで約150cm……少女の身長と変わらない。
白の世界でなおも輝きを放ち、刀身に刻まれた文字がこの剣の名前を示す。
剣名『アロンダイト』。湖の精霊がかつて愛した男性に贈ったとされる武器。本物。
「子供のマスターじゃ役に立ちそうにないし……さっさ、と……へっ?」
──パチンッ。
本物のアロンダイトを持った少女が、『エーヴィヒカイトの横』に居る。
そして巨木の後ろから現れ、エーヴィヒカイトに近付くアロンダイトを持った少女に向けて、アロンダイトを構えた。
「くっ、ははっ……あぁはははははははははっッ!!!」
白場にコダマするのは小悪魔の笑い声。小悪魔が、指を鳴らした音。
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ぶつかり合うのは鈍い金属音。
振り合うのは同型のアロンダイト。
「「はあぁぁぁぁぁっッ!!」」
叫び合うのは、二人のアリス=マリン。
一方は瞳に生気が無く、一方は悔しそうに歯を噛み締める。失敗したのだ……戦いの切っ掛けに。
アリスには『アンチイヴィル』と言う、悪魔の特殊能力を無効化するスキルが有る。だからどれだけプレッシャーを受けようとも、相手はたかが悪魔だと舐めていた。
戦闘になれば、アンチイヴィルを発動させて倒せば良いと考えていた。
だが誤算は、その悪魔が、どんな力を使うのか知らなかった事。
先手を打ったエーヴィヒカイトのライトメアフィールドにより、アンチイヴィルを使う事を不可能にさせられたのだ。
それに気付いたのは後も後。ただの逃げ道を封じる空間結界じゃ無いと気付いたのは、チェックメイトを許した後。
「ハっ、愉しいなぁ……なぁ、小娘?」
──パチンッ。
小悪魔の指が鳴る。
するとアリスの真下、地面から『鎖が生え』、足に絡み付こうと渦を巻き、
「くっ!!?」
アロンダイトにより断ち切られる。
「どうした、動きが鈍って来たよ? 捕まったらボクに大変な拷問されちゃうよ~~~っ♪♪」
一歩、一足、一動。その度に、アリスは自らへ伸びて来る鎖を次々と切り払い、更にもう一人の自分の攻撃を何とか防いでやり過ごす。
それが限界。もはや為す術など有りはしなかった。
「神様、カミサマ、かみさま……きっ!! 聖剣アロンダイトよ、私の想いに応えてっ!!!」
精々できるのは、
「ほぉ……」
玉砕覚悟の相討ち狙い。
この白場。無地のキャンパス。ライトメアフィールドの世界では、エーヴィヒカイト以外の生物は『力』を使う事は不可能。
しかし、元より物に宿っていた魔力ならば、生命の無い、剣に宿っていた魔力ならば、解放する事も可能。
これは賭けだった。もしもアロンダイト自体の魔力までシャットアウトされていたら、こんな物はただの鉄塊……完全に戦いは終わっていた。
だけれども、だけれども、だけれども。最後の一閃、希望は残っている。
聖剣エクスカリバー。
聖剣レヴァンテイン。
聖剣アロンダイト。
三大聖剣の一つ、精霊の愛を受けて誕生したアロンダイトの力は、まだまだこんなもんじゃない!!
少女の想いに応えて聖剣は白光し、その力を見せ始める。
「はぁぁぁぁぁああ!!!」
アリスは虎の狩りのように重心を極限まで落として身を屈めると、ドンッ!! と巨大な破裂音を誕生せて地面を蹴り飛ばした。
向かうのは自らのニセモノ。ニセモノの剣を持つ、ニセモノの自分自身。
ヒトツに……
剣と身体を一つに。
後ろから迫る鎖の群れを振り切りながら、偽者の横を通り過ぎると同時、真一文字に剣を振るう。
勢いを殺さず、余計な動作を完全に省いた無拍子。
──ザンッッ!!!
それはもう一つのアロンダイトを砕き、もう一人のアリス=マリンを腰の位置から上下に分断する。
砕けた剣も、切られた身体も、サラサラと砂のように分解されて空気中に消え、残った本物はそれを見届ける事無くもう一度地面を蹴り飛ばす。
次は巨悪へ、エーヴィヒカイトへと聖剣を頭上に振りかぶり、
「ラストォォォォォッッ!!!」
息も吐かせぬほどの間、神速と言えるスピードで、正面から悪魔を切り伏せる為に、アロンダイトを降り下ろした。
──パチンッ。
斬れていた。
勝っていた。
少女の持つ聖剣がエクスカリバーかレヴァンテインなら。
「はい、げーむおーばー♪」
勇気と、人々の願いを力に代えるエクスカリバー。
悔しさ、ツラさ、反骨心を力に代えるレヴァンテイン。
そして、愛を、純粋な愛を力に代えるアロンダイト。
勇気は有った。悔しさは有った。しかし、アロンダイトの真の力を引き出すに値する、愛が……少女には無かった。
「ぐっ、うっ、そん……なっ」
アロンダイトはエーヴィヒカイトの数センチ手前でグルグルと鎖に巻き付かれ、真後ろへ引っ張る力に押されてこれ以上の振り下ろしを許されない。
ここ一番で真の力を発揮できず、先ほどより幾分太くなっただけの鎖を断ち切れなかった。
驚愕と絶望でマリアの身体は振り下ろした体制のまま硬直し、
──パチンッ。
その隙を、深淵の悪魔が見逃す筈もない。
「その悔しそうな顔……ちょっとだけカワイイよ♪」
指鳴らしに応じて地面から複数の鎖が生えると、それぞれがマリアの足首と手首に巻き付いてキツく締め上げる。
「イッ!? ぎひぃっ!!?」
そして、とうとう、聖剣は光を失って少女の手から離れ、重低音を奏でて地に落ちた。
なんて可愛そうな少女。
なんて可愛そうな勇者。
なんて可愛そうな、アリス=マリン。
見た目だけならまだ子供に分類されるアリスに待ち受けるのは、年端も行かない女の子に待ち受けるのは、瞳を爛々と輝かせ、歪んだ笑みで牙を見せ付ける、エーヴィヒカイトの拷問。
「何で覗いてたのか……とか、もう聞かないよ。それよりもボクは、小娘……お前の悲鳴に興味がでてきた」
──パチンッ。
アリスは1メートルほどその場で鎖に持ち上げられて空中に浮かぶと、手足をピンと真っ直ぐに引っ張られ、大の字の形で身体を固定されてしまう。
「悪魔っ!! マリアを離すでしゅ!!」
そんな拷問者の後ろから放たれるのは、必死さが有り有りと混ざった叫び声。
最初、アリスと共にリオとエーヴィヒカイトを観察していた人物……イルマ=サマー。
だが、悪魔の視線は動かない。興味は目の前の少女だけ。今から壊す……少女の身体だけ。
「はっ、言葉使いがなってないなぁ……ボクの機嫌一つで、コイツがバラバラにされちゃうかも知れないんだぜ?」
イルマは見ない。後ろは振り返らない。アリスの左胸のやや上、鎖骨の辺りに人差し指の爪先を軽く押し付けて答えるだけ。
だけ、だけ。それだけだけども、観察者二人、そのどちらの顔も青くなる。
「まっ、待つでしゅ!! ちゃんと謝るでしゅ!!」
形振りなど構っていられなかった。イルマは武器を地面に投げ捨てると、そのまま膝を着き、正座の姿勢を取り、今度は両方の手のひらを地面に着く。
仲間を、アリスを助ける方法、その思い浮かぶ唯一。土下座。
「アリスを、助けてくだしゃい」
言葉を選び、慎重に選んで、簡潔に、伝わるように、懇願して、額を地面に着けた。
しかし、エーヴィヒカイトはその光景すら見ない。
しかし、エーヴィヒカイトはその光景を見なくとも背中で感じ取れた。
真後ろから伝わる、羽に響く快感。屈辱と恐怖の合わさった感情。
堪らなかった……
「くひっ、ひっ、あぁはははははははっ♪♪ 土下座でもしたか? そーかそーか、そんなにコイツを助けて欲しいか?」
エーヴィヒカイトは我慢できずに甲高い笑い声を響かせると、アリスの胸元を爪先でカリカリとなぞって血を滴らせる。
「「助けて、ください」」
そして悩んでるフリ。考えてるフリ。助けてやるつもりなんて毛頭ないのに。
後ろと前から聞こえる同じ単語にも、ほんの少しも心は動かされない。
動かされないのだから……
「やっぱり、きちんと謝罪されたくらいじゃ、助けてあげられないね」
許す筈も無い。
「ッ!? 嘘つき!! きちんと謝れば助けてくれるんじゃないんでしゅか!!?」
エーヴィヒカイトは悪魔に戻っていた。第四地獄より底の、深淵の闇で過ごしていた頃に。
「誰が助けるって言ったよ? だいたいさぁ……ボクを誰だと思ってんの?
口から吐き出す言葉は全て嘘。流す涙も全て嘘。悪魔を信じるなよアホがっ!!
友情だとか、信頼だとか、吐き気がするんだよ……少し待ってな、次はお前─────」
次はお前の番だ。そう言おうとして、途中まで言いながら、エーヴィヒカイトは初めてイルマを、後ろを、振り向いた。
振り向いて、硬直する。エーヴィヒカイトの身体が、角の先から足の指先まで、全て。
──パリィィィィィィン!!
それに連動するように巨大な破裂音が轟き、ヒビが入った空間……ライトメアフィールドは一瞬で砕け散った。
「きゃっ!?」
「アリス!!」
捕縛していた鎖も砕け落ち、アリスは背中を打ち付けて地面に解放されると、自由になった身体を確かめながらフラフラと立ち上がる。
イルマはその姿を見ると即座に駆け出し、エーヴィヒカイトの横を抜けてアリスを支えたのだった。
「本当は人質として『あの子』を捕まえたんでしゅが、お前がマスターさえ真顔で殺せる悪魔だとすぐにわかったから、交換なんてヤメたんでしゅ。不要な子供かも知れないでしゅが返しましゅよ」
色は戻った。空間は戻った。自然の新緑は戻った。
何の恐怖も無い、天敵もいない、小動物が暮らし、鳥が鳴き、湖で魚が跳ねる、普通の森に戻った。
されど、エーヴィヒカイトだけが恐怖で震えている。歯をガチガチと音立て、定まらない視点を泳がせて、真っ直ぐ、真っ直ぐ、『リオ』を見つめる。
「エーヴィ……」
縄のような物で腕と上半身を縛られた少年。マスター。その少年が悲しそうな瞳で悪魔を見つめ返していた。
「ちが、う……ちがう、違う違う違う違うチガウッ!! リオ違うのぉぉぉぉぉっッ!!!」
リオは、
ずっと見ていた。
ずっと聞いていた。
それなのに、自分は何と言ったのか?
「好きだよ」
「愛してる」
「命を賭けてリオを守るから」
そう服従を誓った事の有る相手を前に、自分は何とほざいたのか?
自分は嘘泣きしかしないと言った。
自分は嘘しか言わないと追い詰めた。
果ては自分を信じるなとまでのたまった。聞かせてしまった。
久々だった悪魔の本業を楽しんで、そんな事を『ノリ』で口にしたのだ。
「信じてリオ、信じてっ!! さっきのは覗きをしてた奴らを脅かす為に付いた『嘘』なのっ。ボクっ、リオには嘘なんて言わないよ?」
グルグルグルグル。エーヴィヒカイトの頭の中で言い訳が渦を巻く。
ついさっきまで高揚で身体が熱く火照っていたのに、今は背中を冷や汗が垂れて寒い。
しかし、その必死さが伝わったのかリオの表情がやっと微笑み掛け、
「なるほど……だからでしゅか? そうやってすぐに騙せるから、子供をマスターにしてるんでしゅね? いつでもマスターを切り捨てれるように……さすがは悪魔、考える事がえげつないでしゅ」
一瞬で再び凍り付く。
エーヴィヒカイトがズラズラと並べる言い訳を、独自に解釈したイルマが割り込んで。
「黙れッ!!! 本当に殺されたいか!!?」
声力。
エーヴィヒカイトの口から発せられた言葉が、衝撃波を纏いって近くの小石を吹き飛ばす。
木々の葉を散り落とし、砂を巻き上げ、湖にさえ有り得ないさざ波を作った。
イルマの髪が揺れ、アリスの引き裂かれたドレススカートがヒラヒラとはためく。
「っ……ん」
それまでの怒号にも返答は無い。驚きも、悲鳴も、二人とも、唾と一緒に呑み込んでしまったから。
恐くて、恐くて、動けなくて。動けるのはただの子供。この場でもっとも非力で、弱い筈の子供。
「エーヴィ……本当は、僕の事を、どう思ってるの?」
上半身は縛られたままで、プレッシャーをものともぜずに一歩、一歩とエーヴィヒカイトに近付いて行く。
光の無い瞳。疑心暗鬼の瞳。その瞳で見つめられる深淵の悪魔。
「ゃっ、だ……やだ、ヤダっ!! 嫌いにならないでリオ、『私』を捨てないで!! 何でも、する……からぁ」
それは、どんな拷問を受けるよりも耐え難い。
遠慮しないように、同性の友人のような感覚で気楽に接して貰えるように、敢えて一人称を『ボク』に変えていた。
リオの為に。リオの側に少しでも長く居る為に。非力で、非弱で、マスターとしても底辺で、そんなリオの為に。エーヴィヒカイトは、些細な事でも気にしてリオに合わせていたのだ。
だが今は、それすらも気にする余裕が無い。
恐かったのだ。リオの信用を、信頼を、友情を、愛情を、微笑みを、失う事が何よりも。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい……信じてリオっ」
だから驚いた。リオが、アリスが、イルマが。
萎縮した羽で、短くなった爪で、角で、牙で、涙を泳がせる瞳で、エーヴィヒカイトが頭を下げたから。土下座をしたから。
しかし、驚いた理由はそれぞれ違う。
「や、やめてよエーヴィ!! 信じる、信じるから!!!」
リオは土下座したその事に驚き、二人はその必死さに驚いた。
あれだけの力が有れば、例え契約していてもイニシアチブを取るのは可能だろうに、おだて、すかし、裏から操る事だって可能な筈。
それなのに、汚れるのも構わずに地面へ額を擦り付けて懇願する姿は、この目で見ても信用に置けない。
「リオ……ほん、と?」
もちろん、リオの信じると言うセリフは、土下座をヤメさせようと咄嗟に出たセリフだが、エーヴィヒカイトはその一言にすがるようにゆっくりと地面から額を離し、目の前に立って微笑んでくれる主を見上げるのだった。
「エーヴィを信じる……って言葉を、エーヴィは信じてくれないの? ほらっ、立ち上がって縄をほどいて? ねっ?」
だが、だが……
──パチンッ。
信じる。そう言った筈の笑顔は再び凍結された。
自らの右足首に『鎖』が巻き付いていたから。地面から生えた鎖が、何重にも絡まり合って渦を作る。もはや、自由なのは左足だけで、その場から動く事もままならない。
「ボクを信じるって言葉を信じるよリオ……だけどね? これから先も、ずっと、ずっと、信じて貰う為に……もう一度、ボクの『忠誠』を見せるから」
ただ、動けずに。ペタペタと四つん這いのまま近付いて来るエーヴィヒカイトを見下ろすだけ。
伸びて来る手から逃げられずに、ただ棒立ちで待ち受けるだけ。
「えっ!!? やっ、やらなくて良いってば!! それに、あっちで女の子が見てるよ!?」
「見せつけてやればいい!! この忠誠は本気だから……誰に見られてたって誓えるよ!!」
なすがまま。迷いも、躊躇も、何も無い。
エーヴィヒカイトはリオの左足の靴に手を掛けると、それをソックスごとズルリと脱がせた。
「はぃ!? ボクは見られるのイヤなのっ!! 早く靴を履かせて!!」
リオの叫びは届かない。こんなに近くに居るのに届かない。
下僕の『忠誠』が口に対するものならば、 ここまで取り乱したりはしなかった。見られてるのはイヤだが、仕方なく了承もした。
しかし、以前にエーヴィヒカイトから受けた『忠誠』と同じなら、間違っても人には見せられない。
如何なる時も貴方をマスターと認め
如何なる願いも力の限り命の限り応え
如何なる指令にも従いこの愛が朽ち果てるまで
「ボクは、マスターの為なら……どんな事だってします。我が生涯を託した、我が主の為なら……ん、ふっ、ちゅっ。どんな事だって」
エーヴィヒカイトはそのままリオの左足首を両手で掴むと、足の甲についばむようなキスを捧げる。
リオ、リオ、と主の名前を呼びながら、目をつむり、頬を赤く染めて。
「ひぐっ!? や、めて……ったら、ぁあああああ!!!」
しかし、対するリオは穏やかなものじゃない。指の間から、隅々まで熱い舌で舐められ、淫魔の唾液を塗りたくられ、フヤかされるのだか。
悪い予感は当たった。もはやどうしようも無い。自然とリオの口は開きっぱなしになり、瞳は潤んで切なそうな表情へ変わる。
そして、その光景を目にする二人にも、決断の時は迫っていた。
──手伝え。
アリスとイルマ、両方に送られて来る簡潔なテレパス。
送っているのはエーヴィヒカイトで、マスターのご機嫌取りを手伝わせようとしているのだ。
つまりは、三人でリオに奉仕をしようと言う事。
「イルマ……ここは」
どうする? と二人は顔を見合わせるが、選択肢なんて一つしか無い。
この場から逃げれば奉仕は免れるだろうが、この先の未来は閉ざされてしまう。それだけは避けたかった。
「まだ死ねないでしゅからね……久々に、がんばるでしゅ!!」
さぁ、覚悟しろ。目をつむり、首をブンブンと横に振って余計な考えを払い、再び目を開ける。
目尻を僅かに吊り上げ、口角をニィッと広げて微笑み、幼さが際立つピンク色のショートヘアでさえも醸し出さされる妖艶さ。
今でこそ見た目相応の性格に落ち着いているが、元々の本職はコチラ。130に満たない身長と、凹凸の少ないボディ。ロリータシンボルを身に纏う姿こそがイルマの本当の姿。
「はぁぁっ……仕方ない、わよね? もともと喧嘩フッ掛けて負けたようなもんだし……私も、久々にがんばっちゃおっかな」
だとするならば、当然の如くアリスにも『もう一つの姿』が存在する。
目をつむり、深呼吸を一つ挟み、目を開く。イルマと同じ動作。
そして眉尻が上がり、口角もニィッとつり上がって微笑む。これも殆ど同じ。
仕上げはサイドに纏めていたロールツインテールをほどき、それをゆっくり指でスケば、あっという間も無く髪質がストレートに変化した。
「ふっ、仕方ねぇ……あのガキにサービスしてやっか」
一歩。口調まで攻撃的にシフトし、堂々と背を伸ばして歩く。
「そうでしゅね♪ 一晩で給料数ヶ月が軽く飛んじゃうのをタダにしてやるんだから、逆に感謝して欲しいでしゅ♪」
一歩。イルマも後ろに着いて笑いながら歩む。
バラすなら、今の二人に先ほどまでの戦闘能力は無い。気分や体調的なモノでは無く、明らかに『人』より弱いのだ。
それは相手に安心を与える為、この状態の時は誰よりも弱く設定されている。
口から出る言葉こそ強気だが、誰でも簡単に二人を力でねじ伏せる事が可能。様々な『プレイ』にも対応して行った結果の結果。
生意気な少女。幼い女の子。それが二人のコンセプトで、機械としての強さと、人としての弱さを持つ……特殊人造人間。
数十分後、二人の少女はぜーぜーと肩で息をしながら、泉の横で寝転がっていた。
壮絶な……戦いだったのだ。
「んー、ねぇエーヴィ……『行ってきて』いい?」
隣で念入りに歯磨きしているエービィヒカイトへ向け、リオは先ほどより少しスッキリした笑顔で問い掛けながら両腕をグルグルと振り回し、続けて屈伸運動に移って今度は足首を回す。
そこに何の変哲も無い。有るのはこの準備運動を行った後。やる気を出して、元気を出して、そこから先。
「えっ、ボクが行ってくるよ!? リオは少し休ん……」
「エーヴィは女の子でしょ? ゆっくり、休んでてよ、ね?」
そこから先の、仲間の、食事。