出発
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遥か昔、まだ人族と、機族と、魔族が、一つの大陸で隔たり無く共存していた頃。
赤い月と、青い月と、金色の月が重なったその日……天災が誕生した。
闇夜で山々を震わせる産声を上げたのは、滅神竜エルガンド=ルールルーラー。
一キロメートルを越える全長、鋼の逆鱗で全身を覆うメタリックシルバーのフォルム。全ての元素の精霊達が恐怖し逃げ惑う圧倒的な存在感。
元素の消えた土地は腐って黒く変色し、枯れ果て草木も生えない死土と化した。
エルガンド=ルールルーラーは人を殺し、魔族を喰らい、機族を破壊する。
もはや大陸の滅亡は決定的かと思われた。
だが……その行進を止めたのは12のレジェンドと呼ばれた英雄達。
四人が、四機が、四匹が集まって滅神竜を封印したのだ。
それぞれ1/12ずつエルガンド=ルールルーラーの力を押さえ込み、やっとの思いで。
そしてレジェンド達は自らの体を完全にカード化する事で寿命の束縛から逃れ、カードは各種族の土地で厳重に封印を掛けて守られて来た。
しかし先日、その内の一枚の封印が何者かによって解かれ、レジェンドカードが、姿を消した……
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人界の月、ルナ。
機界の月、アルテミス。
魔界の月、ヘカーテ。
深まる夜空には三つの月が浮かび、それぞれ異なる色で世界を照らしていた。
勿論それはこの場所、この家、その二階……客人が一人、住人が二人、計三人の男女が言い争うこの部屋も当てはまる。
月明かりが差し込むほの暗い部屋の中、外から虫の声さえ届かない静なる空間。
客人の名は『ミュリ=エルナード』。ピンク色の髪を短いツインテに束ね、ミニのフレアスカートを穿き、大きな瞳で宿主を見据える少女。
住人の一人は少女にも見違える少年。正確には少年でも無い。性別を自在に変化させる事のできる小悪魔、『エーヴィヒカイト』。
もう一人の住人……宿主の名は、少年の名はリオ、『リオ=ストナー』。まだ11歳のあどけない子供。
「あの、ミュリ……さん? 僕よりも他の人に頼んだ方が良いと思うよ? 僕弱いし……カードだって、力を貸してくれるのはこの子を除いたら6枚しか無いし」
そこで行われているのは、既に一時間ほど前から始まっている話し合い。
テーブルを挟んでリオとミュリが椅子に座って向き合い、お互いの言い分を言い合ってはコップに注がれた麦茶をすする。
エーヴィヒカイトは魔力で具現化した黒い上着と何本ものベルトをスカートのように纏い、更にエプロンを身に付けてパタパタと小さな羽で浮遊しながら二人に麦茶を注ぐ。
「確かに、カードの所持枚数や魔力だけを見たらリオ君はまだ子供で弱いけど……でもね? この悪魔は別格なの。とっても強いんだよ? 是非とも、私たち『カード管理委員』にリオ君の力を借して欲しいの」
話し合いの内容は説得。ミュリは、リオを、何度も説得していた。
大きくクリクリとした瞳。女の子にしか見えない顔立ち。服装だってTシャツに半ズボンと言う特別なんて感じない少年を、一時間も説得している。
「まぁそれに、リオみたいな子供なら、管理委員から調査の依頼を受けて派遣された……なんて思われないしね。でもさ……本当にボクが居るから、リオが子供だから、って理由で選ばれたの?」
エーヴィヒカイトはミュリの説明に付け足して話し出すと、後ろからリオの首に腕を回して抱き着き、黒羽を畳んで休める。
そして確認するのは、それ以外の理由。
「はい。その二つだけです」
問われて口に手を当て、考え込むような仕草を見せるが、数秒で力強く首を縦に振った。
嘘は付いてない。そう思わせる真剣な目で二人を見つめる、心からの懇願。テーブルに手を付き、心を込めて頭を下げる。
しかしミュリの真剣さ、
「あのっ、やっぱりゴメンなさ……」
リオには届かず、
「いいよ♪ リオと旅行できると思えば楽しそうだし」
エーヴィヒカイトには届いた。
口を三日月の形に広げて笑う、最上級の悪魔は汲み取ったのだ。ミュリの思いを。
だから、
「行ってあげるから、ヨコセ」
だから悪魔は手を差し伸べる。もう片方の手で愛する者の口を塞ぎながら。
ヨコセ。
よこせ。
寄越せ。
──お前の、カードをヨコセ。
「舐めるなよ人間がっ!! この旅が安全に済むはず無いだろっ!? なのにお前ら管理委員は安全な場所で見物か?」
笑みだった表情は一瞬で激昂に変わった。目を細めて見据え、頭を下げるミュリへ啖呵を切りながら睨み続ける。
瞳を金色に輝かせ、近場に居るだけで神経を削り落とすプレッシャー。
「リオが死んだらボクも死ぬ……それはいい。けど、リオが死んだら、お前も死ね!! 言ってる意味……わかるよね? リオもボクも、金は要らない。名声も要らない。そんな奴らにお願いをしようとしたら……これはもう、命を賭けるより他は無いんだ」
ツーっと、ミュリの頬を汗が一筋垂れる。
顔を上げない。上げれない。恐怖で、身体が動かない。両足だけが無意識に細かく震えるだけで。
先ほどからテレパスでSOSを送っているのだが、一向に返事が来ないどころか通じない。
ここまで追い込まれて、やっと、ようやく、部屋に差し込む月明かりが『白くなった』事に気付く。
これは月明かり何かじゃ無いと……
この偽物の月明かりは、
この部屋に入り込む白光は、
エーヴィヒカイトが産み出した魔力遮断結界、『ライトメア=フィールド』。
球体の光が家全体を包み、白く、淡く、部屋中を照らす。
「それで、調査に赴いてくれるんのよね?」
どうって事は無い。自分に言い聞かせる。たった、たったそれだけだと。
覚悟を決め、大きく深呼吸して、ミュリは、ゆっくりと、顔を上げた。
「ぷはっ、いっ……イラナイイラナイ!! 貴女のカードなんて受け取れないよ!! 調査には行くからっ」
そして二人のやり取りを聞いていたリオは、とんでもない展開に慌ててエーヴィヒカイトの手を振り切って遮る。
要らない、要らないと、そりゃあ凄い勢いで手と頭をブンブンと。
しかし、そんなリオの姿を見て少しだけ緊張が解け、同時にプライドが傷付くのを感じた。
そして、そんなリオの姿を見て少しだけ、少しだけ、意地悪をしたくなった。
「そう頑なに断られちゃうと、逆にあげたくなっちゃうかも……かな?」
再び深呼吸するとプレッシャーを押し退けて立ち上がり、無理やり笑顔を作って少年を見下ろす。
一歩、一歩と、近付いて、一歩、一歩と、後退りするリオを追い掛ける。
対してエーヴィヒカイトは動かず、テーブルに座って足を組み、主のコップに入った麦茶を飲みながら二人の様子を眺めていた。
「わきゃっ!?」
これで大詰め。リオは部屋の隅に追い込まれて背中を壁に押し当て、立ち塞がる女性を泳いだ目付きで見上げる。
これから行われるのは、人族でも、機族でも、魔族でも無く、純粋な『ヒト』だけが可能な主従の契約。
ミュリはリオの手首を掴むと身を屈めて視線を合わせる。顔も鼻先がくっ付く程に近くへ寄せ、目を見つめてニコリと微笑む。
「私、ミュリ=エルナードは、リオ=ストナーをマスターと認め、死が二人を別つまで、力を貸す事を誓います」
そして……
「んっ」
一瞬だけ唇が重なり、
「んんっ!? えっ、えっ? あ、あのっ!?」
すぐに離れた。キスしたのかどうかさえ不安になるほどの、本当に一瞬だけ。
だけではあったが、リオは頬を耳まで赤く染めて俯き、俯いた先に居たミュリの姿に驚く。
いつの間にか手首を解放し、床に片膝と片手を着き跪いていたのだから。
「ほらリオ、そいつのカードをちゃっちゃと貰っちゃってよ」
小悪魔はうんうんと首を縦に振るとリオを急かし、コップに残った氷を口の中で転がす。
ミュリはジッとしたまま、ジッとしたまま、契約を待っている。
「もぅ、知らないからね? ふぅぅっ……カードクリエイション!!」
二人が深く繋がる事を。ただジッと目を閉じて。
描くのは五芒星。手をかざし、ミュリの頭上で小さな五芒星を描く。
左手の人差し指と中指で、一辺、一辺、何も無い所へ指の軌道と軌跡で。
「汝、ミュリ=エルナードを、我が生涯のパートナーに迎え入れる!! 力の限り従えば、命の限り汝を守ろう!!」
風が吹く、この部屋の中で。風が吹いて、三人の髪がなびく。
それはリオを中心に渦を巻き、淡い緑光で輝きを放つ。
この緑光は『マスターとしての質』。色の種類と濃淡によって魔力のキャパシティやクオリティ、果ては知識や術まで……平たく言えば、この光だけで実力が分かるのだ。
全8ランクが存在し、リオはその上から7番目。限り無く8に近い7、チャイルドクラス。
良くも悪くも年相応の魔力で、こんな子供の下に就こうとする者はまず居ない。人懐っこいラヴィが関の山。
ただ、ただ……
「う~ん♪ やっぱりリオのは、いいなぁっ」
リオの魔力は暖かく、優しく、柔らかく、周りに居る者に心から安心感を与えてくれる。
エーヴィヒカイトも幸せそうに目を閉じ、リボンの結ばれた尻尾をピコピコと左右に振っていた。
最後の仕上げ。描かれた五芒星はそのまま形を残し、中心から一枚のカードを浮かび上がらせる。
トランプより僅かに大きい程度で、成人の手なら楽に収まるだろうサイズ。その端。
「クリエイションカード……ドロー!!」
その端を人差し指と中指で挟み持ち、一気にカードを引きずり出す。
五芒星の中から、無から、
分子結合。
粒子結合。
元素結合。
現界させて、カードを造り誕生させる。
この一連の行程こそが、カードクリエイションと呼ばれる錬成術。
やがて風は消え、光は消え、魔力は消え、カードだけがリオの手に残った。
「これからよろしくミュリさん」
そしてゆっくりとひざまづくミュリに微笑み、
「よろしく、リオくん」
ミュリも微笑んで見上げ、
「あはっ♪ よろしく……な~んて、甘い展開にはならないんだなコレが」
それ以上に微笑むエーヴィヒカイトが、二人の安心し切った笑顔を一瞬で凍らせる。
風が消え、光が消え、魔力が消え、リオの手に存在したカードは、既に小悪魔の手中に落ちた。
微笑みが交差した刹那に、リオの手からカードを奪い取ったのだ。
「えっ、と……エーヴィ?」
急展開。リオは一番最初に振り落とさた。ただただ、心配そうな声で名を呼び、隣に居る小悪魔の横顔を見つめるだけ。
しかし、こちらの視線は交わらない。エーヴィヒカイトはひたすら真っ直ぐに、契約の終えたミュリを見据えていた。
「お前は弱いし、リオが無駄に力を使うだけだから要らない。このカードは、お前が、自分で、持ってろ……つまり、『ディスタンス』だよミュリ=エルナード」
そしてスゥーっと流れるような動作で、カードを持った手をリナに向けて差し出す。
ディスタンスとは……ビーム、フュージョンと並ぶ、マスターと従者とカードの関係性の事。
『ビーム』は簡単に言えば初期設定。契約した後は必ずこの状態から始まる。
従者は普段通りに生活し、カードはマスターが持ち、マスターが望んだ時だけその場所へ同意の元に従者が転送され、力を貸した後は再び戻る……と言う関係。
『フュージョン』は、従者がカードと同化してマスターに力を貸す状態。
完全に服従し、全権をゆだね、マスターの意思のみでいつでも召喚可能。従者はフュージョン状態で居る限り歳を取らず、傷を負ってもマスターから魔力を貰えばいつでも回復するが、力を貸した後はカードへ戻る……と言う関係。
最後、『ディスタンス』は、従者がカードを持ったままマスターに力を貸す状態。
ビームと同じく召喚されたままだが、こちらは常にマスターと行動を共にするパートナーとしての意味合いが近い。
ビームよりも自由は少ないが現界したまま存在でき、更にフュージョンと同等の繋がりを得られる。だが、ディスタンスで契約する者は少ない。なぜか?
それは、マスターが力尽きた時、従者もまた力尽きるからだ。
ビームやフュージョンのカードはマスターの中に有り、マスターが力尽きた時に契約が切れて解放される。
しかしディスタンスは、カードを従者自身が持っているので解放されない。
深く繋がった関係は死さえ分かち合って、マスターと共に力尽きるのだ。
故に……ディスタンスの契約をした者は、マスターを命懸けで守り、命懸けで支える。心からの忠誠の証。
「わかりました。でも、その言い分だとつまり私は……」
何となく、『死ね』と宣告された瞬間に、ミュリはこの契約の事だと理解していた。
伸ばされたエーヴィヒカイトの手からカードを受け取ると、カードは砂が風に運ばれるように、サラサラと分解され消えてゆく。
消えた訳では無くて、ミュリの中に戻ったのだ。そして再びマスターに取り出されるまではこのまま。
「そっ♪ ディスタンスだけど、お前は普通の生活をどうぞ……傍で守るのはボク一人で良いし……ねっ? リオっ♪」
「えっ? あっ、わわっ!?」
エーヴィヒカイトはニコリと極上の微笑みを見せると、そこが定位置だと言わんばかりに後ろからリオへ抱き着いて頬擦りを始める。
まるで飼い犬のように尻尾を振って、触れ合ってるだけで「きゃうん、きゃうん♪」と鳴いて、顔から鎖骨に掛けてたくさんのキスを落とす。
そんな光景を見て、ミュリは身体中の毒気を抜かれた気分だった。
命を賭けろと言われて実際に賭け、大変な事態に陥ってるのは理解しているのだが、どうにも緊張できない。
「はぁぁっ……詳しくは後日に手紙で報告しますので、それまでに支度は済ませててくださいね? 頼みますよ……本当に」
深い溜め息を吐いて立ち上がると膝を手で払い、また溜め息を吐く。
このエーヴィヒカイトは強い。悪魔はどの種も絶品の二枚舌で気分屋で、マスターの精気を吸い付くし、殺してしまう者だっているほど。
しかし、この二人の関係には、そんな心配は無いとミュリは思えた。
「よろしく、お願いします……」
話し合いの終わりに深々と頭を下げると、
「カカッ♪ まぁ、無事に帰宅するのを祈ってなよ……途中途中で、きちんと手回ししてくれたら、その時は……ミュリ=エルナード、お前の願いを叶えてやろう。
悪魔で在り、淫魔で在り、両方の性を操るボクが、願いを叶えてあげるよ。お前の……どんなに『歪んだ願い』だってな」
悪魔のご褒美に胸が高鳴るのだった。