それはとても簡単な事
ユーヤも紅炎も、アガレスと斬月すらもその光景に顎が外れるほどに開いた口が塞がらなかった。イベントの最上位級ボスを想定して作られたその巻き藁は、誰が見ても天晴れなものだと分かる真っ直ぐな切り口で二つに分かれていた。ユーヤたちですらその巻き藁を二つにするにはスキルを使う必要があり、切れたとしても切り口の美しさを述べるにはあまりにも雑すぎる切り口になってしまうのだ。
「………え? 今何を……… 」
紅炎がその驚きを口に出すと、駿河は「造作もないことだ」と言い放って巻き藁を拾い上げた。
「腰を使ったまで。その他は何もしておらぬ」
ユーヤたちはもはや何を言っているのか分からなかった。ユーヤが首を傾げると、駿河がユーヤを見て「やってみぃ」と言った。
「え? そんなの無理ですって」
「なぁに、簡単なことなんじゃからやってみぃ。剣道やっとったんだろ? 」
「なっ!? 」
触れてもいないのに駿河は既にユーヤの武道経験を見切っていた。紅炎は既に頭がパンクしそうな状態で瞬きを繰り返している。
「なんで分かったんですか? 」
「手、それ竹刀タコじゃろ? 同じ刀を持つ者なのだからそれくらい見れば分かる」
このゲームは体型をあらかじめスキャンしてからアバターを作ることになっている。そのため体型の変化に関係のないタコやアザ、傷跡は基本そのまま反映されているのだ。そこもまた、このゲームのリアリティの一つとも言えた。
「まぁ、ここに来て抜刀の構えを取ってみせぃ」
「は、はぁ…… 」
恐る恐るいつもの通りに『閃光』のスキルのトリガーとなる抜刀の構えを取った。気を付けの姿勢から肩幅に足を開いて腰を落とし、左足を下げて相手の視界から左半身が見えないようにして右手は腰の左側に帯刀してある刀の柄を握る。刀の抜き始めを悟らせにくくしながらも抜き方さえ間違えなければ左足の踏み込みを使って更なる踏み込みも可能、一般的な抜刀の構えはこうであるはずだったし、あらゆるバトル漫画やアニメ、映像作品でもそういった構えだったとユーヤは記憶している。
「これまた抜きにくい構えをしとるのぉ、皆が皆してこの構えになるのか」
駿河はその構えを真っ向から否定した。
「少しだけ体を真っ直ぐに戻してみ、少しは動きやすくなるじゃろ」
「え、でもこれじゃあまりに踏み込みが…… 」
「えぇから直してみぃ、他にも言うことが多々あるんじゃ」
「は、はい…… 」
ユーヤは言われた通りに左足を戻し、体を相手に対して斜め向きにした。するとすぐに駿河の指摘が飛んでくる。
「次は一尺ほど鞘を送れ」
「鞘を送れ? 」
「刀を鞘ごと角帯から抜けない程度に前に出すんじゃよ」
「え? 」
鞘から刀を抜くのに鞘ごと刀を突き出すとはどういうことなのか、ユーヤを含め全員がその意図するところが理解できなかった。
「いや、なんで鞘ごと…… 」
「えぇから送らんかい、すぐに意味は分かる」
「はぁ」
「あ、あと右手は添えるだけじゃ。握るなよ」
「分かりました」
もはや何がしたいのか分からない構えになった。刀を抜きたいというのにより抜きにくい場所に右手がきており、完全に迎え撃つ体勢にしか感じられなかった。
「さ、では抜いてみるか。まず右手で柄を挟んで鯉口を切れ」
「鯉口を……親指でですか? 」
「おん、左手の親指で押し上げてみ」
少しだけ左手の親指を鍔にかけると、刃の根元の掵が覗く。その時、駿河が思いもしなかったことを言った。
「でじゃ、右手で柄を挟んだまま左手を引いてみ、スッと抜けよるから」
その場の空気がどよめいた。まさか左手を使って抜刀しようとは思いもよらなかったからだ。
「えっと…… こうですか? 」
左手を引いてみてユーヤは衝撃を受けた。何の抵抗も感じずに腰まで鞘が引けたからだ。
「でも抜け切れませんが…… 」
「そこで『腰を捻って』抜くわけじゃ。抜け切ったら右手でしっかりと柄を握れ」
「はい…… あ、これって…… 」
ユーヤがあることに気付く。それは『腰が捻られていて足が踏み出せる状態』すなわち斬撃の準備が『抜刀と同時に』出来上がるという事だ。駿河はそれを見て口角を上げて笑いを含ませた。
「な? 楽じゃろ? 」
すると、駿河は再び道場の隅から巻き藁を取ってくる。
「切ってみ? 」
「はい」
巻き藁に向かい合い、そして静かに鞘を送った。
「ヤアァ!! 」
今まで『閃光』1回だけでは絶対に切ることが出来なかった巻き藁が見事に二つに分かれた。上半分は勢いのあまり宙に舞う。
「慣れてくれば…… 」
駿河が刀を抜き放つ。剣先は宙に舞った上半分を捉え、両断した。
「抜刀するのに一秒も要らぬ。よくよく覚えておくとよかろう」