これが『武術』
「今のは…… 閃光ですか? 」
紅炎もその言葉しか出せなかった。このゲームにおいてサムライ系の職業が行える高速抜刀、それはシステム上『閃光』というスキルによってのみしか出来ないからだ。
「残念じゃが違う。これは決してあのような『ごぼう抜き』などではない」
その言葉にアガレスが引っ掛かった。
「ごぼう抜き? 」
「おぉっと、そこから説明が必要か」
駿河はおもむろに刀を納めて試し切り用に道場の済みに置いてあった巻き藁を二本取りに行った。ユーヤたちは呆気にとられてその様子を見守るしかなかった。
「では軽く抜刀の話をするかな」
一本目を立てて間合いを取る駿河。そして右手を刀の柄にかける。
「まずはごぼう抜きの抜刀をお見せしよう」
無駄な力みも緊張も感じられない声とは裏腹に常人から見ても分かるほどに速い抜刀で藁を切りつけた。しかし、巻き藁自体が上位のボスモンスターを想定した固さに作られているため刃は半分まで食い込んで止まっている。
「ごぼう抜きっちゅうのはあれだ、棒状のものを何かから引っこ抜く行為全般に使うもんだ。剣術においてごぼう抜きといえば『右手を使って早抜きをする』っつうこった」
「本来は違うんですか? 」
ユーヤも剣道をやっているから『抜刀』の動作は嫌というほど染み付いている。しかし、その動きは全て右手で刀を抜くようなモーションであった。
「あれは所詮、竹刀しか握ったことのない者の発想じゃ。現実世界でごぼう抜きをした場合はどうなると思う? 」
「えっと…… 」
言葉に詰まった。剣道では確かに『抜刀』はあるものの、それはあくまで構えるまでの前動作でしかなかったからだ。返答に困って紅炎の方を見ると、紅炎も同じく困った顔をしていた。
「どうなるんですか? 」
「簡単な話よ。『刀の重さに負ける』」
まだ理解が追い付いていない顔をしているユーヤたちを見て、駿河がため息をついて刀を納めた。
「こんな2kgもある鉄の塊を右手一本で抜けば余計な力みを生むじゃろうが。当然抜いてから構えるまでの隙も大きいしまともな握りも得られんわい。実戦を想定したらばあまりに合理的から外れとる」
そういって駿河は懐から懐紙を取り出して刃に付着した水分を拭き取り始めた。
「でも『閃光』というスキルもごぼう抜きになるのではないですか? 」
紅炎が質問する。その疑問はユーヤも気になるところであった。
「だからシステム上あのスキルは『本来のダメージ量の60%』しかダメージを与えないだろうが。わしから言わせればそれでも御の字だと思うがな」
駿河のその一言にユーヤは驚愕した。ユーヤは『閃光』をより速くするためにスキルを強化していたのだが、ダメージまで考えたことはなかった。そのハンデはあくまでも『速さと引き換えに』攻撃力が落ちているだけだと思っていたのだ。
「恐らくは開発チームも相当検証を重ねたようじゃが、呼んだ剣術家が三流らしいの。こんなものを『早抜き』と銘打っておる辺りまだまだ足りぬ」
このゲームのほぼ全てのスキルは『実際にその武道を修めている人にモーションアクターをしてもらう』事でリアリティを上げている。もちろん開発側もその事を売りとしていた。
「でも、確かサムライ系の職業のスキルのアクターは居合道の権威とも言われる…… 」
「ならなおさらいかんな。人を斬ることを想定しておらぬ『居合道』では早抜き云々の概念がない」
「え? あなたは武道家ではないのですか? 」
紅炎の言葉に一瞬駿河が目を丸くして、そのあと何かがストンと落ちたような晴れやかな表情になった。
「なるほどな、『武術』と『武道』の違いが分からんのか。道理で…… 」
すると駿河は即座に刀に油を引いて二本目の巻き藁を立てた。
「良いかよう見とれよ、今から見せるのは武道ではない」
再び駿河が刀に手をかけた。しかしその右手は柄を握らずにただ『親指と人差し指の間で柄を挟んでいる』という程度だった。
「これは『武術』」
その瞬間駿河の輪郭が歪み、彼が動作を終えて刀を水平に伸ばしたその跡には、真っ二つに分かれた巻き藁の上半分が転がっていた。
「人を殺めるためだけに生み出され、人殺しの許された世界でしか意味をなさぬ時代の遺産じゃ」