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となりの世界の冒険者  作者: 毒島リコリス
一章:三日目
8/26

7

 「魔物のクモの糸は、魔力を通すと粘着力が中和されるんですよね」

「よく知ってるね」

「人間を狙う大型もいるので、もし捕まったらそうしろって教科書に書いてありました」

「本当、よくそんなに教科書の中身覚えてるよね」

話しながら、UFOで宙に浮かび、目当てのショウジョウアゲハの近くまで昇る。

目当ての蝶は巣の中で更に絡まり、殆ど身動きが取れなくなっている上、消耗して動きが鈍い。

「ショウジョウアゲハの羽は、死ぬと急激に劣化するんですよね。ってことは、生きたまま持ち帰った方がいいんでしょうか」

もがいたせいで端が少し欠けてしまっているが、その色の美しさは健在だった。黒い枠に鮮やかな朱色がステンドグラスのようにはめ込まれた羽は、薬にもなるが、加工して美術品や装飾品にもなる。

需要に対して個体数が少なすぎることから、かなりの高額で取引されている蝶だった。

「本当に綺麗」

そう言って、タマキが巣を解こうと手を伸ばしたとき、

「あ、やばい」

アスキが珍しく焦った声を出した。

「え?」

振り返ったタマキの耳にキィン、という甲高い音が響いたのと、アスキが緑色の魔方陣を展開させたのは、ほぼ同時だった。

「タマキ、タマキ大丈夫?」

アゲハを風の魔法で包んで隔離してから、アスキはタマキの肩を揺らした。

目がとろんと半開きになり、身体にも力がない。

「しまった、油断した」

ショウジョウアゲハは危害を加えられそうになると、敵が混乱する音波を出す。そう自分で言っていたタマキが、まさかここに来て引っかかるとは、アスキも予想していなかった。

アスキに閃光弾を誉められた上、任務もクリアできそうで浮かれていた――とは、後の本人の談だ。

 様子を見ていると、次第に恍惚とした表情を浮かべて笑い出した。

「……うふふ、あっくん」

とろんとした目が次第に潤んできて、熱を持つ。

「ショウジョウアゲハの混乱は、確か……ああ……アレだ……」

アスキはショウジョウアゲハに関する知識を片っ端から呼び覚まし、該当する項目を思い出して、タマキの肩を掴んだまま項垂れた。

 ショウジョウアゲハ、またの名を『キューピッド』。危険を察した時に出す音波をまともに食らうと、気分が大らかになり、多幸感に包まれる。

 更に厄介なことに、性的興奮や擬似的な恋愛感情を引き起こす。

 生きた個体が高値で取引されるのには、『そういった使い道』をするために買い求める一部の変態が絶えないせい、というのが実情だった。もちろん、そのような与太話は折り目正しい教科書には載っていない。アスキが知っているのは、ライトを含む下種な大人たちにいろいろと吹き込まれたせいだった。

「あっくーん」

「うわっ」

ふわふわと笑いながら、タマキはアスキに抱きついてきた。勢いをつけて押し倒し、そのまま馬乗りになる。

「うふふ」

「マジか……」

アスキがどう対処すべきかと悩んでいる間にも、タマキの行動はエスカレートする。

「あっくん、かっこいいですねえ……なんでも知ってて、強くて、優しくて……私、あっくんみたいなひと、大好きです」

アスキの長い前髪を掻き上げ、頬を撫で、顕わになったきつい三白眼と、黒目がちの大きな目が無理やり合うように、アスキの顔を両手で包んで固定する。

「あっ、これやばい奴だ」

潤んだ瞳と熱い吐息が近づいてきて、アスキはいよいよ身の危険を感じた。

「やばいって、何がですかあ?」

「ていうか、混乱しても敬語なの?敬語が素なの?」

いらぬツッコミを入れている間にも、タマキの顔がどんどんアスキに迫ってくる。

「ちょっと、離して。落ち着いて、タマキ」

「落ち着いてますよお。うふふ、あっくん、そんな顔もするんですね。かわいい」

予想以上に強い力で顔を固定されて、焦って手に力が入らない状態では剥がすことが出来ない。なんとかタマキの顔を押さえて回避しながら、アスキは必死に考えた。

「ショウジョウアゲハの混乱の治し方は……時間の経過か、気絶させるか、強いショック……」

このままでは遠からず何か大事なものを失ってしまう。かといって無闇に気絶させたり回復に時間が掛かることをしていては、任務に差し支える。

「アゲハは手に入ったんだし、帰るか?いや、でも……」

合格したい、と言ったときの、タマキの強い意志を感じる目を思い出すと、無碍にするのは憚られた。いくら彼女の落ち度とはいえ、彼女が素人なのを知っていて防げなかった自分にも責任がある、と、考えを巡らせ――

「あーっもう!」

ヤケクソになったアスキは、珍しく感情に任せた大声を出し、がばっと全身全霊の力を込めて起き上がると、タマキを思いっきり抱きしめた。

「ひゃあ!?」

タマキが悲鳴を上げるが気にしている場合ではない。正面から羽交い絞めにする形になり、体格はそう変わらなくてもアスキの方が力は強いため、タマキがもがいても振りほどけない。

「混乱の症状は一過性、十分もすれば消えるはず」

暴れるタマキが耳元で何か言うが、なるべく耳を貸さないようにする。強い力で抱きしめたまま、ぶつぶつと対処法を声に出して平静を保ちつつ、アスキは覚悟を決めて耐える体勢に入った。すると、

「……あっくん?どうしたんですか?何かあったんですか?」

覚悟していたよりもすぐにタマキの力が抜け、さっきまでの甘ったるい声ではない、元のタマキの声がした。

「あの、苦しいです」

ぺしぺしと背中を叩かれ、恐る恐る腕を解く。

「あの……?」

すると、顔を真っ赤にしたタマキが、首を傾げて、泣き笑いのような不思議な表情をしていた。その顔を見てアスキはそっと手を放し、視線で威嚇しながらゆっくりと離れて、もうタマキが襲ってこないことを確認すると、顔を覆って深いため息をついた。

「タマキ、ショウジョウアゲハの注意点は?」

顔を上げずに、低い声でぼそりと訊ねる。

「はい、ええと、危害を加えようとすると幻覚を見せてきたり、混乱する音波を出す、です。……えっ」

タマキは正座してきちんと答えた後、魔法で隔離されているアゲハと、ひどく疲れた様子で衣服が少々乱れているアスキと、同じく衣服が乱れている自分の姿を順に見て、何かに感づいたようだった。口を覆って、おろおろと涙目になる。

「私、まさか幻覚を見てあっくんにひどいことを!?」

「……大丈夫、未遂だったから……」

幻覚を見たのだと勘違いしてくれたので訂正せず、アスキは慎重に紅色のアゲハを小さい虫かごに入れて地上に降りたのだった。


 「……」

「……」

二人は、黙々と森の中を歩いていた。アスキの手には、アゲハ以外に蜘蛛の巣に引っかかっていた中で比較的元気だったトンボを蜘蛛の糸で繋いだものが握られている。

 蜘蛛の巣は、宿主がいなくなった以上むやみに引っかかる虫がいたら可哀想だというタマキの意見で、魔力を通して引っ付いていた虫を粗方落とした後、回収してポケットに仕舞った。

 撒き餌のトンボも調達できたので、今は改めてカマキリを捕獲するために水辺に向かっている。作業を終えたことで話すことがなくなり、先ほどの気まずい空気がぶり返したところだった。

「あの、あっくん……」

呼びかけると、前を歩く少年の肩がびくっと震える。明らかに先ほどから様子がおかしい。

「何」

アスキは振り向かず、ぼそりと短く言った。

「私、何をしたんでしょうか……。そんなにあっくんを怖がらせるようなことを……?」

「別に。大丈夫だから」

素っ気無いところがまたタマキの不安を煽るのだが、老成していても思春期の青少年に、同級生の女子に突然押し倒され襲われそうになったことを、よりによって記憶がなかった本人に話せと言うのは、あまりにも酷な話だった。

 しばらく無言が続いた後、ふと、アスキが訊ねた。

「……マツバカマキリの、弱点はわかる?」

「弱点、ですか?いえ、あまり深く考えたことはありませんでした……」

特性や生態系は教科書に載っているが、ずばりこれが弱点だというような話は書いていない。考えて見つけろということもあるが、何より初心者は相手にするよりも逃げたほうがいい敵だ。

「カマキリって、胸と腹の間なんかに間接があるでしょ。マツバカマキリは全身がすごく硬いんだけど、関節の部分は曲げるために柔らかいんだ。だから、狙うならそこ。同じように腹の内側も少し柔らかい」

「なるほど!」

「弓の使い方を教えるって言ってたの、忘れるところだった。カマキリに使うから、先に教えるね」

「はい!よろしくお願いします」

相変わらず目を合わせてくれず、少しぎこちないが、また話してくれるようになったアスキに、タマキはパッと顔を明るくした。足場が比較的平らな場所に出ると、アスキはポケットから弓を取り出し、構える。

「あっくんも弓を持ってたんですね」

「五年前の奴だけどね。おっちゃんが作ったものだし、基本的な使い方は一緒」

アスキの弓はタマキが持っているものと少し形が違い、黒い木材に石が三つ嵌め込まれていた。

「弓道とは、弓の大きさも形も違うから勝手が違うと思う。決まった型があるわけでもないから、自分が一番射るのに楽だと思う形で構えていい」

「分かりました」

「さっき、蜘蛛の巣に魔力を通したでしょ。あれと同じ感覚で、この宝石に魔力を通すんだ」

言いながらアスキが宝石に手を翳すと、ブン、と魔方陣を展開する時と同じ音がして、緑色に光る矢が現れた。数十メートル先の木の幹に狙いを付けて、光る矢を射った。矢は吸い込まれるようにストン、と音を立てて木の幹の中心に刺さる。そして輪郭が揺らめいた後、霧散した。

「おれが付けたあの傷に刺さるように、やってみて」

「はい」

石に、魔力を通して、と復唱しながら、タマキが弓を構える。ブン、という小さな音と共に現れた矢は、赤い色をしていた。

「あれ?あっくんの矢と、色が違います」

「個人差があるみたい。属性魔法使うときって、魔方陣の色も違うでしょ。あれと同じ色だから、おれは個人にも属性があるんじゃないかと思ってるけど」

「じゃあ、あっくんは風で、私は火ってことですね?なんかかっこいいです」

タマキは嬉しそうにふふ、と笑ってから、背筋を伸ばして、アスキが付けた木の傷を見た。アスキは邪魔をしないようにそっと後ろに下がる。綺麗なフォームで構えた横顔は、一瞬前までのふわふわとした大人しそうな雰囲気から一変し、凛と澄んだ集中力を纏っている。

 そして、ヒュッっと風を切る音と共に、赤い矢は傷の斜め上に刺さった。

「あれぇ、やっぱりいきなり上手くはいきませんね」

ふにゃっと表情を崩して、タマキは肩を落とした。

「いや、上手い上手い。いきなりあんな近くに当てられると思わなかった」

「本当ですか!」

「感覚さえ掴めば大丈夫そう。何回かやってみて」

「はい!」

そして何度も、同じように傷を狙って訓練し、

「あ!」

二十回ほど行っただろうか。赤い矢は、初めにアスキが付けた傷に綺麗に収まった。

「あっくん、やりました!」

タマキは満面の笑顔でアスキの元に駆け寄ってきて、ぴょんぴょんと跳ねる。そして、

「わあっ!?」

悪い足場で再び滑った。

「落ち着いて」

「はい、ごめんなさい……」

転ぶ前に受け止められて、顔を真っ赤にしながら、しょんぼりと立ち上がった。

「これなら、大丈夫かな。一本も外さなかったし」

「へ?」

アスキが改めて確認した木の幹には、初めに付けた傷から十センチほどの間に無数の傷がついていた。アスキが木に触れると傷が淡く光り、どんどん小さくなる。

「治療魔法ですか?植物にも効果があるんですね」

見る見る消えていった傷に目を丸くして、タマキはわあ、と声を上げる。

「治療、とはちょっと違うかな。元の状態に戻す魔法なんだ。やろうと思えば無機物にでも使えるよ」

「へえー!じゃあ、アゲハの羽も治りますか?……あ」

口を押さえたが時既に遅く、態度が戻りかけていたアスキはまたしてもスッと顔を背けてしまった。顔を逸らしたまま、アスキは言った。

「……もう少し歩いたら、川に出る。おれがカマキリをおびき寄せるから、タマキはしっかり狙撃して。焦らなくていい」

「わかりました、頑張ります」

何も知らないまま、挽回しなくてはと気合を入れたタマキを見て、アスキは片眉を下げて複雑な顔をし、無言で歩き出した。

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