俺の愛しい人
趣味になった庭いじりに精を出していたら、愛しい人が俺の名を呼びながら駆け回っている音が聞こえてきた。
「ユグノー!……もう!どこよ!!」
パタパタと足音が遠のいて行く。
我が妻は歳をとったというのに昔と変わらず走り回って俺を探してくれる。なんと可愛い事か。
夫婦になってもう40年も過ぎた。長男は家を継いで、他の子達も独立し、それぞれの家庭を築いている。
家督を譲ったと同時に、夫婦で田舎に引っ越した。妻の夢だった小さな家に2人きりで、身の回りの事も全て自分達で行う生活。少し広めの庭には、野菜を植えたり、妻の好きな花を植えたり……住めば都。
誰の目もなく、2人しか居ないこの場所は俺にとっては天国だ。
それにしても……城下に住んでいた時よりも遥かに狭いこの家の中で、何故妻は俺を見つけられないんだ……?
「ユグノー!!やっと見つけたわ!どうして、いつもいつもいつもいつもいつも!!!!居なくなるのよ!!」
再び庭に戻って来た妻は、庭の奥に居た俺を見つけてこう叫んだ。
俺は別に隠れているわけでも、わざと逃げているわけでもない。昔から妻には何故か影が薄いとか気配がないと言われていた。だが、俺は別に気配を消していたわけでもないのだ。しかも、見つけられないのは妻のみ。昔からの謎だ。
「俺は別に、逃げも隠れもしてないぞ?セシルがさっき呼んでた時もここに居たが……」
「!!なんですって?それなら、さっき返事してくれれば良かったじゃないの!!」
「俺がここだと伝えれば、お前探すの止めるだろ?」
「見つければ探さないわよ。」
「だから、あえて無視して草むしりしてたんだ。」
「ばっ、ばっかじゃない!!」
妻はそう言って、耳まで真っ赤にして顔を背ける。昔から変わらない。愛しい俺のセシル。
何故か俺を見つけるのが下手な妻は、いつでも俺の事を探している。それが嬉しくて、楽しくて俺は主張しないのだ。
はじめの頃は色々悩んだりもした。探すのが下手なのだとしても、数メートル先の目の前にいる人間を見つけられない妻に憤りもした。だが、月日を重ねると何だか楽しくなってきたのだ。俺の事を見つけるまで探し続ける妻が可愛くて、一度だけわざと隠れて絶対見つからないようにした事がある。あんまりにも見つけられない事に不安を覚えたのか、俺の名前を呼びながら泣き出してしまった。それを物陰から見ていた俺は慌てて妻の元に飛び出たのだが、俺を見つけた妻は、俺に抱きつきいつもよりも弱々しく言ったのだ。
『ユグノー、どこ行ってたのよ』
子供達が大きくなると、俺と妻のやりとりに疑問を持つようになった。
『母上は何故、ほぼ目の前にいると言っても過言ではない父上を見つけられないんですか?』
長男にそう問われたとき、『俺にも分からん』としか答えられなかった。だが、俺が楽しんでいる事を知ると、子供達も何も言わなくなった。というか、俺が目の前にいる事すら教えなくなった。なんだかんだ言っても、結局俺の子。楽しんでいたんだろう。
「それより、俺を探してたんだろう?用事はなんだ?」
「お昼ご飯ができたから探してたのよ!!」
「もうそんな時間か」
いまだ拗ねたままのセシルが、怒りながら先に家の中へと戻って行った。50を過ぎても、若々しい行動に愛しさを覚えながら俺も後に続く。
俺を探すことが下手くそな妻の、美味しい手料理を食べて、その後は妻と何をしようか。こんな平和な日常が愛しい者と過ごすだけで幸せな日々になる。これから先も続く、幸せな時間を大事にしながら毎日を生きようか。