初デート
一週間後、俺は姿を現さなくなったサキのことを少し気にしながらも、心は浮かれていた。なぜなら昨夜綾瀬ちゃんからまたメールがあり、結果として次の日の放課後にデートすることになったからだ。
メールのやりとりも何度も行われ、着信音が鳴るたびに幸せな気分になった。
俺にとっては生まれて初めての恋愛のきざしだった。
朝から電車内で浮かれていると、
「ヤマト君、おはよう」
つり革に捕まっている俺の耳元に美声が心地よく入ってきた。
綾瀬ちゃわん!
横を見ると、生まれてきてありがとうと言いたくなるくらい眩しい地上の天使が笑顔を作っていた。
「や、やあ、おはよう。今日も朝から暑いね」
ああ、このまま永遠に電車が止まらなければいい…。
楽しい会話は彼女の高校がある駅に着いて強制終了。お互い手を振ってしばしの別れ。平安時代の男だったら間違いなく歌詠みの一つくらいしているだろう。
「楽しそうね、デレデレしちゃって」
「そりゃ楽しいさ、顔もいい、性格もいい、話題も合うし、ついでに家柄までいい…ってサキ!いつの間に!」
後ろを振り返るとサキが腕組み胡座の態勢でふわふわ浮いていた。
「家にいても退屈だから着いてきたのよ」
「また具合悪くなるぞ」
「具合悪くなる前には帰るわよ」
「一人で帰れるのか?」
「当然じゃない、子供じゃないんだから」
「じゃあついでだからさ、また頼むよ、今日英語の小テストがあるんだ」
「ダメ!ああいうことはもうしない!」
高校に着き、井上と愉快な仲間たちと適当に過ごしていたが、心なしか今日は俺に関する話題が多く感じた。
「なあ、ヤマト、お前最近彼女が出来そうだって言うじゃねえか」
「いや、まだまだそんなんじゃないよ」
そう言いつつ、ちょっと気分がいい俺。
「おう俺も見た見た!ヤマトがすっげえ可愛い子と電車で話しているの。あれってさ聖十字女学院のお嬢様じゃねえの?ありえねえ、よりによってなんでヤマトなんかに!」
俺もついつい調子に乗って、
「ふふん、冴えない男子校ライフを送っていた俺にもとうとう春がきたってことよ」
「そんで、今はどこまで進展しているんだ?」
「いやいや、まだ知り合ったばかりだし、実はさ、今日初めてデートするんだよ」
「かああ、なんでお前ばっかり」
すると優越感に満ちた俺の心に水を差すように浮遊物体が、
「じゃあ、アタイは放課後、ヤマトと綾瀬ちゃんのデートが滞おりなく成功するように最後まで見守るとするか」
「なんでお前が着いてくるんだよ!」
「アタイはヤマトの守護霊なんでしょう?」
サキがニヤニヤと笑いながら言う。
「まだそのネタを覚えていたのか!守護霊なら授業やテスト中にだけ出てきてくれ!」
気づくと井上とその仲間たちが不思議そうな顔で俺を見ている。しまった、またやってしまった。
「なあ、ヤマト。最近お前さあ、幽霊でも見えるのか?」
「あ、い、いや。何言ってんだよ!幽霊なんているわけないだろう!」
「アタイがここにいるじゃないの!」
「だからお前は黙ってろ!」
井上らはその後、俺に一度カウンセリングでも受けたらどうかと提案したが、俺はもう笑ってごまかすしかなかった。
学校が終わり、俺はとある駅の入口でウロウロしていた。
綾瀬ちゃんが現れるのが待ち遠しい。
学生の多いこの時間帯は似たような制服の女子高生がたくさんいるため、ストレートのロングヘアーの子を見るたびに綾瀬ちゃんがじゃないか見間違えてばかりいる。
期待と不安の中、メールの着信音が鳴る。
「ごめんなさい。急にいけなくなりました」
携帯の画面を見ながら固まる俺。
「ヤマト、残念だったねえ、さあ、帰ろ帰ろ」
なぜか少し嬉しそうなサキ。
「うるせえ!お前に今の俺の気持ちがわかるか!」
「わかるわよ、アタイだって恋してたもん、当時は携帯なんてなくて、電話ボックスの前で待ち合わせなんてしてさ。あんまり遅かったら、公衆電話にテレホンカード入れて、相手の家に電話するんだけど、当然向こうの親がでるわけでさあ、気まずいんだよねえ」
「昭和のノスタルジーなどどうでもいい!」
俺が浮遊物体にイラついていると、急に目の前が真っ暗になった。
なんだこれは?
どうやら誰かが背後から手で目隠ししてきたようだ。チクショウ、もしや井上の馬鹿か?
振り向くとそこには満面の笑みの黒髪の天使が舞い降りていた。
「待った?」
「あ、綾瀬ちゃん…」
「ごめんごめん、さっきのメールなんだけど、だいぶ前に友達と遊ぶ約束をしてたのを断ろうとして、間違ってヤマト君にメールしちゃったの」
沈没船から救助されたような感激を味わいながら、おっちょこちょいな君も可愛いよと心の中でつぶやく俺。
こうして綾瀬ちゃんとの初デートが始まった。
昭和の女にはとりあえず頼むから家に帰ってくれと懇願し、そいつは渋々と目の前から姿を消した。
デートは大型デパートでのショッピングから始まり、そこでお互いに似合う服があるかを見たり、レコード屋に行き、流行りの音楽から野崎豊のベストアルバム、DVDなどを探してまわったり、喫茶店でパフェを頼んだり、小物店でアクセサリーを見たり、サングラスをお互い掛け合って笑う等等ベタなトレンディードラマのような幸運のひとときを過ごした。
ここまで幸せを味わってしまうと、もしかしたらもう一生分の幸せを使い果たしたかなと逆に不安になるくらいであった。
時間はあっという間に夕方の六時となり、
お互いこれからどうしようか、帰ろうかと悩む時間帯となった。
俺たちは所詮高校生、健全な男女交際であれば、あまり遅い時間までデートしているというわけにもいかない。ましてや初回だ、いきなりキスなどできるわけもない。
「とりあえず、今日は…」
と言いかけた時、
「ヤマト君、アタシの家に来ない?」
「えっ?」
「アタシの家、ここから近いの」
大型デパートから歩いて十分のところにその高級料亭はあった。
「料亭カワシマ」知らない人はいない超有名料亭。
外見はどこかの高級温泉旅館のようで入口には大きな鳥居がある。
食事が目的の建物の割にとにかくデカイ。
重要記念文化財かと錯覚してしまい、入るのが申し訳ないような立派な建造物。
「入って」
「お、お邪魔します」
まさかこんな展開になるとは…。
いきなりお父様ですか?
『どこの馬の骨だ!娘はやらん!』とかいわれるんだろうか、ひええ。
お店の裏口のようなところから中に入ると旅館の廊下のようなところを歩かされたが、長い長い。
どこからともなく宴会の笑い声や三味線の音色など聞こえてくる。ここは京都か。
すると綾瀬ちゃんは廊下の角にある大きな扉をノックして、開けた。
「お父さん、ただいま帰りました」
ひええ!想像通りの展開かよ!いきなりお父さんはハードル高すぎるよ。お父様!僕は今日はちょっと娘様と遊んできただけです!まだキスも何もしてません!
「おお、綾瀬、お帰り。そちらが友人のヤマト君かね」
「え?あ、は、はい!」
お父様は四十代半ばくらいの口髭を生やした紳士のような渋い中年であり、紺のスーツを着ていた。
お父様はニコリと微笑み、
「今日は来てくれてありがとう、綾瀬が男の友達を連れてくるのは初めてだからすごく嬉しいよ。よかったら夕食も食べていきなさい」
ええっ?こんな都合の良い展開でいいんですか?
お父様は見た目とは違い、お茶目なところもあり、全く堅苦しくない性格の人であった。
おおらかで深く考えないような紳士といった感じにも思えた。
超豪華な夕食メニューが従業員により次々と運ばれてきて、申し訳がないくらいであった。
「今日はすごく楽しかったわ」
フカヒレスープを一口啜って微笑む綾瀬ちゃん。可愛いすぎる…。
たわいもない会話をしながら、ぎこちなくかつ幸せにふたりだけの食事時間は過ぎていく。
広く純和風な部屋にテーブルの上の食器の音がこだまする。
「うちお母さんいないんだ」
「えっ?」
「アタシが十歳の時に病気で死んじゃったんだ」
「…苦労したんだね」
「うん、でも一番苦労したのはお父さん。そのころは料亭の経営がうまくいかなくて、しかもそんな時にお母さんが死んじゃったから悲しいし、苦しいし、どうしようもなかったみたいで、死のうと思ったこともあったらしいけど、アタシを残して死ぬわけには行かないって立ち直ったんだって。今、うちの料亭が成功しているのはあの時の苦労のおかげだって」
いろいろあるもんだな。でもさすが綾瀬ちゃんのお父様だ。人間的にもすばらしい。
綾瀬ちゃんの家庭はお父様と綾瀬ちゃん、そして弟がいるらしい。
俺も自分の家のことをあれこれと話し、時間はあっという間に夜の八時となった。
お父様はなんとタクシーまで手配してくださった。
「またいつでも遊びに来てくれたまえ。ぶきっちょな綾瀬にこんなに早くボーイフレンドができるとは思わなかったから私は本当に嬉しいんだ」
いやいやお父様、綾瀬ちゃんなら競争率激しいのでその点は心配ないでしょう。むしろ僕のようなチンケな男で申し訳ないくらいですよ。
「もうお父さんたら、ボーイフレンドなんて言わないで、恥ずかしいなあ」
顔を赤くする地上の天使を横目で見ていると早くもタクシーが登場、もう少し遅くてもいいのに…。
「今日は本当にありがとうございました、ご馳走様でした」
二人に手を振り、豪邸を後にする俺。
なんか本当に幸せ過ぎて気持ち悪いんですけど…。
自宅に帰り、部屋の明かりをつけて、制服を脱ぎ、下着姿でベッドに横になる。
「ふう…」
幸せの余韻に浸る。
何げにお父様から渡された名刺を見る。
『料亭カワシマ 支配人 川島竜次』
綾瀬ちゃんを守るためには、このお父様と同じくらいの社会的成功を収めないと、お父様にも申し訳ないな。そう思った。
綾瀬ちゃん…。
俺、まだまだ全然ダメ男だけど…。
絶対に君を守ってみせるから。
根拠のない約束を自分自身の中で勝手に取り交わしながら、しばらくぼんやりしていると、やはりセーラー服が現れた。
「楽しかったみたいね」
「…出たか」
「出たとかいわないでよ、人を化物みたいに」
「つっこんで欲しいのか、地縛霊め」
「アンタ、すっかりアタイのこと怖がらなくなったわね」
「つっこみどころが多すぎるから、怖がる要素がなくなったんだよ」
「まあいいわ、それで、どんなことをしてきたのよ?」
「なんでお前に教えなければいけないんだ」
「あの綾瀬って子がなんか気になるの」
「気に食わないってんだろ」
「そうなんだけど、どうしてこうも気に食わないのかってずっとひっかかっているの」
「単なる美貌への嫉妬だろ?」
「美貌なら負けてないわよ」
「……」
「なんで黙るのよ!こう見えてもアタイ、中ノ森秋菜に似てるってよく言われてたのよ」
「ああ、あの綺麗な人?似てねえよ!」
「まあそれはいいわ、とにかく今度、アンタたちのデートにアタイも参加させてもらうわ」
「何それ!気が散ってちっとも楽しめなくなるじゃねえか!」
「だって気になるんだもの!」
冗談じゃない、今度のデートで手を握る段階まで行こうと思ってたのに、こんな奴が脇にいたら気が散って実行に移せない。
俺は煽るようにサキに言った。
「なあ、もしかしてお前が綾瀬ちゃんのこと気に食わないとか、デートにまでついてくるとか言っているのって、もしかして」
「なによ」
「俺が綾瀬ちゃんと仲良くなるのに対しての嫉妬なんじゃねえのか」
「はあ?なっ、何を言ってるのよ!変なこと言わないで!地縛霊がこの世の男の子を今さら好きになるわけがないでしょ!」
サキは幽霊のくせに顔を赤くして抵抗した。
「だったらついてくる必要なんてないだろ」
「うぐぐ…」
それから十日ほど過ぎた。
高校は夏休みの真っ只中であり、俺は綾瀬ちゃんと二度目のデートの待ち合わせ中であった。
時刻は午前十時、今日のデートにサキはいない。
あの日の発言が効いたのか、サキの姿がどこにもない。
これは作戦成功と言っていいだろう。
しばらくすると元気な声、振り向くと地上の天使がいた。
初めて見る私服のミニスカート姿に体中が熱くなる。
手を握ったら沸騰して死んでしまうかもしれない。
デートは映画館から始まった。
全米ナンバー1ヒットの地球の滅亡を救う男の話だったが、都合よく途中何度もラブシーンが出てきて、俺的にはよくぞ今の空気を読んでくれたと感謝する要素たっぷりの映画だった。
その後レストランで食事をし、大型デパートで買い物をしたらあっという間に夕方だった。
結局手を握るところまではいかなかったが、気づくとまた綾瀬ちゃんの豪邸にお邪魔しており、お父様の手作り豪華お刺身定食を堪能、ああ幸せ過ぎて怖い。
お父様は微笑みながら、
「よかったら泊まっていきなさい。綾瀬の部屋はすごく広いから敷布団を出してあげよう」などとすごいことを言ったりする。
「お、お父さん!何言ってんのよ!」
赤くなる綾瀬ちゃんと俺。
「ハッハッハッ。冗談だよ冗談!」
そういい部屋を後にしたお父様。
ジョークのレベルが一般庶民とは違うようだが、とにかくお父様は面白い方だった。
「ヤマト、見つけたわよ」
…なんか今、ものすごく重たい声が耳元で聞こえたような気が…。
「見つけた、とうとう見つけた、奇跡のようだ…。とうとうたどり着いたわ」
振り向くまでもなかったが、一応振り向いてやった。
時代錯誤の長スカートのセーラー服、自称中ノ森秋菜の少女が、陰気な目つきで扉を睨んでいる。
「お前…ついてくんなって言っただろうが…」
声を押し殺してつぶやく俺に、
「ヤマト、あいつだよ!アタイを殺した犯人、『川島竜次』は!」