幽霊との共同生活
授業中、俺はいつになく眠かった。数学の担当は寝ている生徒にわざと当てる山田という嫌な教師だったが、この度の睡魔は当てられて恥をかく屈辱以上に強かった。
「よし、沢口ヤマト!この公式を解いてみろ!」
「ふぇあ…?あ、は、はい!」
「期待してるぞ!寝ていられるくらい余裕なんだろうからな!」
うわあ、将来絶対にこういう上司の下で働きたくない…。
黒板の前に来て、チョークを渡された俺だが、言うまでもなくさっぱりわからない。
「ええと…」
数学教師がニヤニヤしていることぐらい見なくても分かっている。
「この公式か。懐かしいな、ヤマト、あたいの言う通り書いてみろ」
「えっ!」
真横を恐る恐る見ると、サキがいた。
昼間のせいか、昨夜見た時よりも透き通って見える。クラスの人間が特にざわついていないことからして、やはりサキの姿が見えているのは俺だけらしい。
「エックスイコールワイ二乗マイナス…」
とりあえず俺はサキが言う通りに黒板に書いていく。
教室中がざわつき始める。無論山田センセーもだ。居眠り後に当てられ、何もできない俺をみんなで笑う計画だったのが、想定外だったのだろう。
「はい、できました」
「せ、正解だ」
昼休み、井上とその愉快な仲間たちと共に弁当を食っていると、井上が言った。
「能ある鷹は爪を隠すってやつだなっ!お前にあの問題が解けるとはな、山田の奴の驚いた顔が見ものだったぜ!」
井上のコメントについ、
「ふふん、俺には守護霊がついてるからな」
守護霊?何言ってるんだと笑い出す井上たち。すると耳元で、
「いつからアタイはアンタの守護霊になったのよ?」
サキが幽霊なりのプライドを傷つけられたかのように不愉快そうに言った。
「すまんすまん、でも今日は助かったよ。あの調子でこれからテストの時とか、よろしくお願いできないか?」
「何いってるのよ!アンタのためにならないわ!さっきのは特別サービスよ」
「硬いこと言うなよ!俺は君の代理でこれからいろいろと呪いの手紙とかを書くんだろ?」
気づくと井上たちが呆然とした顔で俺のことを見ている。
「ヤマト、お前誰と話してるんだ?大丈夫か?幻覚でも見えるのか?」
「え、あ、いや、なんでもない」
怪訝そうな顔で見つめる一同。
帰りの電車、混んでいるにも関わらず珍しく長椅子に座れた俺は、一息着く間もなく、目の前でふわふわしながら胡座をかく少女の相手をしなければいけなかった。
しかし、幽霊とはいえもしかしてこれから常に一緒なのかと考えると非常にウザく感じる。まさか大小便の時までそばにいるわけではあるまいな。
「心配しないで。アンタのプライバシーは可能な限り守るから」
「頼むよ、男は一人でいろいろとやることがあるんだ」
「トイレの他に何かあるの?」
「…ああ、いろいろある、あえて聞かないでくれ」
さすがに巨乳アイドル鑑賞などとはいえない。
メール着信音がなった。
確認して俺の胸がドキンと明瞭に音をたてる。ショートメールだ。
「遅くなりました。アタシのアドレスです。***@***ne・jp。今度野崎について語りましょう。綾瀬」
きたああああ!そうかあ、あやせちゃんっていうのかあ。
俺の顔が希望に満ち溢れる。
おや?よく見るとショートメール受信の際の電話番号が…、やっぱり、いつだったかの夜にかかってきた着信の番号と同じだ!あの子初っ端から直接電話をくれたのかあ、なんか積極的な子だなあ。これは結構イケるかも!
「何をニヤニヤしているの?気持ち悪い」
「幽霊に気持ち悪いなんて言われたくないよ」
俺は目の前の浮遊物体を無視してメールに返信する。
「メールありがとう。改めて俺は沢口ヤマトっていいます。俺のアドレスはコレです」
送信完了!やった!本メール交換成功!
「さっきからイジっているその細かい電卓みたいなのはなんなの?」
「…もしかして知らないのか。そうかさすが八十年代。これは携帯電話」
「それで電話できるの?さっきから何かイジっているだけじゃない」
「これはメール」
「めーる?」
「話すと長くなる、ちなみにこれで写真や動画も撮れるんだ」
「えっ?どういうこと?さっぱり意味がわからない」
「だろうな…」
その時、
「あの…」
目の前に今風女子高生のミニスカート兼生足が見える。
顔を上げ、息を飲む。
黒髪の美少女、綾瀬ちゃんがそこにいた。黒く輝く瞳で俺のことを見ている。そして微笑んで言った。
「メールを送ったらすぐに後ろから着信音がなったから見てみたの。こんな近くにいたんだね」
脳内麻薬がどんどん分泌しているのを感じながらも俺はできるだけ平静を装い、
「や、やあ偶然だね!あれからしばらく経つから会えて嬉しいよ」
「アタシも」
俺と綾瀬ちゃんは昔からの知り合いだったかのように話が弾んだ。
彼女は聖十字園女学院という超お嬢様女子高の生徒だった。
そして家は高級料亭であり、全国放送のグルメ番組に何度もでたことがあるくらい有名なお店であった。
この時点でも彼女が相当のお嬢様であることがわかった。
しかし彼女はこのような満たされた状況でもなぜか虚しさに襲われることがあり、野崎豊を聴くようになったという。
それから彼女の駅に電車が着くまで、野崎談義をずっとしていた。話をしていてすごく楽しい。こんな楽しいことははじめてだ。
彼女ともっといたい。電車が永遠に止まらなければいいのにと思う程に。
しかし野崎談義の脇でたまに余計な第三者がいちいちツッコミを入れてきた。
「野崎の幻の曲『ミッドナイトブルース』は女優の西川由紀子と破局した悲しみを歌っているんだぜ!」
「へええ、初めて知った」
「ヤマト…違うわよ、あれは新宿で大喧嘩したときのエピソードを曲にしたもので、あそこの歌詞に出てくる女は全く架空の人物よ」
「お前はだまってろ!」
「??ヤ、ヤマト君?ど、どうしたの?誰もいないところに向かって…」
「え、あ、い、いや、なんでもないよ」
それからもこのようなやりとりが続き、あっという間に彼女の降りる駅へとついた。
満面の笑みで電車の外から手を振る彼女に俺は完全にノックアウトされてしまった。
あんな可愛い子がこの世に存在するなんて、あんな感じの子なんて漫画の世界にしかいないと思っていたのに…。
「ヤマト、すっかり惚れちゃったみたいね」
「いい子だなあ、なんか向こうも俺のこと嫌いじゃなさそうだし、もしかしたらこのままいけるんじゃないかなあ」
するとサキが陰鬱な表情になりつぶやいた。
「悪いけど、アタイ、なんかあの子嫌い」
「はあ?今の会話の中で綾瀬ちゃんのどこに嫌う要素があったんだよ」
「だいいちあの子、スカートが短すぎない?」
「今時の女子高生はあれぐらいが普通なんだよ」
「アタイの時代ではスカートが長い女の方が格好良く見られたのに」
「スケ番みたいな奴は今や絶滅機種に近いぜ。それよりも、あの子を嫌うのはスカートの長さだけが原因なのか」
「違う。よくわからないんだけど…なんか嫌いなのよ」
「お嬢様だからか?でも彼女それについては全然自慢げに語っていなかったし、ものすごく謙虚な態度だったと思うんだが」
「そうだけど…。どうしてだろう。ヤマトには悪いけど、あの子からいやーなオーラを感じるの」
「勝手にそう思ってればいいさ」
俺はサキがなぜここまで綾瀬ちゃんを嫌うのかがまるで理解できなかった。
家に帰りベッドに横になっていると天井で逆さに浮いていたサキがつぶやいた。
「ヤマト…アタイなんだか体調が悪い…」
「医者いらずのお前がなぜ体調が悪くなるのだ?」
すると宙で丸くなり地球儀のように回転しながら、
「アタイは地縛霊だから、長い時間怨念の地、つまりこの家を離れていると具合が悪くなるのよ」
「そうなのか。お前今日は丸一日俺と高校にいたからなあ」
「地縛霊のアタイにとってあれほど長い外出は新記録かもしれない…あああ気持ち悪い、吐きそう…」
「おいおい幽霊が吐くのか」
「吐かないけど、それぐらい具合悪いってことよ」
「これだと長時間の外出はできそうにないな」
「だからアタイは未だに犯人である川島竜次にたどり着けないのよ」
その後もサキは部屋中を死にそうな魚のように泳ぎ回っていた。
なんだかだんだんウザくなってきた…。
「なあサキ」
「なあに…?」
「お、俺も学校から帰ってきて疲れているから悪いが一度この部屋から出てってくれないか?」
「邪魔だってこと?アタイがこんなに具合悪そうにしているのに」
「そ、そうだけど俺のプライバシー…」
するとサキは次第に透明になり、やがて完全に姿を消してしまった。
「おーい、もしかして怒った…?」
返事はなかった。
その後しばらくサキが現れることはなかった。