美少女との出会い
教室の机でため息を付く俺の肩がポンと叩かれる。
振り向くとボサボサ頭の井上がいた。
「よっ!自信あるかいっ?」
「ねーよ」
「そうか、オイラは七十点いけばいいかなっ」
「嫌味かよ、俺なんか一夜漬けのつもりでそのまま居眠りしちまったぜ」
俺は素直に自分の馬鹿さ加減を公表する。
「ヤマトのことだからそうじゃねえかって思ったよ」
「はあ~高校生活ってこんなにつまらんとは思わなかったよ…。勉強は難しいし、女の子はいないし…」
「女の子がいないのは男子校だからしょうがねえだろ。それはお前が選んだ道だぜ」
「親の言いなりで渋々入ったんだよ。こんなの青春じゃねえよ」
そんな会話をしているとあっという間にホームルームとなった。
学校に来てから少しでも参考書を見ようとしたのだが、案の定無理だった。
友人と話しているうちに時間など容赦なくすぎてしまう。
結果は惨敗…。
数学の次はわりと得意な世界史だったが、マイナー箇所ばかりが出てきて想定外のひどい有様となった。
とある東南アジアの小さな国の王朝なんて絶対に出ないと思ってたのに、そこかよって感じだった。
試験期間のため半日で終了し、電車で帰宅する俺はリストラ候補の社員のようにどんよりとつり革につかまって立っていた。
ウォークマンからは八十年代のカリスマ、野崎豊の曲が大音量で流れている。
最近の音楽もいいが、俺はむしろ八十年代の音楽の方が好きだった。
野崎はこんなに輝いているのに、俺の人生はなんとつまらないものか…。
こんなの青春じゃない。いつもそう思っていた。
男子校だけのせいにするわけではないが、俺の思い描いていた高校生活というのはこんなものじゃなかった。
なんていうかその、
汗、涙、恋、友情、夢…
多くのもので満たされているはずであった。
しかし俺の青春は灰色…。
恐らくこうして俺は男だけの工業高校で男臭い工業技術だけを学び、その辺の町工場に勤めて、歯車のように働き、年老いて人生を終えるのだろう。
無論中小企業の人を見下しているわけではないが、自分は特別な人間で、もっと何かができるのではないかといった淡い期待があったのだ。
しかしそれももはや過去の話。
この年になれば自分という人間の正体くらいはわかる。
何の才能もない自分は少なくとも芸能人や有名人になるということは考えられない。
有名作家になることもなければ、大金持ちになることもなさそうだ。
夢をあきらめるなっていうような歌はたくさんあるが、それは成功した人間だからこそ歌えるだけ。
自分は特別な才能もなければ、強運の持ち主でもないからである。
いわゆるどこにでもいる平凡なサラリーマンとして一生を終えるのだ。
そしてそれは99%決まったようなものであり、しかも自分にとってそれ以上に「有難い」ことはないのである。
自分の人生を受け入れた後、周りの草花やら家族やら食べ物やら健康やらをことあるごとに「有難い」とか「感謝」とかいう言葉で表現せざるを得なくなり、野崎豊のように伝説になることもなく老いていく…あーあ…。
ああ、ダメだ…。
またいつものマイナス思考がやってきた。
なんか刺激的で、過激的なことないかなあ…って思い、何げに真横を見たら、隣に女子高生がいて、俺の顔をじーっと眺めているではないか。
えっ…?
その色白で黒髪の美少女は黒いビー玉のような目で、いつまでも俺から視線を反らさない。
な、何?これは一体何だ…?
すると次の瞬間少女は「くすっ」と笑った。
おおーっ…何だ何だ何だ?
何だか知らないが、俺の灰色青春に水爆レベルの革命が起きている…。
「は、ははは…」
俺も思わず笑ってみる。それにしても目が覚めるくらいに可愛い。
するとその少女は携帯をいじり始めた。
メールをし始めたようだ。
今度は何だ…もしかして誰かに「アホヅラした男が隣にいてキモい」とかメールしているわけじゃないよな…と疑っていると、少女はその文面を俺に見せてきた。
『ウォークマンすごい音漏れしてるよ。
アタシも野崎好き。
野崎好きな人周りにいないから、こんなにも馴れ馴れしく話しかけちゃった、ごめんなさい。今度野崎について語ってもいいですか?』
突然のことに俺はヘッドフォンを外し、
「もちろん!野崎好きな女の子なんて俺らの世代にいたんだ!うわー超ウレシー!」
テンションの高い俺に周りの視線が集まっている気がしたが、もはや気にならない。
その時電車が駅で停車した。
「ア、アタシここで降りるから…」
「ええっ?ちょ、ちょっと待って!せめてメルアド…交換できない?」
「え、ええと、ごめんなさい、アタシもう降りないと…」
「あ、じゃ、じゃあせめて俺の携帯番号のメモを今渡すから、そこにショートメールでもしてくれるとありがたい」
彼女は苦笑いしている。しつこいですか俺…。
漫画だったら恐らく汗マークが出ているだろうな。
「あ、じゃ、じゃあメモ下さい」
よかった。さすがに俺の携帯番号のメモぐらいなら大丈夫のようだ。その後本当にショートメールなり直接電話してくるなり、結局しないなり、決めるのは彼女だからな。
携帯番号のメモがたしか財布に入っていたはずだ。
こういう急なやりとりに備え、いつでも財布に三枚程メモを入れているのだ。
「あ、あった。じゃあこれ…」
「あ、はい、ありがとう、じゃあ」
扉が閉まる警報が鳴り響き、少女は手を振って急いで降りた。
電車が動き出した。
扉の外で少女が微笑みながらもう一度手を振った。長い髪が風で揺れていた。
俺もデレデレしながら手を振り返した。
その後、電車に揺られながら、俺はこの一瞬の出来事に酔いしれていた。
あるんだあ…こういうドラマみたいなことって…。
名前なんていうんだろう?
野崎を好きな子に悪い子はいない。
野崎!最高!
あの時、あの場所で、野崎を聞いていなければ彼女は俺に話しかけてくることはなかっただろう。すごい奇跡だ。
あの時一つでも歯車が狂っていれば、俺は彼女と出会っていない。
野崎、ありがとう!
それから十日…
彼女からショートメールや電話が来ることはなかった…。