消えたサキ
川島からの想定外の言葉が出て、俺は一瞬動揺したがすぐに反論した。
「好きとか嫌いとか、幽霊を相手にそんなことは考えたこともねえし、俺が好きなのは貴方の娘である綾瀬ちゃんだけだ!でもその父親があんたのような悪魔だということに失望を通り越して吐き気が止まらねえよ!俺がここまで除霊に抵抗している理由は簡単だ!これだとあまりにもサキがかわいそすぎるから、それだけだ!他には何もない!」
すると川島は急に優しそうな顔をして、
「だからこそだよ。だからこそ除霊して、無事あの世に行ってもらおうとしているんじゃないか。これは私なりの愛情なのだよ」
「白々しいこと言うな!さっきまでの冷酷な態度を急に変えて、今度は優しさをアピールしていいわけしているのか!」
「ヤマト君、たとえサキが私を精神的に追い詰めて呪い殺すことができたとしても、彼女はその後どうするというのだね?」
「そ、それは…長年の恨みを晴らすことができたから、成仏…」
「江口君の話を聞く限りはそうではないようだね。江口君とは先日も面会してね。いわゆる『霊』について勉強させてもらったのだよ。それによると地縛霊は恨みを晴らすことができたとしても、その後成仏されることがなく、延々と地縛霊としてさまよい続けることになるらしい。それどころか呪って恨みを晴らした快感をもう一度味わいたいのと、地獄のような退屈な日々から逃れたくて、関係のない人をも脅したり、精神的に追い詰めさせて自殺や廃人に追い込んだりする悪霊になる恐れもあるらしい。そうなると今度は除霊が困難になり、ますます成仏は難しくなるそうだ。だから結局今この場で除霊して、あの世へ行かせてやるのが優しさなのだよ」
川島の言葉は妙に説得力があった。
川島が精神的に追い詰められて廃人になったり自殺をしたりしたところで、サキは変わらずこの世を浮遊し続ける。
恨みを晴らしたからといって成仏はされない。むしろ恨みを晴らす快楽を覚えて悪霊になる前にとっとと除霊してあの世へ送ってやったほうがいい。
俺は言葉を失った。
俺たちの抵抗は意味がないのか?
サキは川島への恨みを晴らすこともなく素直に除霊されて、とっととあの世へ行ったほうがいいのか?
「うううう!熱い…熱い…水…」
サキは江口の除霊に悶え苦しんでいるが、徐々に抵抗する力が無くなっている様子だ。
サキの容姿はセーラー服を着た骸骨と化していた。
除霊して成仏されるのかもしれない、天国に行けるのかもしれない。
でもこのまま残酷な犯人に再び息の根を止められるという結末はあまりにも酷いのではないか。
復讐がいいこととは思わない。
でも世の中には許せないことだってある。
許すのが不可能なことだってある!
「サキ!」
「ヤマト…もう…だめかな…アタイ…」
「頑張れ!こんなクソオヤジなんかのために除霊なんかされるな!」
俺はやはり除霊されるという方向には到底納得がいかず、
「お前が負けてどうするんだ!長年の恨みをはらすために俺たちはここに来たんだろ!」
「口の減らない小僧だなお前は!」
次の瞬間、川島は俺の腹を思い切り蹴飛ばした。
俺は派手に床を転げ回る。
「うう…」
体に激痛を覚えたものの、蹴飛ばされた勢いで金縛りが解けたのか、体がようやく動くようになった。
俺は素早く立ち上がると、川島ではなく除霊している江口に襲いかかった。
江口の持っている笹の葉のような棒を取り上げ、それを武器にめちゃくちゃに振り回す。
「な、何をするですか!やめてください!その棒を素人が持ってはいけない!」
江口は言葉とは裏腹に冷静な表情で俺に叫ぶ。
俺は無視して川島にも襲いかかる。
無我夢中で二人に向かい棒を振りまくるも、所詮は棒切れ一本に過ぎない。しかも笹の葉のようなものがついている細いヤワな棒だ。
その棒はやがて折れ曲がってしまった。
ぜえぜえと息をする俺と呆然とする江口と川島。
「な、なんてことを…」
江口が唖然としつつもどこか冷静な表情でつぶやく。
ふいに後ろを振り向く。
そこにサキの姿はなかった。
サキは忽然と消えてしまった。
「な、何が起こったんだね…?サキはまだいるのか?それとも、じょ、除霊は成功したのか?」
川島が言うと江口は表情一つ変えずに
「わかりません」
と呟いた。
「わからないってどういうことかね?」
「あんなめちゃくちゃな棒の振り方…でも…どういうわけなんだ…?除霊の基礎としては合ってなくもない気がする…」
はっ?こいつは一体何を言っているんだ?俺が除霊師の棒の振り方の基礎を知っている?バカじゃないのか?
「ただ、棒の振り方が除霊の基礎と正反対の動きだったのが気になるのだが…」
江口は腕を組みながら下を向き、独り言のように呟く。
それにしてもサキはどこに行った?
「サキ!サキ!どこに行ったんだよ!まさか俺がめちゃくちゃに棒を振ってしまったせいで除霊されてしまったのか?」
江口は顎に親指と人差し指を置きつつ、眉間に皺を寄せて、うーんと唸る。
そして、
「何が起こったのかわかりません。言えることは、除霊そのものはされていないのではということ。ただ、サキの気配が全く感じられません」
それから三十分以上、俺と川島と江口は何をするでもなく、サキが再び気配を現すのを待った。
しかし現れる気配がないと江口が判断し、「今回の除霊は一旦中断します」と告げた。
江口が部屋を去る前、川島に警告するように言った。
「川島さん、なぜサキが突然消えたのかはわかりません。ただ少なくとも除霊が完了したわけではありませんので、脅すわけではありませんが、もし何かあったらまたいつでも呼んでください」
川島は一瞬狼狽した表情をしたが、そこに江口が付け加えるように言った。
「でもご安心を。恐らくサキは単独ではあなたの前に現れないでしょう」
江口は俺の顔を一瞬見た後、川島に向かい、
「このヤマトという少年無しでは」
と言い、その場を後にした。
川島家から自宅に戻った俺は今までにないくらいの疲労を覚え、ベッドに体を埋めた。
川島との戦いはあまりにも中途半端な形で終わってしまった。
川島は先回とは違い、今回は思ったほど恐れおののくこともなかった。
それどころか江口という有名除霊師を呼んで本格的な除霊をしようと試みた。
今回の戦いは結果としては引き分けだったのか?
いや、サキが忽然と姿を消してしまったため引き分けとも言い難い。
むしろ俺たちは不利な状況になったのかもしれない。
俺の責任だろうか?
俺が除霊用の棒を武器として使用して、でたらめな振り方であいつらに襲いかかったのが原因で、サキはこの世とあの世のさらに狭間に迷い込んでしまったのだろうか?
一週間が過ぎた。
部屋でも何度もサキの名を呼ぶが、サキは一向に姿を現さない。
江口が言うには「除霊されたとは思えない」とのことだが、だったら何が起こったというのか?
「やっぱり元気ないね、流君」
電車の中、綾瀬ちゃんが黒い瞳で俺をまじまじと見つめる。
「えっ、あ、いや、そんなことないよ」
「流君、アタシには隠し事しないで欲しいな。悩み事があったら何でも言って」
「い、いや、本当に何もないよ」
「お父さんとの関係について悩んでいるんでしょ?」
「えっ…」
「気にしないで。最近お父さん変なのよ。気持ちの浮き沈みが激しいし、顔も以前と違って陰気臭いし。お父さんが流君のことを急に良く思わなくなったのは、たぶんお父さんの精神状態が悪いからイライラしているだけだと思う。あれって男の更年期障害なのかなって思ったりするの。こないだネットで調べたらすごく症状が似ていたしね」
「…………」
「お父さんのことなんか気にしないで。ねえまたどこか遊びにいかない?行き先は流君の行きたいところでいいからさ」
綾瀬ちゃんは光り輝く笑顔を見せてくる。
しかしそれに心から応えてやることができないもどかしい自分がいた。
サキ、どこに行った?
いるんだろ?
いつものように俺たちのぎこちない会話に突っ込んでこいよ!
なんで急にいなくなるんだよ!
また以前のようなドッキリか?
それとも俺の霊感が弱くなったとでもいうのか…?
「流君ってば!」
綾瀬ちゃんの大きな声でハッと我に帰った。
気づいたらサキのことを考えている。
「やっぱり変!…っていうか、流君、アタシといて楽しい?」
「えっ?」
「楽しくないんだ…」
気づくと綾瀬ちゃんの降りる駅に着き、
「さよなら」
という後味の悪い言葉を残し、綾瀬ちゃんは電車を降りて、小走りで去っていった。
ドアが閉まり、電車が動き出す。
「何か元気ないなっ!彼女と喧嘩したか?」
井上が楽しそうに質問してくるのが妙にいらつく。
「喧嘩じゃないけど…」
「なんだよ~なんか最近のお前、退職して目的を失ったジイさんみたいな顔してるぜ」
どんな顔だよ…でももしかしたら案外あっているかもしれない。
自分でもよくわからない。
川島との対決が中途半端に終わったことに対する腑に落ちない思いがいつまでもひっかかっているのだろうか?
いやそうじゃない。
やはりサキがどうなってしまったのかが気になるのだ。
鬱陶しい地縛霊が消えたのだというのに。
川島の言う通り、そもそもあいつと俺は何の関係もない赤の他人同士だ。
消えたからといって俺にとっては何か不利益になることもないはずだ。
むしろいなくなったら綾瀬ちゃんとのデートの邪魔をされることもない。
せいせいするんじゃないのか?
でも、もしかして俺、寂しいのか?
アイツがいなくなって寂しいのか?
おかしいだろ。
だって幽霊がいなくなって寂しいなんて。
もしこのままサキが一生出てこなかったら、川島は安心してあの事件を墓場まで持っていくことができるだろう。
俺がいくら立証しようとしても相当な困難を極めるだろうし、そもそも俺の家の床を掘るという作業は莫大な費用がかかる。
それ以前に「床下に女子高生の骨が埋まっている」などと両親に行った日には俺は精神科に連れて行かれるだろう。
また仮に莫大な費用を費やして家の床に穴を開けて、地面の土台も破壊して、深く掘り続け、サキの骸骨を見つけたとしても、まずは俺んちが警察に事情徴収され、近所からは白い目で見られ、ヘタをしたらマスコミまでやってくるかもしれない。
そうなったらもうめちゃくちゃだ。
それどころか濡れ衣を着せられ、冤罪事件にまで発展するかもしれない。
そこまでいかなかったとしても、家の床下奥深くに女子高生の骨が埋まっていたなどという家にうちの両親が住み続けることができるのかどうかも怪しい。
その気味の悪さに耐えられずに売りに出すかも知れない。でもこんな曰く付きの物件が安易に売れるとも考えにくい…。
時効が成立したと思われる今となっては川島が法律で罰せられる可能性というのはゼロに近いだろう。
川島は今頃どうしているのだろう?
もし再びサキが出てきたところで、サキは川島に対して、俺を介して怨念の手紙を読ませることはできても、直接手を下したり呪いをかけること等できないし、俺がいくら「お前は鬼だ」と叫んだところで、痛くも痒くもないはずだ。
川島の過去を世間にばらすぞと俺が脅したところで、自らの権力でもって、名誉毀損や営業妨害の損害賠償請求の裁判を起こされ、俺は確実に潰されて終わるだけだ。
でもこのままだと腑に落ちない。
正義は破れ、悪が勝つ。
サキが可愛そうだ!
サキ!
サキ!
お前は一体どこに行ったんだよ!
出てこいよ!
除霊されてないんだろ?
一体どこに…
「ヤマトってば!」
俺はハッと我に帰る。
「ほらな、最近のお前おかしいぜ。すぐ上の空になる」
気づくと俺は井上たちと一緒に弁当を食っていた。
「全く、彼女とちょっと喧嘩したくらいでなんだよ!彼女のいないオレらからすれば贅沢な悩みだぜ!喧嘩も恋愛のうちだろ?」
恋愛…?
今更だけど、そもそも俺は綾瀬ちゃんと付き合っているのだろうか?
何度か二人きりで出かけたりはした。
彼女の家にも何度も遊びに行った。
でも、まだお互い
「好きです」だの
「付き合ってください」だの一言も言っていないのだ。
いや、どうなんだ?
俺は綾瀬ちゃんのことが好きだ。
うん、好きだ。
多分向こうも俺のことが好きだと思う。
好きでなかったらこんなに一人の男子と二人きりで遊んだりしないだろう。
ここまで来て「嫌だ、勘違いしないで。貴方は単なるお友達よ」はありえないだろう!
あああ、頭がまとまらない。
それにしてもサキはどこに行ったんだ?
「ヤマト!お前また人の話聞いてねえし!」
…気づくとまた上の空だ。
更に一週間が過ぎた。
二週間サキの姿を見ていない。
綾瀬ちゃんとの仲は回復した。
綾瀬ちゃんが電車で怒った日の三日後の夜、綾瀬ちゃんの方から「ごめんね」とメールがあったのだ。
しかし不思議なことに俺は思ったほど嬉しくはなかった。
いやもちろん嬉しかった。
でも想像していたほどの喜びがなかったのだ。
どうしてなのかわからない。
何かが虚しいのだ。
この虚しさはやはり、
アイツがいないせい…?
アイツがいないとつまらない…。
アイツが現れてからというもの、家族のように過ごしてきたのかもしれない。
時には本当に鬱陶しかった。
いや、むしろ消えて欲しいという気持ちの方が強かったとさえ思う。
それなのにいざいなくなると心にポッカリと穴が空いたように全てが虚しい。
「サキ…お前一体どうなっちゃったんだよ?もう俺の前には二度と現れないのか?」
俺は八十年代のカリスマロック歌手「野崎豊」を聴いていた。
今までもよく聴いてはいたが、今は野崎以外のアーチストを聴かない状態になっていた。
考えてみると野崎豊を聴いていなければ良い意味でも悪い意味でも今の状況はなかったかもしれない。
もし俺が電車で野崎豊の曲を聞いてなかったら、綾瀬ちゃんに話しかけられることもなかった。
綾瀬ちゃんと出会うことがなければ、川島竜次に出会うこともなかった。
野崎豊なしでもサキは俺の前に姿を現わしていただろうが、俺が野崎を聴いていない人間だったとしたら綾瀬ちゃんとも出会わなかったのだから川島竜次を見つけ出すということは不可能に近かったかもしれない。
そうなると川島が見つからずにいつまでもいつまでも延々と俺につきまとうサキにうんざりして、それこそ俺自身が除霊師を呼んでいたかもしれない。
ましてやその除霊師が江口だったとしたら、川島のように「犯人そのものが除霊を依頼する」というケースではないため、江口の除霊はスムーズに行き、サキはあっさり除霊されていたかもしれない。
そして俺はサキが除霊されたことに対し、何ら哀れみの気持ちも持つこともなく、一件落着で終わっていたかもしれない。
サキと俺は野崎という共通の趣味があり、そのおかげで幽霊にもかかわらず、こんなにも一緒に過ごすことができていた。
野崎が好きだということでサキは俺を単なる怨念代理の仕事人にとどまらずに「友人」として受け入れることができるようになったのでは?
そしてそんな人懐っこい態度のサキに俺自身も幽霊とはいえ、いつしか心を許していたのかもしれない。




