心霊写真
結局その日は川島家を出ざるを得なかった。
喫茶店でコーヒーを飲む俺にサキが言った。
「ふふふ、とりあえずこれでしばらくは精神が不安定なはずよ」
「それはよかったな。んで、俺はこれからどうすればいいんだ」
「川島竜次をもっと追い込んで、自殺に導くわ。それまではアタイの言う通り動いてね」
「お父様が自殺したら、綾瀬ちゃんは唯一の家族を失い、不幸になる」
「じゃあアンタがあの綾瀬って子と一緒になって彼女を幸せにしたら?」
「人の家を崩壊させといて『大丈夫かい?僕がついているよ』っていうのはおかしいと思わないか」
「思わないわよ、むしろ綾瀬ちゃんにとっては殺人犯と縁を切るために重要なことじゃないの」
「綾瀬ちゃんはお父様が大好きなんだよ。離れたいなんて思うわけがない」
「悪魔の魔の手から救うことがなぜいけないのよ。まあ問題は綾瀬ちゃんがお父さんのことを悪魔だと知らないことにあるんだけどね、いっそアンタから伝えてやったら?」
「いきなりそんなこと言ったって信じる訳無いだろうし、確実に嫌われるわい!」
三日後、夜十時、勉強中の俺の机の上でメールの着信音が鳴る。
綾瀬ちゃんからだ。
『夜遅くごめんね。こんなこと話せるのはヤマト君しかいないと思って。迷惑じゃなかったらこれから電話してもいい?』
『いいよ』
返信。その後すぐ電話の着信音がなった。
「ヤマト君、遅くにごめん」
「どうしたの?」
「ちょっと不安になっちゃって…」
「不安?」
「う~ん、うまく言えないんだけど…まあヤマト君になら言ってもいいよね」
「いいよ、遠慮なく何でもいいなよ」
「うん…」
電話先で鼻をすする音が聞こえる。泣いているようだ。
「あのね…なんかね…お父さんの様子が変なの」
お父さんと聞いて心当たりある俺はドキンとするが、何食わぬ声で
「変って、ど、どんな風に?」
「最近、すぐに従業員の人を怒鳴りつけるの。あんなに怒る人じゃなかった、というか怒ったところなんて見たこともないのに…」
「へ、へえ…」
「それだけじゃないの。お酒なんて全然飲まなかったのにここ二、三日浴びるほど飲んでいるの。とっくの昔にやめたタバコだって手を出して、従業員の人たちもビックリしているの。とにかく人が変わってしまったようで。まるで何かに取り憑かれたようで」
少なくとも取り憑いてはいない。しかしお父様にとってあの手紙は俺の想像をはるかに超えるほどの衝撃だったらしい。
「あんなに優しかったお父さんなのに…きっと何かあったんだと思う。でもそれがなんなのかさっぱりわからないの」
「わからないほうがいいこともあるんじゃないかな」
「えっ?」
「い、いやなんでもない。それよりもお父さん心配だね。日頃のストレスが爆発したのかなあ?」
「あともう一つあるんだけど…」
「何?」
「あの…お父さん…どうしてだかわからないんだけど…」
「な、何だい?」
「ヤマト君と会うのはしばらくやめろって…」
「えっ」
想定内でありつつも、それだけは勘弁して欲しい事態が起こったようだ。
「理由を聞いても、『あいつはお前には合わない』の一点張りで…納得がいくような答えを言ってくれないの。ねえ、ヤマト君ってお父さんに何かした?」
「い、いや何も…」
幽霊に頼まれて呪いのラブレターを届けたなどと言っても『ふざけないで』と怒りを買うだけで意味がない。
「な、何にもしてないよ」
「そうよね…。何ら不愉快な行動なんてしてないはずなのに」
カナリ不愉快な行動をしましたけどね…。
その後も綾瀬ちゃんからはお父さんの様子についての相談が延々と続き、気づいたら一時間程電話をしていた。
「あまり心配しないで、大丈夫だよ」というありきたりで無難な言葉で彼女との電話を終えた。
綾瀬ちゃんとの会話で楽しいはずが、内容が重かったために、切ったあと目眩をするような疲労を覚え、携帯を持ちながら机からベッドへとダイブした。
そしてそのまま疲れて寝てしまった。
「いよっ!あれから彼女とどうだい?」
井上が朝っぱらから大きな声で話しかけてきた。体の動きがディズニーアニメのように落ち着きがない。
「別に」
「なんだよお、そろそろキッスくらいしたんだろっ!」
「『キッス』っていう発音が昭和臭いからやめろ!してねえよ」
「まあ、お前のことだからしてねえだろうとは思ったけどさ、お前ってもしかして彼女の前でも例の独り言を言うことがあるのかなって思って…」
「ひ、独り言なんか…」
すると井上は急に俺の耳元に顔を近づけ、
「お前、もしかして幽霊と話ができるんじゃねえのか…?」
「なっ…」
図星の俺はあからさまに動揺してしまった。
「俺さあ、悪いとは思ったんだけど、偶然見ちゃったんだ…。お前が喫茶店で独り言を延々と言っているところを…」
「うっ…」
「最初は、やはりこいつ一度カウンセリングか精神科に行ったほうがいいんじゃないかって思ったんだけど、なんか本当にそこにだれかがいるんじゃないかっていうくらいリアルに会話しているわけ。しかもお前自身カナリ小声で話をしていた。つまり独り言を言っている変なヤツだというふうに周りに見られたくないっていう態度だった。ってことは妄想とか幻覚じゃないのかなって…」
「…何が言いたいんだよ」
「いやだから幽霊だよ。そんで悪いけど…」
そういい井上はポケットから一枚の写真を取り出した。
「たまたま持ってたデジカメで悪いとは思ったが、こっそり写真撮ってみたらさ、ほら」
その写真を見て俺は言葉が出なかった。
「俺もこの写真を見てゾッとして鳥肌がたったよ、人生初の心霊写真だったよ」
それはテーブルでコーヒーを飲む俺の真上で、フワフワ浮かびながら胡座をかいて邪悪に微笑んでいるサキの姿だった。
井上は急に真面目な顔になって警告するように言った。
「ヤマト、これヤバイってマジで。いつからこの女の霊と知り合った?」
「…話せば長くなる」
「お前、そのうち呪い殺されるぞ」
「サキはそんなことはしない!」
「『サキ』って…、お前完全に幽霊の虜だな。美少女幽霊だろうと、幽霊には変わりないぜ。お前江口に相談したら?」
「…江口って、今テレビでお馴染みの除霊少年のこと?」
「おう。俺アレの特番好きでよく見るんだけど、しつこく出てくる幽霊は手遅れにならないうちに除霊しろって何度も言ってたぞ」
前にも言ったが俺はあの手の番組も除霊師も一切信じていない。
「井上」
「なんだよ」
「その写真をくれないか」
「いいけど、データはあるから証拠隠滅にはならないぜ」
「証拠隠滅は別にしなくてもいい。とにかくくれ」
「よくこんな写真撮れたわねえ…」
家に帰り、心霊写真を見せると、サキは感心したようにつぶやく。
「この手があったかって思ったよ!なんで気がつかなかったんだろう。これで綾瀬ちゃんのお父様にはっきりとサキの姿を見せてやることができるじゃないか」
「見せてどうするのよ?」
「俺が書いた手紙だけだと、俺が本当にサキの幽霊に会ったっていう証拠がないだろう。これを見せれば確実にお父様は納得するだろうさ」
「まあ、そうね…でもヤマトはどうして急にアタイの復讐に積極的になってきたの?」
「積極的というよりも、ここまで来てしまったらはっきりとお父様に納得してもらいたいんだ」
「要はこの写真に写っているヤツに僕は手紙を書かされたんだっていうことで、自分も被害者なんですよ、だからお父様、綾瀬ちゃんとの交際についてはこのことと何ら関係がないので、引き続き継続させてくださいっていうメッセージを送りたいんでしょ?」
「お前は人の心が読めるのか!」
「心を読むことはさすがにできないわ。まあいいわ。その写真を見せることで、改めて罪の意識に苦しむことだろうから」
その日、俺はできるだけ多くの心霊写真を作ろうとしてデジカメでサキを写しまくった。
途中サキは幽霊のくせにピースサインをしたり、スカートを半分まくりあげて「このほうがセクシーかしら?」と聞いてきたり、「コネマチ」とかいう昭和のギャグポーズをしてみたりして何度か撮影が脱線したりもした。
デジカメで撮った画像をプリントすると見事な心霊写真が十枚も出来上がった。
できるだけおどろおどろしく、悶え苦しむような顔をしてみたり、怨念に満ちた表情をしてみたり、テレビ画面から四つん這いになって出てきたりといったホラー映画の真似などもして怖さを演出したものばかりだった。
正直写真を撮っていた俺は少しだけ心霊写真作りを楽しんでいた。
お父様、僕はあくまでも怨念代理人です。お父様を脅しているのは僕ではなくコイツです。その証拠がこの写真です。これと綾瀬ちゃんとの交際はまったく別問題です。だからどうか引き続き交際させてください。
いつお父様にお会いしようかと思っていたが、意外にも声をかけてくださったのはお父様の方からであった。
サキも一緒に連れてきて欲しい、心から謝罪したいとのことであった。




