05
地下二十七層南西部に存在する湖の畔にて、レイナが地下二十七層のポータルからここに来るまでののも含め、シキサの戦闘を直に見て、まさに『紅閃』そのものだと感じた。
「ふっ!」
シキサは右手で紅の剣を操り、鰭で陸上を歩行する魚型のモンスター――マーマルフィッシュ二十匹に囲まれながらも攻撃を受けずに連撃を繰り出して次々と倒していく。素早い身のこなしが売りである獣人のプレイヤーでもここまで無駄の無い身のこなしはそうそう出来ないし、全ての攻撃を避け続けるのも不可能だ。
全ての攻撃を避け続けるシキサは、一撃たりとも攻撃を食らってはならない制約を持っている。
レイナはシキサとパーティーを組み、彼のHPバーが危険域を通り越して死の淵ぎりぎりまで減っている事を初めて知る。パーティーを組むと、組んだプレイヤーの頭上にあるHPバーが視認出来るようになる。レイナは一足早く店を出たシキサに追い付くと、頭上に表示されたHPバーの有り得ない数値に驚きを隠せずにいた。
普通、『ディムブリック』にあるプレイヤールームで休息を取ればHPは全快する仕様となっており、『ディムブリック』にいた筈のシキサのHPが何故ここまでぎりぎりにしか残されていないのかが疑問になった。
「はぁ!」
レイナは少しでもモンスターが行うシキサへの攻撃を緩める為にも、目の前の怪魚へと大剣を叩き付ける。流石に地下二十七層にもなると、一撃では倒せず、倒し切るまでに何度か攻撃を食らうが霊人の物理攻撃軽減の効果により、レイナのHPバーはあまり減少はしていない。大剣専用攻撃スキル『グランダルウェーブ』を使えばいとも容易く殲滅する事が可能なのだが、このスキルは単体ではなく全体への波状攻撃となっており、例え味方でさえも攻撃エフェクトに接触すればダメージを受けてしまう。極僅かなシキサのHPの現在値故に、レイナは『グランダルウェーブ』を撃てなくなっている。が、それでも苦戦はしておらず、このまま戦闘を続けていてもHPは危険域に入る事も無く倒し尽くせる事だろう。
「どらぁ!」
スォッグも手にした金棒でマーマルフィッシュを叩き潰していく。スォッグは生産職のプレイヤーでありながら、ある程度は戦闘をこなせるまでレベルを上げている。彼のレベルはレイナよりも低い事もあり、怪魚相手に苦戦しているが、鬼人の怪力を用いて金棒を縦に横に振るって、重い衝撃によって強引にマーマルフィッシュの動きを封じ込めながら倒していく。
二人がパワー、一人がスピード重視の前衛であり、あまりバランスの取れていないパーティーであるが、トップレベルのプレイヤーが二人いる事もあり、マーマルフィッシュ二十匹を倒し尽くすのには十分も掛からなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。さ、流石にこの階層だと、きついな……」
スォッグは息も絶え絶えで地面に座り込み、金棒を支えにしながらズボンのポケットから薄い緑色の液体が入った瓶――HP回復薬を取り出して、半分を超えるまで減り、黄色くなったHPバーを見ながら一気に煽る。アイテムは通常タブレットのメニューから選択して使用するが、衣服の収納スペースの数につき一種類、そこからアイテムを即座に取り出せるように設定する事が出来る。
HP回復薬には僅かにだが食料と同じように空腹を満たすような作用もあり、味はマスカット味となっているが薬と言うだけはあり後味に苦味が残る。HP回復薬を呑み終えると、スォッグのHPバーは全快までとはいかないが、八割まで回復され、HPバーの色は安全圏内である緑色へと変化した。空となったHP回復薬の瓶は光を纏って消えていった。
HPバーは残存しているメーターの割合によって色が変化し、満タンの時ならば青、残り五割を切ると黄色に変化し、黄色になる前は緑色となる。三割を切れば橙色となり、一割――つまり危険域へとHPバーが入り込んでしまえば赤色となる。
「ふぅ」
レイナはスォッグのように座り込む事もせず、大剣を背中に背負いながら軽く息を吐く。彼女のHPバーはここまで来るのに二割と少しだけしか削り取られていない。これは霊人の特性もあるが、単純にレベルも関係している。
レイナのレベルは三十二であり、スォッグのレベルが二十三である。ここまでの差がついている理由としては偏に攻略プレイヤーと生産プレイヤーの違いである。攻略をする上で階層と同じレベルであればクリアの平均とされているが、それでも死なないように安全度を上げる為に更にレベルを上げ、HPをを含めた各能力値を増やしていくのが常識となっている。
「……」
ただ黙ったまま湖へと視線を投げ掛けているシキサのレベルは四十三。全プレイヤー中最高のレベルとなっており、ソロにおいては地下三十三層のボスをも単独で撃破出来る最低限のレベルとなっている。
レイナとのレベル差が十一もあるが、マーマルフィッシュを倒す際に与えた攻撃回数はレイナの三倍以上である。これは装備の違いとシキサが筋力よりも敏捷を主に上げていたと言うのもあるが、それ以前に彼の装備が影響している。
シキサが装備している紅のコート――地下一層の隠しダンジョンに潜んでいたシークレットボスのユニークドロップ『クリムゾンフロウ』には二つ効果がある。
一つはスタミナが尽きても動き続けられる事。このゲームにはスタミナと言う数値が存在し、それはHPバーのようにホログラムで表示される事はないが、息切れの具合等、感覚的にどれくらいまで消費されたかを知る事が出来る。スタミナは主に攻撃、回避、移動等によって消費され、攻撃スキルを使う場合にも消費する。スタミナが尽きてしまえば、全体的に動きが緩慢になり、スタミナが三割回復するまで続く。スタミナは動かずじっとしていれば自動で回復していき、スタミナ回復薬を呑んでも回復される。
一撃でも攻撃を食らえば即ゲームオーバーのシキサにとって、スタミナが尽きても何時もと同じように動き続けられる状態になれる装備は必須であった。
しかし、もう一つの効果が痛い。それは装備者が与える攻撃の威力を七割減させると言うもの。いくらスタミナが尽きた状態で普通に動けたとしても攻撃力が下がってしまえばあまり意味はなく、攻撃力の減少をさせるくらいならばスタミナ回復薬を呑みながら戦闘を行った方が効率的なので、普通のプレイヤーならば装備しないコートである。一撃でも食らってはいけないシキサだからこそ、攻撃力の低下は甘んじて受け入れている
故に、例え通常のモンスター相手であろうと、他のプレイヤーよりも多く攻撃を与えなければ倒せない。
「あ、あのシキサさん」
レイナは湖をじっと見るシキサに声を掛ける。
「呼び捨てで良い」
シキサは振り返る事も無く淡々と要求する。
「えっと、シキサ。HPは回復しなくてもいいんですか?」
レイナはシキサの頭上に浮かぶHPバーがぎりぎりまでしか残されていない事を再度確認し、戦闘中もそうであったがどうしてHPをぎりぎりのままにしてあるのかと言う疑問を遠回しにしてぶつける。
「……」
しかし、シキサは答える事は無かった。
「あぁ、シキサはHPが回復出来ねぇんだよ」
代わりに、息がようやく整ったスォッグが答える。
「HPが?」
「そう。最初の種族設定でランダムを選ぶと低確率で得られるユニーク装備の影響でな」
スォッグがシキサの腰に佩かれた紅の剣を指差しながら説明する。
「TMで一振りしか存在しないあいつの剣――『ヴァーメイルブレイド』は装備者のHPを回復させない代わりに、スタミナ消費無しで攻撃スキルを使う事が出来るんだよ」
シキサのHPが赤いままである理由を訊いたレイナは納得しかけたが、当然の疑問を口にする。
「いや、装備を外せば回復が出来るのでは」
「無理なんだよ。どうやっても外せないんだ」
しかし、スォッグはそれを即座に否定する。
「……もしかして、呪いの装備ですか?」
呪いの装備。一度装備すれば聖なる力を使わない限り外す事の出来ない装備である。呪いの装備にはメリットとデメリット双方が強烈な物が殆どであり、呪いを一度解呪してしまえば、任意で装備の付け替えを行えるようになる。
「それだったらどれだけ良かった事やら」
スォッグは遠い目をしながらシキサを見る。
「呪いだったら少し値は張るが消費アイテムの聖水を呪われた装備に振り掛ければ解呪されて外す事が出来るようになる。けどな、あいつの剣は呪いの装備なんかじゃねぇ。バグで装備から外せなくなってんだ」
「バグ、で?」
「あぁ。初めてシキサに会った時、タブレットで装備一覧を見せて貰った事があるんだが、ヴァーメイルブレイドの欄にだけ外すのボタンがなかったんだよ」
『トライバルミックス』では、装備を変更する時は装備してある物を外してからしか変更出来ない。装備されたままで新たに装備したい物をタップしても説明文が表示されるだけだ。装備画面で装備している物に外すの項目が存在しない事はつまり、二度と装備を変更する事が出来ない事を意味している。
レイナはスォッグの言葉を訊いて、本当ならば街にいなければならないと言った意味をこの瞬間に理解した。『ディムブリック』でもPKは起こっているが、それでも自警団の近くを歩いていれば地下迷宮よりは安全であるし、プレイヤールームに立て籠っていればそれこそ完全に身の安全は保障出来る。本来ならばHPが回復しなければ死に戻りを利用して無理矢理HPを全快の状態にする事が出来るのだが、この『トライバルミックス』ではゲームオーバーになってしまえばそれまでだ。死に戻りが無い事はもう分かっている。
HPが回復せず、それに加えてぎりぎりまでしか残されていない状態で、どうしてシキサは攻略を行っているのだろうとレイナは不思議に思う。
(私だったら、きっと怖くなってプレイヤールームで蹲ってると思う)
回復が行えない恐怖は、疑似デスゲームと化した『トライバルミックス』でより深く黒く蠢いて絡みつくだろう。ダメージを負ってはならないと言う焦燥感も加味され、普通ならばやつれ果てて精神が狂い出しても可笑しくはない。だが、レイナに背を向けている少年はコミュニケーション能力に難を抱えているが、モンスターと戦う様を見るに毅然としている。どう見ても精神を病んでいるようには見えなかった。
「シキサって……強いですね」
天上の光る鉱石によって煌めく湖が反射する燐光をその身に受けてながら足元の石を軽く爪先で突くシキサを見詰めながら、地面に座っているスォッグに向けて呟く。
「強かねぇよ。シキサは弱い。本当は助けを求めたい筈なんだよ。ただ、それを頑なに押し殺して隠してるだけさ」
だからよぉ、とスォッグは同様にシキサを見ながらレイナに懇願する。
「今回助けて貰ってんだから助けてやれ。そしてもし、あんたがシキサの事を気に掛けてくれるんなら、今後とも助けてやってくれ。俺じゃ無理だった。あの時もしシキサと一緒にいたならあいつはこうはならなかったんだろうけど、あとの祭りさ。今じゃあいつの隣で戦う事が出来ず、精々アイテムの提供くらいしかしてやれねぇ」
スォッグの眼はシキサから外され、湖の遠くへと向けられる。恐らく、遠い過去を思い出しているのだろうとレイナは思う。
「……あの、あの時って言うのは?」
レイナがそう口を開いたその時、水が盛大に撥ねる音が鼓膜を揺るがした。シキサがおもむろに先程爪先で突いていた足元にあった人の頭よりも少し大きい石を湖の真ん中目掛けてぶん投げ、着水した音だ。
「おい、お前何やって」
スォッグが呆れ顔でシキサを窘めようとしたが、開いた口が閉まらなくなった。それどころか口は更に大きく開かれ、眼には驚きの色が見られる。レイナも同様に驚愕しており、唯一驚いていないのはシキサ一人だ。
二人が驚いたのは石を投げ入れた湖に波紋が生じ、それが幾重にも重なると湖の中央から三本の巨大な水生植物を彷彿とさせる蔦が出現したからである。
蔦は段々と伸びて行き、三人の胴体へとしっかりと巻き付くと、湖の底へと引き摺り込んでいった。
「きゃぁぁああああああああああ!?」
「のぉぁぁああああああああああ!?」
いきなりの事で避ける間もなく悲鳴を上げる事しか出来なかったレイナとスォッグ。シキサはされるがままの状態である。
幸いだったのはこれにダメージ判定が無かった事だ。もしダメージ判定があったのであれば、シキサは即ゲームオーバーとなり、システムデータの奥底へと意識を封じられる事となっていただろう。
呼吸をする必要のない体だが、水の中へと引き摺り込まれては軽くパニックに陥り、レイナとスォッグは水面の先にある酸素を追い求めようともがき拘束から逃れようとするが、蔦は決して緩まる事はない。
蔦はそのまま湖の中央の奥底へと向かい、そこにぽっかりと空いている穴へと入っていく。穴の中は暗く、どのように移動しているのか分からなかったが、不意に水から体が出る。それと同時に蔦の拘束が無くなり、実質投げ出された状態へと変化した。
暫し、三人は空中を舞うが、直ぐに地面へと体を打ち付ける。
「きゃっ!」
「ぶごっ!」
レイナは尻餅をつくように、スォッグは顔面から盛大に地面へと落下した。唯一シキサだけが片膝をついて落下の衝撃を和らげた無難な着地を披露した。
「いたた……」
レイナは打ち付けた尻を擦りながら辺りを確認する。自然に出来た洞窟のようであり、人の手が加わったような箇所は一切見当たらず、鍾乳石がちらほらと垣間見える。後方には水で満たされており、出入り口と思しき箇所には先程の巨大な蔦によって塞がれている。天井や壁面には光る苔が存在し、薄暗くではあるが先を確認出来る程に明るくなっている。
「ここが隠しダンジョンか?」
顔面を擦り、痛みに顔をしかめている地面に這いつくばったスォッグがふとそんな事を言う。
「多分そうなんだろう」
腰のホルダーからタブレットを取り出し、プチポータルが作動しない事を確かめたシキサが淡々と告げる。
「にしても、よく分かりましたね?」
レイナがシキサに羨望の眼差しを向ける。一体誰が石を湖に投げ込む事によって隠しダンジョンへと赴けると予想出来るか? 少なくともレイナ自身は無理だと分かっている。もし予想出来ていたならばギルドメンバーとの捜索時にここへと辿り着いた筈である。
「偶然だ。色の違う石を見付けたから試に蹴ってみて反応が無かったから持ち上げて湖に投げ入れてみただけだ」
シキサはタブレットを腰のホルダーに戻し、コートの端を持って水分を絞り出す。それでも普通石を湖に投げ入れようとは思わないだろう。やるにしても、手の平サイズの石を投げるくらいだ。誰も明らかに重そうな石を持って投げる事はしない筈だ。
(……発想が子供?)
レイナはついそう思ってしまう。近場にある池や川でよく幼い少年達がそこらに落ちている石や枝、果ては変なガラクタを池や川に放り投げて遊んでいるのを目撃していた。なので、シキサの言葉を訊いて現実世界での記憶を思い出し、思い出してしまったが故に、早く戻りたいと言う切望が少しだけ湧き上がる。
「……そういや、ボスエリアに続く洞窟の入り口を塞いでた岩盤を取り除いた装置も、色の違う石だったか」
スォッグはここに来る前に交わされたシキサとの会話を思い出した。地下二十七層の北西部にある湖では小さい石であったが、それでも普通はもう少し分かりやすい装置を取り付けるだろう。やはり『トライバルミックス』の製作陣はクリアさせる気が無いだろうとやるせない気持ちになり、つい溜息を吐いてしまうスォッグである。
「あっ! そうだマップ!」
レイナは即座にタブレットを取り出し、マップを表示させる。初めて訪れたダンジョンであるので、今いる場所以外はマッピングはされていない。しかし、マップを縮小していくと、ここから遥か南南東の方角に緑色の点が三つある事が分かった。マップ上で緑の点が示すのは、ブラックリスト以外に登録したプレイヤーの所在地である。
「……いた」
レイナは意識せずに言葉を零し、ほっと溜息を吐く。しかし、安心はまだ出来ない。マップを見るに、緑の点は全く動く気配を見せない。それはHP回復薬が切れてしまってセーフティエリアに立て籠もっているか、何かの罠に引っ掛かって動けなくなってしまっているかの可能性があるからだ。
「何処だ? って結構遠いな」
地面を這ってレイナに近付き、タブレットの画面を確認したスォッグはげんなりとした顔をする。自分にとってはレベル的にきついダンジョンであるので、奥へと向かうまで回復薬が持つかどうか不安になり、若干後悔をしているがそれでも途中で投げ出そうとは思っていない。
「……」
シキサはある程度コートが含んだ水を絞り出すと、タブレットを見ながら無言で洞窟の奥へと向かう。
「あ、待って下さい」
「こら、置いてくな」
レイナとスォッグは即座に立ち上がってシキサの後を追い掛ける。




