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 仮想世界『トライバルミックス』の時間の流れはリアルと同じである。現在は作り物とは到底思えないような熱と光を発し続ける太陽が頂点からやや下り始めた頃合となっている。

 地下迷宮の真上に栄える街『ディムブリック』には現実と然程変わらない外見をした人間、人間の半分程の身長をした小人、獣耳と尻尾が生えた獣人、両腕が翼に変化した鳥人、額に角の生えた鬼人、鱗の皮膚を持つ竜人、肌が僅かに透けて見える霊人、肌の色が青白い死人、鰓が肋骨の隙間に存在する魚人等、様々な種族の人々が行き交っている。

 これが『トライバルミックス』の売りの一つである。様々な種族の中から自分の好きな種族を選び、その特性を生かしてダンジョン攻略を進めていくものとなっている。例えば、獣人ならばその身のこなしの速さでモンスターを翻弄する、と言ったものだ。

 その代わりに、この世界には魔法が存在しない。正確には魔法関連のスキルが存在しない。『トライバルミックス』の世界では魔法は昔に滅んでしまった古の秘術とされており、プレイヤー自体は使用出来ないが、遥か昔の魔法が封じ込めた鉱石を補助スキル『錬金』で加工して作られる『魔石』と言う消費アイテムを使用して魔法を発動するシステムとなっている。

 故に、攻撃は武器による通常攻撃及び攻撃スキル、それと魔石の使用となっており、武器による攻撃ではそれぞれの武器と相性の良い種族が設定されている。

 戦闘を左右する要素の内の一つで、シキサが選んだ種族は何でも器用にこなせる良く言えばオールラウンダー、悪く言えば器用貧乏である人間である。『ディムブリック』においての比率は人間はNPCを含めても二十分の一にも満たない人数であり、ベータテスター内では僅か三十三人だけである。ベータテスターの大多数は折角の仮想世界なのでなりたい外観を持つ種族になりたい、現実では出来ない動きをしたいと思う者が大多数で、人間以外の種族を選んで行った次第である。

 シキサがベータテスター内でもほんの一握りにしか選ばれなかった人間を自身の種族として選んだ理由と言うのは、大した意味はない。彼が種族設定の際にランダムを選び、それが偶々人間を選択したに過ぎないのだ。仮に、ランダムを選択したタイミングが違えば、彼は人間以外の種族になった事だろう。

 また、種族設定をランダムで選択すると、低確率であるが初期装備の一部が一つしか実装されていないユニーク装備へと置き換わる事がある。シキサはランダム選択をして、ユニーク装備を手に入れたが、正直シキサにとっては迷惑なものでしかなかった。

 設定種族が人間であるシキサは、コートで身を隠し、大半がNPCである人混みを掻き分けながら中央に鎮座していたポータル像から見て南の方へと向かう。そこにシキサのプレイヤールームが内包された建築物が建てられている。

 プレイヤーにはそれぞれプレイヤールームと言う空間が与えられており、その部屋をどうするかはプレイヤー次第となっている。単に休む為の部屋にする者もいれば、飲食店や雑貨屋、鍛冶屋等に改装して、プレイヤー間で相互利益を得る為に走る者も当然いる。シキサの場合は前者であり、彼はログアウト不可能になってからは地下迷宮へと赴く以外の時間の殆どをこのプレイヤールームの中で過ごす事にしている。

 三階建てのレンガ造りの建物が建ち並ぶ道を歩くNPCを避けながら、二十分掛けてシキサはプレイヤールームのある建物の前へと辿り着いた。

 他の建物よりもやや古ぼけており、所々赤レンガの表面が剥がれ落ちている様相をも完璧に再現しているその建物へと入る為に出入り口となっている扉を開けて、中へと入る。この建物には一階には二部屋、二階と三階には三つの部屋が収まっており、シキサの部屋は二階の部屋と部屋に挟まれた中央にある。

 自分の部屋の扉の取っ手を握り、時計の針が動く方向へと回し、扉を押し開けて中へと入る。プレイヤールームには鍵の類いは付属していないが、それは取っ手に触れた手を通じて個人IDを認証し、そのプレイヤールームの所持者であるならば開閉可能にし、それ以外のプレイヤーならば取っ手を回せないようにしている。しかし、これは初期設定であり、プレイヤールームを店にしている者の場合はプレイヤールーム内にてタブレットで設定を弄り、ブラックリスト以外のプレイヤーならば扉を自由に開閉させられるようにしている。

 シキサは初期設定のままであり、この部屋はまさに自分だけの空間となっている。

 その部屋は嫌に殺風景過ぎた。最初から備えられていたシングルベッドにランタン型の灯光オブジェクト、木製に見立てられた机と椅子が六畳のフローリング張りの床の上にぽつんと置かれているだけだ。更に、一つだけある窓から日光を差し込ませないようにカーテンをきっちりと閉めてしまっており、侘しい雰囲気を醸し出してしまっている。

 部屋の扉をきっちりと閉めると、シキサはタブレットを操作してローブとブーツの装備を解除し、腰に佩いた剣はそのままの状態でベッドの上へと雪崩れ込む。ミノスロードとの戦闘は今までのどれよりも精神的に堪えた。現実の体ではなく、あくまで意識、感情、記憶等をデジタルデータに変換して一時的に移しているに過ぎないアバターであろうとも、気疲れはするものだった。なので、一刻も早く睡眠を取り、精神的な疲労を取り除こうとする。

 ここまで忠実に精神疲労をも再現させるのが、VRと言う技術である。

 VR――仮想現実が再現させるのは何も精神疲労だけではない。触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚の五感は勿論の事、熱感知、光感知、空腹感、倦怠感、高揚感等、現実に起こりうる全ての感覚を寸分の狂いも無くアバターに入ったプレイヤーは体感する。

 このようにありとあらゆる感覚の再現を可能としたのが、脳電波パルス振幅変動システムである。脳により伝達されるあらゆる信号を電子へと変換させ、それをDDMがダウンロードし、その情報全てをデジタルデータに再構築を行った後、アバターへと送り込む事によってそれを可能とする。

 ただし、この脳電波パルス振幅変動システムにおいても、呼吸と心拍、発汗等の生命維持に必要不可欠な生理現象に関する信号だけはデジタルデータへと変換はされない。生理現象が止まってしまえば、生命を保てなくなってしまうからである。何かの拍子で生理現象を司る信号をデジタルデータ化させないように、何重ものプロテクトコードでデータ化させないように予防をしている。

 なので、この仮想世界では信号をデジタルデータ化していない生理現象は発生しない。呼吸もする事は無く、汗を掻く事も無いし、尿意を催す事も無い。

 しかし、睡眠は別である。睡眠も生理現象の一つであるが、睡眠を行えるようにしないと、長時間プレイによる疲労感を消す事が出来ない。ゲーム内での回復アイテムでも疲労感を消す事は可能なのだが、あらゆる感覚をデータ化しているので、逆に寝ないと徹夜をしていると錯覚してしまい、気が狂いそうになってしまうのである。そうなるとゲームプレイに支障をきたすので睡眠だけは例外として信号をデジタルデータへと変換している。

 尤も、この仕様は『トライバルミックス』だけである。他のゲームでは睡眠を取る程に長時間プレイはまず行わない。疲労感を覚えれば、即座にログアウトして休憩を取る事を推奨している。何故『トライバルミックス』に睡眠が実装されたかは不明であるが、このゲームがログアウト不可能となっている現状ではとても有り難いものであった。

 ログアウト不可能。それは現実の体が遷延性意識障害――植物状態と似たような状態にしてしまっている事を意味している。DDMは生理現象以外の脳から伝達される信号を全てデジタルデータへと変換してしまっている。つまりは意識を戻す事も無く、感情を表す事も無い。更に体を動かす事も無ければ、言葉を話す事も無く、音を識別する事さえも出来なくなってしまう。

 デジタルデータへと変換してしまう事による弊害であった。

 ログアウト不可能となってしまった事を知らされたのはベータテスト開始から一時間後だった。

 一時間が経過すると、ベータテスター二千名のタブレットに差出人の名前も件名も無いメッセージが送られてきた。


『『トライバルミックス』ベータテスターの皆様へ。

 この度は『トライバルミックス』のベータテストにご協力いただき、誠にありがとうございます。

 さて、唐突ではございますが、皆様に重要なお知らせがございます。

 ベータテスト版『トライバルミックス』におきまして、一部不具合が生じてしまった事をお詫び申し上げます。

 その中でも深刻な不具合であるログアウト不可について説明いたします。

 本来ならば、タブレットのメニューにログアウトの項目が存在しますが、この度のベータテスト版『トライバルミックス』におけるタブレットではログアウトの項目が消失してしまっております。

 ログアウトは『トライバルミックス』内におきましてはメニューでの操作でのみ行われるものであり、システムデータを解析しました所、外部からの強制ログアウト――『ドリームディメンションギア』の電源を強制的にダウンさせてもログアウトはされず、このゲームでHPがゼロになりますと皆様の意識、感覚等は『トライバルミックス』システムデータの最奥部へと強制収容され、またベータテストにおける最終目標地点である『エディグローム』地下三十層に存在するボスを倒す事により、ベータテスターの皆様全員を同時に強制ログアウトをさせるようプログラムが改変されておりました。

 一刻も早く通常ログアウトが可能となるように手を尽くしております。

 通常ログアウトが可能となりましたら、ベータテスターの皆様へと再びご連絡を差し上げます』


 最初は誰も彼も嘘だと思っていた。何せ、差出人の名前が表示されなかったからだ。このような重大な報告において、本来ならば開発責任者や開発会社の名前が差出人の欄に載る筈である。なのに、それが無いとすると、ベータテスターの誰かの御茶目な悪戯だろうと思い、タブレットを持ってメニューを表示させ、メッセージを送ってきた誰かに対抗するかのように何人かがログアウトをしようとした。

 だが、メニューにはログアウトの項目が存在しなかった。もしかしたら文字化けでも起こしているか、文字だけが消失してしまっている。または別の項目がログアウトに置き換わってしまっていると信じながら、タブレットを操作していった。

 が、どのような操作を行ってもログアウトは実現されなかった。事前に手渡されていたマニュアルに載っていた緊急時のログアウトも試してみたが、効果が無かった。

 その瞬間から空気が一変した。

 現実世界に帰れなくなった。

 不安が一気に場を支配した。泣き崩れる者、憤る者、茫然とする者。個々の反応は様々であったが、捉えている感情はほぼ同一の物であった。

 それでも信じられない者がおり、そう言ったものは足早に地下迷宮へと繰り出し、そして、普通のゲーム感覚で死んでいった。本来ならば、『トライバルミックス』でも死に戻りが実装されているので、例えゲーム内で死んだとしてもプレイヤールームへと強制送還される筈であった。

 しかし、死んだプレイヤー達は死に戻りが為されなかった。プレイヤーが命を落とす毎に全ベータテスターのタブレットへ死亡通知が送られてきた。

 死亡したプレイヤーとフレンド登録していた者は死亡通知が届くや否や、死に戻りをしている筈だと希望を捨てずに、死亡した者のプレイヤールームへと足を運んだのだが、本来あるべき場所にプレイヤールームは存在していなかった。扉は亡くなり、壁一面だけになったそこにはホログラムウィンドウで死亡したプレイヤー名と死亡日時、死亡原因が記載されていた。

 これにより、死んでしまったらそれまでだとベータテスター全員が思い至った。

 そして、ベータテスターは二手に分かれた。

 一つは、通常ログアウトが出来るようになるまで、安全地帯である『ディムブリック』から出ないで待ち続ける者。もう一つはメッセージに書いてあった強制ログアウト――『エディグローム』地下三十層のボスを倒す為に地下迷宮へと潜って行った者である。

 前者はおよそ千二百人程であり、プレイヤールームへと立て籠もっていたりしているが、この世界では空腹感すらも実装されており、空腹がピークに達してしまうと動けなくなってしまう。動けなくなるだけならばまだマシで、空腹による苦しみさえもリアルと同じなので、最悪、極度の空腹に耐えきれなくなり、死んでしまった方がマシだと考えるようになってしまう。実際、初期装備で自害をしたプレイヤーも出てしまった。最低限食料を得る為に街中で終えられるクエストを行ったり、地下一層でモンスターを狩って得た金銭で食料を買い、空腹を満たしている。

 また、モンスターとの戦闘をしないで、PKもしくはそれに似た行為に走り、金銭とアイテムを強奪してしまうプレイヤーも出現してしまっている。そのようなプレイヤーを取り締まる為にも、『ディムブリック』から殆ど出ない者の中でも腕の立つ者達で自警団を組織して治安を守るようにしている。

 後者は残り八百人前後であり、その中でも堅実な攻略を行う者は約六百五十人、鍛冶や調合等で主にサポートに回る者が百人程、残り五十人が変わり者である。六百五十人はそれぞれがパーティー、ギルドを組んで単独での行動を控え、時にはパーティー、ギルド内だけではなく互いに助け合う事で生存確率を高めて攻略を狙っていく。特に、ボス戦に置いては、入念に情報を得てから、最も相性の良いプレイヤーで構成されたパーティーを組み直して挑むようにしている。

 鍛冶や調合でサポートする者達は攻略をしているプレイヤーからモンスターを倒した際に得られるドロップアイテムを使用して新たな装備、調合薬、魔石を作っている。装備を作る鍛冶や調合薬、魔石を作るにはそれぞれ補助スキル『鍛冶』、『調合』、『錬金』が存在し、モンスターと戦わなくとも鍛冶や調合、錬金を繰り返していけば自ずとスキルレベルが上がっていく。また、サポートだけでなく、前線にも出て行くオールマイティな者も数人だが存在している。

 さて、残り五十人の変わり者は、攻略に有利な装備、魔石をプレイヤーから奪うならず者達であったり、ダンジョンの様々な情報を集めるだけ集めて、それを売買する者達、用心棒として身を売る者達、そして、ソロで攻略を目指す者達等である。

 ベータテストが開始されてから七ヶ月が経過した現在でも、通常ログアウトが可能となったと言う旨の連絡はベータテスターには届いていない。故に、街から出ようとしないプレイヤーの中には絶望して自殺に走ってしまったり、自身の精神の安定の為に突如PKを起こしてしまうような者が出てしまっている。攻略を進める者でも、そのような者も少なからず出現し、また、どんなに注意をしていようとも攻略の最中でモンスターの攻撃、トラップによって落命してしまうプレイヤーは必ず出て来てしまう。

 現在ではベータテスターの数は約千人にまで下がり、その内で、攻略を続ける者はたったの三百人程となってしまっている。

 シキサは全ベータテスター二千人の内の五十人程に割り当てられていた変わり者のうち、ソロプレイヤーに分類される。

 偶に地下迷宮でパーティーがピンチに陥っているのを見掛ければ手助けをするが、基本的に地下迷宮のモンスターを倒して我武者羅にレベルを上げ、十の倍数の階層のボス以外ならばソロで相手取っている。

 ベッドに横になり、疲労から睡魔が襲い掛かってくるシキサは、目を覚ませばまた地下迷宮へと繰り出していく事になる。

 誰に言われた訳でも無く、自分の意思一つで、シキサはただ一人で地下迷宮へと潜る。

 完全に寝入ったシキサの部屋には、彼の健やかとは言えない、悪夢に魘されているような重苦しい寝息が響き渡る。




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