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 二〇五七年五月十七日。

 薄暗く、少し開けた空間で少年は異形と戦っていた。

 激しい動きによってはためく金色の糸で刺繍が施された紅く派手なコートの下には灰色を基調にしたシャツと黒い生地の所々に白のラインが入ったズボンを穿いており、膝丈まであるブーツはズボンと同意匠の施されたデザインとなっている。鼻と口が小さく、今一つあどけなさが抜けきっていない少し線の細い顔立ちに埋め込まれた漆黒の双眸には険しさを宿し、細い眉の両端を吊り上げ、うなじ辺りで一つに結んだ灰褐色の長髪を揺らしながら、目の前で対峙している異形へと躍り出る。

 少年は右手で鈍く煌めく紅色に彩られ、金の装飾で幾何学紋様の描かれた刀身を持つ、片手で充分に振り抜ける重量と長さを誇る剣を持ち、異形へと連続で叩き付けている。一撃一撃当てる度に、金属音が鳴り響き、火花が舞い散る。

 少年と対峙している異形は、身の丈三メートルを優に超え、がっしりとした筋肉に覆われた体躯に、分厚い鋼色の金属の鎧を着込んだ血走る眼を目の前の獲物へと向ける牛の顔を持つ怪物――ミノスロード。牛の異形の手には到底人の手では扱う事の出来ない大振りな斧が握られており、それを片手で悠々と振るっている。

 ミノスロードが振り下ろす斧を紙一重で避け、少年はやや硬直したミノスロードへと息吐く暇もなく剣を縦に、横に、右に、左に、上に、下に、斜めに、切り付けていく。

 だが、ミノスロードは少年の攻撃を意にも介さず、振り下ろした斧を斜めに振り上げる。少年はそれをぎりぎりで避ける事が出来ないと即座に判断し、全力を持って回避する為に後ろへと飛び退る。

 少年は、相手の攻撃を一度も食らってはならない制約を持っている。持たざるを得なくなっている。なので、ミノスロードの一挙手一投足を隈なく確認し、少しでも攻撃のモーションに入ったならば、防御ではなく回避を行わなくてはならない。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 少年の息は上がってしまっている。いや、もうかれこれミノスロードとの戦闘開始から十分が経った頃にはもうこのような状態である。少年はこの牛の異形と一時間以上も一人で戦っている。周りには誰もいない。この空間には少年とミノスロードだけしか存在しない。

 否、この二人しか存在出来ない。

 この開けた空間に入るには少年から見て後方に存在する赤く錆びついた鉄の大扉からやって来なくてはならないのだが、今やこの空間の扉を含む内壁全体には透明な空色をした特殊な防壁が施されており、少年かミノスロード、どちらか一方がやられるまで解除されない。この防壁が解除されない限り、自らの足のみで外へと出る事も、外からこの空間へと入る事も不可能になっている。

 ミノスロードが、後ずさった少年を睥睨し、振り切った斧を手元に戻し、少年のいる方へと駆け出していく。

 肩で息をしている少年は覚悟を決めて剣を横に構え、同様にミノスロードへと向かって駆け出す。

 ミノスロードが斧を振り上げ、目の前へと躍り出た少年の頭上へと渾身の力を持って振り下ろす。

 少年は上体を逸らし、軽くステップを踏んでくるりと体を反転させて回避し、その勢いのまま手にした剣を両手で握り、ミノスロードが着ている鎧の隙間へと切っ先で突く。剣は鎧の下にあるミノスロードの皮膚を貫き、筋肉を裂き、内臓を破り、骨へと到達する……筈である。

 しかし、少年の手に伝わってくる感触は皮膚を貫き、筋肉を裂き、内臓を破り、骨へと到達するものではなかった。

「グォォオオオオオオオオオオッ!」

 受けた事の無い激痛を覚え、ミノスロードは天を仰いで咆哮する。少年は牛の異形の太腿を足で踏み、力を入れて剣を引き抜く。

 紅色の刀身には曇り一つ無く、血は付着していない。

 ミノスロードから血が噴き出る事も無く、外傷一つさえも無い。しかし、その箇所だけが僅かにぶれ、即座に元に戻る。

 それには訳がある。

 少年が相手をしているミノスロードは実在していないからだ。

 このミノスロードは新世代ゲーム機『ドリームディメンションギア(DDG)』の専用ゲームソフトとして発売を予定されている『トライバルミックス(TM)』の世界に存在する『エディグローム』と呼ばれる百層ものフロアが存在する地下迷宮の地下二十七層に登場するボスである。

 少年はゲームの中でミノスロードと戦っている。

 DDGとは、数十年前までライトノベルで題材とされてたVR――ヴァーチャルリアリティの技術を実現させたものだ。テレビやパソコン等の映像モニターを必要とせず、コントローラーやキーボードと言った操作盤を使わずに遊べる事で世に広まった。

 DDGの外観はバイクのフルフェイスヘルメットのように体全体を覆い、起動時にフェイスガード部分が赤と青に明滅し、強制的に睡眠状態へと誘い、装着者が意識を失っている間にヘルメット内壁に施された脳電波パルス振幅変動システムにより、意識、感情、記憶等脳による処理が行われる感覚を一時的にデジタルデータ化し、DDGメモリ内に作られた疑似的な肉体――アバターへと送り込まれ、ネットワークを移動して電脳世界――いや、仮想世界へとあたかも降り立つかのようにして旅立つ。

 背部には電源を確保する為のコンセントと、急な停電等による不意な電力供給停止の際に現実世界へと戻る為の猶予時間を作る為にバッテリーを設けている。側面に起動ボタンの他に、有線ランケーブルの差し込み口と、無線ランの受信装置が取り付けられており、ネットワークを通じてMO、MMO等の大規模プレーヤー推奨のゲームも出来るようになっている。

 尚、発売されているゲームは全てデータダウンロード販売のみであり、ゲームのシステムデータとセーブデータはDDG内蔵されている大容量のメモリに保存されるようになっている。

 少年が今いる仮想世界『トライバルミックス』はMMOの部類でダンジョン探索型となっており、地下迷宮『エディグローム』の地下百層に潜んでいるボスを倒せばクリアとなっている。

 が、現在少年は正規版のゲームの中ではなく、試験的運用の為の一般応募により抽選で選ばれたベータテスターの二千人のうちの一人として、ある程度完成されたベータ版の仮想世界『トライバルミックス』へと来ており、地下三十層までが実装されている。

 ソロでのプレイも可能だが、パーティを組んで挑戦する事を推奨するレベルの内容となっており、ソロプレイ時では適正レベル――このゲームの場合ならばその階層と同数――よりも更に最低でも十は上げねば階層の奥底に鎮座しているボスを倒す事は困難となる。

 また、本来ボスと同時に戦える最大人数は十八人。これは三パーティー(一パーティーの上限は六人まで)と同じである。しかし、十の倍数の階層(ベータ版では地下十、二十、三十層)では、最大人数が三倍となる。それは、その階層の奥底に強靭で強大なボスが待ち構えているとプレイヤー達に訴えている。

 地下迷宮を下っている中でも少年――プレイヤー名シキサはベータテストを初めて七ヶ月経った今でも、ソロでダンジョンを攻略していっている。

 ソロでの難易度は複数人で挑むよりも高くなるのだが、シキサは他のソロプレイヤーよりも過酷な条件で地下迷宮打破を目指している。いや、目指さなければならなかった。

「はぁぁああああああああああっ!」

 声変わりが始まる前のやや高めの声で雄叫びを上げながら、地下二十七層のボスであるミノスロードへと切り掛かる。

 シキサはミノスロードの斧を躱し、その手にいくつもの斬撃を繰り出し、少しでも多くのダメージを与えていく。ミノスロードも、一撃で屠れる相手であるシキサに向かて一振りで大木をも切り倒すであろう威力を備えた斧の一撃を繰り出していく。

 しかし、ミノスロードの一撃はシキサの攻撃と違い、当たる事はない。シキサの持つゲーム上での補助スキル『観察眼』によって、相手の全体、一挙手一投足を捉え、筋肉の機微、僅かに下がる身体の部位等、データ故のアルゴリズムにおける癖を総合的に判断して避けている。

 ミノスロードの頭上には、ホログラムで表示されたHPバーが存在し、赤いメーターが残りあと僅か――一パーセントにも満たない数値にまで減っている。対するシキサの頭上に浮かんでいるHPバーも僅かにしかなく、赤色のメーターはミノスロードよりも更に幅が狭かった。

 シキサは残り十撃以内の通常攻撃で倒せると即座に判断し、紅の刀身を更に血のように鮮やかな紅に発光させ、先程よりも速い剣閃――攻撃スキル『トライエッジ』を用いてミノスロードの体を切り付けに掛かる。

 攻撃スキル『トライエッジ』。寸分の狂いも無く同軌道上に三連撃を行い、肉体の奥深くへとダメージを浸透させる初期に覚えるスキルだ。初期に覚えるスキルなので威力は後期に覚えていくものよりも劣っているが、出の早さと速度があり、攻撃後の硬直時間が他の攻撃スキルよりも極端に短い事からシキサは『トライエッジ』を好んで使用する。

 片手で鮮紅色の剣を巧みに操り、シキサは三連もの斬撃を牛の異形へと与えていく。

 黙って受けてるだけではなく、ミノスロードも自身の斧に鈍い銀色の光を纏って振い、ここ一番の速度で大技を繰り出すが動きを読み切っているシキサには当たりはしない。シキサは避けながらにして、軌道を髪の毛一本もの狂いも出さずに三連撃を与え『トライエッジ』は成功される。攻撃スキル成功の特有エフェクトとして、斬撃を与えた箇所に淡く仄かに発光している赤い線が残り、それは二秒も持たずに消え去る。刀身も光を放たなくなった。

 そして、シキサが願っていた時が訪れた。

「グォォ……オオオオ……ッ」

 ミノスロードの手から斧が零れ落ち、断続的な叫びを上げながら光となって消えていく。そして、牛の異形が消失したと同時に、空間の隅に岩が光を上げて出現する。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 剣を腰のベルトに取り付けてある鞘へと戻し、一息吐く。

「やっと……終わった……」

 シキサは手の甲で額の汗を拭う仕草をする。しかし、そんなシキサは息を荒げてはいるが汗一つ掻いていない。ここはあくまで仮想現実。限りなく現実に近いからと言っても人間の生理現象までは再現出来ていない。なのでいくら動き回っても汗を掻く事はない。息を切らしているのは能力値にスタミナが存在しており、プレイヤーが何かしらの行動を起こす度にそれが減少していき、ゲームの仕様としてあたかも息切れをしているかのようにしているだけだ。


 ピロリン


 と、緊張感を掻き消すかのような電子メロディが突如として流れる。音の出処はシキサの腰に収まっているこのゲームに置いて重要な物からだ。

 シキサは腰のベルトのホルダーに入った液晶画面をスライドやタップをして操作するタブレット端末を手に取り、画面を確認する。このタブレットでメニューを一括で操作するようになっている。本来ならば電脳空間において、わざわざタブレットを実装し、それによる操作を行わないようにする操作――中空をタッチし、ホログラムによってメニューウィンドウをHPバーと同じように中空へと出現させる事も出来たのだが、そうする事によって発生してしまう戦闘中における無差別的なメニューの開閉、選択等の誤作動を改善する事が出来ず、仕方なくタブレットを媒介としてメニュー操作をするように設定されている。

「……やっと、か」

 シキサはタブレットに表示された文章の下から二番目に書かれた内容を目にして、漸く長い道程の足掛かりとなる重要なものを手に入れた事を知る。

 確認をし終えると、シキサはミノスロード撃破と同時に壁の近くに出現した巨大な岩へと歩み出す。その岩は荒く削り取られているが、人の形をしており、まるで迎え入れるかのように腕を広げているその像の背部には翼が生えている。

 その像の右手部分にシキサは己のタブレットを重ねる。

 すると、像は砕け散った。いや、その本来の姿を隠していた岩だけが吹き飛んだ。岩が弾け飛び、地面へと飛来すると、時間が経っていく毎に色素が無くなり、最終的には完全な透明となり、岩の欠片そのものが消え去った。

 岩が無くなった像は、先程の無骨な物から一転して、ギリシャ彫刻のようなとても芸術的な物へと変わっていた。全体が白く透き通り、滑らかな曲線が輪郭を作り出し、慈悲深い聖母のような表情が彫られたそれは淡い光を発している。


『プレイヤー名:シキサによる『エディグローム』地下二十七層のポータル解放を確認しました』


 シキサのタブレットにはそのような表示がなされていた。

 ポータル。それは地下迷宮の上に栄える街『ディムブリック』から、またはその逆で『ディムブリック』へと正規ルートを経由せずに直接訪れる為に必要な転移装置だ。『ディムブリック』にも同様にポータルが存在し、そこでタブレットによって行きたい階層を入力すれば、その階層のポータルの前へと転移される仕組みとなる。迷宮から『ディムブリック』へと戻る際には像の前でタブレットで『ディムブリック』と入力すればいい。

 転送をするには、その階層に存在するポータルを解放させなければならず、ポータルは先程シキサが行ったようにボスを倒した後に出現する像の右手にタブレットを翳せば解放される。『トライバルミックス』では誰か一人がポータルを解放さえすれば、ボスを倒していなくともその階層へと他プレイヤーが転送出来るようになっている。

 一時間以上もの死闘を終えたシキサは、流石にこれ以上地下迷宮の深部へと向かう気力は持ち合わせていない。なので、シキサは今日の所は迷宮攻略をこれまでにして、『ディムブリック』にあるプレイヤールームへと帰還する事にした。

 ボスはログインしているプレイヤーの内の誰かに一度倒されると、最奥の空間――ボスエリア兼ポータルエリアから消えてしまうが、ポータルの前でタブレットのメニューを操作する事で再戦も可能となっている。しかし、ボスのドロップアイテムは手に入るが、ユニークドロップアイテムは他プレイヤーよりも早く、一番初めにボスを倒したプレイヤーにのみ与えられる。故に再戦ではユニークドロップアイテムは得られない仕様となっている。

 タブレットのメニューで装備をタップし、身に纏っているしている紅のコートを外し、代わりに地下十八層のボスから得たユニークアイテムであるハイディングが備わっているフード付きの鼠色のローブを身に纏い、フード部分を頭に被せる。

 それを終えると指先で操作し、タブレットに『ディムブリック』と入力すると、シキサの体が目の前の像と同じように発光し、足の先から頭へと徐々に空中へと消えていく。

 そして、シキサのアバターは『ディムブリック』のポータル像の前へと転移を終える。

 ローブの効果で視線が向けられていないうちにと、シキサは足早に自身のプレイヤールームがある地区へと向かう。

 シキサは毎度思う事がある。

 地下迷宮の攻略を終える度に、早くログアウト(・・・・・)が出来るようになればいいのに、と。

 この世界に囚われたシキサ。シキサだけではない。彼を含むベータテスターである二千人ものプレイヤーが、この仮想世界『トライバルミックス』に囚われてしまっている。

 完全ではないデスゲーム。この世界で死んでも、現実では肉体は死なない。しかし、一度この世界で死んでしまえば、誰かがゲームをクリアするまでデータ化された意識、感情、記憶等をシステムデータの奥底へと封じ込められてしまう。囚われたプレイヤー全員がこの世界で死んでしまえば、意識、感情、記憶は永久に暗がりへと閉じ込められ、現実の体は二度と目を覚ます事が無くなってしまう。

 シキサは、現実の世界へと帰還(ログアウト)する為に、あらゆるHP回復手段が唯一無効化された状態(・・・・・・・・・・)でも難易度の増していく地下迷宮の奥深くへと潜り込んでいく。

 地下三十層で待ち構えている、ベータテストにおけるラストボスを倒す為に、シキサは潜る。地下迷宮へと。

 囚われて早七ヶ月。辿り着いたのは地下二十七層。

 終わりは、もう直ぐだ。




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