unhoped fantasic story
ずっとずっと遠くの、最果ての場所。
頑強ないばらの砦に護られたお城には、邪悪な魔女の呪いによって、美しい姫君が眠っている。
姫を救い出して目覚めさせることが出来るのは、勇敢な心を持った勇者だけ。
―――おとぎ話のように、語り継がれたお話だった。
そうして一人の勇者が、それまで幾人もの勇者がそうしてきたように茨の城に立ち向かった。
どんな仕掛けになっているのか彼には理解できない、あるいはそれこそ魔法のなせることだったのかもしれない。
攻撃的に、排他的に、敵意を持っているとしか思えない茨に彼は幾太刀も剣を振るって幾筋も細く紅い血を流した。
いつからかどこからかそれを聞いた、あるいは感じ取るようになったのはそんな時だった。
お願い それ以上進まないで
どうか傷つけないで
不思議なものだった。この茨が行く手を阻む意志をもっていることは早くからわかった。しかしその言葉は「進むな」ではなく「進まないで」。
見た目と裏腹に威圧の感じられない呼びかけは、何かを必死に遠ざけようとしているようだった。
* * *
そうして辿り着いた茨の城のおそらく最奥で。
「ほら、とってもきれいでしょう? あなたもそうおもうでしょう?」
光に抱かれるようにして、少女が一人笑っていた。
彼に気づいた少女は無邪気な笑顔を向けた。
透明な笑顔。見るものをきっと虜にするような。見た目の年齢よりも幼く見えたそれは、世界の澱みや暗がりを知らないかのように純粋なものだった。
それでも彼は、少女の目に光りが灯っていないことを見抜いてしまった。
気づいてしまってからそれはーーーひどく虚ろな無邪気さに見えた。
「ずうっといっしょにいるの。このこたちはさわるとちょっといたいけど、でもきれいなはなをさかせてくれるのよ」
「わたしはずうっとここにいて、とってもたのしいの」
あなたもいっしょにあそびましょう?
一歩近づいた彼に、少女は子供のように笑いかけた。ぺたりと床に座って一人遊びをする様子は、ただそれだけを見れば愛くるしい幼子のそれだった。
けれどそれを受け取るには違和感を抱くほどには少女は幼くなかった。そして、無邪気な子供が持つ輝かしい瞳の輝きもない。
彼と同じくらいの年の彼女が虚ろなどこかを見て笑っているのは、どこか奇異な光景でもあった。
「……貴女は、ずっとここに居るのですか?」
「そうよ。ずうっとひとりで、このこたちといっしょ」
「他の、誰かは……?」
「ほかのだれかって、だあれ?」
そんなひとはしらない、そう少しだけ目線を逸らして言った彼女の瞳から、つうっと一筋の滴が伝った。
彼女はそれに気づいていないように続ける。
「わたしはひとりでいいの。だってここにはこのこたちがいるもの。ほかのだれかなんて、いなくていい」
―――私が居たから、みんな、みんな、
「ほかにはだれもいないのよ。どこかにいっちゃったの」
こんなことになってしまった私が、寂しいなんて言えない。だってみんな、私のせいで眠ってしまった
「ねえ、あなたもいっしょにあそびましょう?」
どうか早く居なくなって。でないとあなたのことまで、怖い誰かが巻き込もうとする
吸い込まれそうな昏い彼女の瞳から、彼女の言葉と別の誰かの言葉が聞こえるようだった。
きっとそれもこれも彼女の言葉に違いなかった。
いばらの森の眠り姫。極悪非道の魔女がかけた呪いによって、彼女は命を奪われかけた。
かろうじて魔法で救われた彼女は死を免れはしたけれど、永い永い眠りにつくことになった。彼女が寂しくないようにと、城に仕えていたあらゆるひとが共に眠りについた。
彼女を目覚めさせられるのは、まっすぐな心を持った勇敢なーーー
そんなことはなかった。
眠り姫は何も知らずに安らかな眠りに就けなかった。
彼女のせいでどれほどのひとが巻き込まれたのかを知ってしまっていた。
心優しい彼女はそうしておそらく、謝り続けてついには心を閉ざしたのだろう。
何も知らない子供のように。
城を取り囲んだ茨は、不用意に彼女に近づこうとする勇敢な誰かをずっと遠ざけ続けていた。
悲しみに囚われた彼女を起こさないで。彼女は謝り続ける苦しみから抜け出して、ようやく無邪気に過ごしている。
偽りの平穏だとしても、苦しみ続けた彼女に本当のことを思い知らせないで。
目覚めることを望んでいない。眠り姫を、どうか身勝手に目覚めさせないでーーー。
「……大丈夫ですよ」
彼はそっと彼女の側に膝をついた。近くなった目線で彼女が見上げてくる。笑顔に伝った涙を、彼はそっと拭い取った。
「もう気に病まなくていいんです。あなたは何もしていない。原因はあなただったかもしれないけれど、あなたの周りのみんなはきっとあなたを責めたりしない」
「だれも……?」
「ええ。だからあなたは好きな未来を選べばいい。ずっとこの場所で夢を見ていても、いつか自分で目覚めることを選んでも。……起きたくなったら、その時は起きればいい。眠りたくなければ、眠りたくなるまで起きていればいい」
彼女が不思議そうに彼を見上げた。少し難しかっただろうかと彼が不安に苦笑すると、彼女は彼の服の裾を控えめに摘んだ。
瞳に光の灯ったような灯らないような、透明な水に曖昧に揺らぐ双 が彼を緩やかに捉える。
「……目覚めることが怖かったの。全部私のせいだった、みんなのために私が起きるのが一番良かった」
「そうかもしれませんね」
「でも、……目覚めて誰も私を待っていてくれなかったら、私はきっと生きていけない」
「……そんなことは」
「ないなんてわかっていたら、きっと誰も……未来が怖いだなんて、おもわない」
そう言って彼女はふっと俯いた。
もう一度彼を見た時には、そこに浮かんでいたのはまたどこか虚空に漂うような無邪気な笑顔だった。
あそびましょう? とでも言いたげなその表情を見つめ返して、彼は彼女をそっと抱き締めた。
何の意味があるかだなんてきっと伝わっていない。
それで構わなかった。
彼はそっと彼女を離し、他の何かに夢中になってしまった彼女に背を向けて歩き出した。
今度は頑なに阻まれることもない。
いつかまた、きっと。
眠り姫が目覚めることを選んだとしたら、彼女だけの世界から戻ってくることを選んだら。
その時、そこに居合わせることはできないかもしれない。
彼ではない他の誰かの役割になるかもしれない。
それでも。
「……いつか、お迎えに上がりたいと思っています」
眠り姫。
今はこの暗い城に彼女だけを残して、屈強な護り手に託して。
彼は「いばらのお城」を後にした。
unhoped fantasic story
(筋書きが本当に正しかったのか、それは誰にもわからない)