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~ 参ノ刻   視線 ~

 夕暮れ時の駅前で、嶋本亜衣はと長瀬浩二は、昨日と同じような感じで人を待っていた。


 この時間、駅前の噴水広場では、徐々に人通りが多くなる。定時で仕事を終えて帰宅するサラリーマン達の姿がちらほらと見え始め、一日の終わりが近づいていることを暗示させる。


「なあ、嶋本。お前の言っていた霊能者、本当に来んだろうな?」


 一向に現れない待ち人に、早くもしびれをきらしたのか。浩二がややもすると不機嫌そうな顔をして、見下ろすような目で亜衣を見てくる。


「そんなこと言われても、私が保証できるわけないじゃん。ただ、ゆっきーの話だと、ちゃんと仕事の依頼は受けてくれたって話だからね。今日の夕方には、車で駅前に到着するって言ってたよ」


「ゆっきーってことは、あの長谷川雪乃だよな? 正直、お前みたいなのが現役のトップアイドルと知り合いなんて、俺は未だに信じらんねえけど……」


「むぅ、失礼な! でも、私とゆっきーが友達だってのは、長瀬君だって知ってるでしょ? 今年のお正月、照瑠の家で巫女さんのバイト手伝いに来てくれたの、忘れたの?」


「ああ、そういやそうだったな。あん時は、確かお前が賽銭箱の周りに散らばってた小銭をちょろまかして、九条のやつに叱られてたっけか?」


「う、うぐぐ……。でも、あの時に暴走してたのは、私だけじゃないからね。加藤さんだって、甘酒飲んで酔っ払って、いきなり服を脱ごうとしてましたぞ」


 自分の過去の失態を突かれ、亜衣は咄嗟に詩織の名前を出して反論した。その言葉に、浩二の顔が一瞬だけ曇る。さすがにまずいことを言ってしまったか。そう思った亜衣は、慌てて自分の口に手を当てて言葉を切った。


「ご、ごめん……。こんなときに加藤さんの話なんて、やっぱするべきじゃなかったよね……」


「いや、気にすんな。何度も言ってるけど、詩織が倒れたのは、別にお前達のせいじゃねえ。本当に悪いのは、お前の家に妙なビデオ送ったやつだ。俺は……そいつだけは、許せねぇ……」


 拳が震えているのが自分でもわかった。普段はそこまで感情を表に出さず、悪を気取ってしまうことの多い浩二ではあったが、詩織のことになれば話は別だ。


 あのビデオを送りつけてきた人間は、いったいどんな相手なのか。恐らく、紅や照瑠などと同じように、妖怪だの幽霊だのといった世界に精通している人間なのだろう。


 向こう側の世界・・・・・・・の住人が、どれだけ恐ろしい力を持っているか。浩二とて、紅や照瑠とはそれなりに関わってきた仲だ。幽霊や妖怪といった類の存在の恐ろしさを、まったく知らないわけではない。


 現に、彼は以前に紅がこの火乃澤町にやってくるきっかけとなった事件の際、自分の身体の中に低級な動物霊を埋め込まれた経験がある。それにより、自分の意思を完全に剥奪された上で、古の魔物の忠実なる配下にされてしまったのだ。


 連中は、まともに渡り合える相手ではない。だが、それでも、詩織をあんな目に遭わせた相手を、そのまま放っておきたいとは思わない。自分の力など足下にも及ばないかもしれないが、せめて一発くらいは顔面を殴ってやる。そのためには、どんなことでもしてやる覚悟だった。


 駅の入口から溢れ出る人の群れを横目に、浩二はふっと息を深く吸い込んだ。部活の試合の前、気持ちが高ぶっているときに見せる仕草だ。詩織と交際するようになってからというものの、頭に血が昇りそうになったときは、こうして気持ちを鎮めることが多くなったような気がする。


 自分の中に湧きあがる怒りの感情を鎮めたところで、浩二は再び駅前の噴水広場からロータリーを見回した。相変わらず、普段と変わらない駅前だ。仕事帰りの人間が歩き、タクシー乗り場には黒や黄色のタクシーが、客を待って並んでいる。


 だが、そんな至極当たり前の駅前の空気は、突如として現れた高級外車の存在によって、急に色を変えてしまった。


 白に近い銀色をした、いかにも高そうな雰囲気を醸し出している重厚なボディ。車種は、メルセデス・ベンツだろうか。こんな田舎町の駅前には、およそ似つかわしくない車ではある。


 車はロータリーをぐるりと周り、それから浩二と亜衣がいる目の前で停止した。いったい、これはどういうことか。状況が飲み込めずにいる二人を他所に、車の扉がゆっくりと開く。中から姿を現したのは、白いスーツに身を包んだホストのような容姿の男。そして、いかにも屈強な身体つきをした、ヤクザのような感じの男だった。


 いったい、これは何事か。完全に場の空気に飲まれてしまった浩二だったが、亜衣の方は、車から降りて来た男が誰であるか、既に知っているようだった。


「わぁお! まさか、本当に本物が来るなんてね。やっぱ、駄目もとでもゆっきーにお願いしてみた甲斐はあったよ」


 浩二の横で亜衣だけが、独り手を叩いて喜んでいる。未だに状況がつかめない浩二だったが、そんな彼のことなどお構いなしに、車から降りて来た男、御鶴木魁は、亜衣に見降ろすような視線を向けて来た。


「えっと……。君が、雪乃君のお友達かな? わざわざ彼女を通して、俺に仕事の依頼をふっかけてきたっていう」


「嶋本亜衣です! 御鶴木先生の活躍は、いつもテレビで拝見させていただいておりました!!」


「へぇ、そりゃ光栄だね。でも……それにしても、まさか雪乃君の知り合いが小学生だったとはね。こりゃ、ガセネタの可能性も考えとかないと、今回の仕事は空振りってオチもありえるかな?」


「むぅ、失礼な! こう見えても、私は立派な高校生なんですぞ!!」


「おっと、こいつは失敬。つい、いつもの癖で、女性の年齢を若く見てしまったみたいだね」


 冗談交じりに流すようにして言ったが、亜衣は顔を膨らませたままだった。確かに彼女の背丈は小学生ほどしかないが、中身は立派な高校生なのだから。


 相変わらず、自分の冗談は他人には理解されないようだ。多少、自嘲めいた苦笑をこぼしながら魁が肩をすくめたところで、車の後部座席が開く音がした。


「えっ……!? ど、どうしてゆっきーまで、こっちにいるのさ!?」


 後部座席から姿を現した少女、長谷川雪乃の姿を目にして、亜衣の顔にも困惑の色が現れた。魁が来ることは雪乃から聞かされていたのだろうが、雪乃本人まで火乃澤町に帰ってくるなど、まったく聞かされていなかったのだから。


「久しぶりね、亜衣ちゃん。元気だった?」


「そりゃ、まあ……。ゆっきーの方こそ、仕事は大丈夫なの? まさか、御鶴木先生を案内するためだけに、仕事休んで来たんじゃないでしょうな?」


「そうじゃないわ。ただ、私も何かの役に立てたらって思って……犬崎君を探すのに、同行させてもらったの」


 車のドアを閉めながら、雪乃は平然とした顔で言ってのけた。もっとも、その言葉が亜衣を更に驚かせたのは言うまでもない。


「ちょ、ちょっと! それ、逆にマズイんじゃなの? ゆっきーだって、お仕事で忙しいのに……犬崎君を一緒に探したりして、事務所の方は平気なの?」


「それは大丈夫。事務所の方には、体調不良でしばらく休養するって伝えてあるの。T-Driveのメンバーや篠原さん達にもアリバイを頼んでおいたから、高槻さんに心配かけることもないし……」


「ア、アリバイって……。それじゃ、今はゆっきー、完全に私用でお忍びってことですか……」


 開いた口が塞がらない。普段は見せない呆気に取られた表情で、亜衣はしばし呆然としたまま雪乃のことを見つめていた。


 雪乃とは、小学校が一緒だった幼馴染。その頃から彼女は容姿に優れていたが、引っ込み思案で大人しい少女だった。


 そんな雪乃が、わざわざ紅を探すのに同行するために、私用でお忍びを決意する。しかも、自分のマネージャーである高槻にさえ知らせずに、あまつさえアリバイ工作まで施して。


 いったい、雪乃はいつからこんな、大胆な行動に出るようになったのだろう。これも、彼女がアイドルとして、芸能界で揉まれた結果故のことなのだろうか。それとも、実は彼女は以前から、こういった一面を持っていたということなのだろうか。


 普段は人を驚かせる方の亜衣だったが、今回ばかりは彼女の方が驚かされた。だが、それ以上に驚いているのは、何を隠そう亜衣の隣にいる浩二だ。まあ、目の前にテレビの画面越しにしか見たことのない人間が二人も顔を揃えていれば、それも無理のない話なのだが。


「お、おい、嶋本。お前、知り合いの霊能者を呼ぶって言ってたけど……まさか、よりにもよって、本物の御鶴木魁が来るなんて聞いてねえぞ……」


 案の定、浩二は本物の魁に会えたことに、しばし面食らっているようだった。それを見た亜衣は。ここぞとばかりに胸を張り、自身に満ち溢れた表情で浩二のことを見上げて言った。


「ふふん……。どうですか、長瀬君? これが私、≪人脈の亜衣ちゃん≫の底力でありますぞ。芸能界から警察関係者まで、私のネットワークは見えないところで伸びているんだよ」


「ああ……。長谷川雪乃と知り合いってのは知ってたけど……正直、今日のはマジで驚いたぜ」


「わはははは! この程度のこと、私にかかれば造作もないことですぞ! これで少しは長瀬君も、私のことを見直しましたかね?」


 最早、完全に調子に乗り、本来の目的さえも忘れて踏ん反り返る亜衣。このまま行けば、いずれは翼もないのに天まで昇って行くのではあるまいか。そんな彼女に釘を刺すようにして、魁が大きく咳払いをして窘めた。


「えっと……なんて言ったら良いのかな? 悪いけど、そろそろ本題に入らせてくれないか? いくら依頼を受けたとはいえ、俺だって暇を持て余しているわけじゃないんだ。あの外法使いの少年を探すのに、俺は何をしたらいい?」


「何って……? そんなの、私にだってわからないよ。犬崎君は、変な写真だけ残して行方不明。私たちは留守番状態だから、探すにも探せない。だから、最後の手段として、御鶴木先生を呼んだんですぞ?」


「おいおい。それじゃあ君たちは、何の手がかりもないままに、雪乃ちゃんを通じて俺を呼びだしたのか?」


「ま、まあ……言いようによっては、そういうことになりますかなぁ……。ねぇ、長瀬君?」


 先ほどの勢いはどこへやら。気まずそうに頭をかきながら、一方的に浩二に同意を求める亜衣。もっとも、そんな彼女の気持ち虚しく、それは「俺が知るか」という浩二の冷たい一言で、簡単にあしらわれてしまったのだが。


「やれやれ。こいつはとんだ貧乏くじを引かされたもんだな。こんなことなら、もっと俺の方でも調査を進めて、それから仕事を引き受けるかどうか決めるんだったよ」


「そ、そんなぁ! それじゃあ、先生は協力してくれないって言うんですかぁ!?」


「協力も何も……今の俺にできることなんて、ほとんど皆無に等しいんだぜ? 陰陽師は超能力者じゃないんだ。そう簡単に、何の手がかりもないままに、消えた人間が見つけられるわけないだろ?」


 陰陽師は超能力者ではない。その部分を殊更強調して、魁は呆れた顔のまま言ってのけた。


 そもそも陰陽師というものは、本来は平安時代に確立された学者のような立場の人間だ。天文学や風水術に精通した彼らの仕事は、主に朝廷の命令により、暦を作るというものである。要はカレンダー職人のようなもので、占いや幽霊退治は本来の仕事ではない。


 彼らにゴーストバスターのイメージを植え付けたのは、昨今のメディアの影響によるものが大きい。説話の中では超能力者のように描かれる、かの安陪清明でさえ、本来は学者兼秘密警察のような立場の人間だったのではないかと考えられている。彼は超能力を持っていたわけではなく、朝廷から差別の眼差しを向けられていた下層市民の内部にまで通じる人的ネットワークを持っており、それらを駆使して朝廷の政敵の動きを監視していたとさえ言われている。


 魁にしても、陰陽師を霊能力者扱いする大衆のイメージに乗っかって仕事をした方が、金を稼げるというだけである。彼とて最初から幽霊退治の専門家だったわけではない。


 今でこそ、向こう側の世界・・・・・・・の住人達と渡り合うだけの力を持っているものの、これも彼自身の持っていた、一種の潜在能力に起因する部分が大きいと言える。生まれつき、何の霊能力も持たない人間が天文学や風水術をかじったところで、誰もが彼のような霊能力を兼ね備えた陰陽師になれるわけではないのだ。


 一部、自分で撒いた種とはいえ、さすがに魁も亜衣の持っている妙なイメージには苦笑せざるを得なかった。彼女が何を思って自分を呼びだしたのかは知らないが、陰陽師と超能力者を混同されては困りものだ。


 もっとも、それでも一度は引き受けた仕事。こちらのやり方に文句をつけるようでなければ、これ以上は無知な女子高生を糾弾していても始まらない。


「まあ、どんな件であれ仕事は仕事だ。とりあえず、例の外法使いの少年の家に、君達が案内してくれないか? そこに何か残されていないか……まずは、それから始めよう」


「オッケー! だったら、犬崎君の家には私が案内するね。前に照瑠と一緒に行ったことあるから、場所は覚えてるよ」


 再び先ほどの調子を取り戻し、亜衣は駅前から住宅地へと続く道を指差して叫んだ。その後ろで呆れた顔のまま苦笑している魁がいたことに、彼女はまったく気づいていなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 亜衣達が紅の家に着いた頃には、既に日が陰り始めていた。


 紅の家がある場所は、駅前から離れた寂しい住宅街。その上、彼が住まいとしていたところは、街でも有名な幽霊屋敷。どうやら心霊スポットマニアや廃墟マニアの間では名の知れている場所らしく、以前、亜衣がここを訪れた際に、紅の口から不法侵入者を何人か追い払ったというような話も聞かされていた。


 老朽化が進み、さしたる手入れもされていないであろうことを思わせる、赤錆びまみれの古い門。その脇に、カマボコ板を加工して作った、間に合わせの表札が貼られているのも見える。何もかも、照瑠と一緒に訪れたときのままだ。


「ねえ、亜衣ちゃん……。ここが本当に、あの犬崎君の家なの?」


 どう見ても廃墟にしか見えない家の様相に、何とも言えぬ嫌な物を感じ取ってしまったのだろうか。少しばかり怯えた顔をして、雪乃が亜衣に訊ねた。


「うん、そうだよ。そこに表札が出てるじゃん」


「でも……。どう見ても、誰も住んでいないようにしか見えない家よ、ここ……」


「それは仕方ないよ。犬崎君、家の外観とか、そういったところは無頓着だからね。まあ、確かに昔はお化け屋敷だったのかもしれないけど、今は大丈夫だと思うよ。家に漂ってた浮遊霊は、全部犬崎君が追い払ったって言ってたし」


「お、追い払ったって……。なんだか、それも少し可哀想な気がするわね」


 何も知らない者が聞いたら耳を疑いたくなるようなことを、亜衣は平然と言ってのける。雪乃も亜衣の性格は知っているつもりだったが、これには少々引いてしまった。心霊現象に関しては肯定的な考えを持っていたが、さすがに今の話は、少しばかり度が過ぎると思っていた。


 幽霊を追い払い、自らがお化け屋敷の主となる。知らない者が聞けば、鼻で笑ってしまうような話だろう。現に雪乃とて、多少は亜衣の誇張が入っているのではないかと勘繰ったくらいだ。


 ところが、そんな彼女とは正反対に、魁と総司郎は無言のまま屋敷を見つめていた。


「ねえ、総ちゃん。この屋敷……確かに見てくれはお化け屋敷みたいだけど、何か感じる物はあるかい?」


「いや、ないっすね。人間は勿論、一匹の幽霊もいないっす。そういう意味では、完全なる空き家と言っていいかもしれないっすね」


「なるほど。すると、そこのおチビちゃんが言ってることも、強ち嘘ではないってことか……」


 亜衣を横目で見ながら、魁は独り納得したような顔をして口元に手をやった。身長のことを言われて不服そうにしている亜衣を他所に、そのまま赤錆びの目立つ門に手をかける。


 金属の軋む嫌な音がして、門が静かに開かれた。こうして改めて見ると、やはり紅の住んでいた家は酷く痛んでいる。立て直す気がないのか、それとも最初から仮住まいのつもりだったのか。どちらにせよ、こんなボロボロの家をわざわざ選んで住もうなどという考えは、魁には到底理解できない。


 古びた門をくぐり、更にその奥にある扉に手をかけると、魁はそれを何の躊躇いもなく開け放った。その瞬間、中からぞっとするほど冷たい空気が溢れて来て、思わず顔を震わせた。


 寒い。外は既に初夏だというのに、この屋敷の空気はまるで冬だ。


 屋敷の空気が冷たいのは、単にここが古く痛んだ家だからだろうか。それとも、犬崎紅のような外法使いが住んでいたために、屋敷の中に漂う気もまた、暗く冷たい物に変化してしまったのだろうか。


 恐らくは、そのどちらでもない。先ほど、総司郎の言っていた言葉を思い出し、魁は確信を持って断言する。


 この屋敷には、人間はおろか幽霊さえもいない。生者も死者も、およそ意識や感覚を持っている者が誰もおらず、完全に空っぽの空間となっている。


 この場所を一言で言い表すならば、まさしく虚ろという言葉が良く似合った。以前、紅が住んでいた際は、そんなこともなかったのだろう。どんな者であれ、生きた人間が一人でも住んでいるのであれば、そこには生者の営みの跡が残る。ここまで冷たく肌寒い気が充満するなど、決して考えられることではない。


 やはり、あの少年はここにいない。霊的な存在を感知することができないことからして、彼の影に潜んでいた者も、一緒に姿を消したようだ。


「それじゃ、とりあえず中を探ってみようか。この家の持ち主には悪いけど……何か手掛かりになりそうな物があったら、それぞれ持って来るように」


 後ろを振り向き、魁は自分の後に着いてきた亜衣や総司郎達に向かって言った。ほとんど空き巣に等しい行いに、雪乃だけでなく亜衣までもが苦い顔をした。


 だが、それでも、背に腹は代えられないという言葉もある。どのみち、紅の居場所を探るための鍵が残されている場所は、この屋敷くらいしか思いつかない。照瑠が見つけた写真以外に、何か彼に近づくためのヒントがないかどうか。今から、それを探すのだ。


 魁の指示のもと、亜衣と雪乃、それに総司郎の三人は、それぞれがバラバラに屋敷の中を探索することになった。一階は亜衣と雪乃が、二階は総司郎と魁、それに浩二が担当する。


 人の手が入っている一階に比べ、どのような状態になっているか不明な二階の方が、危険な場所があるかもしれないという魁の判断だった。浩二はともかくとしても、雪乃や亜衣のような少女に、たかだか物探しで妙なリスクを追わせたくないという考えもある。


 階段の軋む音を後ろに聞きながら、亜衣と雪乃は互いに黙って頷いた。とりあえず、この家で紅に繋がる何かを探す。もしくは、照瑠が見つけたような、事件に関する何かを見つける。全ての話はそれからだ。


 まず、二人は照瑠が写真を見つけたという、ソファーの置かれた居間へと入った。この部屋には亜衣も以前に来たことがあるため、なんとなくだが部屋のことを知っている。


 扉を開けると、部屋の中はがらんとしていた。床や壁は最低限の掃除がなされているものの、天井までは行き届いていない。相変わらずクモの巣が張られ、ひびの入った窓ガラスがガムテープで補修してあるのが見える。


「なんか、前に来た時よりも寂しい感じだね。まあ、とりあえずは何か探してみるとしますか」


 そう、自分に言い聞かせるようにして、亜衣は雪乃と一緒に部屋の中を物色し始めた。もっとも、元より物がほとんどない部屋である。何かを探そうにも、ほとんど目に着くものがない。


 照瑠は写真が壁に貼られているのを見つけたようだが、今はその写真もない。黄色い染みの目立つ壁も、かつては純白の美しさを保っていたのだろうか。ところどころに汚れの目立つ今となっては、もはや見る影もない。


 本棚の中も探してみたが、これも無駄足だった。棚の大きさに比べ、本など数えるほどしかない。しかも、その全てが筆で書かれた古文書のような物だ。恐らくは経文か、もしくは何らかの民族学的な資料のような物だろう。あるいは、紅の家に代々伝わる、外法について書かれたものだろうか。


 どちらにせよ、これは紅に繋がるヒントにはならなそうだ。本を手に取った瞬間、かなりの埃が舞ったことで、これらがほとんど動かされていなかったことは容易に想像できる。


 それに、仮にこれが何かのヒントであったとしても、中身を読むことができないのでは意味がない。亜衣も雪乃も古文は得意ではなかったし、江戸か室町か、果てはそれ以前の時代に書かれたであろう筆文字など、読もうにも読めないというものだ。


 ここは駄目だ。照瑠が見つけた写真以外、この部屋に見るべきものはない。


 仕方なく、亜衣と雪乃は部屋を後にし、それから一階にある他の部屋を探して周った。一見して廃墟のような家ではあるものの、それでも紅が暮らしていたからだろうか。洗面所や風呂場、台所などは他の部屋に比べてもきれいで、そのまま使用することができた。和室のような部屋もあったが、布団が敷きっぱなしにしてある以外は、特に汚い印象もなかった。


 穴の開いた襖に手をかけ、亜衣は和室の押入れをそっと開けた。多少、カビ臭い空気が鼻を刺激したが、その他には変わったこともない。押入れの中は思った以上に空っぽで、代えの布団と何やら意味不明なガラクタの入ったダンボール箱が一つ出て来た以外には、やはり何も見つけることができなかった。


「う~ん、駄目だこりゃ。思った以上にな~んにもないよ」


 敷きっぱなしの蒲団の上に腰を降ろし、亜衣が降参するように両手を上げた。雪乃も雪乃で、これ以上はどこを探すべきか、良い考えが浮かばないようだった。


「どうする、ゆっきー? このまま下で、長瀬君や御鶴木先生達を待ってようか?」


「そうね……。でも、やっぱり待っているだけじゃ駄目だと思う。怒られるかもしれないけど……私達も、二階の方を探してみない?」


「二階を!? だけど、二階は殿方が現在進行形で探索中ですぞ? 私達が行っても、却って邪魔になるんじゃない?」


「それは、確かにそうかもしれないけど……。それでも、もしかしたら、何か見落としているかもしれないでしょ?」


「う~む……。そう言われると、そうかもしれませんなぁ……。御鶴木先生はいいとして、長瀬君は、物探しって下手そうだもんね。それに、先生の付人の……確か、弓削さんとか言ったかな? あの、ゴリラみたいなごっつい人、目が悪いって話を聞いたこともあるしね」


「そうなんだ。だったら、尚のこと私達も協力しないと駄目だよね」


 服の裾についた埃を払い、雪乃が妙にやる気のある瞳を亜衣に向けて来た。普段の大人しい様子からは、およそ想像できない姿だ。アイドルとして、舞台で歌って踊っている時に見せる、観客を魅了するような瞳にも似ている。もっとも、今は完全にオフな時間帯のため、それが雪乃の見せる営業用の顔とは違うことくらい、亜衣でもわかる。


 何があったのかは知らないが、今日の雪乃は随分と積極的な部分がある。幼馴染の知らない一面を垣間見て、亜衣はなんだか不思議な気持ちのまま、背伸びをして布団の上に立ち上がった。


「それじゃ、ここはゆっきーの言う通り、私達でも二階を探ってみるとしますか。でも、何があるかは私も知らないから、あまり勝手に先に進んで、怪我なんかしないようにね」


 亜衣が、ちらりと目を上にやって雪乃に言った。雪乃もそれに、軽く頷いて答える。そのまま二人は部屋を抜け、二階へと続く階段へと足を伸ばした。


 木製の古びた階段は、思った以上に痛んでいた。一段踏むごとに、ぎしっという嫌な音がして背中に冷たい物が走る。さすがに階段を踏み抜くようなことはないのだろうが、それでも、万が一ということもある。慎重に足下を確認しながら、二人は踊り場を抜けて二階の廊下へと辿り着いた。


 二階は一階にも増して、老朽化が進んでいるようだった。どうやら紅も、こちらの階はほとんど使っていないらしい。下の階とは明らかに異なる埃の積もりようと、割れた窓ガラスがそのままになっていることからも、それが窺える。


 部屋の数は、合わせて四つ。内、奥の二つは扉が半開きになっている。魁や浩二の姿が見えないことからして、彼らは奥の部屋を探索しているということだろうか。


「ねえ、亜衣ちゃん。どこから調べようか?」


 改めて訊く必要などないのに、雪乃が亜衣に訊ねた。階下の部屋とは明らかに異なる雰囲気に、気押されしているのかもしれなかった。


「う~ん……。とりあえず、手前の部屋から調べて行くしかないでしょ。たぶん、長瀬君たちが調べ終わった後だろうとは思うけど……見落としているものとか、あるかもしれないからね」


「そうね。だったら、私は右の部屋を調べるわ。亜衣ちゃんは、左をお願いね」


「オッケー。でも、くれぐれも注意しないといけませんぞ。いくら犬崎君が使っていた家だからって言っても、ボロいのは変わりないんだからね。下手に動き回って、怪我なんかしないように気をつけて」


「うん、わかってる……。亜衣ちゃんの方こそ、無理して変な隙間とかに入ったりしたら駄目だよ」


「むぅ、失礼な! いくら私でも、自分の頭やお尻がひっかかるような大きさの穴には、首を突っ込んだりしませんぞ」


 雪乃に子どもように扱われたことで、亜衣が顔を膨らませて憤慨した。雪乃はそれを見て、くすくすと笑っている。


 そう言えば、まだ二人が小学校くらいだった頃、こうしてよく一緒に遊んだものだった。行動力は亜衣の方が上だったが、それだけに妙な遊びに手を出して、失敗することも多かった。そんなとき、決まって亜衣のことを心配してくれたのは、他でもない雪乃ではなかったか。


 結局、アイドルデビューして上京しようと、自分と雪乃の関係は変わらないのだ。なんだか妙に嬉しくなる亜衣だったが、気を取り直して顔をはたく。


 残念ながら、今は感傷に浸っている場合ではない。つまらんノスタルジーにはまるくらいなら、紅や呪いのビデオに映っていた土地――――例の三本脚の鳥居のある場所である――――に関する情報を、少しでも得ることの方が重要だ。


 雪乃が手前の部屋に入って行くのを見て、亜衣も反対側の扉に手をかけた。重たそうなこげ茶色の扉は、その見た目とは反対に、実に軽く乾いた音を立てて開け放たれた。


「さあて、と……。ここは、いったい何の部屋でございましょうか?」


 扉の隙間から首だけを突っ込んで、亜衣はそんなことを口走りながら部屋の中を覗いてみた。部屋の中は思った以上に暗く、湿って埃っぽい。


 長年、部屋が使われていないことは、亜衣の目から見ても明らかだった。部屋の床にはいくつかの足跡がついていたが、これは恐らく浩二か魁が部屋に入った際についた物だろう。少なくとも、紅がこの部屋を使っていたとは到底思えない。


 さすがにこんな部屋には、紅に辿り着くためのヒントもないのではないか。一瞬、そんな考えも頭をよぎったが、万が一ということもある。埃の積もった部屋の中へ、亜衣は意を決して足を踏み入れた。


「うぷっ……! 凄い埃だね、こりゃ。一年やそこら、掃除してないってレベルじゃないよ、これ……」


 部屋に入るなり舞い上がった埃の洗礼を受け、亜衣は目と口、それに鼻まで押さえて悪態を吐いた。とてもではないが、こんな状態では長くは部屋にいられない。歩くだけで埃の舞い上がるような部屋にいつまでもいて、気管支炎にでもなったら洒落にならない。


「ぶぇぇ……。できることなら、さっさと調べて退散したほうがよさそうだね……」


 口の中に入った埃を吐き出して、亜衣は涙を擦りながら部屋の奥へと進んで行った。今度は埃を立てないよう、最新の注意を払いながら。


 暗がりに目が慣れてくると、亜衣にも部屋の全容がだんだんとわかってきた。どうやら部屋は書斎のようで、使われなくなってから長いようだ。書棚には一冊の本も無く、部屋には空っぽの棚と机が置かれているだけである。書棚に積もった埃はクモの巣と一体化し、白い綿のようになって、あちこちから垂れ下がっている。


 まるで、絵に描いたようなお化け屋敷の一室だ。ここまで酷く痛んでいるということは、やはり使われなくなった古いということだろうか。


 部屋の奥に置かれた机の前に立ち、亜衣は何気なく、その上に積もっていた埃を指でなぞった。ほんの少し触れただけなのに、指先に灰色の塊が山になってうんざりする。


 再び机に目をやると、そこには確かに自分の指で埃の上をなぞった跡が残されていた。が、それでも机の表面は見えず、まだうっすらと埃が積もっている。いったい、どれだけの年月を放置されれば、こんなに埃が溜まるのか。今一度、この屋敷がいつ頃から空き家になったのか、調べてみたいという好奇心が湧いてくる。


「ふぅ……。やっぱ、この部屋はハズレですかねぇ? こんなに汚いんじゃ、さすがに犬崎君だって、使っていたわけじゃなさそうだし……」


 こんな埃だらけの部屋、とっとと退散してしまいたい。半ば自分に対する言い訳を正当化させるように、亜衣は呟きながら引き返そうとした。


 ところが、亜衣が正に踵を返そうとしたその瞬間、何やら奇妙な物が彼女の視界に入り込んだ。不思議に思って目を凝らすと、どうやらそれは一冊の手帳のようだった。


 この屋敷の前の持ち主が、忘れて行ったものだろうか。ふと、そんな考えが頭に浮かんだが、直ぐにそれが間違いであると気がついた。


 手帳の上には、部屋の中に積もっているような埃がほとんどない。それこそ、昨日か一昨日辺りに置かれたのではないかと思うほど、やけにそこだけが小奇麗なのだ。


 試しに手帳を取ってみると、亜衣の考えは確信に変わった。手帳の下から出てきた机の面は、他の場所と同じように埃だらけ。もし、この手帳が前の持ち主の忘れものであるならば、机と同じように埃に埋まってしまっていたはずだ。


 だが、それにしては、この手帳はそこまで汚れていない。いや、汚れていないどころか、奇妙なまでに綺麗過ぎる。手帳の表ではなく裏に埃がついていることからも、これが何者かの手によって、後から置かれた物であることは明白だった。


 いったい、この手帳はなんだろう。己の好奇心が命ずるままに、亜衣は手帳を開こうとする。黒い合皮で作られた、固く冷たい手帳の表紙。そこに指先をかけた瞬間、彼女は軽い悲鳴と共に、持っていた手帳を取り落とした。


「ひゃあっ!!」


 柄にもなく、やけに甲高い悲鳴を上げて、亜衣はその場に尻もちをついた。大量の埃が舞って彼女を包んだが、そんなことはどうでもいい。今はそれよりも、あの手帳の表面に現れたもの。それを間近で見てしまったことが、亜衣にとっては恐ろしかった。


 彼女が手帳を開こうとした際、そこに現れた物。それは、紛れもない二つの目玉だった。合皮で作られた手帳の表面に、それこそ、まるで今まで瞑っていたまぶたを開くようにして、唐突に二つの眼球が現れて彼女を睨んだのだ。


 ほんの一瞬の出来事だったが、それでも亜衣は、手帳の上に現れた目玉が、こちらを睨みつけたような気がしてならなかった。じっとりと、まるで舐めまわすようにして、二つの目玉は確かに亜衣を睨んだ。


 暗く、陰湿で、それでいて恐ろしいまでの悪意を併せ持つ。痴漢や変質者に見つめられたときよりも気持ち悪い、今までにない寒気が全身を走った。


「おい、大丈夫か!?」


 突然、部屋の扉が乱暴に開け放たれて、浩二が叫びながら飛び込んで来た。その後ろには、雪乃や魁、それに総司郎の姿も見える。亜衣の悲鳴を聞きつけて、慌てて集まってきたようだ。


「しっかりしろ、嶋本! いったい、何があったんだよ!?」


「あ……な、長瀬君? あの……あの、手帳が……」


 震える指で、亜衣は手帳を指差しながら浩二の腕をつかんだ。普段は決してこんな素振りは見せないが、今日は完全に好奇心よりも恐怖の方が上回っていた。


 亜衣の指差した方向に顔を向け、浩二はその先にあった手帳を難なく拾い上げた。これが、いったいどうしたんだ。そう言わんばかりの表情で。


 そこにあったのは、何の変哲もない黒い合皮の表紙を持った手帳だった。先ほど自分が見た物は、幻覚の類だったのだろうか。そう思って気持ちを切り替えようとする亜衣だったが、直ぐにあの二つの目玉が頭の中で再生され、思わず手帳を持った浩二から離れて後退った。


「なあ、嶋本。この手帳……いったい、どこから見つけたんだ?」


 手帳についた埃を払い、浩二が怪訝そうな顔で亜衣を見る。その声に、少しは安心したのだろうか。亜衣もなんとか平静を取り戻し、服に着いた埃を払って立ち上がった。


「そこの、机の上に置いてあったんだよ。なんか、置かれてから日が経ってないみたいで……そんなに埃、被ってなかった」


「へぇ……。俺が調べたときには、こんなもんあったのに気づかなかったな。まあ、埃がウザくて直ぐに部屋を出ちまったから、見つかんなくても無理ねえけど」


 そう言いながら、浩二は手帳のページをパラパラとめくって中身を確かめた。中に書かれている内容は、意味不明の落書きのような物ばかり。それ以外は白紙の部分も多く、アドレス帳に至っては空っぽのままだ。


 この手帳は、いったい何のために机の上に置かれていたのだろう。その理由までは、さすがに浩二にもわからない。それに、中身を確かめてみても、紅に繋がりそうな情報も無い。


 結局、ここまで来て空振りのまま終わるのか。半ば諦めかけたとき、浩二が何気なくめくった次のページから、するりと何かが抜け落ちた。


「なんだ、こりゃ? こいつ……何かの地図か?」


 抜け落ちた紙を、怪訝そうな顔をして浩二は広げた。四つ折りにされた紙を開くと、そこにあったのは地図だった。


 比較的新しい、書店でも買えそうな地形図の一部。場所は東北地方の物のようで、その一部を切り取り、畳んで手帳に挟んでいたようだ。地図には赤い色で×の字がつけられており、そこは山と山が深く入り組んだ場所になっている。


 この×の印は、いったい何を意味している物なのだろう。不思議に思い、更に地図の中身を覗きこむ浩二。すると、×印の近くに書かれていた地名の一つが目に入り、浩二は思わずそれを声に出して読み上げた。


「えっと……。これ、何て読むんだ? ヨルと……ハラと……真ん中の一個は、正直わかんねえ」


「ヨルとハラ!? ちょ、ちょっと待ってよ、長瀬君! その手帳、もう一回だけ私に見せて!!」


 浩二の言ったヨルやハラという言葉。それに食い付くようにして、今まで意気消沈していた亜衣が、普段の調子を取り戻した。先ほどまでに、今日に歪んだ表情は既にない。ただ、自分たちが紅に繋がる何を手に入れられたことが、彼女の気分を必要以上に高揚させていた。


 手帳に×印と同じ赤い色で書かれた謎の文字。そこには照瑠と美月が見つけた写真の裏と同様に、≪夜魅原≫という地名だけが書き記されていた。

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