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~ 弐ノ刻   追跡 ~

 列車を降りて火乃澤駅のホームに立ったところで、心地よいそよ風が流れて来た。


 右手で髪をかき上げる仕草と共に、鳴澤皐月なるさわさつきは左手に嵌めた時計へと目をやった。


「ふう……。予定より、ちょっと早く着いちゃったわね」


 そう言いながら、皐月は足下に置かれた頑丈そうなアタッシュケースを手に取って、そのまま真っ直ぐ歩き始めた。ヒールのかかとがコンクリートを叩く音が、やけに甲高く響いている。背筋を伸ばし、早足で歩いているためだろうか。


 途中、駅の改札に向かうまでに、すれ違った何人かの男が皐月をまじまじと見た。


 黒いスーツに身を包んではいるものの、皐月のスタイルの良さはその上からでもわかる。一般女性のそれと比べても大きめの胸を持ち、それでいて下品な印象は与えない。腰は細く引き締まり、腕も脚もスラリと長く伸びている。小顔で整った顔立ちの中に、大人の色気を感じさせる目鼻を持っている。


 彼女の耳と胸元には、それぞれ紫色のアクセサリーが輝いていた。アメジストを加工した、彼女お手製の物だ。田舎街の駅を歩くには、これまた人目を引いてしまう格好である。彼女のような女性に免疫のない田舎の男たちが目を奪われてしまうのも、仕方のないことと言わざるを得なかった。


 改札を抜け、皐月は駅前の噴水の前で立ち止まった。周りの目など、最初から気にしてはいない。横目で鑑賞するくらいしかできない男たちになど、端から興味など持ってはいない。もっとも、ここで身の程を弁えずにナンパなどして来ようものならば、肘鉄を食らわせて軽くあしらってやろうとも思っていたが。


 再び、風が頬を撫でた。桜の季節は終わり、徐々に緑の葉が生い茂る季節になろうとしているというのに、この街の風はどこか涼しげだ。豪雪地帯として有名な東北地方だけに、まだ少しだけ、冬の風の色が残っているのだろうか。


「すいません! 遅くなりました!!」


 風が収まると同時に声がして、皐月は声のした方へと顔を向けた。少女が二人と少年が一人、彼女の前に息を切らせて走り込んで来る。九条照瑠、嶋本亜衣、そして長瀬浩二の三人だ。皐月は浩二と面識はなかったが、彼が照瑠の友人であることくらいは既に想像がついていた。


「あら、そんなに慌てなくても大丈夫よ。私も、今しがたこっちに着いたばっかりだから」


 いつになく柔らかい表情になって、皐月が少女達に言った。自分の信頼している者にしか見せない、随分と砕けた笑顔だった。


「ところで……早速だけど、紅ちゃんがいなくなったって、本当なの?」


 呼吸が整ったことを確認して、皐月が照瑠に訊ねた。


「はい……。昨日の夜、私が電話で皐月さんに話したことが全てです。あいつは……犬崎君は、私たちに何の連絡もなく、姿を消してしまったんです……」


「何の連絡もなく姿を消した、か……。確かに、紅ちゃんらしくないわね」


 口元を指で隠すようにして、皐月もしばし押し黙る。


 紅のことは、皐月も昔から良く知っている。まだ、彼が小学生ぐらいだった頃から、皐月はよく彼の故郷である土師見村はじみむらを訪れていた。


 皐月の仕事は退魔具師たいまぐし。表の顔は宝石店の店長だが、本業は幽霊や妖怪のような存在と戦うための、特殊な武器を作るのが仕事である。紅が向こう側の世界・・・・・・・の住人と戦う戦士だとすれば、皐月はどちらかと言うと、武器職人のような位置づけにある。


 彼女と紅の関係は、実は二人の両親の代にまで遡る。皐月の父と紅の母は、かつては共に仕事をする仲間だった。皐月も紅の母親とは面識があり、幼い頃から彼女のことを姉のように慕っていた。故に、皐月は紅の幼い頃からの知り合いであり、同時に彼が信頼を寄せる数少ない人間の一人なのだ。


 そんな皐月にとっても、今回の紅の行動は、確かに疑問が多く残るものだった。


 皐月が九条照瑠から連絡を受けたのは、昨日の夜のことだ。なんでも、あの犬崎紅が、何の連絡も告げずに忽然と消えたらしい。その他、彼女の身の回りでも恐るべき心霊事件が起きていると聞き、皐月はとり急ぎ始発の急行の切符を買って、火乃澤町まで飛んで来たのである。


 以前、紅がこの火乃澤町を一時的に離れた際、彼は皐月に自分の代わりを頼んできた。皐月と照瑠はそこで知り合い、名家の因習と骨肉の争いが引き起こした悲劇、≪君島邸事件≫を解決したのだ。


 ところが、今回に限っては、紅は皐月にさえ自分の行方を知らせていなかった。昨晩、照瑠から急な連絡をもらい、その事実を知ったというのは記憶に新しい。照瑠とは半年以上も連絡を取っていなかっただけに、彼女の口から語られた言葉を聞いたときには、直感で嫌なものを感じ取っていた。


「おい、九条。この人が、お前の言っていた霊能力者の女の人なのか?」


 照瑠と皐月が互いに黙ってしまったことで、早くもしびれを切らしたのだろうか。照瑠の横にいた浩二が、胡散臭そうな目で皐月を見た。


「あら、何かしら? なんだか、私のことが信用できないって顔してるわね?」


「いや……。別に、そんなんじゃないけどさ……。ただ、九条からは犬崎の知り合いって聞いてたからな。まさか、こんなスゲー美人が来るなんて、ちょっと予想外ってだけで……」


「それはどうも、ご親切に。でも、こう見えても、私だって普通の人よりは強い力を持っているわよ。少なくとも、テレビに出て適当なことばっかり言っている、インチキ霊能力者なんかよりはね」


 皐月の口元がにやりと曲がる。その、何とも言えぬ大人びた雰囲気に、さすがの浩二もそれ以上は何も言えなかった。遊び人を気取っているものの、年上の女性には免疫がない。そんな一面を知られてしまったことが、少しばかり恥ずかしかったのかもしれない。


「さて……。詳しい話は、そこの照瑠ちゃんから聞いたわよ。なんでも、あなた達のお友達が呪いのビデオにやられたとかで……。それで、紅ちゃんの力を借りようとしたけれど、彼はいなくなっていた。そういうことで、間違いないわね?」


「はい。呪いを受けたのは、私と亜衣と……後は詩織っていう私の友達で……そこにいる、長瀬君の彼女なんです」


「なるほど。それで、その彼女さんだけが特に酷い霊傷を負わされて、未だに昏睡状態になっているってわけか。まだ、実際にその子を見たわけじゃないから何とも言えないけど……正直、そんなビデオを送りつけるなんて、かなりの力を持った人間が動いているようね」


 皐月の顔が、徐々に険しい表情に変わってゆく。退魔具師という仕事柄、彼女は呪いの道具に関する知識もまた豊富にある。その彼女からしても、今回の照瑠達を襲ったビデオの呪いは、実に強力な物だと言わざるを得なかった。


 ほんの少し見ただけで、場合によっては相手の魂の芯まで蝕んで死に至らしめる恐るべき呪術。実際のビデオを見たわけではないために、そのメカニズムまでは皐月にもわからない。が、そのビデオの映像に込められた邪念の強力さは、彼女も十分に理解していた。


「ねえ、九条さん。あなた、昨日の電話で紅ちゃんの部屋から変な写真が見つかったって言ってたわよね。それ、今も持っているかしら?」


 真剣な表情を崩さずに、皐月が再び照瑠に訊ねる。その言葉に、照瑠は自分の鞄を開けて、中から一枚の写真を取り出して見せた。


 薄暗い、森のような場所を背景に立つ、三本脚の奇妙な鳥居。この写真が、照瑠達に送られたビデオの中にあった映像と同じであるものということは、既に皐月も照瑠に連絡をもらった際に聞いていた。


 そんな写真が、なぜ紅の部屋にあったのか。さすがにそこまでは、現時点では皐月にもわからない。だが、この写真が今回の事件と紅を繋ぐ、唯一の鍵であることは間違いない。


 恐らく、照瑠はこの写真を使って、紅を探して欲しいと思っているのだろう。霊能力者としての皐月の力は、主にフーチを使ったダウジング。幼い頃から、皐月は振り子を持ち歩き、困ったときには振り子に意識を集中して答えを導き出していた。その能力は今もなお顕在で、簡単な人探し程度であれば造作もなくできる。


 もっとも、そんな皐月ではあったものの、今回ばかりは少々荷が重いと感じていた。


 彼女の能力で察知できる範囲は、せいぜい一つの建物程度が限界だ。道具さえ工夫すれば、場合によっては村一つ分くらいの捜査もできるが、これは皐月自身もかなりの力を消耗する。増してや、捜査の範囲が日本全国となってしまえば、さすがに皐月でも探し出せない。


「とりあえず、この写真だけじゃ何もわからないわね。残念だけど私の力じゃ、これだけで紅ちゃんを探すのは不可能だわ」


「そ、そんな……。それじゃあ、もう犬崎君を探す方法はないってことなんですか!?」


「まあまあ、そんなに慌てないの。確かに私一人の力じゃ無理だけど、助っ人がいれば、そうでもないかもしれないわよ」


「助っ人……ですか?」


「そういうこと。私が留守の間、東京のお店を任せている子なんだけど……ある意味では、私なんかよりも、よっぽど強力な力を持った子よ」


 受け取った写真を照瑠に返し、皐月は悪戯っぽく笑って見せた。最後の最後まで、なかなか真相を語らない。そんな皐月の態度を見て、照瑠はどうにも食えない人だと改めて思った。


 皐月の力は、照瑠も≪君島邸事件≫の際の活躍で知っている。彼女の力は人探しだけに留まらず、時には自分の作った武器を用い、向こう側の世界・・・・・・・の住人達と戦うことさえやってのける。


 戦う力こそ紅には遠く及ばないのだろうが、皐月の戦闘力もなかなかのものだ。それこそ、見る者が見れば、道具職人などやらせておくには勿体ないくらいだと思うことだろう。


 そんな皐月が、自ら助っ人として呼んだ人間とは何者か。彼女が留守の間、東京にある店を任されているということは、その人物もまた、彼女のような退魔具師の一人なのだろうか。


「あの……皐月さん。その人って、いったいどんな人なんですか?」


「どんな人? そうね……。ちょっと変わった趣味の子だけど、彼女の力だけは本物よ。まあ、あなたも会えば、直ぐにわかるわ」


 ほんの少しだけ照瑠から視線を逸らし、皐月がはぐらかすようにして答えた。どうも、単に勿体をつけているわけではなさそうだ。できれば人前で、あまり大っぴらに言いたくない。そんな皐月の考えを、照瑠は敏感に感じ取った。


「とにかく、これ以上は立ち話していても時間の無駄ね。一度、どこかで落ち着きましょう。詳しい話は、それからってことで構わないかしら?」


「はい。それじゃあ、私たちの行きつけのお店に行くんでいいですか? たぶん、そこだったら、静かに話ができる席もあると思いますし……」


「そうね。だったら、あの子には私から連絡を入れておくわ」


 携帯電話を取り出して、皐月がなにやら片手でメールを打ちながら言った。片方の手だけで、それも画面さえろくに見ていないのに、よくもまあ手際よくメールが送れるものだ。この辺り、やはり都会で暮らしているからこそ成せる業なのだろうか。


 照瑠は自分では自分のことを、とりわけ田舎臭いと思ったことはない。しかし、東京などで暮らしている今時の女性からすれば、この火乃澤町に住んでいる高校生など、まだまだアナログな人間の集まりということなのかもしれない。


 なんだか妙な自己嫌悪が襲ってきて、照瑠は頭を振って今しがた浮かんできた考えを打ち消した。


 果たして、本当に皐月の言う助っ人とやらの力で、紅を見つけることができるのか。まだ結論など出ていないのに、妙な胸騒ぎがして仕方がない。


 逸る自分の気持ちを隠すようにして、照瑠は亜衣や浩二と共に、皐月を行きつけの甘味屋へと案内するために歩き出した。本当は、甘い物など食べている場合ではなかったが、何かしていないと落ち着かなくて仕方がなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夕暮れ前の甘味屋は、思いの外に空いていた。普段は部活帰りの学生で賑わっていることもあるが、学校が終わってから直ぐにこちらに来たからだろうか。今の時間、学生服姿の客は、照瑠達を除いていなかった。


 店の一番奥、窓際から最も離れた席を狙って、照瑠達はそこへ腰を降ろした。この席は、普段から照瑠や亜衣がお気に入りの席として使っている場所だ。入口や窓から遠いために、秘密の話も平気で話せる。こと、紅を心霊事件の依頼人に引き合わせるには、絶好の場所であると言えた。


 もっとも、今はその肝心な紅の姿がない。謎の写真を残して消えてしまった紅は、いったいどこで何をしているのか。


 目の前に置かれた餡蜜の山を眺めながら、照瑠は何を話せば良いのかわからなくなっていた。その横では、亜衣もまた不安そうに照瑠の様子を窺っている。普段であれば、誰よりも早く目の前の皿に食らいつく彼女であったが、今日に限ってはさすがに照瑠に気を使っているようだった。


「なあ、二人とも。黙ってないで、とりあえず何か食えよ。こっちから呼んでおいて、こんな態度取ったら、皐月さんにだって失礼だろ?」


 沈黙にたまりかね、浩二が少々いらついた様子でぼやいた。彼自身、こういった場や空気には、あまり慣れているとは言い難い。年上の女性が隣に座っていることも相俟って、浩二もまた、何とも言えぬやり難さを感じているようだった。


「あら、ありがとう。でも、別に気を使ってもらわなくったって大丈夫よ。それよりも、今は照瑠ちゃん達の不安な気持ちを察してあげる方が賢明じゃないかしら?」


 浩二の言葉を、皐月がさらりと流す。気遣いが裏目に回った様な気がして、浩二は思わず不満そうな表情を浮かべた。


「まあ……そっちが、そう言うならな……」


「素直じゃないわね。あなたこそ、自分の彼女さんが死にそうなんだから、もっと心配してあげたらどうかしら? 不安な気持ちを表に出すのって、別に悪いことじゃないと思うけど?」


「余計な御世話だよ、それは。俺だって、詩織のことはマジで心配してるさ。けど、俺がここで騒いだところで、何が変わるってわけじゃねえ。悔しいけど……俺には犬崎や九条、それにあんたなんかと違って、特別な力なんてねえんだしな」


 両手を頭の後ろで組み、浩二は投げやり気味に身体を後ろに傾ける。口では強がっているが、その奥には詩織を助けられない悔しさと憤りを隠しているのが十分にわかる。自分の彼女が生死の淵を彷徨っているというのに、自分には何もできない現実。そんなもの、ただの高校生が背負うにしては、あまりに理不尽な運命と言わざると得ない。


 この少年の彼女を助けたい。皐月は浩二の顔や言葉の裏に隠された想いを知って、改めて心の底からそう思った。犬崎紅の捜索に関係なく、この少年の彼女は救わねばならない。このまま彼の恋人――――照瑠の話では、加藤詩織とか言ったか――――が死んでしまえば、彼は心に一生癒えぬ深い傷を負うことになる。


 やはり、この事件を解決するためには、まずは肝心の紅を探しださねばならないだろう。全ての鍵は、消えた紅が握っている。これまでも様々な事件に関わってきた紅だが、彼が何も言わずに自分の信頼する人間の前から消えるなど考えられない。きっと、何か深い理由があるに違いなく、その理由を知ることが、真実へと近づくための道となる。


(それにしても……あの子、ちょっと遅いわねぇ。いったい、どこで油を売っているのかしら?)


 ふと、時計に目をやると、既に駅に到着してから三十分ほどが経過していた。駅からこの店までは、そう遠い距離ではない。迷うような道でもないはずなのだが、もしかすると、本当に迷っているのかもしれない。


 こんなことなら照瑠達に会う前に、先に駅で待ち合わせておけばよかったか。そんな考えが皐月の頭をよぎったとき、店の扉が唐突に開かれる音がした。


「いらっしゃいませ」


 店員の声に合わせ、扉の向こう側から栗色の髪の毛をした女性が入ってきた。胸元まで伸びた髪は、まるで渦巻貝のように、幾重にも巻かれて波打っている。


 どう見ても、閑静な田舎町には似つかわしくない都会的な風貌。しかし、その髪型や服装とは裏腹に、顔つきはどことなく素朴で、それでいて無邪気だ。年齢は明らかに二十歳を越えていそうなものだが、その顔はかなりの童顔である。落ち着きなく辺りを見回しているのを見ると、その精神年齢もまた、ともすれば顔と同じくらいに幼いのかもしれないと思えてしまう。


 彼女はしばらく辺りの席を覗いて周っていたが、やがて皐月と目が合ったことで、途端に笑顔になって走り込んで来た。店内を走ってはいけないなどという常識は、既に頭の中から消し飛んでいるようだった。


「きゃー、皐月お姉様ぁ!!」


 黄色く甲高い声をあげて、彼女は勢いよく皐月に飛びついた。腕を首の後ろに回し、皐月の胸元に顔をうずめて頬ずりしている。傍から見れば、いったい何事かと思うだろう。少なくとも、二人が何やら危ない関係であるような、そんな誤解を生んでしまいそうな光景ではある。


「はいはい、落ち着きなさい。こんなところで騒いだら、他のお客さんの迷惑でしょ」


 多少、鬱陶しそうにしながらも、皐月は手慣れた様子で自分に抱きついている女性の腕をふりほどいた。そして、未だ興奮冷めやらぬ彼女を隣に座らせると、なんとか落ち着かせた上で、再び照瑠達の方に向き直った。


「紹介するわね。この子が私の呼んだ助っ人よ」


周防芽衣子すおうめいこですぅ! 皐月お姉様とは、将来の契りを結び合った仲なんですぅ!!」


 元より大きな目を皿に大きく開き、芽衣子と名乗った女性が恥ずかしげもなく言った。あまりの出来事に、照瑠達は頭がついてゆけずに口を開けている。あの、都市伝説や下ネタ好きで変人な亜衣でさえ、その場の空気に飲まれて何も言えずに固まっている。


 いったい、この女の人は何なのだろう。そう、照瑠が思った矢先に、皐月の手が芽衣子の頭を軽く小突くようにして叩いた。


「いった~い!! ちょっと、何するんですかぁ、お姉様ぁ!?」


「何するんですか、じゃないわよ。あなたの性格は理解しているつもりだけど……それでも、人前では少し弁えなさいって言ったでしょ?」


「だってぇ……。お姉様、お店の方も留守がちにしているから、あまり好きな時に会えないしぃ……」


「そうは言っても、場の空気ってものがあるでしょう? 見なさいよ。みんな、ドン引きしてるじゃない」


 照瑠と亜衣、それに浩二のことを見回して、皐月が芽衣子をたしなめた。そう言われて、改めて硬直している照瑠達の方へと目をやる芽衣子。さすがにやり過ぎたと思ったのか、先ほどの勢いはどこへやら。急にしぼんだ風船のようになって、その場に小さく丸まってしまった。


「な、なあ……。もしかして、そこにいる人が、あんたが言ってた助っ人ってやつなのか?」


 恐る恐る、普段の彼からは想像もできない控え目な口調で、浩二が皐月に訊ねた。今しがた、この場に漂っていた辛気臭い空気は既にない。ただ、目の前の光景に、呆気に取られているだけだった。


「そうよ。一応、私から紹介しておくわね。彼女は私の助手で、周防芽衣子って言うの。私が仕事で東京の店を留守にしている間、その番を頼んでいる子なのよね」


「東京の店?」


「ええ。こう見えても、私の表の顔はジュエリーショップの店長だからね。まあ、仕事で色々と日本全国を周っているから、お店の方はほとんど芽衣子にお任せしているんだけど……」


「そ、そうなのか……。で、その芽衣子さんって人、いったいどんな人なんだ……」


「見ての通り、彼女は真性の同性愛者よ。もっとも、私にはその気はないから、さっきのはこの子が勝手に言ってるだけだけどね」


 先ほどの、将来の契り云々という話のことを言っているのだろう。あんな言葉さえもさらりと流してしまう辺り、皐月はかなり、芽衣子の扱いに手慣れている。


 だが、そんなことは、浩二の訊きたいことではない。確かに芽衣子の性癖や皐月との関係も気になるが、それは彼には理解できない世界の話だ。幽霊云々とは関係なく、何かもっと別の、決して触れてはいけない禁断の世界への入口を垣間見たと言ったところだろうか。


「い、いや……。俺が訊きたいのはそんなことじゃなくて……その、芽衣子さんて人が、犬崎を探したり詩織を助けたりすんのに、何の役に立つのかなって……」


「ああ、そうね。確かに、それを言わなきゃ始まらないわよね」


 皐月がにやりと笑う。含みのある、随分と勿体をつけた笑みだ。


「ねえ、君。サイコメトリーって能力、聞いたことない?」


 突然、皐月が浩二に向かって質問を投げかけてきた。質問に質問で返され、浩二は言葉に詰まって目を丸くした。


 いきなりそんな話をふられても、当然のことながら知るはずもない。浩二は元より、部活と遊びが好きな単なる高校男子に過ぎない。霊能力だの超能力だの、そういった類の話は専門外だ。


「あっ、私、知っているよ。確か……物に宿った記憶なんかを読み取って、自分の頭の中で映像に変える超能力だよね」


 浩二に代わって亜衣が答えた。さすがは都市伝説オタクで有名な彼女のこと。こういったオカルティックな話に関しては、浩二は元より照瑠よりも詳しい。


「正解よ。芽衣子の持っている力は、そのサイコメトリーに近い物なの。まあ、実際は何でもかんでも記憶を読み取れるわけじゃなくて、強い残留思念を込められた物に限定されるけどね」


「残留思念?」


「そう。ほら、私たち、ジュエリーショップなんかやってるじゃない。だから、時には宝石とかパワーストーンの鑑定なんかもするんだけど、そういうときには芽衣子の能力が役に立つのよ。石に込められた念のような物を鑑定するのは、残念だけど、私より芽衣子の方が才能あるからね」


「おお、なるほど。確かにパワーストーンの鑑定だったら、サイコメトリーが使えそうですな」


 皐月の言葉に、亜衣だけが独り納得した様子で頷いた。その横では、照瑠と浩二が未だにわけがわからないという顔をして首を傾げている。いきなり話が専門的になり、その中身についていけなくなっているようだった。


「ちょっと、亜衣。なんなの、そのサイコなんたらっての……」


「なんだ、照瑠は知らないんだ。サイコメトリーって言うのはね、さっきも皐月さんが言っていたみたいに、物に残された記憶を読み取る能力のことだよ。現に、アメリカの警察なんかでは、こういった超能力者を集めて捜査に役立てたりしているところもあるみたいだしね」


「超能力者って……。まあ、確かに霊能力も超能力も、普通の人からすれば似たようなものかもしれないけど……」


「あれ? もしかして、疑っているのですか、照瑠どの? でも、本気で犬崎君を探すんだったら、ここは皐月さんの言う通り、サイコメトリーの持ち主がいた方が心強いですぞ」


 未だ半信半疑な照瑠を他所に、亜衣だけが妙に気合を入れて力説している。いったい、紅を探すのと超能力に、何の関係があるというのか。疑問は湧いてくるばかりだったが、その答えを出したのは皐月だった。


「その子の言う通りよ、照瑠ちゃん。紅ちゃんを捜すには、残念だけど、私のフーチじゃ力不足。でも、芽衣子と力を合わせれば、それも可能になるわ」


「力を合わせる? どういうことですか、それ?」


「さっきの写真、まだ持ってるでしょう? あの、紅ちゃんの部屋に貼ってあったってやつ……。あれに残された残留思念を芽衣子に読み取らせて、そのビジョンを私が共有してフーチで探る。そうすれば、捜索の幅を全国レベルにまで広げることだって可能よ。個々の能力は限定的なものだけど、それを上手く組み合わせれば、可能性は広がるわ」


「えっ……。で、でも……あの写真、本当に読み取らせて大丈夫なんですか? あれ、私や詩織達を襲った、呪いのビデオにもあった場所みたいですし……」


 照瑠の顔に、急に影が射した。あのビデオを見たときの悪夢が思い起こされ、思わず身体に震えが走った。


 癒し手として覚醒しつつある自分でさえ、その邪気に抗うのが精一杯だった恐るべき負の波動。写真は霊害封じのような物が成されているようだったが、それでも邪悪な存在を納めた物であることに変わりはない。そんな物にやたらに触れて、本当にあの、芽衣子という人は大丈夫なのだろうか。


「不安そうね、照瑠ちゃん。だけど、それ以外に紅ちゃんを捜すための手段はないわよ。確かに危険な賭けだけど、他に方法は見当たらないわ」


「そんな……。いくらなんでも、危険すぎませんか?」


「大丈夫よ。ああ見えても、芽衣子だって素人じゃないんだし。それに、いざとなったら、あなたが芽衣子のことを癒してあげればいいんじゃない? 自分の中にある力、少しは使えるようになったんでしょう?」


「は、はい……。それは……そうですけど……」


 まだ、完全に決心はつかない。紅を探したいのは山々だが、そんな自分の勝手な都合で、皐月や初対面の芽衣子まで危険に晒すことが、果たして本当に正しいのか。答えを出せないまま、照瑠は自分の胸元で拳を握り締めて考える。


 自分の癒し手の力は、まだ完全なものではない。霊能力に関しても、紅と比べれば足下にも及ばない。そんな自分が、果たしてどこまで皐月や芽衣子の助けになれるか。できることなら、あの三柱の鳥居のせいで、これ以上の犠牲が出るのは避けたいと思う。


 もっとも、そんな照瑠の気持ちなどお構いなしに、芽衣子は皐月の隣で独り勝手に舞い上がっていた。


「きゃぁ~! 現役美人女子高生に癒されながら、皐月お姉様と意識の共有ができるなんてぇ~! ああ、もうたまらないですぅ! 鼻血が出ますぅ! 萌え死にますぅ!!」


 自分の頬に両手を当てて、陶酔したような表情を浮かべて叫ぶ芽衣子。本当に、この人に任せて大丈夫なのか。なんだか別の意味での不安も大きくなってきたが、照瑠は直ぐに首を横に振り、頭の中に浮かんできた雑念を打ち消した。


 詩織のためにも、今は紅を探さねばならない。彼の力なくしては、詩織にかけられた恐るべき祟りを解くことなどできはしない。


 だが、それ以上に、照瑠は自分自身のためにも、絶対に紅を探さねばならないと思っていた。紅が何らかのトラブルに巻き込まれ、何かの危険に遭っているというのであれば、なんとしてでも助けたい。彼の力になりたいという気持ちが、一段と強くなっている自分がいる。


 自分にとって、犬崎紅とは何なのか。照瑠自身、まだよくわからない部分もある。


 恋人というには、二人とも随分と長いこと時間を置き過ぎた。互いに距離を縮める努力もせずに、あくまで風変わりな友人として接していた。その上、共有した体験と言えば、呪いだの幽霊だのが絡んだ奇妙な話ばかり。少なくとも、一般の女子高生が抱く様な、甘く切ない展開とは程遠い。


 紅に対する照瑠自身の想い。それは一言で言うならば、絶対的な信頼のような物だと言えた。世間一般で言う恋人とは違うのかもしれないが、照瑠は紅に人間としてどこか惹かれる物を感じている。その上で、普段のぶっきらぼうな口調の裏に隠された、彼の本当の優しさを理解した上で交友関係を持っている。そういう間柄なのだ。


(私は犬崎君を探すって決めたんだ……。だったら、ここで引き下がったらいけないわよね……)


 決意を新たに、再び拳を握り締める照瑠。紅に対する自分の想いは、好きとか嫌いとか、そんな単純な話ではない。では、いったい何かと言われれば返答に困るのだが、それでも紅を探し、彼の助けとなり、最後は詩織も救いたい。それだけは、紛うことなき本当の気持ちだ。


「わかりました、皐月さん。写真は渡しますし、私も一緒に行きます。それで……いいんですよね」


「ありがとう、照瑠ちゃん。紅ちゃんも、いいお友達を持ったわね」


 一部の揺らぎもない真っ直ぐな瞳。そんな照瑠の眼差しを見て、皐月も納得したように頷いた。瀕死の詩織と消えた紅。絶望的な状況に変わりはなかったが、少しずつ、事態が動き出していることだけは確かだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夕暮れ時の甘味屋の奥で、浩二はコップの中の氷を噛み砕きながら悪態を吐いていた。長椅子に大きく足を投げ出して、後ろ手に腕を組んだまま壁にもたれかかっている。最近は不良っぽい言動や行動も抑えられていたが、それにしては、随分と態度が大きかった。


「畜生! やっぱ、納得行かねえぜ!!」


 氷を噛み砕くと同時に、浩二がテーブルを拳で叩く。食器が揺れる音がして、他の客の視線が一瞬だけ彼の方へと向けられる。


「ちょ、ちょっと長瀬君。あんまり物に八つ当たりするのは良くない気が……」


「んだよ、嶋本。だったらお前は、あいつらの決定に納得がいってんのかよ?」


 行動を窘められたにも関わらず、浩二は未だ不服そうな顔をして亜衣に訊ねた。さすがの亜衣も、残念ながら、これには黙って俯くしかない。浩二の気持ちを考えた場合、彼の怒りもわからないではない。


 あの後、照瑠と皐月、それに芽衣子の三人は、紅を探すために揃って店を出て行った。なんでも、この場所では落ち着いて鑑定もできないとのことで、より静かなところへ――――具体的には、照瑠の実家である九条神社へ――――場所を移したのだ。


 当然のことながら、亜衣も浩二も一緒に行きたいと申し出た。しかし、その申し出は皐月によって無残にも却下され、二人は店に置いてきぼりを食らってしまった。


 皐月の話では、今度の捜索はかなりの危険が伴う物になるかもしれないとのことだった。それ故に、何の力も持たない一般人を、これ以上巻き込むわけにはいかないという話だ。


 それを言うなら照瑠も同じではないかと抗議したが、既に照瑠は半年前の彼女ではない。昨年のお盆には、邪念の込められた呪札に触れただけで気分を悪くしていた照瑠だったが、力の制御をある程度できるようになった今となっては、あの程度の邪念なら簡単にはねのけられる。


 いつの間にか、照瑠は自分達と比べて随分と遠いところに行ってしまったものだ。柄にもなく、そんな寂しさをも覚えた亜衣だったが、浩二だけは完全に納得しているわけではなさそうだった。


「おい、嶋本。お前、なんか他にも霊能力者の知り合いとかいないのかよ。こんなところで待ってるだけなんて、正直、性に合わねえんだよな」


「で、でも……。確かに今回は、私も一緒に行くのはどうかと……」


「なんだよ。いつになく弱気じゃねえか。いつぞやの夜は、自分から廃屋の肝試しまで誘ってきたこともあるくせによ」


「あの時はあの時、今は今だよ。長瀬君は知らないかもしれないけど……正直、私や照瑠、それに加藤さんを襲った呪いのビデオ、マジでヤバかったんですぞ。照瑠があそこにいなかったら、今頃は私も加藤さんも死んでたかもしれないんだよ」


 普段の強気で饒舌な様子は、既に亜衣の中から消え去っていた。自分の身体の中を、黒く淀んだ物で穢されてゆく感覚。あんな物を体験してしまっては、さすがの亜衣とて怖気づく。都市伝説マニアを自称してはいるが、別に自分は霊感の類があるわけでもない。紅や照瑠とは違い、あくまで変わった趣味を持った、普通の女子高生に過ぎないのだから。


「まあ、確かにお前の言うことも、少しはわかんねえってわけでもないけどさ……」


 俯いたまま小さくなっている亜衣を見て、浩二も投げだしていた足を引っ込めて姿勢を直した。


「だけど、俺はやっぱり我慢ならねえんだよ。詩織があんな目に遭わされたってのに、自分は何もしないで、こうやって待ってるだけってのがな!!」


「そんなこと言ったって、仕方ないじゃん。私たちには照瑠や皐月さんみたいに、呪いを解いたり幽霊と戦ったりする力なんてないんだしさ」


「だから、そこを何とかならねえのかって聞いてんだよ。お前、≪人脈の亜衣ちゃん≫なんて呼ばれてんだろ? この際、霊能力者でも超能力者でも……それが駄目なら、マジシャンとか占い師とか、とにかく何でもいい! 誰か、俺たちに協力してくれそうなやつ、いないのか?」


「うぅ……。そんなこと言われても、本当にいないものはいないんだよ。都市伝説好きな友達なら何人か知ってるけど、霊感ある人なんて、私の知る中ではいないもん」


「んだよ。いつも偉そうなこと言ってる癖に、肝心なときにこれだぜ」


 両手を大きく上げて、浩二が乱暴に吐き捨てた。その言葉に、亜衣は一瞬だけむっとしたが、今の浩二の気持ちを考えると、何も言い返すことはできなかった。


 詩織と浩二は、今時珍しいまでの純愛カップルだ。それなのに、あのビデオを送ってきた人間のせいで、詩織は今や明日をも知れぬ状態にある。それに、浩二の言っていることも最もで、照瑠の力になれない自分自身、どこか名前負けしている気がしてならなかった。


 火乃澤高校の≪歩く都市伝説百科≫と呼ばれ、≪人脈の亜衣ちゃん≫の自称を誇る自分。が、しかし、蓋を開けてみればその実態は、単なる背の低い女子高生。特殊な力があるわけでもなければ、実はそれほど凄い人脈を持っているわけでもない。確かに、変わり者の友人は多いが、所詮はその程度の関係だ。


 唯一、亜衣自身が誇れる人脈と言えば、芸能界にいる長谷川雪乃はせがわゆきのとの関係くらいだろう。現役アイドルとして活躍する彼女と亜衣は、幼い頃からの知り合いである。故に、ライブのチケットを工面してもらったこともあるが、今回ばかりは役に立ちそうもない。


(はぁ……。なんだかんだで、一番凄い知り合いが、ゆっきーくらいのもんだもんね。こんなんじゃ、確かに役立たずと言われても、言い返せないかもしれませんなぁ……)


 気がつくと、自然と溜息がこぼれていた。こんなことなら、少しばかり胡散臭くとも、霊能力者を名乗る人間とも繋がりを持っておくべきだったか。もっとも、テレビに出ているような霊能力者はほとんどがインチキだろうから、有名どころはやはり当てにならない。


 だが、そこまで考えた時、亜衣の頭の中で唐突に何かが閃いた音がした。


 芸能界、テレビ、そして霊能力者。それらの言葉が繋がったとき、亜衣は自分の中に僅かばかりの期待の色が浮かんできたことを感じていた。


 確かに心霊番組に出るような人間はインチキが多いが、その中でも唯一本物と言える存在がいる。亜衣自身、その人物と顔を合わせたのは一瞬のようなものだったが、あの犬崎紅とまともに対峙できた数少ない人間を、亜衣は一人だけ知っている。


「ねえ、長瀬君! もしかして、まだ諦めなくてもいいかもよ!!」


「おわっ! なんだよ急に!?」


「さっき、長瀬君が言ってたことだよ。私の直接の知り合いじゃないけど……もしかしたら、本物の霊能力者の人に、お仕事頼めるかもしれないと思ってさ」


「ほ、本物の霊能力者? それ、マジなのか?」


「うん。でも、あんまり期待しないでね。最初から駄目もとみたいなもんだから、断られても文句は言わないでよ」


 そう言うが早いか、亜衣はさっさと自分の携帯電話を取り出して、登録してある番号に電話をかけた。浩二の答えなど、待つ必要はない。どうせ駄目でもともと。断られる確率の方が大きかったが、それでも僅かな可能性があるならば、最後まで賭けてみたいと思うのもまた人間。


 このまま何もしないで、紅や照瑠が帰って来なかったら。そして、今も病院のベッドで眠り続ける詩織が、悲惨な死を遂げてしまったら。そうなったら、後悔してもしきれない。そんな未来はまっぴら御免だし、そもそも考えたくもない。


(見ておれよぉ……。こうなったら、≪人脈の亜衣ちゃん≫の真髄を、今こそ見せてやろうじゃありませんか……)


 電話のコール音を聞きながら、亜衣はにやりと笑いながら心の中で呟いた。先ほどは柄にもなく自己嫌悪に陥っていたが、いつしか亜衣は、普段のお調子者な感じを取り戻していた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 東京の一等地とも呼べる住宅街に、その白い家は建っていた。純白に塗られた外壁は、周りの家と比べても一回り高級そうに見える。黒塗りの門と、そこから見えるガレージに止められた外車を含め、ここに住んでいるのがかなりの金持ちであることだけは、誰が見ても一目瞭然だった。


 そんな家の一室から、夜の庭にオレンジ色の灯りが漏れている。見たところ、そこはリビングになっているようで、どうやら客人も来ているようだ。


 金持ちの家に客が来ることなど珍しくもないが、その日ばかりは、なんというか様子が少し違っていた。別に、セレブな奥様方が集まっているわけでもなければ、スーツに身を包んだエリート達が集まって会合しているわけでもない。今日、その部屋に来ていたのは、他でもない高校生くらいの歳の少女達だったのだから。


 部屋の中にいる少女は三人。一人目は、なにやら今風の格好をした、どこにでもいそうな感じの少女。この中では、一応リーダー格といったところなのだろうか。ソファーの真ん中に座って、差し出されたお茶を口に運んでいる。


 左側にいる少女は、これまた一風変わった格好をしている。黒いドレスに全身を包み、化粧も目元ばかりがやけに濃い。しかし、そんな派手なメイクとは裏腹に、その顔つきがやけに幼く見えるのは気のせいか。ゴスロリ調の服を着ているにも関わらず、中身は気弱な感じがする。


 最後の三人目は、これまた地味な格好をした少女だった。街中を三人で歩いたならば、間違いなく残る二人の影になる。陰気な感じはないのだが、とにかく控え目で清楚な印象が強い。もっとも、顔は決して月並みな感じではなく、きちんとした服装で街に出れば、行き交う男達の目に止まるであろうことは、誰が見ても明らかだった。


 格好も性格も違いそうな、一見して統一感のない組み合わせ。そんな三人の少女を前に、この家の持ち主である男が一人、椅子にの背もたれに背中を預けて座っている。茶髪で長髪、おまけに白のスーツといった、どう見てもホストにしか見えない格好。軽薄で尊大な雰囲気を全身から出しつつも、決して頭が悪そうに見えないというのだから不思議なものだ。


「それで……。わざわざ君達が、俺の家まで押し掛けて来た理由はなんだい? まさか、こうしてお茶を飲みに来たってわけでもないんだろう?」


 男が自分の手の平の上で、折り紙で作った人形を弄びながら言った。指先で足を摘ままれた人形が、ひらひらと左右に揺れている。


「は、はい……。今日は……その……せ、先生に、お願いがあって来たんです!!」


 ソファーの右側に座っている、地味目の少女が言った。その言葉に、人形を回していた男の手が一瞬だけ止まる。


「お願い? もしかして、それ、仕事の依頼ってこと? 最初に言っておくけど……俺、ボランティアなんてするような類の人間じゃないんだよねぇ」


「そうですか……。だったら、お仕事ってことで構いません。まずは、私達の話を聞いてくれないでしょうか?」


「話ねぇ……。ま、なんでもいいけど、俺は気に入った仕事しかしない主義だからね。下らないガセネタで振り回されるのは、正直なところ、好きじゃない」


 紙人形をテーブルに置き、男が凄む様な眼で少女達を見る。脅すつもりはなかったのだろうが、それでも真ん中の一人を覗いて、残る二人がびくっと肩をふるわせた。


「おいおい、そんなに怖がるなよ。俺だって、別に鬼じゃない。現役アイドル相手に、身体で報酬払えなんて言うつもりはないから、安心してくれよ」


 男は笑って言ったが、少女達は笑わなかった。相変わらず、自分の冗談は他人に受けないようだ。


 仕方なく、男は姿勢を元に戻し、改めて少女達の依頼を聞くことにした。彼女達のことは、男もよく知っている。三人が三人とも、今も現役で活動し続ける、高校生アイドル達なのだから。


 ソファーの真ん中に座っているのは、最年長の篠原しのはらまゆ。彼女はアイドルというよりは、売れないタレントと言った方が正しい感じの少女ではある。が、それでも地道な努力が買われたのか、最近はそこそこテレビにも顔を出すようになった。


 ゴスロリ調の服を着ているのは、まゆの後輩でもある葵入凍呼あおいりとうこ。怖い話がてんで駄目なのにも関わらず、そのリアクションが大衆に受けて、怖がりなゴスロリアイドルとして認知されている。彼女とは男も以前に何度か仕事をしたことがあり、この中では最も良く知る相手である。


 最後の一人は長谷川雪乃。彼女だけは、他の二人とは事務所が違う。が、友人としてのつき合いはあるようで、雪乃はとくに、まゆと仲がいいようだった。また、この中では最も売れている人間でもあり、歌番組やバラエティ番組にも、よく出演しているようである。


 現役の高校生アイドルが、よりにもよってこんな夜更けに、わざわざ揃って訪れてくる。何かのドッキリかとも思ったが、どうもそんな様子はない。


 ここは一つ、彼女達の話を聞いてみるのも一興か。もし、それで面白い話にありつければ、こちらとしても本望だ。先日、レギュラーで出演していたテレビの仕事もなくなって、実のところ、それなりに暇だったというのもある。


「それじゃあ、話を聞かせてもらおうか? 俺のところに来たってことは、また誰か呪われでもしたのかい?」


 彼女達は、単なる自分のファンなどではない。それがわかっているからこそ、男もまた核心をつくような喋り方をする。だが、そんな男の予想とは裏腹に、雪乃は首を横に振って、呪いという言葉を否定した。


「いいえ、そうじゃないんです。ただ……ちょっと、人を探してもらいたくて……」


「人を? だったら、探偵か何かに頼めばいいじゃない。人探しの霊視なんてできる連中もいるみたいだけど……俺、そういうのは専門外なんだよね」


「それが……探偵なんかじゃ駄目なんです。だって……探して欲しい人って、あの犬崎君なんですから……」


 雪乃の顔が、だんだんと下に向けられてゆく。そして、彼女の口から出た≪犬崎≫という名前を聞いたとき、男の顔が少しだけ強張った表情を見せた。


「犬崎君って……確か、あの外法使いの少年か。あいつには、ちょっと前の事件で世話になったばかりだからね。俺も覚えているよ」


「だったら、話は早いです! 御鶴木みつるぎ先生……。犬崎君を探すのに、力を貸していただけませんか?」


「力ねぇ……。でも、さっきも言ったけど、俺は人探しの霊視なんて専門外なんだ。あの少年には俺も興味があるところだけど、正直な話、期待には答えられそうにないね」


「そ、そんな……」


 その男、御鶴木魁みつるぎかいの言葉に、雪乃はがっくりと項垂れた。


 友人の亜衣から連絡を受け、凍呼とまゆに連絡を取ったのが一時間ほど前だ。その後、なんとか二人にも都合をつけてもらい、こうして魁の家までやってきた。魁の家を知っているのは凍呼だけだったので、まゆも含め、どうしても付き添いが必要だったからだ。


 魁は、現代を生きる陰陽師の末裔として有名な男だ。今はとある事件の影響で潰れてしまったが、つい先日までは、≪奇跡空間ミラクルゾーン≫という番組で、レギュラーを務めていたこともある。しかも、その力は確かに本物であり、あの犬崎紅とも互角に張り合えるのではないかと思われるほどの、強い霊能力を持っている。


 魁ならば、もしかすると紅を探すのに協力してくれるかもしれない。駄目でもともと。そんな思いでここまで来てみたものの、やはり期待を裏切られると、どうしても意気消沈してしまうものだ。


「ちょっと、御鶴木先生。あなた、せっかく私達が仕事の依頼に来たのに、それを断って帰れって言うんですか?」


 沈んだ様子の雪乃に代わり、まゆがやや強めの口調で言ってのけた。そんなことを言われても、できないものは仕方がない。そう言って適当にあしらおうとした魁だったが、彼が何かを言う前に、今度は凍呼も追い打ちをかけてきた。


「あの……。私からも、お願いします。私が蛇の幽霊に取り憑かれたとき、先生は助けてくれました。お礼だったらなんとかしますし、私の事務所の人にも頼んで、新しい番組の仕事がないか探してもらいます。だから……なんとか、協力してもらえませんか?」


 凍呼が両目を大きく開けて、魁に懇願するような視線を送ってくる。こうなると、さすがの魁も彼女達を無下に扱うというわけにはいかなくなってくる。本来、快楽主義者であるはずの彼だったが、やはり女の、それも自分より一回りも年下の少女達が見せる涙には、抗う術を知らなかった。


「う~ん、仕方ないねぇ。それじゃあ、とりあえず探してはみるよ。で、俺はいったい何をすればいいんだい? 探すって言っても、何か手掛かりがなけりゃ、警察や探偵だって人探しなんてできないぜ?」


「それなら、まずは私のお友達の亜衣ちゃんに会ってください。今日のお話……実は、私が亜衣ちゃんから頼まれたものなんで……」


「なるほど。で、その亜衣ちゃんってのは、どこにいるの? 君の友達ってことは、君の通っている高校の誰かかい?」


「いえ……。それが……実は、私の故郷の、N県にある火乃澤町ってところに住んでいるんですけど……」


「N県!? おいおい、こいつは随分遠いな。ま、でも仕事は仕事だ。車で飛ばせば直ぐだろうから、明日の朝早くにでも出発させてもらうことにするよ」


「ほ、本当ですか! あ、ありがとうございます!!」


「お礼なら、そこにいるトーコちゃんに言ってくれ。彼女が俺に、新しいテレビの仕事を持ってくる。それで俺の名を売るってことを、今回の仕事の報酬にさせてもらうからね」


 魁が、なにやら意味深な表情を浮かべて凍呼の方を見た。凍呼も凍呼で、その程度の覚悟はできているのだろうか。今は魁のために仕事を探すという苦労よりも、友人の力になれたことに対する安堵の方が大きいようだった。


「あの……。それで、実はもう一つだけ、お願いがあるんですけど……」


 最後に、雪乃は再び申し訳なさそうな顔に戻り、魁に探るような視線を向けて来た。この期に及んで、まだ何かあるのだろうか。これには魁だけでなく、まゆと凍呼の二人も意外だったようだ。互いに顔を見合わせて、不思議そうに首を傾げている。


「亜衣ちゃんのところに行くとき……できれば、私も連れて行ってくれませんか?」


 一瞬、この少女は何を言い出すのだろうという空気が、部屋全体を支配した。


 雪乃は現役のトップアイドル、T-Driveの一員である。そんな彼女が、私用でこうも勝手に出掛けて良いものか。犬崎紅を見つけられる算段などついていない故に、その捜索期間もまた、どれだけかかるかわからないというのに。


「おいおい、それはいくらなんでも、さすがにマズイんじゃないの? そりゃ、それも含めて仕事の依頼ってんなら、俺は構わないけどさぁ……。君みたいな多忙な子が、わざわざ自分から進んで妙な世界に足を突っ込む必要もないと思うけどね」


「それは……私もわかってます。でも……やっぱり、私も行きたいんです! 犬崎君には……その……以前に、私が関わった事件のことで、色々とお世話になりましたし……」


 ところどころ、妙に言葉を詰まらせながら、それでも雪乃は最後まで引く姿勢を見せなかった。それを見た魁は、一言「ははぁん……」と納得したような顔をして、それから二つ返事で雪乃の要望を聞き入れた。


「いいだろう。君がついて来たいというなら、俺はもう止めはしないよ。その代わり……何か危険な目に遭っても、俺は百パーセント君のことを助けられるって保証はない。悪いけど、そういうことで構わないかな?」


「はい……。お願いします……」


 その、控え目な容姿の奥に強い意思を込めながら、雪乃は魁に改めて頭を下げた。隣では、あまりに急な話の流れに、まゆや凍呼があれこれと騒いでいる。が、それさえも雪乃には聞こえていないようで、彼女はただ、自分の申し出が魁に受け入れられたことに満足しているようだった。


 それから程なくして、三人は魁の出した紅茶を飲み終えてから、彼の家を後にした。帰り際、まゆが雪乃に向かって、先ほどのことを咎めるようなことを言っていた。


 紅を探すために魁の家を訪れるまでは聞かされていたが、それから先のことは何も知らない。そのことについて、きちんと説明しろとでも言うのだろう。もっとも、遠巻きに話を聞く限りでは、雪乃はその辺りを適当にはぐらかしているようだったが。


「さて、と……。とりあえず、新しい仕事は決まったか。それにしても……あの子たち、本当に珍しいくらい素直な子たちだねぇ。芸能界みたいな、黒い陰謀が渦巻いている世界で生かしておくのは勿体ないよ。そう思わないかい、総ちゃん?」


 二杯目の紅茶を飲みながら、魁は先ほどから自分の椅子の傍で突っ立っている男に声をかけた。


 弓削総司郎ゆげそうじろう。魁の弟子であり、ヤクザのような格好が特徴的な筋肉質の男だ。一見して魁のボディガードにしか見えないが、その霊力は、なかなかどうして凄い物がある。


 かつて、事故で失明した代わりに、総司郎は霊感を周囲に張り巡らせることで、辺りの様子をなんとなくだが感じ取ることが可能なのだ。それ故に、目が見えないにも関わらず、他人とコミュニケーションを取ることには殆ど問題がない。


 また、彼の腕には魁の施した退魔の刺青が彫ってあり、これにより総司郎は、日本でも数少ない≪幽霊を殴れる人間≫となっている。魁のような陰陽道の術は使えないが、その腕っ節の強さだけは、幽霊相手でも健在である。


 そんな総司郎の欠点と言えば、その外見とは正反対に、実に控え目で無口なことだった。故に、先ほどの魁の質問にも、総司郎は「そうっすね……」と答えただけだった。乱暴な印象は与えないが、知らない者からすれば、これはこれで違和感を覚える。


「ところで先生……。先生は、なんで今日の話、急に受ける気になったんっすか?」


 雪乃達のいなくなったソファーに、総司郎はすっと移動して腰をかけた。目は見えないものの、家の中の間取りは全て把握しているため、そこまで苦労することはない。


「なんだ、そんなこと。総ちゃんも、あの子達のことはいい子だって思うでしょ? 世間は俺のこと、金の亡者みたいに言う連中もいるみたいだけど、俺だって悪魔じゃないんだ。たまには女子高生の健気な友情や恋心に、救いの手を差し伸べてやってもいいと思ってね」


「恋心……っすか?」


「そうだよ。あの、長谷川雪乃って子……この前に俺たちが会った外法使いの少年に恋してるね。そうでなきゃ、いくら幼馴染の頼みだからって、わざわざ俺の家まで足を運んで仕事の依頼なんかしたりしないさ」


「そんなもんっすか? でも、それにしちゃ、あまりそういった感じを見せませんでしたけど……」


「そりゃ、当然でしょ。彼女、自分が芸能人だってことで、どこか引け目を感じている部分もあるんだよ。変なスキャンダル流されたらチームの仲間や事務所に迷惑がかかるとか、そもそも自分と他の人間は、住んでいる世界が違うとか……。そういったことが、足かせになっているんじゃないかな?」


「そうっすか……。なんか、それも随分と、悲しい話っすよね……」


「そうかい? 俺はそれでも、彼女は彼女なりに、考えることがあるんだと思うね。仕事のことをどうするのかは知らないけど……よほど思い入れがなかったら、自分から彼のことを探すのに同行したいなんて、普通は言いださないだろうさ」


 こういう話は任せておけ。そう言わんばかりの口調で言いながら、魁はカップに残された最後の紅茶を飲み干した。


 長谷川雪乃は、その外見とは裏腹に、芯の強い部分を持っている少女でもある。彼女が紅に淡い恋心を抱くのに、果たしてどんな体験をしてきたのか。そんなことは知らないし、それについては興味もない。ただ、自分の知り合いである凍呼に良い友人ができたことは、魁も密かに嬉しく思ってはいた。


「ふぅ……。それじゃ、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうか。今回の件、総ちゃんはどう思ってる?」


「ど、どうって……。正直、俺は信じられないっすね。あの外法使いを探して欲しいってことは、あいつが行方不明にでもなったってことなんでしょうが……。まさか、彼に何かあったってことっすかね?」


「だろうね。ただ、俺もそれは不思議に思ってる。悔しいけど、あの少年の力は俺と互角かそれ以上だ。そんな奴を、わざわざ探して欲しいと女の子達が俺の家に押しかけてくる。こいつはまた、随分ときな臭い感じが漂ってるね」


 カップをテーブルに置いて、魁が何やら含みのある笑みを見せた。だんだんと、面白いことになってきた。そんなとき、魁は決まってその状況を、殊更楽しむような素振りを見せる。


 あの外法使い、犬崎紅には、≪プロデューサー変死事件≫での借りがある。それを返すためにも、今一度、彼とは顔を会わせねばならないだろう。場合によっては、彼の追っている事件を追うことで、自分もまた例の変死事件の真の黒幕と対峙する機会が得られるかもしれない。


 心霊特番の生放送中に、プロデューサーの男の眼球が破裂して変死した怪事件。公には機材の落下、転倒であると説明され、魁達の間でも、事件の真相は一人の男が企んだ復讐劇ということで、一応の決着はついている。


 だが、それでも魁の中では、あの事件は完全に終わったというわけではなかった。事件の主犯であるADの男は、最後は口封じのために、真の黒幕の手によって葬られたのだ。その黒幕が誰であるのか、魁はおろか、あの犬崎紅でさえもつかめていない。


 自分が最も嫌うこと。それは他人に貸しを作ることと、他人に利用されることだ。


 犬崎紅に借りを返し、自分を振り回してくれた例の事件の黒幕に、きっちりと落とし前をつけさせてやる。それこそが、魁が雪乃の依頼を受けた真の目的。彼女達の、とりわけ長谷川雪乃の健気な態度や淡い想いは捨て置いてよいものではないとも思ったが、それとは別に、魁の中では既に依頼に対する答えを決めるだけの理由が用意されていた。

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