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~ 拾六ノ刻  魂送 ~

 照瑠が目を覚ましたとき、辺りは一面の闇に覆われていた。


 右も、左も全てが暗い。だが、不思議なことに、自分の身体だけはよく見える。光のまったくない空間だというのに、まるで夜目が働いているかのように、しっかりと手足の先まで見えていた。


 ここは、いったいどこなのだろう。そう、照瑠が思った矢先、何やら自分の身体から影のような物が剥がれ落ちる感触がした。


「これは……」


 自分の足下に漂う水溜りのような影。それが紅の操る犬神、黒影だと気づくのに、そう時間はかからなかった。


 そうだ。自分は紅と一緒に、あの真っ黒な塊に飲み込まれたのだ。それから先の記憶はないが、恐らくは黒影が守ってくれたのだろう。そうでなければ、自分の力だけであの闇に抗えたなど、さすがに照瑠も信じられない。


「そっか……。あなたが守ってくれたんだね……」


 今や、完全に犬の姿を留めていない黒影を、照瑠はそっと愛しむようにして撫でた。その掌から癒しの気を送り込むと、黒い水溜りは嬉しそうに波を立てて揺れた。


 犬神は、外法によって生み出されし魔性の存在である。しかし、それでもやはり、癒しの気を受けることは嬉しいのだろうか。それとも、紅に使役されている黒影だからこそ、照瑠の持つ陽の気でも受け入れることができるのだろうか。


 その、どちらでも構わない。目の前に傷ついた者が倒れているのであれば、放っておくのは気が引ける。


 照瑠が再び黒影を撫でると、今度は水溜りがふわりと宙に浮いた。水溜りはそのまま丸い球体となり、ゆらゆらと揺れながら照瑠に合図する。


「こっちに来い……ってこと?」


 洞窟の外で出会ったときと同じ感覚。それを黒影に感じ、照瑠は跳ねる球体の後を追った。相変わらず、辺りは一面の闇だったが、不思議と地に足がついている感覚だけはある。


 ふと、足下に目をやると、そこには一振りの太刀が転がっていた。封印の布を施されし鞘と柄。紅の使う最強にして最大の武器、闇薙の太刀だ。


 まだ、何かの役に立つかもしれない。そう思い、照瑠は太刀を拾い上げた。ずしりと重たい感触は相変わらずで、よくもまあ、こんな物を平気な顔で振り回していたと呆れたくなる。


 揺れる黒影の後を追う形で、照瑠は太刀を片手に闇の中を進んで行った。相変わらず先の見えない暗闇で、見えるものと言ったら自分と球体になった黒影くらいしかない。あまりに代わり映えのしない周囲の様子に、本当に先へ進んでいるのかと不安になる。


 だが、しばらく進むと、照瑠は目の前に何やら白い物が浮いているのに気がついた。いや、浮いているのではない。よくよく見ると、それは空間に肉体を飲み込まれるようにして、奇妙な形で吊り下がっている人間だった。


「犬崎君!!」


 先を行く黒影を押しのけ、照瑠は走った。あれは紅だ。なぜ、どうしてあんなところに吊るされているのかは知らないが、とにかく紅は無事だった。


「その声は……九条か?」


 空間に身体の一部を飲み込まれたまま、紅がゆっくりと顔を上げた。相変わらずの無愛想な表情。が、今となっては、そんなことさえも気にならない。


「犬崎君……。ここはどこなの? 私達、いったいどうなって……」


「落ちつけ、九条。ここは、あの鳥居の下に巣食っていた者の体内とも言える場所だ。どうやら俺達は、やつの中にそのまま取り込まれてしまったらしい……」


「取り込まれたって……なんとか、ここから出る方法はないの?」


「無理だな……。俺はもうじき、完全にやつの肉体の核として取り込まれる運命だ。そうなったら、取り返しのつかないことになる。だから……その前に、せめてお前の手で、最後の始末をつけてくれ……」


 照瑠の手に握られている太刀に目をやり、紅は再び介錯を頼んだ。自分を殺せ。そうすれば、お前を含めた皆が助かる。赤い瞳が、それを照瑠に訴えていた。


「馬鹿なこと言わないでよ! ここで犬崎君が死んじゃったら、私達はどうなるの!? あなたを追って、ここまで来た私の苦労は……皆の気持ちはどうなるのよ!? これだけ迷惑かけたんだから、自分だけ死んで終わりなんて……そんなの、私は絶対に許さないんだから!!」


「すまない、九条……。巻き込んでしまったことに関しては、俺はお前に何度謝っても足りないくらいだ。だから……これが最後の、俺がお前に頼む我侭だ」


「だから、私の手であなたを殺せって言うの? そんなこと、絶対に私は認めないわ! 今まで、色々あったかもしれないけど……それでも、どんな相手が現れたって、犬崎君は絶対に勝って来たじゃない! それなのに……こんなお別れの仕方なんて……いくらなんでも悲し過ぎるよ……」


 照瑠の頬を、熱い涙が伝わった。最後の方は、自分でも泣きながら言っていてよくわからなかった。


「そう泣くな、九条。お前を守るために死ねるなら、俺は何も後悔はしない。自分の贖罪のために死ねるなら、それもまた本望だと思うからな」


「馬鹿! なに、こんな時まで格好つけてんのよ! そういう台詞は、もっと恋人とか……そんな関係になってる相手に言いなさいよね!!」


「勘違いするな。そういう意味で言ったんじゃない。ただ……俺がお前を守るのは、過去の過ちに対する贖罪だというだけだ。だが、そのせいで逆にお前を巻き込んでしまったというのならば……俺はどんな裁きでも、甘んじて受けねばならないんだ。それが、闇を用いて闇を祓う、赫の一族の務めだからな……」


 紅の口から、最後に小さな溜息が洩れた。全ての覚悟はできている。そんな決意さえ感じさせる言葉だったが、照瑠はそれでも、紅の言う通りにしようとは思わなかった。


 赫の一族、それに贖罪。紅の話していることは、照瑠には意味のわからないことばかりである。今までは適当に流していたこともあったが、こうなっては仕方がない。


 今こそ自分は、紅の過去に対して知らなければならないのだ。彼の言う通りにするにしても、残り僅かな時間で他の道を探すにしても、今の照瑠には紅について知っていることが少な過ぎた。


「ねえ、犬崎君。最後に、一つだけ教えてくれる?」


「なんだ? 言っておくが、あまり時間はないぞ。俺の身体が全て闇に飲まれてしまえば、その時点で全てが手遅れになる」


「だったら、できる限りでいいから教えて。あなたの言っている贖罪……。それって、いったい何のことなの?」


「なんだ、そんなことか……。まあ、下らない昔話だが……最後に、そのくらいは教えておいてもいいかもしれないな……」


 漆黒の空間に身体の半分を飲み込まれたまま、紅は自嘲気味な笑みを浮かべて呟いた。黒影が照瑠の隣でゆらりと揺れ、紅を気遣うような素振りを見せる。が、それでも紅は瞳だけでそれを制すと、重たい口を開けて語り始めた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 石段を駆け下り、森の中に続く小道を抜けたところで、皐月の目の前に小さな祠が現れた。


「あれは……!!」


 間違いない。恐らくあれが、手記にあった祠だろう。もし、本当に真の逆参りが行われたのだとすれば、祠に神鏡が残されている可能性は高い。


 だが、皐月がそれを確かめるよりも早く、彼女達の前に無数の赤い蛍の群れが現れた。蛍達はそれぞれが大地をノックするようにして叩き、例の如く亡者の群れを呼び覚ます。


「こいつら……こっちの考えを読んでるって言うの!?」


 あまりに都合よく敵が現れたことで、さすがの皐月にも動揺が走った。


 蛍の本体は、恐らくあの不気味な肉の塊だ。およそ、己の意思など持っていそうにないような化け物だったが、なかなかどうしてやってくれる。


 霊撃棍を引き伸ばして、皐月は向かってくる亡者達を斬り捨てた。この連中の中を抜けなければ、祠へ辿り着くことはできはしない。互いに最後の悪あがき。そう、わかっているからこそ、絶対に負けられないのだ。


「芽衣子、援護して!!」


 数体の亡者に抜かれたことを知り、皐月が芽衣子に向かって叫んだ。だが、自分に向かって来る亡者の群れを見てもなお、芽衣子は固まったまま動こうとしない。ようやく意を決して霊撃銃の引き金を引くが、案の定、その攻撃はまったくといっていいほど当たらない。


「ひぃぃぃぃっ! こ、来ないでくださいぃぃぃぃっ!!」


 ほとんど狙いさえつけず、芽衣子は滅茶苦茶に銃を乱射した。放たれた光の弾は完全に明後日の方向へ飛んで行き、その間にも亡者の群れが迫って来る。


「ったく……。どこ狙ってんだよ、あんた!!」


 見兼ねた浩二が芽衣子に代わり、目と鼻の先まで迫っていた亡者を撃ち倒した。彼の使う霊撃銃もまた、水晶版を入れ替えたことで力を取り戻している。芽衣子の使う物よりも威力は低いようだったが、まずは敵に命中させないことには話が始まらない。


「ここは俺がやる! あんたは嶋本と長谷川を守ってくれ!!」


 皐月に続く形で、浩二もまた前に出る。本当は手が震えていたが、声に出して叫ぶことでごまかした。


 霊の存在を信じていないわけではなかったが、こうして対峙してみると、やはり彼らは恐ろしい。この村に来て幾度となく命の危険に晒されたが、亡霊と戦うということは、決して慣れるようなものではない。


 浩二の放った光の弾が亡者の頭を吹き飛ばしたところで、とうとう皐月が祠へと辿り着いた。祠の中を見ると、そこにあったのは裏返しに置かれた鏡。皐月の考えていた通り、やはり神鏡は祠に置かれたままだった。


 鏡を取り出し、皐月はそれを素早く表に向けて置き直す。その途端、鏡は神々しい輝きを発し、その光は山の上へと昇ってゆく。


「まずは一つか……。急ぐわよ、みんな!!」


「わかってるぜ、そんなこと! でも……この幽霊どもの群れ、どうやって切り抜けんだよ!!」


 皐月を援護する形で銃を撃ちながら、浩二が半ばヤケクソになって叫んでいた。鏡の向きを変えることには成功したが、それでも辺りは既に亡者だらけ。赤い蛍が次々に地の底から彼らを呼び出すことで、敵の戦力は無尽蔵だ。


「うわぁっ! こっちに来たぁ!!」


 自分に向かってくる一体の亡者を見て、亜衣が怯えた声で叫びながら雪乃にしがみついた。皐月から護身用に銀のナイフを借りてはいたが、それで戦おうなどとは夢にも思わなかった。


「亜衣ちゃん、伏せて!!」


 小柄な亜衣の身体を、雪乃は自分の身を盾にして庇おうとした。自分は耐霊体質の持ち主だ。だから、亡霊の攻撃にもある程度は耐えられる。本当は怖かったが、亜衣は先ほどまで洞窟で恐ろしい目に遭わされていたのだ。それを考えると、これ以上は彼女に痛い思いや苦しい思いをさせることはできなかった。


 雪乃の背中目掛け、亡者の爪が非情にも振り降ろされる。だが、その爪が彼女の背中を引き裂こうとした瞬間、大銅鑼を叩いたような轟音と共に、亡者の身体が文字通り消し飛んだ。


「二人とも、大丈夫っすか?」


 そこにいたのは総司郎だった。アロハを脱ぎ捨て、黒のタンクトップだけになった彼の両腕には、赤い梵字の刺青が輝いている。


「弓削さん……」


「お礼は後っす。それよりも……さっきのやつより、もっと厄介なのが出て来たみたいっすよ……」


 亡者を打ち倒してもなお、総司郎は構えを解かずに雪乃と亜衣の前に立っていた。既に視力を失っている彼だったが、それでも敵の放つ邪悪な気配を感じ取ることはできる。自分の目の前で、赤い蛍達が何をしようとしているのか。彼にはそれが、全てわかっていた。


 亡者を倒された蛍達が、一カ所にまとまって輝きを増す。それは徐々に人の姿を形作り、白髪の悪鬼へと姿を変える。


「また、てめえっすか……。どうやらそろそろ、決着けりつけないといけないようっすね……」


 指の関節を鳴らし、総司郎は自分の体内に流れる気の奔流を両腕に集め始めた。赤い蛍が集まって生まれた、この村の生き神を模した恐ろしい魔物。あれを倒すには、皐月達の持っている武器では難しい。再生する暇さえ与えずに、一撃の下に葬り去らねば意味がない。そして、それができるのは、この中では自分ただ一人だ。


「こいつは俺が引き受けるっす。皆さんは、先を急いで下さい」


「で、でも……」


「いいから行くっす! 先生は……口では全然大丈夫なこと言ってたっすけど、そう長くは持たないはずっす!!」


 あの、黒い肉塊を抑える魁の結界が、そう長くは持たないこと。それは総司郎とて気づいていた。彼がこの場に現れたのは、魁の行動を無駄にしたくないという想いからだ。だからこそ、ここで自分を気遣って、全てが台無しになどなって欲しくない。


「わかったわ。あの化け物は彼に任せて、私達は先を急ぎましょう」


 悪鬼と対峙する総司郎の覚悟。それが伝わったのか、皐月もまた彼の提案を受け入れた。それに、あまりのんびりしている時間はないということは、皐月達にとっても同じである。


 小道の向こうに駆けて行く足音を聞きながら、総司郎は静かに呼吸を整えた。敵の手口は、今までの戦いで知っている。色々と厄介な攻撃を仕掛けてくる相手だが、なんとか隙を見つけ、一撃必殺の攻撃を叩き込まなければ。


「さて……。第三ラウンドの開始ってわけっすね。お互いにリベンジマッチみたいっすけど……ここは俺が勝たせてもらうっすよ」


 拳を固く握り締め、総司郎はボクサーさながらのファイティングスタイルを取って身構えた。悪鬼の方向がゴングの代わりとなり、二つの影が夜の森の中で交錯した。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「昔……と言っても、俺が中学の頃の話なんだが……」


 暗闇の中、空間に身体の半分を拘束されたまま、紅が静かに語っていた。


「俺には一つ下の親戚がいたんだ。そいつは俺と同じ、赫の一族の血を引く人間だった。もっとも、俺とは違い、退魔の仕事をする家系の人間ではなかったがな」


「赫の一族の血を引く人間か……。でも、その子だって、犬崎君と同じような力は持っていたんでしょう?」


「ああ、そうだ。だが、だからこそ、それが悲劇の始まりだった。そいつは……朱音あかねは自分の力を自分でコントロールできずに、最後は犬神に飲まれてしまった。そして、だんだんと狂気に毒されてゆく中で、最後は自分の気に入らない連中を平気で手にかけるようにまでなってしまった……」


「手にかけるって……。それ、その子が人殺しをしたってこと!?」


 驚きを隠せない様子で照瑠が叫ぶ。紅の話を信じるならば、たかだか中学生くらいの、それも女の子が人を殺したというのだ。犬神に飲まれ、狂気に毒されたと紅は言っていたが、それでも信じがたい話ではある。


「俺は朱音と一緒にいたが、そのときはまだ修業中だった。だから、あいつの変化にも気づけなかったし、そのせいで多くの人間が亡くなった」


「そうなんだ……。でも、それって犬崎君のせいじゃないでしょ? 確かに悲しいことではあるけど、犬崎君が全部の責任を負う必要なんて……」


「話は最後まで聞け。確かに、人を殺したのは朱音だ。だが、あいつがそんな風になってしまったのには、俺にも原因があったんだ……」


 紅の顔が、だんだんと伏し目がちになってきた。彼にはまだ、自分の知らない秘密がある。本当は一刻も早く彼を助ける術を考えたかったが、照瑠はなんとか自分を抑え、紅の話に耳を傾けることにした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 二つ目の祠は、これは少し粗末な造りの物だった。一つ目の物と姿形は変わらないが、それにしても随分と古めかしい。長きに渡る年月の間に、風化と浸食が進んでしまったのだろうか。今となっては、それを知る術もない。


 祠に皐月達が近づいたところで、また赤い蛍の群れが現れた。ほとんど待ち伏せに等しい現れ方に、皐月は舌打ちをして霊撃棍を抜いた。


 やはり、敵はこちらの考えを読んでいる。だが、ここで止まるわけにはいかないのはこちらも同じ。こうなれば、多少の負傷は覚悟してでも、群がる敵を薙ぎ払いながら進むしかない。


 芽衣子の出鱈目な援護を受け、皐月はなんとか二つ目の祠にまで辿り着いた。そこにある鏡を正位置に戻すと、先ほどと同じように鏡面が神々しい輝きを放ち始める。


「これで二つ……。残るは最後の一個ね」


 だが、皐月がそう呟いたとき、背後で少女達の悲鳴が聞こえた。慌てて顔をそちらに向けると、防ぎきれなかった亡者の群れが、浩二や雪乃、それに亜衣に襲いかかろうとしているところだった。


「このっ! いいかげん、ゴキブリみたいに湧いて出るのは止めなさいよね!!」


 腰に挿した小太刀の霊木刀も引き抜いて、皐月は敵の目の前に飛び出した。右手の霊撃棍と左手の霊木刀。二つの刃を左右に振り、正面に群がっていた敵をまとめて薙ぎ払う。


「ひぃぃ……。これじゃあ、きりがないですよぉ、お姉様ぁ……」


 ほとんど何の役にも立っていない芽衣子が、泣きそうな顔をして皐月にすがりついて来た。もっとも、今はそんな彼女のことなど相手にしている余裕などない。


 この数の敵を全て倒して進もうとするのは、時間的な余裕から考えても無理だ。しかし、敵に背を向けて逃げたところで、逃げ切れるという保証もない。それに、物理的に干渉する力を持たないとはいえ、亡者の群れを放置して祠の神鏡に何かをされたら元も子もない。


「仕方ないわね……。こいつらは、私達で抑えるわよ。悪いけど、芽衣子は援護をお願いね」


「え、えぇっ!? 抑えるって……私とお姉様だけで、こいつら全部相手にするんですかぁ!?」


「当たり前でしょ! どうせこの賭けに失敗すれば、最後は全員まとめて連中のお仲間にされるだけよ。だったらここは、最後まで抗ってみせようじゃないの。敵に背を向けて後悔するなんて、私は絶対にごめんだわ」


 まとわりつく芽衣子をあしらいつつ、皐月は軽く笑って浩二達に目配せした。残る祠は後一つ。そのくらいなら、彼らだけでもなんとかできるはずだ。最後の祠にも待ち伏せがいる可能性はあったが、ここで自分が引くわけにはいかない。彼らにこの場を抑える役目を任せる方が、よっぽど危険で無責任だ。


「もう、時間がないわ。最後の祠の鏡は、あなた達が正位置に戻しなさい」


「ああ、わかったぜ。こうなったら、こっちだってヤケクソだ! 元々、俺は詩織を助けたくてここまで来たんだ。いいかげん、お荷物になってんのも我慢できなかったところだしな!!」


 皐月の言葉に、浩二が啖呵を切って答えた。先ほどから、身体の震えが止まらない。それでも、今は自分が行くしかない。亜衣と雪乃の二人の少女を守れるのも、魂送りを成功させて詩織を助ける鍵を得るのも、全ては自分の行いにかかっている。


「行くぞ、長谷川! 嶋本も、遅れんじゃねえぞ!!」


 皐月から預かった霊撃銃。それを固く握り締め、浩二は最後の祠へと続く小道を駆け出した。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「俺が朱音の変化に気づいたのは、あいつが本当に狂ってからのことだった。情けない話だが……狂ったあいつに捕まって、俺はようやく気づいたんだよ。あいつが狂ってしまった原因と……あいつが心の底で、俺に対してどんな感情を抱いていたのかをな」


「犬崎君……」


「あいつは……朱音は、俺のことが好きだったようだ。無論、兄のような存在としてじゃない。朱音はもっと男として、俺のことを意識していたんだ」


「その、朱音ちゃんって子は、犬崎君のことが好きだったのね。でも、それと朱音ちゃんが狂ってしまったことと、何の関係が……」


「残念だが、関係は大ありだ、九条。朱音は昔から身体が弱くてな。その上、俺と同じように、普通の人間とは違った姿をして生まれて来た。だから、ガキの頃から周囲から好奇と偏見の目に晒されて、頼れる人間が俺しかいなかった……。そういうことだ」


「そんな……。それじゃあ、朱音ちゃんが狂ってしまった原因って……!?」


「ああ。あいつは俺のことを想うが余り、自ら犬神と一体化する道を選んだんだ。だが、そんなことをすれば、自分の自我だって崩壊してしまう。結局、最後は朱音自身、人間でも犬神でもない化け物に成り果てて……俺が始末をつけることでしか、あいつを止めることはできなかった……」 


「始末って……。それじゃあ、犬崎君は自分の手で、朱音ちゃんのことを……」


 それ以上は、言葉が出なかった。


 朱音は紅のことが好きだった。しかし、不思議とそのことに対して、照瑠は嫉妬のような感情を抱くことはなかった。ただ、あまりにも悲しい少女の運命に、自然と涙がこぼれて来た。


 紅を想うが余り、最後は魔性の者と成り果ててしまった朱音。そして、そんな彼女を手にかけることでしか、闇の呪縛から救ってやることができなかった紅。


 今までは、紅のことを本気で不器用で無愛想な人間だと思っていた。しかし、今、彼の話を聞いたことで、その考え方は照瑠の中で変わっていた。


 彼が不器用にふるまう理由。それは、過去に自分が犯した罪に、今もなお縛られているからに他ならない。他に手段がなかったとはいえ、彼は自分を慕う一人の少女を殺したのだ。その自責の念が、彼を一見して冷たく近寄り難い人間へと変え、同時に彼へ向こう側の世界・・・・・・・の住人と戦うための理由を与えてもいる。


「俺がお前に言った贖罪という言葉だが……あれは、誰のための言葉でもない。俺が朱音を消したこと……。それに対しての贖罪という意味だ」


「どういうこと?」


「お前のように、高い素養を持った人間は、その力を制御できなければ朱音のようになる可能性もある。だから、俺はお前を守ると決めた。お前が巫女として真の力を手に入れて、闇に堕ちる可能性がなくなるその時までな……」


 淡々とした口調で紅は照瑠に語った。自分が照瑠を守るのは、極めて自己中心的な理由に過ぎないものだ。正義など、最初からそこにはない。そう、赤い瞳が告げている。


「俺は自分の贖罪という勝手な理由のために、今までお前を守っていたに過ぎない。そして……その結果として、逆にお前を危険に晒した。だから、お前には俺を殺す資格がある。俺と関わったことで、逆にお前が闇に飲まれてしまうなら、俺は最後まで贖罪を続けたい……。これで、納得してくれたか?」


 気がつくと、紅は既に身体のほとんどを闇に飲まれかけていた。残すは頭だけであり、漆黒の空間に生首だけが浮かんでいるようにしか見えない。


 このまま紅が完全に闇に飲まれてしまえば、きっと自分も助からないのだろう。いや、自分だけではない。詩織にかけられた祟りも解けず、亜衣や雪乃達も一生村から出られずに、誰一人として助からない終焉を迎える。


 だが、それでも照瑠には、やはり紅を殺すことなどできはしなかった。大を守るために小を捨てる。理屈ではそれが正しいとわかっていても、身体は感情に素直だった。


「そっか……。犬崎君も、色々と大変だったんだね。でも……私は諦めないわよ。最後の最後まで、犬崎君を助ける方法を考えてみせる! 考えてみせるから!!」


 自分の両手に意識を集中させ、照瑠は紅の頭を抱えて抱き締めた。こんなことで、本当に彼を闇から救いだせるのか。それはどこも保証はない。


「やめろ、九条! もう、闇の浸食は止まらない! 俺が俺でなくなるその前に……闇薙の太刀で、俺ごとこの化け物を消してくれ!!」


 暗闇の中、頭だけになってしまった紅の叫びが響き渡る。しかし、それでも照瑠は彼の頭を離すことなく、しっかりと抱き締めたまま力を送り続けた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 浩二達が最後の祠へ辿り着いたとき、そこには既に多数の亡者と赤い蛍が待ち構えていた。


 霊撃銃を握る手が汗で滑り、浩二は慌ててそれをズボンで拭いた。覚悟をしていたとはいえ、やはりこれだけの敵を前にしては、尻ごみの一つでもしたくなる。自分はあくまで一般人。紅や皐月のように亡霊と戦う力があるわけでもなければ、魁のように不思議な力が使えるわけでもない。腕っ節には多少の自信があったが、それでさえ、総司郎には色々な意味で敵いそうにもない。


 だが、それでも、今ここで事を成せるのは自分しかいないのだ。ここまで来て残る二人の女の子に頼ってしまうなど、いくらなんでも情けなさすぎる。


「走るぞ、お前ら! とにかく、あの祠まで行けば俺達の勝ちだ!!」


 雪乃と亜衣の答えを聞くまでもなく、浩二はいち早く祠へ向かって走り出した。途中、無数の亡者がこちらへと手を伸ばして来るが、そんな物は知ったことか。


 ほとんど狙いさえもつけず、浩二は霊撃銃を連射する。数体の亡者の頭を吹き飛ばしたところで、意外と冷静になっている自分がいることに気が付いた。


 そうだ。これは試合と同じだ。部活の試合だと思えば問題ない。伸ばされる手は、ボールを奪おうとする敵の手と同じ。垣根のように折り重なる亡者の群れは、ゴール下でガードを固める相手チームのディフェンスと同じ。


 敵を抜いて、目的のゴールを目指して走り抜ける。ボールを持っているか否かの違いはあれど、身体の動かし方は変わらない。唯一の違いは、敵の本当の狙いはボールではなく、こちらの命その物ということだが。


 一度、頭の中で割り切ってしまうと、後は意外と楽だった。途中、何度かひやりとさせられることもあったが、それでも浩二は先頭を切って亡者の群れの中を突き進んだ。


 ここで自分が立ち止まれば、後ろにいる亜衣や雪乃まで危険に晒すことになる。迫り来る亡者達を霊撃銃で撃ち倒し、浩二は祠へとひた走る。ここまで敵との距離が近ければ、狙わずとも当たるのは幸いだ。


 祠の前で待ち伏せしていた最後の亡者の顔面に、浩二は躊躇うことなく霊撃銃の銃口を押し付けた。そして、亡者の伸ばした腕が自分の首に届くよりも早く、引鉄を絞って相手の頭を吹き飛ばした。


 閃光が亡者を射抜き、その身体を霧のようにして消し飛ばす。辺りにはまだ多くの敵が残っていたが、今は構っている暇などない。


 祠の中にある最後の神鏡。それを正位置に戻したところで、浩二はがっくりと膝をついた。


「へっ、どうだ……。火乃澤高校バスケ部の実力、舐めんじゃねえぞ、幽霊ども!!」


 両肩で息を切らしながら、浩二は勝ち誇ったようにして中指を立てた。その隣では、同じく息を切らしている亜衣と雪乃が、やはり地面に両手と膝をついている。二人とも、もうこれ以上は走ることさえ適わない。完全に追い詰められる形となってしまったが、それでも勝ちは勝ちだった。


 神鏡の鏡面から放たれた光が、山の方へと昇ってゆく。これで、あのどす黒い肉の塊を封じることができるのか。詩織に祟りを振り撒いた元凶を、再び地の底へ叩き込むことができるのか。


 額の汗を拭い、浩二は改めて亡者どもの群れを見た。魂送りが成功したのであれば、あの亡霊達もまた在るべき場所に帰るはず。そう、信じていたのだが、なにやら様子がおかしかった。


「おいおい、マジかよ……」


 亡者の数が、先ほどよりも増えていた。赤い蛍はその力を弱めることなく活動し、更なる敵を呼び出していた。


 魂送りの儀式は失敗だったのか。自分達がやってきたことは、全て無駄だったのか。


 じりじりと迫る亡者の群れに、浩二はふらふらと立ち上がりながら銃を構える。例え、全てが無駄だったとしても、ここで諦めて終わるわけにはいかない。


 自分はまだ、生きてやりたいことがある。詩織と一緒に出掛けたい場所だって沢山あるし、彼女の笑顔だって取り戻したい。だから、最後まで抗うと決めた。例え、特殊な力などなくとも、ここで逃げるのは男がすたる。


「へっ……。犬崎のやつじゃねえが、こうなったら最後までやってやるぜ! 詩織に祟りなんか仕掛けた奴ら……一匹でも多く、ぶっ潰してやっからよ!!」


 雪乃と亜衣を後ろに下がらせ、浩二は再び霊撃銃の引鉄を引いた。残りの弾数など気にする必要はない。ただ、我武者羅に目の前の敵に向けて、光の弾を撃ちまくった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 暗闇の中、照瑠は紅の首だけを抱いていた。既に、彼の首は顔の半分までが闇に包まれている。どれだけ癒しの気を送り続けても、紅の侵蝕は止められない。しかし、このまま闇に同化され、邪悪な魔物の核とされてしまうことなど、照瑠は絶対に認めたくなかった。


(どうすればいいの……。どうすれば……)


 自分の足下に転がる闇薙の太刀。これを使って紅の魂を滅すれば、この空間から脱出することも可能になるのだろうか。無論、そんなことは間違ってもしたくない。自分が太刀を使えるか否かということ以前に、紅を殺して全てが終わるなど最悪だ。


 何ら打開策を見出せないまま、時間だけが過ぎて行く。このままでは、紅も詩織も、それから他の皆や自分自身でさえも助からない。せめて、もう少しだけ自分に力があれば。そう、照瑠が願ったときだった。


 突然、空間がぐにゃりと揺れる感じがして、照瑠は紅の頭を離して尻もちをついた。こんな場所で、まさか地震でも起きたというのだろうか。さすがにそれは、考えられない。


「……っ! なんなのよ、もう!!」


 ぶつけた腰をさすりつつ、照瑠は紅のいた場所へと目をやった。まさか、先ほどの揺れが最後の合図で、紅はそのまま闇に飲まれてしまったのではあるまいか。そんな不安が頭を掠めたが、彼女の考えとは反対に、そこにいたのは五体満足な肉体を晒している紅の姿だった。


「け、犬崎君!?」


 いったい、何が起きたのだろう。あれほど闇に侵されていた紅が、まさかこうも簡単に解放されるなど。自分の力が、今になって真価を発揮したとでも言うのだろうか。さすがに、それはないと思いたい。


「犬崎君、しっかりしてよ! 生きてるんだったら、ちゃんと目を開けて!!」


 うつ伏せに倒れている紅の身体を起こし、照瑠は自分の膝の上に彼の頭を乗せて顔を叩いた。完全に気を失っていると思っていたが、やはり紅は照瑠の知る以上にタフなのだろうか。直ぐに眉間に眉根を寄せると、軽い呻き声と共に目を開けた。


「九条……。これは……いったい、どういうことだ?」


「そんなの、こっちが聞きたいくらいよ。でも、何が起きたのかは知らないけど、あなたを包んでいた闇は消えたわよ」


「そうか……。どうやら、外の世界で動きがあったようだな。恐らくは皐月さんか、あの陰陽師が何かをしたんだろう」


 全身の感覚を確かめるようにしながら、紅は静かに起き上がる。両手につけられていたはずの傷は、綺麗さっぱり消えていた。闇に取り込まれ、解放された際に治ったというのだろうか。原因は不明だが、今はそれを考えているときではない。


 足下に転がっている闇薙の太刀。それを拾い上げて、紅はスラリと鞘から抜いた。邪神の体内とも呼べる空間においても、太刀の闇の貪欲さは健在だ。自分の糧となる魂を欲し、刀身を覆う黒い気が蛇のようにうねる。


(俺に、まだ生きろと……生きて、罪を償えと……そういうことか、朱音?)


 刀の闇を見詰めながら、紅は独り、心の中で呟いた。その問いかけに、答える者がいないことは知っている。だが、刀の闇に飲まれてもなお、紅には自分が消してしまったはずの朱音から、生きろと告げられているような気がしてならなかった。


 だんだんと、自分の中に力が戻って来るのが感じられた。先ほどまで抱いていた絶望は、既に紅の瞳から消えている。


 ここが邪神の体内であるならば、するべきことはただ一つ。闇薙の太刀の力を完全に解放し、内部から邪神を食い破らせる。生者も死者も、果ては神さえも関係なく魂を食らうこの太刀であれば、邪神とて例外なく食らえるはずだ。


「ここから脱出するぞ。力を貸せ、九条」


 普段のような素っ気ない口調に戻り、紅は照瑠に命令した。


「ふぅ……。ようやく、いつもの犬崎君に戻ったわね。で、私は何をすればいいの? 言っておくけど、私の力はあなたみたいに戦うためのものじゃ……」


「だからこそだ。俺は今から、闇薙の太刀の力を完全に解放する。その際、俺が太刀に魂を食われないという保証はないからな。お前は俺の魂が完全に食われる前に、その綻びの修復を頼みたい」


 刀の柄に巻かれていた封じ布を取り外し、紅は今まで以上に意識を集中して太刀を構えた。照瑠もそれに、無言で頷いて返事をする。自分の力が、少しでも紅の役に立てるのであれば、彼の申し出を断る理由はない。


 封じ布を失った途端、太刀の中の闇が力を取り戻して暴れ出した。これを抑えることは、さすがの紅でも容易ではない。


 太刀を握る紅の手に、照瑠はそっと手を重ねた。彼の手を通し、太刀の中にある闇の波動がこちらにも伝わって来る。常に癒しの気を集中させていなければ、紅だけでなく、自分まで魂を持って行かれてしまいそうだ。


「……解!!」


 太刀を握る右手を一瞬だけ離し、紅は普段の彼が見せない特殊な印を結んだ。その途端、太刀の中から物凄いまでの闇が溢れ出し、辺りの空間に次々と突き刺さってゆく。闇が空間を食い破ろうとする度に、足下が揺れて空気が淀んだ。


「くっ……おぉぉぉぉぉっ!!」


 白金色の髪が逆立ち、紅の全身が太刀の波動に飲み込まれまいと震える。柄を握る両腕の血管がはちきれんばかりに盛り上がり、その瞳がカッと見開かれる。


「ちょっ……! なによ、これ!?」


 あまりに強大な闇の力。貪欲に全てを食らおうとする恐るべき波動に、照瑠は思わず自分の手を離しそうになってしまった。


 両手が痺れ、意識の集中がままならない。太刀から溢れ出た闇は紅の腕にまで絡みつき、更には照瑠さえも飲み込まんとする。


「しっかりしろ、九条……。お前が抑えなければ……俺もお前も……二人とも闇に食われるぞ……!!」


「わかってるわよ……! でも……正直、これが限界よ!!」


「泣き事を……言うな! 全員で……絶対に生きて帰る……。それが……約束だった……はず……。そう言ったのは……お前だろう?」


 震える声で、紅は照瑠に苦笑して見せた。だが、そんな彼の顔を見ても、照瑠は言葉を返すことができなかった。


 紅の瞳から下、ちょうど頬の部分にかけて、赤い三日月のような二つの傷が走っていた。太刀の闇に魂を食われたが故の傷なのか、それとも己の全身全霊をかけて、太刀の力を制御しようとしている反動なのか。


 ここで、自分が諦めてはいけない。祟りの元凶を倒せたところで、紅が死んでしまえば結果は同じだ。


 再び意識を集中させ、照瑠はなんとか紅の魂が食われることを阻止しようと試みた。もっとも、そうは言っても事はそう容易いものではない。力を送れば送るだけ、無限のブラックホールに吸い込まれてゆくような感覚が照瑠を襲う。このままでは、紅が倒れるより先に、こちらの方が倒れてしまう。


 やはり、未熟な自分の力では、紅を支えることなどできないのか。そう、照瑠が思ったとき、彼女の中から一粒の青白い光が飛び出した。


(あれは……)


 同じ光を、照瑠は以前にも見たことがある。あの屋敷で、お白様の姿を模した悪鬼に襲われたとき、こちらを導く様にして助けてくれたものだ。


(もしかして……雛さん!?)


 果たして、照瑠のその考えは正しく、青い蛍は照瑠の心に直接響くような声で語りかけて来た。彼女が夢で話しをした、雛の良心とも言える声と同じもので。


(私の力を使いなさい……。私の力の全て……。それを、今からあなたに託すわ)


(力を託すって……そんなことして、あなたは大丈夫なの!?)


(そうね。きっと、あなたの力の一部となって、私は消えてしまうでしょうね。でも、それでも構わないわ。今の私にできることは、この程度のことしかないのだから……)


(そんな……! それじゃあ、あなたが!?)


(いいの……。どうせ、私は魂の欠片みたいなものだもの。だから、最後くらいはあなた達の役に立たせて……。この村を……私が殺してしまった皆を、在るべき場所に戻してあげて!!)


 青い蛍が瞬く度に、雛の声が照瑠の頭の中に響いて来る。そして、蛍が再び自分の胸に飛び込んだ瞬間、照瑠は自分の身体の中から物凄い力が湧いて来るのを感じた。


(う、嘘……。なんなの、これ……!?)


 今までにない、恐ろしいまでの力の鼓動。内から無限に湧いて来る陽の気は、まるで不滅の太陽のような力強さを思わせる。癒し手として、古来より受け継がれし九条神社の巫女の力。そこに、かつては夜魅原村の三家の者だった魂が加わったことで、その力は数倍にも増していた。


 覚醒だ。自分でも知らない内に、照瑠は自分の中に秘めた巫女としての力が完全に解放されたのを感じていた。肉体を失い、邪神の眷属と成り果てた雛に、残された最後の良心とも言える青い蛍。その力を全て受け入れたことで、照瑠の力は今や完全に解き放たれた。かつて、今は亡き自分の母親がそうであったように、彼女は自分の中に溢れる陽の気を、強大な癒しの力として操る術を手に入れていた。


 あらゆる魂を食らう無限の闇。それを抑えることができるのは、全てを照らすことのできる光しかない。太古の昔、狐と呼ばれ畏怖される存在だった、自分の先祖が抱きし力。それが今、紅の握る闇薙の太刀の闇を抑え込んでいた。


「今よ、犬崎君! 一気にやっちゃえ!!」


「ああ……。こいつで終わりだ、化け物め! 赫の一族の末裔として……貴様は俺が消滅させる!!」


 刀身から溢れる無数の闇が、一つに収束されてゆく。数多の触手となって暴れ回っていた闇が、今や完全に紅と照瑠の支配下にあった。闇の力として恐れられる外法。そして、光の力として敬われる癒しの力。その二つを重ね合わせた今、呪剣の中に潜む貪欲な闇でさえ、彼らの支配から逃れることは不可能だった。


 闇薙の太刀の刀身が、今までになく巨大な黒い気に包まれる。その姿は、最早太刀と呼ぶには相応しくない。巨大な槍、もしくは斬馬刀――――馬ごと乗り手を斬り捨てる巨大な刀――――と呼んだ方が正しいだろう。


 刀身に乗せられた濃紺の闇が、紅の魂を震わせる。その鼓動に呼応するかのようにして、顔に現れた傷が横に細かく裂けてゆく。調度、二匹のムカデを這わせたように、純白の頬に赤い鮮血が筋を描く。


 互いの手を柄の上で重ね合わせたまま、紅と照瑠は闇薙の太刀を大きく振りかぶった。そして、振り降ろされた一撃が正面の空間を引き裂いたとき、巨大な振動と共に邪神の咆哮が響き渡った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 祠の前で、総司郎は白髪の悪鬼と対峙していた。


 呼吸が荒い。両腕に刻まれた退魔の梵字は、今や弱々しい輝きを示すだけになっている。


 一撃必殺。ただ、それだけを考えて、総司郎は敵を打った。時間をかければ不利になる。だからこそ、初撃で確実に仕留めてやる。そう思って敵を殴りつけたのだが、甘かった。


 確かに一撃必殺は、再生を行う敵には有効だった。そもそも再生する余裕さえ与えずに、最初から一気に叩き潰してしまえばよい。その考え方自体は、決して間違っているものではない。


 だが、現実はそう甘くはない。一体目の悪鬼を倒したのも束の間、どこからか赤い蛍達が再び集まり、新たなる悪鬼の姿を形成した。潰しても潰しても、まるでゴキブリのように次々と湧いて来る。そんな悪鬼を前にして、さすがに総司郎も焦っていた。


 一撃必殺は、その名の通り一撃で相手を倒すからこそ有効なのだ。それ故に、そうそう何発も放てるものではない。次々に現れる敵を全て一撃で倒していたら、いくら力があっても足りはしない。


 総司郎にとって唯一の救いは、悪鬼が複数同時に現れなかったことだ。蛍達は、どこか一カ所で悪鬼を生むと、他の場所では悪鬼になることができないのだろうか。もっとも、仮にそれが正しかったとしても、絶望的な状況であることに変わりはないが。


(さすがに、これ以上は限界っすね……。後一発、せめてこいつだけでも殴れる力が残ってればいいんすけど……)


 残された僅かな力。それを全て拳に込め、総司郎は最後の賭けに出る。だが、彼が飛び出そうとした瞬間、目の前の悪鬼が唐突に苦しみ悶え始めた。


「……っ! いったい、何が!?」


 総司郎の目の前で、悪鬼の身体がバラバラと崩れ落ちて行く。赤い蛍に戻ったそれは、まるでノミの子を散らしたようにして、方々へ飛んで逃げて行く。


 視力を失った総司郎には、その細かい様子まではわからなかった。ただ、邪悪な存在が崩れ去ってゆく様だけは、しっかりと感じることができた。


 悪鬼が消えたということは、あの肉の塊もまた消えたのだろうか。自分達が行った魂送りは、本当に成功したのだろうか。


「そうだ……! 先生は……!?」


 鳥居の前で肉塊を抑えていた魁のことを思い出し、総司郎は石段に続く道を駆け出した。人間の気を頼りに動かないのは盲目の自分にとって危険だったが、今はそんなことなど、彼にとっては些細な問題でしかないことだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 二つ目の祠。三つの祠の中でも一際老朽化の激しいものの前で、皐月と芽衣子は無数の亡者に囲まれていた。


 皐月の霊撃棍は、今や完全に力を失って沈黙している。動力としていた水晶の力を使い尽くした今、霊撃棍は下手な霊木刀以下の性能しか発揮しない。


 芽衣子の持つ霊撃銃も、これまた力を使い果たしていた。彼女の使う銃は霊能者専用のもの。それ故に、弾そのものは自身の霊力を用いればよいのだが、触媒には特殊な木札を必要とする。


 木札の力にはまだ余裕があったが、問題なのは芽衣子の力だ。元々、彼女は戦いに向いた力を持っていない。出鱈目な乱射を繰り返した結果、直ぐに自分の方が参ってしまったようだった。


「ひぃぃぃっ! もう駄目ですぅ! 今度こそ、もう何もかもお終いですよぉ!!」


 涙と鼻水で顔を濡らしながら、芽衣子は皐月の後ろで泣いていた。小太刀の霊木刀だけで最後まで抗おうとする皐月とは違い、完全に自分を見失っている。


「ああ……。でも、私、まだこんなところで死にたくないですぅ……。お姉様とチューもしたいし、ハグもしたいし……。それに、あんなことや、こんなことや……色々な『アーッ』なことだって、まだ全然してないですぅ!!」


 どさくさに紛れて、とんでもないことを口にする芽衣子。一度、口に出して言ってしまうと、後はもう歯止めが効かなかった。


「そ、そうだ! どうせここで死ぬなら、最後にお姉様の胸の中で死にますぅ! その豊かな胸で、私を萌え殺してください、お姉様ぁ!!」


 最早、完全に暴走し、芽衣子は皐月に抱きついた。いきなり正面に回られて抱きつかれ、皐月は慌てて芽衣子を振りほどこうともがく。が、芽衣子は皐月の胸に顔をうずめたまま、決してその手を離そうとはしない。


「ちょっと、芽衣子! どさくさに紛れて、なにやってんのよ!!」


「だってぇ……。最後くらい、サービスしてくれてもいいじゃないですかぁ、お姉様ぁ……」


「ふざけるんじゃないわよ! 言っとくけど……私はまだ、完全に諦めたわけじゃないんだからね!!」


 嫌がる芽衣子を強引に引き剥がし、皐月は改めて亡者達の群れと対峙する。ここで遊んでいて攻撃を受け、本当に芽衣子と心中してしまっては洒落にならない。


 ところが、そんな皐月の心配を他所に、亡者達の群れもまた攻撃の手を止めていた。まさか、この馬鹿馬鹿しい光景に呆れ果て、思わず躊躇してしまったのか。いくらなんでも、それはないと思いたい。


 皐月と芽衣子の目の前で、亡者の群れがどろどろと崩れて溶けてゆく。彼らを操っていた赤い蛍もまた、方々へと散って逃げて行く。


 いや、逃げているのではない。蛍達は何かに呼ばれるようにして、山の上へと昇って行った。その先に例の鳥居があることを思い出し、皐月は慌てて森の小道を走り出す。


「ちょっ……! どこ行くんですか、お姉様ぁ!?」


「いいから、早く着いて来なさい! それとも、ここに置き去りにされたいのかしら?」


「うぅ……。意地悪しないでくださいよぉ……!!」


 後ろも振り返らず走り出した皐月の後を、芽衣子が泣きながら追いかける。二人の去った森の中では、祠の中に置かれた神鏡が静かに光り輝いていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ふぅ……。た、助かったぁ……」


 大地に溶けて消えて行く亡霊達の姿を見て、亜衣はへなへなとその場に座り込んだ。


 三番目の鏡を正位置に戻しても、亡者達の姿は消えることがなかった。浩二が霊撃銃でいくらかは撃退したが、それでも限界はある。今度こそ、本当に駄目だろう。そう思った矢先、唐突に全ての霊が姿を消したのだ。思わず気が抜け、亜衣が座り込んでしまったのも無理はない。


「大丈夫、亜衣ちゃん?」


 雪乃が心配そうな顔を亜衣に向けた。


「立てるか、嶋本。どっか、まだ身体が痛むとかだったら、俺が背負ってやってもいいぞ」


 そう言いながら、浩二も亜衣に手を差し伸べてくる。洞窟で拘束されていたことで、亜衣がまだ満足に回復していないのではないか。それを気遣ってくれたようだが、亜衣はあえて申し出を断った。


「うん、なんとか大丈夫。ゆっきーも、長瀬君も、心配掛けてごめん……」


「無理はすんなよ。もし、無事に生きて帰っても、お前の身体に傷でも残ったら詩織に怒鳴られちまうからな」


「ありがと、長瀬君。でも、本当にもう、自分で立てるから平気だよ。それに、加藤さんっていう恋人がいるのに私のことおんぶなんてしたら、それこそ後で修羅場になっちゃうかもよ? だから、ここは気持ちだけありがたく受け取っておくね」


 スカートについた砂を払い、亜衣は大袈裟に両手を振って立ち上がった。最後に自分の頬を軽く叩き、気合を入れ直して拳を握る。


「とりあえず、幽霊たちが消えたってことは、儀式は成功したのかな?」


「さあな。まずは、皐月さんや御鶴来先生と合流しねえと、なんとも言えねえんじゃねえのか?」


「そうね。それに、犬崎君や照瑠ちゃんがどうなったのか……それも心配だわ」


 雪乃の言葉に浩二と亜衣も頷いた。果たして儀式は成功したのか。そして、あの鳥居の中から外に出ようとしていた化け物は、いったいどうなってしまったのだろう。


 気になることは多かったが、いつまでもここにいても仕方がない。三人は森を抜ける細い小道を、鳥居に通じる石段目掛けて走り出した。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 三柱の鳥居に張り巡らせた結界が、音を立てて千切れて行く。


 額に脂汗を垂らしながら、魁はなんとか最後の一筋となる光で結界を繋ぎ止めていた。


 梵字の書かれた鉄扇をバラし、それを媒介に結界を張る。式神を失った魁の最終奥義とも呼べるそれは、時に祟り神でさえも封じ込めるだけの力を持つ。


 だが、そんな魁の自慢とする結界でさえ、強大な力を持つ邪神にはいつまでも通用するものではなかった。他の者には持って十五分から二十分と言っていたが、実際には十分持てばよいところだ。それを、ここまで抑え込むことができたのだから、我ながら称賛に値すると言ってよい。


 いや、本当は、全てが自分の力ではない。実は、結界を張ってから一度だけ、邪神の力が弱まる瞬間があったのだ。そのため、本来であれば完全に引き千切られていたであろう結界は、辛うじて邪神を鳥居の中に抑え込みながら顕在している。


 あれはもしや、総司郎達が魂送りを成功させた印だったのだろうか。ならば、望みはまだ残されている。邪神の力が弱まった今こそ、全てを捨ててでも一気に畳みかけるときなのかもしれない。


 そう、魁が考えたとき、結界を繋ぎ止めていた最後の稲妻が音を立てて千切られた。途端に鳥居の中の肉塊が勢力を取り戻し、瞬く間に膨れ上がってゆく。


「おいおい、マジかよ。こんだけ頑張ったってのに、ラスボスで全滅なんて洒落にならないね、まったく……」


 冗談交じりに言いながらも、魁の顔は笑ってはいない。持てる手段を全て使い尽くし、今や自分は完全に無防備な状態だ。結界が残っていれば可能性もあったが、既にその希望さえ潰えてしまった。万策尽きたりとは、正にこのような状況のことを言うのかもしれない。


 人間の身体が固まってできたような、醜悪な肉塊が風船のように膨らんでゆく。そのまま鳥居を破壊し、完全にこちら側の外に出ようとしているのだろうか。時折、ゴボゴボと何かの溢れるような音がして、肉塊は周囲にどす黒い液体を撒き散らしながら広がってゆく。


 だが、そうして膨らんでゆく肉塊を目にしたとき、魁は奇妙な違和感を覚えて顔をしかめた。


 様子がおかしい。肉塊が、まるで苦痛を訴えるようにして、そこら中に黒い液体やガスを撒き散らしている。眷属である赤い蛍さえも呼ばず、ただ痛みに耐えるようにしてのたうちまわっているだけだ。


 やがて、肉塊が限界まで膨れ上がったところで、その中心から今までにない強大な闇が溢れ出した。闇の生んだ衝撃はそのまま強い風となり、魁は思わず腕で顔を庇って後ろに下がる。


 巨大な水風船が破裂するような音がして、肉塊は粉々に弾け飛んだ。爆発と共に、三柱鳥居の中央――――先ほどまで肉塊が鎮座していた場所――――に、一組の男女の影が姿を見せる。


 煙が消え、飛び散った肉塊がひくひくと震える中、彼らはゆっくりと歩み出た。紅と照瑠。二人の力が一つになって、恐るべき祟りの元凶を打ち砕いた瞬間だった。

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