表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/19

~ 拾伍ノ刻  復活 ~

 九条照瑠は夢を見ていた。


 夢の中で、彼女は薄暗い森の中にいた。森の小道にたった一人、気がつくとそこに立っていた。


 いったい、ここはどこなのか。考えても、いまひとつ思い出せない。自分がここにいる理由。それがどうしてもわからない。


 しばらくすると、小道の先に小さなオレンジ色の光が見えた。光が近づいて来るにつれ、照瑠はそれが、神楽のような衣装を着た数名の男達であるとわかった。


 先頭を行く男の手には、なにやら杖のような物が握られていた。杖の先には無数の鈴がついており、それが歩くたびに揺れてシャラシャラと音を立てる。しんと鎮まり返った森の中で、鈴の音は普段よりも響いて聞こえるような気がした。


 男達の後ろから現れたのは、白装束に身を包んだ一人の少年だった。照瑠はその少年の姿を見た途端、思わず声を上げそうになって動けなくなった。


(えっ……? け、犬崎君!?)


 白金色の髪と赤い瞳。そして、脱色されたように白い肌。少年の容姿は、あの犬崎紅と同じものだ。しかし、よく目を凝らして見ると、彼が紅とは別人であることが照瑠にもわかった。


 少年の髪は紅よりも長く、その顔つきも幾分か穏やかである。身体つきも細く、弱々しく、悪霊や妖怪を相手に戦う紅と比べると随分と貧弱だ。白装束を身に纏ったその姿は、まるで彼が、本物の幽霊ではないかという錯覚を与えてしまう。


 男と少年が去り、行列は更に続く。次に姿を現したのは、その手に鏡を持った少女達だった。少女の数は、合わせて三人。その誰もが神妙な顔つきをして、無言のまま男に付き従っている。顔にはおよそ感情らしきものが見られず、己の気持ちを押し殺しているようにも見える。


 これは、いったい何なのだろう。照瑠が答えを出すより早く、最後には奇妙な人形を抱えた男達が姿を現した。男の背に背負われているのは巨大な藁人形。そこには無数の札がつけられており、見る者になんとも言えぬ禍々しい印象を与えている。


 これは、いったい何なのか。何やら儀式のようなものであるとは感づいていたが、それが何の儀式なのかまではわからない。


 やがて、先頭の男は照瑠の前に立つと、その隣にあった祠に一礼をして後ろを向いた。そして、後続の娘達に目で合図すると、一足先に祠の前から立ち去って行った。


 杖の先で揺れる鈴の音が、だんだんと遠くなってゆく。行列の中から一人の少女が現れて、手にした鏡を祠の中へと奉納する。残りの者は男達に続いて祠を離れ、後には鏡を納めた少女と照瑠だけが残された。


「あ、あの……」


 そう、口にしたつもりだったが、声が出なかった。先ほどの男達も、目の前の少女も、照瑠にはまったく気がつく様子がない。彼女の声も聞こえていないようで、少女はまるで明後日の方を向いたまま、無言でそこに立ち尽くしている。


 どうやらこの世界では、自分は目に見えない透明人間のような存在らしい。確証はなかったが、照瑠はなんとなくそれを察していた。身体は自由に動かせるようだが、声も出せず存在さえも気づかれない。自分がこの世界に干渉することは、何ら不可能なようだった。


 祠の前で、鏡を納めた少女はどこか儚げな目つきで山の上を見つめている。その顔に、どこかで見覚えがあるような気がして、照瑠は思わず首を傾げた。自分の知り合いに、こんな顔の少女はいなかったと思うが……では、目の前の彼女に感じる既視感は何だろう。


 だが、照瑠がその答えを出すよりも早く、少女はいきなり思い立ったようにして走り出した。突然のことに驚く照瑠だが、直ぐに気を取り直して少女の後を追った。理由は自分でもわからなかったが、なぜか彼女の後を追わねばならない気がして仕方がなかった。


 山の上に続くであろう、ほとんど獣道のような小さな道。藪を掻き分け進んでゆくと、唐突に開けた場所に出た。


「えっ……!? ここって……」


 聞こえるはずがないとはわかっていても、照瑠は思わず自分の口を両手で抑えて固まった。彼女の目の前に現れたもの。それは、自分達に死の祟りを振りかけた、あのビデオに映っていた三柱鳥居に他ならなかったのだから。


 茂みの影から、先ほどの少女が広場の様子をそっと窺っている。きっと、これは彼女にとって、覗いてはいけない何かに違いない。


 少女に気づかれないよう注意しながら、照瑠もまた茂みの中から目の前の光景に目を凝らした。もっとも、どれだけ側に近づいても、少女は照瑠に気が付く様子はなかったが。


 鳥居の正面には、先ほどの行列で先頭を務めていた男がいる。それに付き従うようにして、二人の男が立っている。


 男の手に握られているのは、切っ先の鋭い日本刀だ。彼らは宮司のような男の合図と共に、鳥居へゆっくりと近づいてゆく。鳥居の中には、これは先ほどの行列に加わっていた少年だろうか。あの、白装束を着せられた、紅と同じ容姿をした人間が座っている。


 鳥居の中で、少年は何も言わずに静かに座っていた。これから自分に起こることを、全て受け入れるだけの準備はある。そんな覚悟を決めているかのような表情に、照瑠は何やら自分の中で、嫌な予感が膨れ上がってゆくのを抑えきれなかった。


 果たして、そんな照瑠の予想は正しく、男達の手に握られた日本刀が少年の首元目掛けて振り降ろされた。右と左、それぞれの頸動脈をかき切られ、少年の首筋からおびただしいまでの血が溢れ出す。ほとばしる鮮血は男達の衣服を赤く染め、さらには一筋の川となって、鳥居のそびえ立つ大地を濡らしてゆく。


 だが、そうして流れ出たはずの血液は、まるで何かに吸い取られるかのようにして、そのまま大地へと吸収された。鳥居の底に潜む何かが、少年の血を飲み干しているとでも言うのだろうか。あれだけの出血があったにも関わらず、少年の流した血は綺麗に大地へと飲み込まれ、そこには僅かな血痕さえも残されてはいなかった。


(な、なに……。なんなのよ、これ……)


 自分の目の前で繰り広げられた惨劇に、照瑠は目を離すことができなかった。本当は恐ろしくてたまらないのに、身体が硬直して動かない。それは隣にいる少女も同様で、震える指先で口元を覆ったまま、少年の身体が崩れ落ちるのを見ているだけだった。


 やがて、少年が完全に事切れたところで、男達はその遺体の上に次々と藁人形を重ね始めた。村人達が背中に背負い、運んでいたものだ。


 三人の男達の手によって、少年の遺体は瞬く間に人形の山に隠された。最後に、宮司のような男が合図をすると、残りの二人が鳥居の周りに置かれた篝火から火を取った。そして、燃え盛る松明の先端を人形に近づけ、山積みにされたそれに火をつけた。


 藁で作られた人形が、煌々とした光を放ちながら燃えてゆく。三柱の鳥居の中央から、天井に作られた三角形の穴を抜けて、煙が天へと昇ってゆく。


「あ……あぁ……」


 震えるような声に、照瑠はハッとして我に返った。横を見ると、そこには今しがたの一部始終を目撃した少女が、独り声を押し殺して震えていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 気がつくと、照瑠は再び先ほどの森の中に戻っていた。自分の隣には、見覚えのある祠がある。何が起きたのかわらかぬまま、照瑠は何気なく祠の中を覗いてみた。


 先ほどは、少女が鏡を納めたはずの小さな祠。だが、今はその鏡の姿も見当たらない。祠の中はガランとしており、空っぽの闇だけが広がっている。


 小枝を折るような音を聞いて、照瑠は思わず身構えた。誰かがこちらに近づいて来る。隠れる必要はないとわかっていたが、念のため、照瑠は近くの茂みに身を隠した。


 小道の向こうから、着物姿の少女が姿を現す。あの、三柱鳥居での惨劇を、照瑠と一緒に目の当たりにした少女だ。彼女の顔は酷く暗く、しかしどこか笑っているようにも見える。その瞳はどんよりと濁り、深い悲しみと絶望が感じられた。


 祠に近づき、少女はなにやら鏡のようなものを取り出した。今は、彼女一人なのか、辺りに他の人間がいる様子はない。少女は取り出した鏡を祠に納めると、病んだ目つきのままにやりと笑う。


 少女が祠に納めた鏡は、彼女が行列に加わったときのそれとは違う置かれ方をしていた。あのときは鏡の面が祠の外から見える状態になっていたが、今は反対だ。鏡の裏面が外側に、表面は内側に向けられている。


(なにしてるんだろう、あの子……)


 少女の様子が気になって、照瑠は茂みの中から少しだけ顔を出した。その際、茂みが少しだけ揺れたような気がしたが、例の如く少女はまったく気づくことはなかった。どうやらこの空間では、自分は本当に透明人間のような存在らしい。


 鏡を納めた少女の姿が、小道の奥へと消えてゆく。慌てて照瑠が後を覆うとすると、途端に辺りが真っ暗になった。


(な、なに!? 今度は何なの!?)


 いきなり暗黒の宇宙空間の中に放り出されたような気がして、照瑠は思わず手足をバタつかせた。が、直ぐに身体が重くなり、自分の脚がしっかりと大地を踏みしめていることに気がついた。


「ここは……」


 辺りの景色が、また変わっていた。目の前には巨大な三柱鳥居。また、あの惨劇のあった場所へと戻されたということなのだろうか。


 照瑠が鳥居の中へ目をやると、そこには先ほどの少女がいた。少女は鳥居の中に正座し、その手には鋭い短剣がしっかりと握られている。短剣の切っ先を自分の胸元に向けたまま、少女は月明かりの下で病んだ笑み浮かべている。


 次の瞬間、何の前触れもなく、少女は己の身に短剣を突き刺した。胸元から血が溢れ出し、少女の身体が後ろ向きに倒れる。溢れ出る鮮血に染められながら、少女は恍惚とした表情を浮かべ、夜空に浮かぶ月を眺めている。


 いったい、何が起きているのか。あまりに急な展開に、照瑠は目の前で起きていることを追うだけで精一杯だった。


 少年が殺された鳥居の中で、同じく命を断った少女。彼女は自殺をしたのだろうか。では、なぜこんな場所で、わざわざ死なねばならなかったのか。単に命を断つだけならば、鳥居の中でなくとも構わないはずだ。


 崩れ落ちた少女の亡骸に近づこうと、照瑠はそっと足を踏み出した。ところが、そんな彼女の意思を砕くように、物凄い風が鳥居の周囲に吹き荒れた。


 これは、ただの風ではない。照瑠は直感でそれに気づいていた。風は鳥居の入口、三方向に設けられたそれの中に、吸い込まれるようにして流れてゆく。そして、その風が鳥居の天井を突き抜けた瞬間、少女の倒れている場所からどす黒い何かが溢れ出した。


「うっ……。なんなの、あれ……」


 少女の亡骸を包む黒い塊を見て、照瑠は思わず吐き気を催し後ずさった。粘性の高そうな漆黒の物体に絡め取られ、今や少女の姿を見ることさえもできない。塊は徐々に塔のような形となってゆき、それはやがて人間の姿を形作ってゆく。


 再び風が吹き、鳥居の中にある塊がぐにゃりと歪んだ。塊の中から、何やら青白い物体が吐き出される。それは一匹の蛍のようにも思われたが、直ぐに茂みの中に消えて見えなくなる。そして、その間にも塊は変化を続け、やがて完全に人の姿となる。そこに立っていたのは、先ほど命を断ったばかりのあの少女だった。


(あ、あの子……。そうだ、思い出した! あの子は、確か……)


 鳥居の中に佇む少女の姿を見て、照瑠は自分の身体に稲妻が走ったような衝撃を受けた。赤い着物を着て、歪んだ笑みを浮かべている少女。間違いない。彼女は芽衣子に憑依して、その身体を乗っ取ったあの怨霊だ。


「うふふふ……。あはははははっ……・」


 突然、鳥居の中央で、少女が狂ったように笑いだした。両手をだらりと垂らし、死んだ魚のように目を泳がせて、全身を小刻みに震わせている。


 ここにいてはいけない。そう、照瑠が思ったときには遅かった。


 狂笑する少女が両手を大きく上に掲げ、何かを呼び出すような仕草を見せる。その動きに呼応するかのようにして、鳥居の下から無数の赤い蛍が溢れ出した。蛍の群れは、まるで輝く火花がそのまま奔流となったような動きを見せ、瞬く間に辺りに広がってゆく。


 赤い蛍の群れに飲み込まれながら、照瑠はその先に未だ狂った笑い声を上げている少女の姿を見た。そして、更なる蛍の群れが照瑠を包み、彼女の意識はそこで途切れた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 気がつくと、照瑠は再び何もない真っ暗な空間の中にいた。ゆっくりと身体を起こすと、足が大地についている感触を覚えてほっとする。目には見えないが、どうやら今度は宇宙空間のような場所に投げ出されているわけではないらしい。


 だが、安心したのも束の間、照瑠は自分の前に佇む少女の顔を見て思わず悲鳴を上げた。あの、鳥居の中で狂笑していた少女。芽衣子に憑いた、赤い蛍を操る怨霊が、こちらをじっと見つめていたのだから。


「い、いや……。来ないで……」


 目の前に佇む少女の姿に、照瑠はじりじりと後ろに下がる。自分の力では、この悪霊には敵わない。そう、わかっているものの、身体が硬直して動かない。


「怖がらないで……。私は、あの子とは違う。ただの、魂の片割れに過ぎないから……」


 突然、少女が口を開いた。その口から出る声が思いの他に優しかったことに、照瑠はしばし拍子抜けした顔をして少女を見る。


 よくよく見ると、少女の雰囲気は先ほどとは随分と違っていた。狂気に溢れた瞳は既になく、全身もどことなく青味がかっている。


(そう言えば……)


 記憶の糸を辿り、照瑠は自分が以前にもこの少女と出会っていることに気がついた。悪霊に憑かれた芽衣子を追い、あの大きな屋敷を訪れた際のこと。皐月と離れ離れになり、白髪の悪鬼に襲われたときに、照瑠を助けてくれた青白い蛍。その蛍が最後に姿を変えた、不思議な少女のことを思い出した。


「あなた……誰なの?」


 恐る恐る、照瑠は少女に声をかける。完全に警戒心を解いたわけではなかったが、少なくとも、相手に敵意のような物は感じられなかった。


「私は雛。この村で祭事を司る三家の内の一つ、有澤家の娘よ」


「祭事を司る……。ってことは、あなたは巫女さんか何かなの?」


「そうね。実際は少し違うけど……まあ、そういう言い方もできるわね」


 雛と名乗った少女の霊は、そう言いながら少しだけ顔を下に向けた。自分は、そんな大層な存在ではない。そう言いたげな表情で、伏し目がちに話を続ける。


「あなたが今まで見てきた物は、この村で過去に起きた惨劇の記憶よ。この村が、怨霊達の住処になってしまった……その原因がなんなのか、知って欲しかったの」


「過去の惨劇? それじゃあ、まさかあの赤い蛍たちが、村の人達を……!?」


 雛が静かに頷く。やはり、この村が死の村となった原因は、あの赤い蛍だったのだ。では、連中はいったい何者で、どこからやって来たというのだろう。その疑問に答えるようにして、雛はこの村に伝わる儀式について語り出した。


「この村には、昔から伝わる古い儀式があったの。一つは、死者の魂をあの世へ送る魂送り。あなたが最初に見た、大きな藁人形を背負って村々を回り、最後に鏡を祠に奉納するという儀式よ」


「魂送り……。御鶴木先生が見つけた、巻物に書かれていたのと同じね」


 屋敷で魁が言っていたことを思い出し、照瑠は頷いた。照瑠が最初に見た、あの奇妙な行列。あれこそが、魂送りと呼ばれる儀式の一部だったに違いない。


「もう一つの儀式は、これは白禊と言ってね。その詳細は、村の中でも三家の一部の人間しか知らなかったの。誰も見てはいけない、知ってはいけないこととして、昔から伝えられてきた物だから」


「白禊? 何なの、それは?」


「三家の中の一つ、月宮家。その家には、極稀に赤い目をした白い肌の人間が生まれることがあったの。その人間はお白様……生き神様として、村の人から崇められる存在だったわ。でも、お白様の本当の役割は、ただの生き神様なんかじゃなかったの……」


「赤い目をした人間……。犬崎君と同じね……」


 鳥居の中で惨殺された少年の姿が、再び照瑠の頭の中に蘇って来た。紅と同じ、赤い瞳と白い肌を持っていた少年だ。彼と紅の家系に何の関係があるのかは不明だったが、もしかすると彼もまた、紅のような霊的に鋭い感性を持ち合わせた人間だったのかもしれない。


「あなたが鳥居のところで見た、惨たらしい儀式があったでしょう。あれが、白禊の真実だったのよ。お白様を生贄に、村に溢れる赤い蛍の力を沈める儀式。お白様が生き神様なんてのは方便で……本当は、単に生贄として捧げるために、その時が来るまで飼い殺しているに過ぎなかったの……」


「い、生贄って……。そ、それじゃ、私があの鳥居のところで見たのは……」


「そう……。あれが、白禊の真実よ。この村の伝説にある、死を呼ぶ赤い蛍。それが飛んだ年には、ああやって生贄を捧げることで、それを祓えると信じていたの」


「生贄って……。いくらなんでも、そんなの馬鹿げてるわよ! どんな迷信か知らないけど、人を殺して何かを鎮めるなんて……そんなこと、絶対に許されることじゃないわ!!」


 少女の口から告げられた言葉に、照瑠は思わず声を荒げて叫んでいた。


 赤い蛍が飛んだ年には、白禊と称して今まで飼い殺していた人間を生贄に捧げる。お白様とは、そうやって生贄に捧げるための人間を飼い続けるための、一種の方便に過ぎなかった。なんとも胸の悪くなる、聞いているだけで腹立たしくなってくる話だ。


「あの日……お白様として生贄にされた人はね……私の大切な人だったの。血は繋がっていなかったけど、私は本当の兄のように彼を慕っていたわ」


「大切な人、か……。それは辛かったわね」


 雛の顔と口調から、照瑠はお白様として殺された少年が、雛にとって兄以上の存在だったのではないかということを敏感に悟った。雛は慕っていたとしか言わなかったが、本当はそれ以上の感情を抱いていたのではあるまいか。兄としてではなく異性として、恋慕に近い感情を抱いていたのではあるまいか。


 自分の想い人が無残に殺される様を、まざまざと見せつけられてしまったという現実。その辛すぎる経験が、彼女の狂気へと走らせた。そう考えれば、あの鳥居の中で狂ったように笑っていた姿も容易に想像できるというものだ。


「お白様が……燈馬兄とうまにいがいなくなったことで、私は気が動転してしまったのね……。それからしばらくは、心の中が空っぽになったみたいに過ごしていたけれど……ある日、決して知ってはいけない、最後の儀式について知ってしまったの……」


「最後の儀式?」


「ええ……。魂送りが死者の魂をあの世へ送る儀式なら、その反対で、逆参りというのがあるの。魂送りとは反対の順路で祠を巡り、そこに鏡を反対向きに奉納することで、死者の魂を呼び戻す儀式よ」


「死者の魂を呼び戻すって……ま、まさか!?」


 背中に冷たい物が走る感触に、照瑠は声を震わせた。彼女の言葉に、雛も無言のまま小さく頷く。照瑠の考えが正しければ、雛が取った行動はただ一つ。逆参りによる、お白様の復活だ。


「三家の人間の中でも、私はあまり身分の高い方ではなかったわ。でも、それぞれの家への出入りは自由だったから、隙を突いて神鏡を盗むのは簡単だった。後はそれを使って逆参りを行って……最後に、自分を生贄に、こっちの世界に燈馬兄を呼び出そうとしたの。例え、死んで魂だけになったとしても……そのまま蛍に生まれ変わって、どこか誰もいない山奥で、ひっそりと暮らせばいいかって……そう、思ってたのに……」


 だんだんと、雛の声が小さくなってきた。彼女の口調と、照瑠が最後に見た雛の姿。赤い蛍の群れの中で狂ったように笑い続ける彼女の姿が、儀式の失敗を暗に示していた。


「ねえ、雛さん。あなたが言っている逆参りって、本当に死者の魂を呼び戻すような儀式だったの?あの赤い蛍の群れが現れたのは、単に儀式が失敗したからなの?」


「難しい質問ね、それは……。結論から言えば、逆参りの儀式は失敗よ。儀式で呼び出せたのは、燈馬兄の魂なんかじゃない。今まで、白禊によって抑えられていた、死を呼ぶ赤い蛍の群れだったの。でも……本当は、儀式が失敗したことは、まだよかったのかもしれないわ。本当に逆参りの儀式が成功していたら、それこそただでは済まなかったかもしれないから……」


「どういうこと?」


「逆参りの儀式はね……その、何もかもが、魂送りの儀式の反対だったのよ……。魂送りが先祖の魂をあの世へ帰す儀式なら、逆参りはその正反対。決して覗いてはならない闇の世界から、恐ろしい死の使いを呼び出す儀式だったの……」


「そ、そんな……。それじゃあ、あの赤い蛍の群れは……」


 それ以上は何も言えず、照瑠は言葉を失った。逆参りが魂送りの反対ならば、確かに雛の言っていることは説明がつく。そしてそれは、あの赤い蛍達が、儀式によって暗黒の異界から呼び出された存在であるということも示している。


「逆参りの儀式で、私は最後に自分で自分を生贄にしたの。そこで、私の身体の中にどす黒い物が入って来るのがわかって……そのときに、全てを知ったのよ。魂送りのこと、逆参りのこと、それに白禊でお白様の血を捧げていた存在が、いったい何なのかも……」


「お白様の血……。そういえば、鳥居の中で殺された人の血……どんどん地面に吸い込まれていったような……」


「あれは、鳥居の底に潜んでいる者にお白様の血を吸わせることで、溢れ出る闇を抑えていたのよ。逆参りの儀式も、基本的には同じ。だから、私が私を生贄にしても、全部が全部成功したわけじゃない。赤い蛍……社の底に潜んでいた者の一部を呼び出すだけの、不完全なもので終わったわ……」


「不完全って……。でも、それでも村は、その赤い蛍のせいで全滅したんでしょ!?」


「ええ、そうよ。だから、最初に言ったでしょ。本当に儀式が成功していたら、この程度の惨劇では済まないことになっていたって……」


 雛の視線が、また下の方へと向けられた。自分が犯してしまった過ちに対し、自責の念を感じているのだろう。もっとも、彼女の行いによって村が滅んだのは事実であり、それは許されることではない。最初から悪意があったわけではないのだろうが、それだけに彼女自身も辛いのだろう。


「赤い蛍の群れに包まれてゆく内に、私は自分が自分でなくなってゆくのを感じたわ。でも……儀式が不完全だったからなんでしょうね。最後の最後で、私は自分の魂の一部を、なんとか切り離すことができたの。今の私は、そんな魂の欠片みたいなものよ」


「魂の欠片……。それじゃあ、本当のあなたは、もう……」


「ええ、死んでいるわ。それも、ただ死んだだけじゃない。魂のほとんどを、鳥居の底に眠る者に奪われて……完全にやつの眷属になってしまっている」


「そんな……」


「あれは、私であって私でない。彼女は私の中にあった、燈馬兄への想いが歪んだ形で固まったものよ。だから、彼女は今でも本当の逆参りを行うために、生贄になる者が現れるのを待っていたの」


「生贄って……まさか、それって犬崎君のこと!?」


 照瑠の言葉に、雛が小さく頷いて答えた。なんということだ。芽衣子に取り憑いていた悪霊の正体。それは、目の前にいる少女の悪意と情念が凝り固まり、邪悪なる存在の手先と成り果てた存在だった。だとすれば、そんな彼女が行おうとしていることはただ一つ。自分ではなく、より強い力と適性を持った人間を生贄にし、本当の逆参りを成功させることだ。


 逆参りが魂送りの反対であれば、それの成功が意味することは照瑠にもわかる。即ち、鳥居の下に眠る邪悪な存在が、今度こそ完全に目覚めるということ。得体の知れない、それこそ照瑠の力などでは到底手に負えないような恐ろしい存在が、こちら側の世界に蘇るということだ。


「さあ、急いで……。このままだと、彼女は本当に真の逆参りを成功させてしまうわ。そして……それは、あなたの大切な人が、邪悪な存在の生贄にされてしまうということよ……」


「犬崎君が!? そんな……嘘よ! 犬崎君は、負けるはずない!」


 嘘だと言って欲しかった。あの紅が、負けることなどあり得ない。いつ、どんなときであれ、必ず紅は勝ってきた。だからこそ、照瑠もまた彼を信じていた。


 だが、そんな照瑠の気持ちとは反対に、雛は首を縦に振ろうとはしなかった。代わりにその身体がだんだんと透けてきて、存在そのものが薄くなってゆく。


「待って!」


 消え行く雛に手を伸ばし、照瑠はなんとか彼女を繋ぎとめようとした。しかし、その手は虚しく宙を舞い、雛の身体をすり抜けてしまった。


「ごめんなさい。でも、もう時間がないの。それに……今の私は、本当にただの欠片みたいなものだから。こうして、あなたの夢の中で、真実を伝える程度のことしかできないわ……」


「で、でも……。私の力なんかじゃ、犬崎君を助けるなんて、とても……」


 あの紅が敵わないような相手に、自分が敵うはずがない。そう思って口にした言葉だったが、それにも雛は答えなかった。


 やがて、完全に雛の姿が消えてしまうと、辺りには一面の暗闇だけが残された。そして、凄まじいまでの滑落感が照瑠を襲い、彼女の意識もまたそこで途切れた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夜の病院は、いつもと同じように静まり返っていた。


 見舞客のほとんどが帰ってしまった院内で、加藤俊介は妹の詩織の側にいた。


 彼女が倒れ、意識を失ってから既に一週間。その間、詩織の容体は一向によくならなかった。医者も原因不明であると首を傾げるばかりであり、彼女の意識を戻すための術は見当たらない。両目を覆うようにして巻かれた包帯は痛々しく、彼女が今の死に淵を彷徨っていることを物語っている。


 詩織が倒れた本当の原因。俊介は、それを知っていた。


 ビデオに映っていた三柱鳥居の祟り。それが詩織を今のような姿にした元凶だ。一昔前の俊介であれば、端から相手にしなかっただろう。だが、恋人の沙耶香が巻き込まれた事件を通して、彼もまた向こう側の世界・・・・・・・のことについて、少しばかり信じるようになっていた。


 祟りを祓うには、祟りの元凶を叩くしかないということ。詩織が祟りに耐えられるのは、持って一週間だということ。それらの話を聞かされたとき、俊介は地獄に突き落とされたような感覚を味わったのを覚えている。


 なぜ、詩織が祟りになど遭わねばならないのか。自分にできることは何かないのか。いくら考えても、答えなど見つかりそうにない。今はただ、照瑠や紅、それに皐月といった向こう側の世界・・・・・・・の者達と通じる力を持った者を、信じて待っている他にないのだ。


 ふと見ると、詩織の首から下がっている紙人形が、酷く黒ずんでいるのが目に入った。祟りの矛先を逸らす依代として、犬崎紅が詩織に施したものだ。数珠つなぎにされた人型は、今や十二個の内九個までが黒く変色してしまっていた。


 この人型が全て黒くなってしまえば、詩織は瞬く間に祟りに食い潰されてしまう。そして、そのタイムリミットとして紅が言ったのが、およそ一週間であるという。


 だが、そんな紅の予想とは裏腹に、詩織は随分とよく耐えた。本来であれば、既に全ての人型が黒く変色していてもおかしくない。それだけの時間が経っているというのに、詩織はまだ心の底で抗っている。


 妹は、まだ諦めたわけではない。詩織はまだ、生きたいと願う気持ちを失ったわけではない。だからこそ、こうして耐えている。そう、俊介は思っていた。


 病室の扉が開く音がして、俊介はそちらに顔を向けた。そこに立っていたのは、恋人の沙耶香。それに、見覚えのある二人の中学生の姿だった。


「よっ、俊介さん。詩織姉ちゃんの様子、どう?」


 中学生の一人、長瀬晶が、随分と軽い口調で言った。もっとも、それが単なる虚勢であることを俊介も知っている。だからこそ、不謹慎であると知りつつも、あえて咎めるようなことはしない。


「まだ、紙人形は三個も残ってるよ。相変わらず意識は戻らないけど……詩織は詩織で、頑張っているんだと思う」


「そっか……。でも、もうすぐ一週間経っちまうんだよな。紅兄ちゃんとか、照瑠姉ちゃんからの連絡、まだないのか?」


 病室につかつかと入りながら、晶は俊介に訊ねた。俊介が無言のまま首を横に振ると、晶の顔にも少しばかりの影が射した。


 詩織の恋人、長瀬浩二は晶の兄だ。彼もまた、照瑠や紅と同じように、詩織を助けると言って姿を消した。それから一週間、家では随分と騒ぎになったが、未だに兄からの連絡さえない。残された弟としては、これはさすがに不安になる。


 兄だけでなく、紅と照瑠、それに詩織など、今まで世話になった人間がまとめて自分の周りから消えてしまう。それも、一時の別れなどではなく、下手をすれば永遠の別れになる可能性さえある。そんなことを考えてしまうと、もう駄目だった。


「ったく……。自分の女くらい、自分でちゃんと守ってやれよな……」


 この場にいない兄の顔を思い浮かべ、晶は何気なく口にした。だが、次の瞬間、詩織の首元にあった紙人形が、瞬く間に黒ずんでゆくのを見て唖然とした。


「なっ……! に、人形が、まとめて二つも!?」


 残された三つの紙人形。それが突然、二つまとめて黒く変わった。残る人形は後一つ。それでさえ、徐々に黒ずみ始めている。事態が悪い方へと流れていることは、晶の目から見ても明白だった。


「なあ……。俊介さん……」


「ああ、わかってる。まずいぞ、これは……」


 人形に現れた変化を目にし、俊介も苦い顔をして言葉を切った。ここに来て、急に祟りの力が強まったのか。それとも、詩織の精神がいよいよ限界を迎えようとしているのか。どちらにせよ、まずい状況であることは間違いない。


「畜生……。あの、馬鹿兄貴! 詩織姉ちゃん放っておいて、どこで何やってんだよ!!」


 ベッドの手すりをつかみ、晶が叫んだ。今はただ、信じて待つ他にない。そう、頭ではわかっていても、言葉に出して叫ばずにはいられなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 照瑠が目を覚ましたとき、そこは薄暗い洞窟の中だった。


 霞む目を擦って辺りを見ると、なにやら自分を覗きこんでいるたくさんの顔がある。それが皐月や亜衣、それに雪乃や浩二のものだとわかり、照瑠はハッとして身体を起こした。


「大丈夫、照瑠ちゃん? 随分と、うなされていたみたいだけど……」


 照瑠の肩に手をかけて、皐月が心配そうに訊ねてくる。だが、照瑠はその手を軽く払うと、慌てた様子で駆け出した。


「ちょっと、照瑠ちゃん! どこへ行くつもりなの!?」


 皐月が叫んだが、照瑠は答えなかった。残念だが、今は返事をしている時間さえ惜しい。本当は夢で見たことを説明したかったが、そんな暇さえ照瑠にはなかった。


 夢の中で、雛は照瑠に告げた。自分の片割れ、歪んだ情念の部分が生み出した、邪悪なる者の手先が、いよいよ真の逆参りを行おうとしていると。そして、その生贄として、他でもない紅を選んだということを。


 雛の話が正しければ、それは紅が敗北したことを意味する。あの紅に限って、そんなことはない。そう信じたい気持ちもあったが、やはり不安の方が大きかった。


 後ろから追ってくる皐月達の足音を尻目に、照瑠は洞窟の中を走り抜けた。途中、突き出た石に躓きそうになりながらも、なんとか外に抜け出した。


 洞窟の中とは違い、外の空気は生ぬるい。肌にまとわりつく不快な感触に、照瑠は思わず顔をしかめる。この村は確かに、陰の気の溢れる場所であるが、ここまで酷く不愉快な空気が漂っていただろうか。


 洞窟に入る前とは明らかに違う空気に、照瑠は一層の不安を募らせた。やはり、何か良くないことが起きようとしている。そう思って村の中央へ続く道へと目をやると、その先から何か黒い塊のような物がやって来るのが目に入った。


「あれは……」


 闇の向こうから現れた黒い塊に、照瑠は一瞬だけ身構えた。しかし、それが自分の見慣れた存在だとわかったところで、直ぐにそれの側まで駆け寄った。


「犬崎君の……犬神!?」


 そこにいたのは黒影だった。流動する影のような身体はあちこちから青白い煙を吹き出し、手負いであることは一目瞭然である。口には紅の使っていた刀、闇薙の太刀が、封印の鞘に納まったものをくわている。


「酷い……」


 ぼろぼろの黒影を見て、照瑠はその鼻先をそっと撫でた。ここまで酷くやられた姿など、今まで目にしたことさえなかった。


 やはり、紅に何かあったのだ。逸る気持ちを抑えつつ、照瑠は黒影から闇薙の太刀を受け取った。いざ、手にしてみると、思っていたよりも随分と重い。本物の日本刀の持つ重さ故なのか、それとも太刀の中に潜む闇が、そう感じさせているのだろうか。


 そのどちらでも、今の照瑠には関係なかった。黒影がここまでやられているのなら、紅もまた危機的な状況にあるのは間違いないのだから。


「ねえ、教えて! 犬崎君は、どうなったの!!」


 答えが返ってくるはずもないと知りつつも、照瑠は黒影に訊ねていた。そんな彼女の想いを受け取ったのだろうか。黒影は言葉で返事をする代わりに、ふいと後ろを向いて歩き出した。


 着いて来い。そう、黒影の目が訴えていた。闇薙の太刀を握り締め、照瑠もそれに静かに頷いて答える。この先に何が待っているかなど、いちいち考えている余裕さえなかった。


 村の中央を抜ける大きな道を、照瑠は黒影の後を追って走った。後ろからは、皐月達が追いかけてくる足音も聞こえる。だが、照瑠は後ろを振り向くことさえもせず、ただひたすらに走り続けた。


 村の広場、紅と再会した場所を抜け、黒影はさらに山の奥へと進んでゆく。石段の続くそこは、ちょっとした高台のような場所になっている。高台の中ほどまで来ると道は三つに分かれており、黒影はその中から高台の上へと続くであろう、真ん中の道を選んで駆けて行った。


 石段を駆け上がり、照瑠はとうとう高台の真上まで辿り着いた。呼吸が乱れ、膝が笑っている。ここまで休まず走れたのが不思議なくらいだったが、さすがにもう走れない。


 乱れる呼吸を整えつつ、照瑠はそっと顔を上げた。目の前に聳え立つのは、あの巨大な三柱鳥居。そして、その中央に立っている者の姿を見た瞬間、照瑠は瞳を大きく見開いて叫んでいた。



「犬崎君!!」


 そこにいたのは、紅だった。両手を広げられる形で、鎖のような物で鳥居の柱に拘束されている。腕には刃物で切りつけたような傷があり、そこから流れ出る鮮血が、腕を伝って肘の部分から滴となり下へ落ちている。


「九条……か……」


 照瑠のことに気づき、紅が顔を上げた。その赤い瞳に、かつてのような力強さはない。まるで、魂の芯から折られてしまったかのように、今の紅は酷く弱々しく感じられた。


「犬崎君! 今、助けてあげるから……!!」


 口ではそう言いながらも、照瑠にはどうしてよいのかわからなかった。紅の両手を縛る鎖は、手錠のように彼の腕にはまって外れない。恐らく鍵か何かがなければ、素人が力で外せるものではない。


 どうしても外せないのであれば、せめて両手から流れている血だけでも止めてあげよう。照瑠は慌てて自分のポケットからハンカチを取り出そうとしたが、紅はそれを静かに制止した。


「調度いいところへ来たな……。もう、時間がない。お前の持っている太刀で……俺の魂を消滅させろ」


「魂を消滅って……こんなときに、なに冗談言ってるのよ!」


「俺が冗談で、こんなことを言うと思ったか? 頼むから、手遅れにならない内に、俺を殺してくれ……」


 自分の耳が信じられなかった。あの紅が、自ら死を選ぶようなことを口にする。どんな強大な敵にも果敢に立ち向かい、命を粗末に扱う者には、時に容赦ない怒りを見せた彼とは思えない。


「いいか、九条。よく聞くんだ……」


 両手の自由を奪われたまま、紅は赤い瞳で照瑠をしっかりと見据えた。その瞳に嘘や偽りがないことは、照瑠の目にもはっきりとわかった。


「この鳥居の下には、お前や嶋本、それに加藤に祟りをもたらした存在がいる。そいつは俺の血を生贄に……俺の肉体と魂を依代に、間もなく完全な復活を遂げる。そうなる前に……お前の手で、俺の魂を消滅させるんだ。今、直ぐに!!」


「そ、そんな……。いくらなんでも、できるわけないでしょ、そんなこと!!」


「早くしろ、九条! このまま鳥居の下に巣食う邪神が蘇れば、お前の力なんかではどうにもできない!! 皐月さんや、それからあの陰陽師……。全員の力を合わせても、到底敵う相手じゃない!!」


「で、でも……。だけど……」


「躊躇うな、九条! このまま邪神が蘇れば、加藤も死んで、お前達も永遠にこの村に閉じ込められることになる! その後、現世に現れた邪神が何をするか……それは、俺にだって予想が……!!」


 そう、紅が叫んだとき、鳥居の下の大地がぐにゃりと歪んだ。思わず後ずさる照瑠と、舌打ちをする紅。見ると、紅の血を吸っていた地面から黒い泡のような物が湧きだして、それは徐々に紅の足を包むようにして侵蝕していった。


「な、なに……これ……。まさか……本当に……」


 有澤雛の言っていた、真の逆参り。それが今、正に照瑠の目の前で行われてようとしている。紅を包む黒い塊は、既に彼の腰の辺りまで伸びている。


 突然、けたたましい笑い声を聞いて、照瑠はハッとした様子で顔を上げた。いつの間に現れたのだろう。拘束された紅の後ろに、赤い着物の女が立っていた。


「あは……あははははっ……あはははははっ!!」


 女は虚ろな目をしたまま、狂ったように笑い続ける。その笑い声と共に、徐々に女の身体がボロボロと崩れてゆく。壊れた女の破片は赤い蛍へと姿を変え、徐々に紅を包む黒い塊に飲み込まれ始めた。


「あれは……雛さん?」


 赤い着物の女、芽衣子に憑依していたもう一人の雛が、だんだんと人の形を失ってゆく。人間が壊れてゆくのを目の当たりにしているはずなのに、不思議と照瑠は恐怖のようなものを感じなかった。むしろ、最愛の人を蘇らせるためと信じ、邪神の手先として利用されている今の彼女に、憐れみのような感情さえ抱いていた。


 恐らく雛は最後まで、自分が愛した男を蘇らせるためと信じて動いていたのだろう。芽衣子に憑いたのも、現世で自由に動かせる肉体を得るため。紅を生贄に捧げようとしていたのも、真の逆参りを行えば、今度こそ自分の最愛の人が蘇ると思っていたからに他ならない。


 だが、そんな彼女の強い想いは、今や鳥居の下に巣食う強大な悪意に利用されているだけだった。己の情念に身をやつし、全てが見えなくなってしまった今、彼女には自分の行いが何なのかさえもわかっていないのかもしれない。


 雛の行いは許されざるものだが、今は照瑠も彼女を恨もうとは思わない。それよりも、己の願いが叶うという幻想を抱いたまま、邪神の一部として還元されてゆく彼女の姿が不憫でならなかった。


「急げ、九条……。もう……時間がない……」


 既に胸元近くまで侵食され、紅が最後の力を振り絞って照瑠に告げる。このままでは、本当に紅は邪神の一部として飲み込まれ、二度と再びこちらの世界に戻って来なくなる。


「できないわ……。私には……やっぱりできないわよ! 犬崎君を……あなたを殺すことなんて!!」


 その手に闇薙の太刀を持ったまま、それでも照瑠は刃を抜くことをせずに、そのまま紅の首に手を回して抱き締めた。一度叫び、身体を動かしてしまうと、それから先は涙が止まらなかった。紅の身体を覆う黒い塊が自分をも包み込もうとしていたが、それでも照瑠は紅を離そうとしなかった。


 自分にとって、紅はどんな存在なのか。死という非情な運命が二人を別とうとしている今、ようやく自分の気持ちに気がついた。


 自分は紅のことが好きだ。でも、それは俗に言う、恋心のようなものではない。同い年の少女達が話すような惚気話にしては、自分と紅は特殊な体験を共有し過ぎた。


 紅に対して抱いている感情は、単なる恋慕のようなものではない。お互いに、心の底で信頼し合っている。憎まれ口を叩き合うこともあるが、それも含めて相手を信じているからこそできること。安っぽい男女の恋愛感情などではなく、もっと深いところで一緒に繋がっていたいということに気づかされた。


「私は助ける! 詩織も、犬崎君も……誰一人、死なせたくないんだから!!」


「九条……。お前は……」


「約束したでしょ? 絶対に、生きてここから出るんだって! 皆で一緒に、この村から脱出して、詩織を助けるんだって……約束したじゃない!!」


 広場での言葉を思い出し、照瑠は自分の身が闇に包まれるのも構わずに叫んでいた。そして、次に紅が何かを言おうとした瞬間、巨大な闇が覆い被さるようにして、二人の身体を飲み込んだ。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「そんな……! 間に合わなかったの!?」


 石段を駆け上がり、三柱鳥居のある高台まで登り詰めたところで、皐月は目の前の光景に絶望の二文字を感じていた。


 犬崎紅と九条照瑠。その二人が、正に皐月の目の前で、巨大な闇に飲み込まれたのだ。闇はそのままどんどん膨れ上がり、やがて奇妙な肉塊へと姿を変える。どす黒い、人間の身体と手足を丸めて固めたようなそれは、ぶよぶよと揺れながら鳥居の外へ出ようともがく。


「ひっ……。あれ、なんなんですか、お姉様ぁ!!」


 同じく追いついて来た芽衣子が、怯えた様子で皐月の腕に抱きついた。そんなこと訊かれてもわかるものか。そう、皐月が答えようとした矢先、今度は魁が二人を押しのけて前に出た。


「ちっ……。やばいね、こりゃ。あんなラスボスがいるなんて、こっちは聞いてないってのにさ!!」


 毒々しい黒色をした肉塊を見て、魁が鉄扇を取り出しながら吐き捨てるように言った。よくよく見ると、肉の塊を形作っているものは、全身が黒化した人間だった。


 屋敷で戦った集合霊。その姿を思い出し、魁は改めて目の前の相手と見比べる。確かに姿は似ているが、この塊には一つだけ違いがある。


 赤い蛍を核として生まれた人間樹木は、寄せ集めの亡者達の集合体だった。しかし、この肉塊に限っては、断じてそんなことはない。陳腐な寄せ集めの集合霊などではなく、もっと力を持った存在が、悠久の時を経て集まり固まったものだ。


 肉塊を作っている人間の瞳は、そのどれもが赤く染まっていた。あの犬崎紅や、この村でお白様として崇められていた存在と同じく、その瞳は燃える炎のような色で輝いている。


 肉の塊の正体は、お白様として今までに捧げられてきた者達の集合体だった。その本体は、初めは貧弱な力しか持たない、単なる不浄霊か妖怪の類だったのかもしれない。だが、長きに渡り生贄の血を啜ったことで、それは恐るべき力を持った邪神へと姿を変えた。お白様の血を吸うことで溢れる闇の胎動を抑えつつも、その血と魂を糧に、着実に力をつけていた。


 白禊の真実を知らない皐月や魁にとって、この怪物の正体までは知るところではない。だが、それでも肉塊の放つ恐ろしいまでの陰の気は、そこにいる者達を竦みあがらせるのには十分だった。


 もう、これ以上は放っておけない。このまま肉塊が鳥居から外に出てしまえば、本当に取り返しのつかないことになる。


 取り出した鉄扇の止め具を外し、魁はそれを鳥居に向かって放り投げた。バラバラになった鉄扇の部品が宙を舞い、それらは小さな鉄板となって、鳥居を囲むようにして大地に突き刺さる。鉄板が鳥居を囲んだところで、魁は素早く複雑な印を組んで気を練った。


 鉄板に刻まれた梵字が赤く輝き、そこから稲妻のような光がほとばしる。光は絡みつく様にして鳥居を襲い、次いでその中にいる肉塊をも封じ込める。強大な陽の気に抑え込まれ、さすがの邪神もその身を震わせて鳥居の中に後退した。


「お、おい……。いったい、何がどうなってんだよ!?」


 後ろで様子を見守っていた浩二が、信じられないという表情を浮かべて叫んでいた。今までも魁が戦うところは見て来たが、ここまで凄まじい力を発揮したところはお目にかかった試しがない。稲妻のような光が肉塊を封じ込める様は、ある意味では紅が亡者の群れを祓ったとき以上に派手で神々しい。


「とりあえず、結界を張らせてもらったよ……。でも、こいつだって、そう長くは持たないぜ。せいぜい、持って十五分か二十分……。それから先は、さすがに俺でも保証はできない……」


 珍しく、魁の言葉が震えていた。見ると、その額には脂汗が浮かび、印を結んだままの指先も小刻みに震えている。


「じゅ、十五分って……。その間に、あの化け物をなんとかする方法を考えろってのか!? 無茶苦茶だぜ、そんなの!!」


「確かに……君じゃ無理そうだな……。でも……そこのお姉さんだったら……俺の考えはわかってるはずだよな?」


 叫ぶ浩二を無視し、魁は皐月に視線だけを送って訊ねた。皐月もそれは承知しているようで、無言のまま霊撃棍を引き抜いて頷いた。


 魂送りの反対は、逆参り。ならば、逆参りの反対は魂送り。あの洞窟の中で、皐月自身が言っていた言葉だ。


 目の前の怪物が、果たして本当に逆参りの結果生まれた者なのか。それは皐月にもわからない。だが、もしも本当にそうならば、逆参りを行った後はまだ残されている。それを使い、今度は魂送りの儀式を行えば、あの怪物を再び暗闇の底に封じることができるかもしれない。


 部の悪い賭けだが、試してみる価値はありそうだった。皐月は芽衣子の手からジュラルミンケースをひったくると、それを乱暴に開けて武器を取り出す。中から出て来たのは銀色のナイフが数本と、紫色の水晶板が一枚ほど。それから小太刀タイプの霊木刀。さらには、これは霊撃銃だろうか。照瑠や浩二が使っていた物とは異なる、木製の部品が多く使われた銃が転がり出た。


 水晶板を拾い上げ、皐月はそれを浩二に押し付けた。この板を取り変えれば、銃は再び使えるようになる。それだけ告げて、今度はナイフを取って雪乃と亜衣に渡す。戦うための武器ではなく、あくまで護身用ということだ。


 最後は霊木刀と霊撃銃だったが、霊撃銃の方は芽衣子に押し付けた。芽衣子の銃の腕は皐月も知っていたが、それでも贅沢は言っていられない。


 浩二の物とは異なり、芽衣子の霊撃銃は霊能者が使わねば真価を発揮しないタイプの物である。それ故に、少しでも向こう側の世界・・・・・・・に通じる力を持った者が使わねば、単なるガラクタ以下の性能しか発揮しない。


「みんな、とりあえず聞いてちょうだい。今から私達で、あの怪物を封じ込めるわよ」


 皐月の言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。いったい、何を言い出すのか。そんな声まで聞こえてきそうだったが、皐月はそんな隙を与えずに続けてまくし立てた。


「あの怪物は……恐らく、逆参りってやつで呼び出されたものよ。だとすれば、その反対の儀式である魂送り。それを行えば、怪物を封印することができるかもしれないわ」


「封印って……。簡単に言うけどよ、皐月さん。その魂送りってやつの方法、あんたは知ってんのかよ!?」


「詳しくは知らないから、あのミイラ化した民俗学者の手記にあったことを信じるしかないわね。でも……このまま何もしないで見ているくらいなら、私は最後の希望に賭けるわよ」


「最後の希望か……。まったく、マジで無茶苦茶だぜ、あんたら。犬崎といい、あんた達といい……霊能者ってのは、こんな連中ばっかりなのかよ!?」


 半ば呆れた顔をして、浩二は大袈裟に肩をすくめた。もっとも、そんな彼自身、自分の常識的な感覚が壊れてゆくのを感じていた。この村に来てから起きた様々な霊現象。時に命の危険さえ伴ったそれを持ってすれば、自分の持っている常識など、取るに足らない下らないものだ。


 選択の余地は、既になかった。このまま鳥居の前に留まっても、何かができるわけではない。魁が肉塊の化け物を抑えていてくれる間、なんとかして魂送りを成功させなければ。それが、この村から生きて脱出するための、最後の希望なのかもしれないのだから。


 皐月を先頭に、それぞれが石段を駆け下り始めた。目指すは石段の途中にあった分かれ道。そこを時計回りに回りつつ、祠に残されているであろう神鏡を逆位置から正位置に戻す。逆参りの反対が魂送りならば、それであの肉塊を倒せるかもしれない。


 やがて、その場から人の群れがいなくなったところで、鳥居の周りは再び静寂が訪れた。時折、バチバチと何かの弾けるような音がする以外は、至って静かな夜の森だ。無論、鳥居の中の異形に目をやらなければの話ではあるのだが。


 ふと、魁が横を見ると、そこには総司郎が立っていた。彼は皐月達と一緒に行かなかったのだろうか。怪訝そうな顔を向けると、魁が訊ねるよりも先に、総司郎が口を開いた。


「俺は、最後まで先生に御供します。俺が先生より先に死ぬことはあっても……先生が俺より先に死ぬことは、絶対あってはいけないことっす」


「おいおい……。なんか、随分と俺のこと見くびってんじゃないの、それ? 言っとくけど……結界が十五分しか持たないなんて、あんなのは嘘っぱちだよ。俺が本気を出したなら、こいつを半日は拘束できるぜ?」


 魁がにやりと笑う。その顔に、先ほどよりも多くの脂汗が浮かんでいることを、視力を失った総司郎が知ることはない。


「だから、総ちゃんはあいつらと一緒に行って……魂送りってやつを成功させてくれよ。正直、あの連中だけじゃ……また、亡霊の群れに襲われたときに心配なんだよね。まともに戦えるのって言ったら……あの、退魔具師の人くらいしかいないんだからさ……」


 震える声で、魁は総司郎にそう告げた。本当は、余裕などない。半日拘束できるなど、その場を取り繕う虚勢に過ぎない。


「先生……。わかりました!!」


 魁の真意を敏感に悟り、総司郎は皐月達の後を追って駆け出した。決して後ろを振り返ることなく、ただ皐月達の霊気だけを頼りに、一気に石段を駆け下りてゆく。


 遠ざかる足音を聞きながら、魁はほっと安堵の溜息をついた。総司郎は目が見えない。それにも関わらず、あそこまで器用に石段を駆け下りるとは。天性の直感と霊感、それに運動神経の成せる業なのだろうが、それにしても凄まじい。我が弟子ながら、時に彼の存在が、恐ろしくも頼もしく思えてしまう。


(さて、と……。あいつらには持って二十分までって言ったけど……実際は、十分持てば御の字ってやつかな……。頼むから、それまでにあの化け物を、なんとか鎮めてくれよ……)


 両腕に痺れるような痛みを感じながら、魁は歯を強く食いしばって耐え続ける。彼の施した結界は、早くも数本の稲妻が途切れ始め、徐々に綻びが生まれつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ