表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/19

~ 拾壱ノ刻  双蛍 ~

 閃光が暗闇を切り裂く。


 屋敷の一室で、群がる亡霊たちを前に、照瑠は必死に霊撃銃の引き金を引いていた。


 拳銃など、使ったことなど一度もない。それでも、今は自分がやるしかない。そう、頭の中で繰り返しながら、照瑠は無心に銃を連射する。


「このっ……このっ……このっ!!」


 狙いなど、ゆっくりとつけている余裕などなかった。放たれた光は亡者の腕を、脚を抉り、その身を成している邪悪な霊気を無の世界へと返してゆく。が、それでもやはり、所詮は素人の射撃。敵を完全に無に帰すには及ばず、腕や脚を失いつつも、亡者の群れは確実に照瑠たちの方へと迫って来る。


「落ちついて、照瑠ちゃん! 一度に相手にしなくていいから、まずは一匹ずつちゃんと狙って!!」


 伸ばされた敵の腕を紙一重のところでかわしながら、皐月が正面を向いたまま叫ぶ。横に薙ぐようにして振るわれた霊撃棍の一撃が、群がる亡者をまとめて叩き伏せてゆく。


 このままではまずい。部屋は狭く、敵は多い。その上、増援も無尽蔵と来れば、こちらが疲弊して倒れるのは時間の問題だ。霊撃銃の弾とて無限ではないし、それは霊撃棍にしても同じこと。動力としている水晶の霊力が尽きてしまえば、皐月の振るう霊撃棍など力の弱い者が振るう霊木刀程度の威力しかない。


「仕方ないわね……。ちょっと勿体ないけど、こうなったら出血大サービスよ!!」


 そう言うが早いか、皐月の手がさっと胸元に伸ばされる。その豊満な胸の谷間から取り出されたのは、木札と思しき一枚の護符。白い梵字の書かれた紙に包まれたそれを、皐月は躊躇うことなく亡者の群れに投げつける。


 床に転がった木の札が、眩いばかりの光を発して輝いた。浄化の光、淀んだ陰の気を払う退魔の力を全身に受け、辺りにいた亡者たちが瞬く間に溶けてゆく。


 本当は、ここで護符を使うことは避けたかった。複数の霊をまとめて祓える切り札は、できれば最後までとっておきたい。が、こうも囲まれて追い込まれてしまっては、そんな贅沢を言っている場合でもない。


 とにもかくにも、これで道は開けた。後は、あの亡者どもを呼び出した、赤い蛍を叩くだけ。


 霊撃棍を握る手に力を込め、皐月が部屋の出口に向かって畳を蹴った。狙い澄ました突きの一撃は確実に蛍を捕え、赤い霧に変えて空中に四散させる。


 これで一匹。残る蛍は、後二匹。続けて攻撃を繰り出さんと、皐月は手にした霊撃棍を顔の横で水平に構える。


 再び、強烈な突きが放たれた。しかし、今度ばかりは相手にもわかっていたのだろうか。二匹の蛍は左右に散ってそれを避けると、そのまま皐月の頭の上を通り越し、部屋の天井を叩くような仕草を見せる。


(天井を叩く……。まさか……!?)


 気がついたときには、既に遅かった。赤い蛍に呼ばれたことで、天井から数体の亡者が顔を出した。ぽっかりと穴の開いた二つの目と、鋭い犬歯の目立つ大きな口。埴輪のような顔をした亡霊たちが、一斉に皐月や照瑠の上に降り注いできた。


「うっ……。このっ!!」


 霊撃棍を収納しながら、皐月は亡者の攻撃に辛うじて耐える。霊的な存在故に、物理的な干渉は行えないはずなのに、亡者にのしかかられた全身が石のように重い。質量などまるでない相手なのに、その身に宿す負のオーラを圧力に、こちらの魂を押しつぶそうとしているのか。


 このままやらせてなるものか。全身の体温が急激に下がってゆくのを感じながら、それでも皐月は怯まなかった。縮めた霊撃棍を腹の方へと滑らせると、再び棍を伸ばすためのスイッチに指を伸ばす。スライド式の棍が天を突く様にして伸び、皐月の上にのしかかっていた亡者の身体を貫いた。


 地獄に住まう獣のような呻き声を上げ、胴を貫かれた亡者が消滅する。慌てて身体を起こし、皐月は照瑠の方へと顔を向けた。


「照瑠ちゃん!!」


 照瑠の名を呼び、皐月が走る。青白い顔をした一体の亡者が、照瑠の上にのしかかって、その首を執拗に絞め上げている。


 幽霊は、人間に対して物理的な干渉は行えない。だが、その代わりに触れた相手の魂に、直接干渉する力を持つ。


 幽霊に首を絞められるということは、それは即ち肉体の中にある気の流れを断たれるのと同じこと。肉体が破壊されるよりも先に、魂が死んだと思い込まされる・・・・・・・ことによって、精神の方を先に破壊されてしまう。


 照瑠の力は確かに優れたものがあるが、それでも彼女は戦いにおいては素人だ。霊感が強いということは、同時に霊の攻撃に対する影響力もまた強いということ。この村に流れる陰の気の影響程度なら受け流せても、直接触れられれば受け流せない。


 これ以上、黙って見ている場合ではなかった。皐月は霊撃棍を斜めに構えると、それを豪快に振るって亡者の頭を横殴りに叩いた。首を失った亡者はがっくりと倒れ伏し、そのまま溶けて消滅してゆく。


「さ、皐月さん……」


 首元を抑え、照瑠が咳込みながら立ち上がった。だが、そんな彼女を他所に、皐月は再び入口の方へと向き直る。


 戦いは、まだ終わってはいない。あの赤い蛍を倒さねば、再び亡者を呼ばれてしまう。


「逃がさないわよ!!」


 そう、皐月が叫ぶのと、彼女の身体が宙を舞うのが同時だった。まず、天井近くにいる蛍を突きで打ち払い、次いで部屋の入口付近にいる蛍へと、霊撃棍を振り降ろす。その一撃は蛍の横を掠めただけだったが、それも計算の内。体勢を整える時間さえ惜しみ、着地した皐月がにやりと笑う。


「逃がさないって……言ったでしょ?」


 降り降ろした霊撃棍をそのまま切り上げるようにして、皐月は最後の一匹も叩き落とした。あれだけの数の亡者を呼び出していながら、本体はさほど強くないのだろうか。赤い蛍は一撃の下に潰されて、赤い霧となって部屋に散った。


 これで、とりあえずは終わったか。額の汗を腕で拭い、皐月は霊撃棍を縮めて腰に納めた。


「大丈夫、照瑠ちゃん? 」


「は、はい。なんとか……。でも……あの幽霊たち、いったいなんだったんでしょうか?」


「さあね。それは、私にもわからない。ただ、一つだけ言えることは、あれがただの幽霊じゃないってこと。あいつらは単なる操り人形みたいなもので、あの赤い蛍が大元の元凶よ。一見して虫にしか見えなかったけど……たぶん、そんな可愛いものじゃないわね、あれは」


 闇の中に光る赤い蛍。その姿を思い出し、皐月の顔に少しばかりの不安が浮かぶ。


 己は戦いに参加せず、もっぱら亡者を呼び出して人を襲わせる奇妙な存在。今までも様々な向こう側の世界・・・・・・・の住人を見てきたが、あんな相手は初めてだ。高等な霊が動物霊や、それらを憑依させた人間を操ることは知っていたが、まさか人間の霊を操る存在がいようとは。


 人のように感情の豊かな存在が霊となれば、当然のことながら、それを制御するのもまた困難となる。力の強弱は別として、思考を剥奪して操るとなれば、対象の思考もまた単純な方が都合がよい。複雑な思考回路を持つ人間を操るとなると、下級神クラスの霊であっても一苦労なのである。


 ところが、あの蛍たちは、そんな人間の霊をいとも容易く操ってみせた。それも、単に操るだけでなく、その凶暴さにも磨きをかけている。おまけに召喚まで自由自在となれば、これはもう反則の域に近い。いつ、どこから襲ってくるともわからない相手に対し、自然と身体が身構えてしまうのも無理はない。


 再び静寂の戻った部屋の中で、皐月は転がっていた懐中電灯を拾い上げて溜息を吐いた。


 とりあえず、今はここに留まっていても仕方がない。全ての本や巻き物を調べられなかったのは心残りだが、ぐずぐずしていると、またあの蛍が現れないとも限らない。


「行くわよ、照瑠ちゃん。芽衣子も、武器の入った箱を忘れずに持ってきなさい」


 返事がない。目の前にいる照瑠が頷いたのは皐月にもわかったが、芽衣子の声がどこからも聞こえない。


「ちょっと、芽衣子! いるんだったら、返事くらいしなさいよ! もう、お化けはやっつけたから……いつまでも、隠れている必要はないわよ!!」


 今度は少し強めの口調で、皐月は部屋の中を見回しながら叫ぶ。が、やはり芽衣子からの返事はなく、部屋は静寂を保ち続けている。


 皐月の背中に冷たいものが走り、嫌な予感が全身を駆け抜けた。まさか、芽衣子の身に何かあったのか。いや、それ以前に、芽衣子はどこへ消えてしまったのか。


 そういえば、あの戦いの最中、芽衣子は何をしていたのだろう。ふと、そんな考えが頭をよぎり、皐月の中で焦りが急速に広がって行く。


 赤い蛍と亡者の群れ。二つの敵に襲われていたとき、自分は前衛で戦っていた。後ろでは、照瑠が慣れない霊撃銃を使って援護をしていたのも記憶に新しい。そこまでは、何の問題もない。


 では、その一方で芽衣子はどうだろう。確かに彼女は優れた霊感を持っているが、それでも戦いにおいては照瑠同様に素人同然。加えて、少々怖がりな性格も相俟って、あのような場においては真っ先に悲鳴を上げているのが普通だ。


 ところが、そんな芽衣子の悲鳴が、先の戦いではまったく聞こえていなかった。否、悲鳴だけでなく、彼女の姿さえも消えていたような気がしてならない。


 霊の攻撃から逃れるため、どこか安全な場所――――それこそ、照瑠が木箱を引っ張り出した押入れなど――――に隠れているのかと思っていた。しかし、こうも姿を現さないのであれば、どうやら隠れていたというわけではなさそうだ。


 戦いに夢中で、芽衣子のことなど当に頭から抜けていた。そんな自分の浅はかさが、今になって恨めしく思える。犬崎紅を探すために村までやってきたというのに、ここで新たな行方不明者を出してしまっては、ミイラ取りがミイラになったも同然だ。


「あの……皐月さん?」


 難しい顔をして固まったままの皐月に、照瑠が恐る恐る声をかけた。それでも皐月は表情を変えることもなく、静かに部屋の中を見渡している。


 一般家庭の四畳半間などと比べれば、この部屋もそれなりの広さを誇る。それでも、やはり旅館の大広間などに比べれば、狭いことに変わりはない。身を隠せそうな場所も多くはなく、そもそも照瑠の開けた押入れ以外には、他の収納が開かれた形跡さえもない。


 いったい、芽衣子はどこへ消えてしまったのか。何の気なしに、皐月はそっと窓辺に近寄り、薄明かりの射し込むそこから外を見た。


「えっ……!?」


 一瞬、自分の目が信じられなかった。窓の外に見える村の小道。そこを歩いているのは、紛れもない芽衣子に他ならなかったからだ。その足取りは妙にふらつき、どこか焦点の定まっていない瞳で、ぼんやりと遠くを眺めている。


「行くわよ、照瑠ちゃん! そこに転がっている、武器の入ったケースを忘れないで!!」


 そう言うが早いか、皐月は部屋を飛び出した。照瑠の返事など待っている余裕などない。なぜなら、皐月には見えていたからだ。芽衣子の周りをふわふわと漂う、数匹の赤い蛍の姿が。


 今の芽衣子が正気でないこと。それは皐月の目から見ても明白だった。ならば、ここで彼女を止めなければ、事態は最悪の方向へと転がってしまう。


 屋敷を飛び出して通りに出たところで、皐月は首を左右に振って芽衣子の姿を探した。あの足取りなら、まだそう遠くへは行っていないはず。そう信じて目を目を凝らすと、暗闇の中に赤い光が浮かんでいるのが目に入った。


 いた。赤い蛍を引き連れて、芽衣子は何かに導かれるようにして歩いている。慌てて追いかける皐月だが、その距離は一向に縮まらない。自分の脚が遅いのか、それとも芽衣子が早過ぎるのか。なんとも言えぬもどかしさに、焦りばかりが募ってゆく。


 朽ち果てた農家と荒れた田畑の間を通り過ぎ、芽衣子は滑るようにして闇の中へと消えて行く。皐月と、それから追いついてきた照瑠もまた、そんな芽衣子の後を追って行く。やがて、大きな塀に囲われた屋敷の前まで来たところで、芽衣子はふっと、こちらの方を見て薄笑いを浮かべた。


 全身をミミズが這い回るような、不快な感覚。三日月の形に歪んだ芽衣子の口元を見て、皐月と照瑠は思わずその場で固まった。普段の芽衣子ならば、決して見せることのない冷たい微笑。それだけでも薄ら寒いものを感じたが、二人にはそれ以上のものがはっきりと見えていた。


 屋敷の門の前に佇む芽衣子の身体。その後ろに、赤い着物を着た一人の少女が、まるで彼女の影のようにして重なっていた。少女は芽衣子と同じように振り向くと、やはり顔を笑みの形に歪めてこちらを見る。目元も口調もまったく同じ。鏡に映し出された像のように、寸分違わぬ動きで芽衣子と同じ仕草をする。


 巨大な扉が、音もなく開かれた。呆気に取られる皐月と照瑠を他所に、芽衣子はそのまま屋敷の中へと入って行く。やがて、門が再び閉じられたところで、二人はようやく正気に戻って顔を見合わせた。


「さ、皐月さん……。今の……」


「ええ、間違いないわね。芽衣子の後ろにいたあの娘……ただの幽霊ってわけじゃないみたいだわ」


 今しがたの光景を頭の中で蘇らせ、皐月はいつになく険しい表情になって答えた。


 赤い蛍と、芽衣子の後ろに見えた謎の少女。これらの正体はわからないが、少なくともこちらに友好的な存在であるとは考え難い。


 重苦しい表情のまま、皐月はそっと芽衣子の消えた扉に手をかけた。封印でも施されているかと思ったが、扉は木の軋むような音を立てて、皐月と照瑠を受け入れた。


「行くわよ……」


 それだけ言って、皐月は一足先に門の向こう側へと足を踏み入れる。そこは庭の様な場所になっており、苔むした石燈籠が彼女たちを出迎えた。


 門から伸びる石畳。その先にある屋敷の入口を見て、皐月は緊張を解かずに身構える。先ほどの屋敷で襲撃されたことを考えると、この先にも何かが待ちかまえている可能性が高い。芽衣子を連れ去った存在のこともあり、迂闊に踏み込めば命取りとなる。


「ここから先は、ちょっと私だけで見てくるわ。安全が確認されるまで、照瑠ちゃんはこの場から動かないでいてくれる?」


「えっ……。で、でも……」


「心配しないで。こう見えても、さっきの亡霊程度なら、軽くあしらえるだけの力は持っているつもりよ。それに、下手にあなたを同行させて怪我でもさせたら、後で紅ちゃんに何を言われるかわからないしね」


 戸惑う照瑠に、皐月は笑顔でそう告げた。最後の方は、何やら意味深な言葉になっていたが、その真意は照瑠にもわからない。


「念のため、武器の入った箱は、あなたが持っていてちょうだい。何かあったときは、その中にあるものを好きに使ってくれて構わないわ」


「わかりました。でも、なるべく早く戻ってきてくださいね。私……やっぱり、皐月さんみたいに戦うのは無理みたいなんで……」


 屋敷の中で亡霊に首を絞められたときの記憶が蘇り、照瑠は不安そうに下を向く。霊撃銃を貸し与えられているとはいえ、やはり自分は戦いの素人。あれだけの霊に襲われて、たった独りで無事に切り抜けられるという保証はどこにもない。


「安心して。玄関口の安全が確認できたら、直ぐにあなたを呼ぶから。それまで、ちょっと間の辛抱よ」


 動揺を隠せない照瑠に、皐月は軽く肩を叩いて言い聞かせた。皐月とて、何もこの屋敷を独りで探索しようと考えているわけではない。ただ、少しばかり安全を確保しながら進みたい。それだけだ。


 立てつけの悪い扉を開け、皐月は慎重に屋敷の中へと踏み入った。辺りはしんと静まり返り、人はおろか霊の気配さえない。もっとも、あの蛍たちはこちらに気配を感じさせずに現れたため、油断は禁物なのであるが。


(とりあえず、ここには何もいないか……。後は、どっちを先に探すかって話よね)


 玄関から左右にわかれている二つの廊下。それらを見比べつつ、皐月はそっと足音を忍ばせて進んでゆく。この屋敷の中に芽衣子が消えたとすれば、彼女は果たしてどちらに行ったのだろう。そう思い、皐月がわかれ道となっている廊下の前まで来たときだった。


 突然、なにやら鍵のかかるような音がして、皐月は後ろを振り返った。扉には一件して何の変化もないが、先ほどとは違う、なにやら圧迫するような気が漂っている。


(まさか……!!)


 ぎょっとした表情になり、皐月は慌てて扉へと駆け寄った。手をかけ、叩いてみると、案の定びくともしない。鍵は完全に錆びついていたようだが、代わりに霊的な封印のようなものが施され、容易に外すことができなくなっていた。


「皐月さん! どうしたんですか!?」


 扉の向こうから、照瑠の心配する声が聞こえてくる。こちらが戸を叩いたことで、照瑠にもただ事ではないとわかったのだろう。


「ちょっと、まずいことになったわ。扉に、何か霊的な封印みたいなものを施されて、屋敷に閉じ込められちゃったのよ!!」


「霊的な封印って……。そんなこと、できる者がいるんですか!?」


「わからない。ただ、この扉を封印したやつを倒すか、せめて追い払うくらいはしないと、これを開けることは不可能だわ。悪いけど……他の出口を探してみるから、照瑠ちゃんはそこで待ってて!!」


「そ、そんな……」


 扉の向こうで、照瑠がなにやら叫んでいる。だが、皐月にはそれを聞いている余裕などない。


 先ほどから、妙な気配を感じて仕方がない。こちらの全身を舐めまわすような視線。向こう側の世界・・・・・・・の住人独特の、人間の不安をかき立てる陰鬱な眼差しが、そこかしこから感じられる。


 ここは亡霊の巣窟だ。ほとんど直感的に、皐月はそう判断した。あの赤い蛍たちは、きっと今も、こちらのことをどこかから狙っているに違いない。それに、あの蛍に呼び出される亡者ども。連中も、この屋敷のあちこちから、こちらの様子を窺っているはず。視線の主は、恐らくは後者。


 霊撃棍を抜き放ち、皐月はゆっくりと屋敷の奥へ進んで行った。決して余裕があるわけではない。これから先、再び照瑠と顔を合わせ、紅を見つけることができるのか。それさえも保証はない。


 だが、それでも、ここは自分がやらねばならないのだ。芽衣子を見つけ、彼女を取り戻し、紅を探し出すまでは。それまでは、決して負けることは許されない。


 床板の軋む音が、皐月の耳に不快な雑音として響いてくる。その音に集中を乱されないよう気を張りながら、皐月は左手に伸びる廊下の方へと歩を進めて行った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 扉越しに響く皐月の足音が、徐々に遠くなってゆく。


 取り残された照瑠はしばし呆然としていたが、やがて思い立ったようにしてその場を離れると、古びた石燈籠の脇に身を屈めた。


 見渡す限り、辺りはどこも暗闇に包まれている。頼りになるのは、懐中電灯の微かな光のみ。完全なる孤独に身を置かれたことで、途端に猛烈な不安が襲いかかってきた。


 こんなとき、いつもであれば紅が必ず助けに来てくれた。しかし、今は肝心の紅が行方不明。そんな彼を探すために、わざわざ皐月に協力まで頼んだというのに、いざ廃村を訪れてみればこのざまだ。


 自分の力の無さが恨めしい。結局、どれだけ修業を積んだところで、自分は紅には敵わない。いや、彼だけでなく、皐月のような向こう側の世界・・・・・・・の住人と戦うことを生業とする者には、力も経験も、あらゆるものが及ばない。


 自分はまだまだ半人前だ。そんなことは、今さら言われなくともわかっている。しかし、それでも自分にだって、何かできることがあるのではないか。紅とは違う形で、何か人助けができないか。そう思って、今まで巫女として修業を続けてきたというのに。


「はぁ……。駄目だな、私。自分から犬崎君を探すって決めたのに……結局、犬崎君や皐月さんの力に頼ろうとしてる……」


 今の自分では、親しい友人一人助けることができない。そんな自己嫌悪に陥りながら、照瑠はそっと足下に置かれたジュラルミンケースを開ける。


 鈍い銀色の箱が開かれて、中からは様々な武器が顔を出した。照瑠の借りているのとは形状の違う、もう一丁の霊撃銃。小太刀タイプの霊木刀に、後は銀製のナイフだろうか。どれも、皐月が妖怪や悪霊のような存在と戦うために、芽衣子に運ばせて持ち込んだものだ。


 深い溜息と共に、照瑠は箱の蓋をゆっくりと閉じた。自分にも使えるものがないかと思って開けてみたが、やはり駄目だ。武器を持って何かと戦うことなど、生まれてこの方ほとんど経験がないのだから。


 こうなったら、皐月の言う通り、ここで静かに待っていようか。幸い、辺りに亡霊たちの気配はない。身体も疲れていることだし、少しくらい休んでも大丈夫だろう。そう思って、ふと顔を上げたときだった。


「えっ……!?」


 照瑠の目の前を、突如として数匹の赤い蛍が横切った。先ほどの屋敷の中で、照瑠や皐月、それに芽衣子を襲ったものと同じだ。自ら戦う力はほとんどないが、壁や地面から亡霊を呼び出して襲わせる。


「ど、どうして……」


 邪悪な気配など、まったく感じられなかった。蛍たちは照瑠の霊感を掻い潜り、この場に現れたということか。だとすれば、この村に安全な場所など、もうどこにもないのではないだろうか。


 まったく状況が飲み込めないままに、照瑠はそろそろと立ち上がって後ろに下がった。その間にも、蛍たちの数はどんどん増え、照瑠の目の前で一つの巨大な塊へと集結してゆく。


 赤く輝く塊が、ぐにゃりと揺れて大きく伸びた。それは徐々に人間の形へと姿を変え、赤い光が少しずつ弱くなってゆく。


 やがて、光が全て消えたとき、そこに立っていたのは蛍の塊などではなかった。


「け、犬崎……君?」


 自分の前に現れた者。その姿を目の当たりにした照瑠の口から、戸惑いを隠せない様子で言葉が漏れる。彼女の前に立っていた者の姿は、白髪と赤い目を持った一人の少年。あの、犬崎紅に酷似した亡霊だったのだから。


 白目のない、真黒な穴をこちらに向け、亡霊が低く唸って吠えた。そこに、以前に照瑠が見た紅の面影はない。恨み、憎しみ、そして悲しみ。あらゆる負の感情を瞳の奥に湛え、ふらふらとこちらに近づいてくる。


 次の瞬間、亡霊の手が照瑠に向かって降り降ろされ、照瑠は咄嗟にそれを避けた。完全にかわしたつもりだったが、それでも爪の先が掠めたのだろうか。肌を焼き、ひりひりと刺すような痛みが腕に走り、照瑠は思わず右腕を押さえて顔をしかめる。


 あれは、本当に紅なのか。できれば何かの間違いであって欲しい。そんな照瑠の願いも虚しく、亡霊は続けざまに爪で照瑠を狙う。


 風を切る鋭い音がして、照瑠の背中に冷たいものが走った。あと少し反応が遅れていたら、確実に首筋を引き裂かれていた。


 あれは亡霊。それ故に、こちらの肉体を傷つけることはできない。が、あの爪で身体を抉られることは、即ち魂を抉られることと同じこと。肉体よりも先に魂の方が引き裂かれ、二度と再び意識が戻ることのない闇の底へと引きずり込まれる。


「くっ……」


 左手に武器の入った箱を持ったまま、照瑠は右手で霊撃銃を構えて向けた。二、三度狙って引鉄を引いたが、放たれた光の弾は明後日の方向へと飛んでゆき、目の前の亡霊には掠りもしない。


 こんなところで死んでたまるか。そう、頭ではわかっているのに、腕が震えて狙いが定まらない。先ほどの攻撃で、腕をやられたからだろうか。


 いや、違う。腕をやられたとはいえ、あの程度はほんのかすり傷。今の自分は、明らかに怯えてしまっている。目の前の強大な力を持った相手に、完全に気持ちで押し負けてしまっている。


 霊との勝負は精神力の勝負。ならば、今の自分に勝ち目はない。例え、どれほど頑張ったところで、目の前の悪鬼には決して敵わない。


 もう駄目だ。高々と振り上げられた悪鬼の爪を前に、照瑠は覚悟を決めて両目を瞑った。自分はここで死ぬのか。紅にも会えず、詩織も救えず、こんなところで終わるのか。


 こんなことなら、最後に少しくらい、普通の女の子として遊んでおいてもよかったかもしれない。駅前の甘味屋の新作メニューを、亜衣や詩織と一緒にわいわい言いながら食べに行けばよかった。


 時間の流れが、物凄く遅く感じられた。人は死ぬ間際、今までの記憶が走馬灯として蘇るという。それはちょうど、今の自分が感じているような、こんな感覚なのだろうか。


 悪鬼の爪が、空を切り裂いて自分に迫る。次の瞬間、身体に走るであろう痛みに耐えようと、照瑠はその目をぎゅっと瞑る。


 だが、自分の喉元を引き裂くと思われた爪の一撃は、果たして照瑠の命を奪うことはなかった。爪と照瑠の間に割り込むようにして滑り込んで来たのは、青白く光る一匹の蛍。その姿を前にして、悪鬼の動きが一瞬だけ止まる。



――――こっちよ……。



 突然、照瑠の頭の中で声がした。辺りを見回すが、自分と目の前の亡霊の他には誰もいない。


「こ、来ないで!!」


 敵の動きが止まったところで、照瑠は思わず叫びながら霊撃銃を乱射した。いくら射撃の経験がなくとも、ここまで近い距離ならば確実に当たる。放たれた光の弾は亡霊の顔面を直撃し、白髪の悪鬼はよろよろと顔を押さえて後ろに下がる。


 無我夢中で放った攻撃が効いた。ほっと息を吐いて腕を降ろす照瑠だったが、まだ相手は完全に倒れてはいない。こうしている間にも、悪鬼は周りから新たな蛍を呼び出して、徐々にその身体に吸収し始めた。


(再生……してるの!?)


 直感で、照瑠はそう感じ取った。このままでは、敵は再び力を取り戻し、こちらへと向かって来るに違いない。



――――早く……逃げて……。



 まただ。また、頭の中で声がした。いったい、何が起きているのか。わけもわからぬまま、照瑠はその声に導かれるようにして走り出す。


 声の主の正体など、照瑠自身にもわかってはいない。しかし、ここで殺されてしまうくらいならば、少しでも生き延びる可能性に賭けるのが先だ。


 だんだんと、自分の中に力が戻って来るのが感じられた。絶望の淵から解き放たれたことで、再び生への執着が蘇ったからだろうか。


 茂みの間を通り抜け、照瑠はいつしか屋敷の裏手へと回っていた。幸い、あの悪鬼が追いかけてくるような様子はない。もっとも、いつまでも立ち止まっていては、追いつかれるのも時間の問題かもしれないが。


 肩で息をする照瑠の前に、青白い光がそっと降り立つ。先ほど、彼女と悪鬼の間に割って入った蛍だ。あの赤い蛍とは違い、これは味方なのだろうか。未だ正体はつかめなかったが、少なくとも邪悪な気配は感じられない。


 照瑠を誘うようにして、蛍がそっと屋敷の裏口に向かって飛んだ。その姿は、まるで吸い込まれるようにして、扉の中へと消えてゆく。


(ついて来い……ってこと?)


 照瑠もまた、蛍の消えた扉に手を伸ばした。重たそうな見た目に反し、扉は実に容易く照瑠のことを受け入れた。


 薄暗い屋敷の中へ、照瑠はそっと足を踏み入れる。扉を閉めると、途端に完全なる闇が襲ってきてびっくりする。


 懐中電灯は、先ほどの騒ぎで落としてしまった。代わりに握られているのは、皐月から手渡された霊撃銃。後は武器の入ったジュラルミンケースだけで、灯りになりそうなものは何もない。


 一寸先も見えない闇の中で、また不安だけが大きくなってきた。こんなところで、もしもあの悪鬼に再び襲われたら。周りの状況がわからない今、逃げ伸びる術はない。


 とにかく、灯りになるものを探さなければ。そう思い、手探りで部屋の様子を探ろうとしたところで、またあの青い蛍が現れた。


 暗闇の中で、ぼんやりと輝く青白い光。それは徐々に人の姿を成して行き、少女の姿へと変わってゆく。薄く、後ろが透けて見えるのは、彼女が既にこの世の者ではないからだろうか。あの悪鬼と違い、彼女は一匹の蛍が化けただけの存在。それ故に、力の強さもまた影響しているのではないかと思われた。


「あなた……誰?」


 訊きたいことは色々とあったが、それしか言えなかった。彼女が幽霊であることは間違いないが、この村に来てから出会った亡者とは明らかに違う。無論、あの赤い蛍や、それらが集まってできた悪鬼とも異なる存在だ。



――――お願い……。



 照瑠の頭の中に、例の声が響いてきた。目の前の少女の唇は動いていない。人の姿になったとしても、心でしか語ることができないのだろうか。



――――お願い……。闇を……この村を覆う闇を、どうか祓って……。



 今度はよりはっきりと、照瑠の頭に声が響いた。もっとも、いきなりそんなことを頼まれても、照瑠には何のことかさっぱりわからない。この村が凄まじいまでの陰の気に覆われていることはわかるが、いきなり現れて、それを祓えとは。あまりに急なことで、何を言ってよいのかも思いつかない。


「闇……? 祓う……? いったい、どういうこと!?」


 問い詰めるような口調で、照瑠は少女の霊に向かって叫ぶ。だが、少女はそれに答えずに、悲しそうな顔をして照瑠を見つめるだけだ。



――――魂送り……。



 ぽつんと呟くような声で、少女は照瑠の心に告げた。そして、その言葉を照瑠が繰り返すよりも先に、彼女の姿は闇の中へ溶けるようにして消えてしまった。


 再び辺りが闇一色に染められる。いったい、彼女は何者だったのか。少女の顔にどこか見覚えのあるような気がして、照瑠はしばし、記憶の糸を手繰りよせてみた。


「あっ……!!」


 村に着いてから、ここまでの記憶。それを順番に思い出したところで、照瑠は思わず声を上げて固まった。


 少女の顔は、確かに照瑠が見たことのあるものだった。しかも、決して昔のことではなく、正に今しがたの出来事において。


 照瑠は気づいてしまったのだ。屋敷に消えた芽衣子の後ろで、冷たい微笑みを浮かべていた赤い着物の霊。彼女の顔と、あの少女の顔。その二つが、まったく同じものであるということを。その身に纏う雰囲気があまりに違い過ぎていたので、初めは同じ霊であると気がつかなかった。


 だんだんと、恐怖の方が大きくなってきた。あの少女の正体が芽衣子を攫った霊だったとすれば、自分はとんでもない罠にかかってしまったのではないだろうか。邪悪な気配を感じなかったので油断していたが、実は彼女こそが、この村に巣食う悪しき霊気の元凶ではないだろうか。


(でも……。あの、助けて欲しいっていう声は、嘘を言っているように思えなかった……。だったら、芽衣子さんを攫った幽霊の正体は……)


 こんなとき、紅だったらどう考えるだろう。甘えてはいけないと思った矢先に、早くも彼のことを考えてしまう自分が情けない。何が真実で、何が嘘か。それさえも見抜けない自分の頭が恨めしい。


 紅の居場所。芽衣子の行方。それに、少女の正体。考えねばならないことは山ほどあったが、照瑠はなんとか気を取り直し、手探りで屋敷の探索を始めた。暗闇でも、だんだんと目が慣れて来たからだろうか。完全に見えるわけではないが、辺りの様子も少しくらいならわかるようになっていた。


 そろそろと、ほとんど手探りで照瑠は壁伝いに部屋の中を歩いた。床がギシギシと音を立てて軋み、古い板張りの廊下を歩いていることがわかる。


 この先に、自分を待っているものはいったい何か。自分は皐月と合流し、この廃村で紅を見つけ出すことができるのか。


 不安は消えていなかったが、泣いていても始まらない。指先と足下に意識を集中させながらも、照瑠は少しずつ屋敷の奥へと歩を進めていった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「それで……。結局、私はその後も屋敷の中を彷徨ってて……しばらくしてから、皐月さんと合流したのよ。それから、なにか物凄い音がしたのが聞こえて……二人して、慌ててこっちに来たってわけ」


 土倉を思わせる屋敷の一室で、照瑠が淡々とした口調で語っていた。この村に来てから起きたこと。それを端的にまとめて告げたつもりだったが、他の面々の反応は思わしくなかった。


「へぇ、なるほどねぇ……。どうやら、あの赤い蛍に振り回されているのは、俺達だけじゃないみただね」


 どこか納得の行かない表情を浮かべながらも、魁は照瑠の話を聞いてそう言った。


「でも、先生。彼女の話……ちょっと、おかしくないっすか?」


 会話に割り込むようにして入って来たのは、魁の隣にいる総司郎だ。普段は寡黙な彼が、こんな態度を取るのは珍しい。


「おかしい、か……。やっぱり、総ちゃんもそう思う?」


「はい。この人達、村に到着してから、あまり時間が経ってないみたいっすけど……俺達が着いた、ちょっと前に村に入ったってことなんっすかね?」


「さあね。それは、本人達に訊いてみないとわからないんじゃない? もっとも、今の話をまとめると、彼女達は火乃澤町を出発したその日の夜に、ここに辿り着いたみたいだけどね」


 さらりと流すように言いつつも、魁の目には明らかに疑問の色が浮かんでいた。


 照瑠や皐月、それに芽衣子が火乃澤町を離れたのは、魁が雪乃からの依頼を承諾して町にやってきたその日のことだ。その後、魁は町に一泊ほど滞在し、それからこの村にやってきた。つまり、照瑠達と魁達の間には、時間にして一日ほどの開きがなければおかしいはずなのだ。


 ところが、照瑠の話を聞く限り、彼女達はこの村に着いてから半日と過ごしていない。嘘を吐いている様子もなかったし、なにより、ここで彼女達が隠し事をする理由もない。


 この場所は、時間の流れさえも歪められている。そう考える他に、納得のゆく説明ができなかった。陰の気によって歪められた空間は、時間さえも外界のそれと切り離され、完全に独立した異空間として成立している。およそ常識では考えられない話だが、自分の常識がここでは通用しないことなど、既に承知の上ではある。


(急がねばならないな……)


 誰にも気取られることなく、魁は心の中で呟いた。この空間の時間は、外に比べてゆっくりと流れている。この村に来て数時間程しか経っていないが、外の世界では既に半日、下手をすれば丸一日ほどの時間が経過している可能性もある。


 今回の探索は、犬崎紅を見つけることだけが目的ではない。あの、プロデューサー変死事件と同じ祟りを受けてしまった少女を、死の祟りから救うことこそ本当の目的なのだ。


 だとすれば、こんなところでいつまでも油を売っている余裕はない。一刻も早く村の謎、鳥居の謎を解き明かして祟りを打ち破られねば。外の世界を流れる時間は、こちらが考えている以上に早く流れているのだから。


「ふん……。とりあえず、だいたいの話はわかったよ。どうやらここは、空間だけでなく時間まで歪んでいるようだ。それが何を原因とするものかは知らないけど……あまり、ゆっくりしている暇はなさそうだね」


 そう言いながら、魁は全員の目の前で、古びた巻き物を広げて見せた。二階で蛍と亡者の群れを追い払った後、当主の間と思しき場所で見つけたものだ。


「それじゃあ、今度はこっちの番だ。これは、俺が二階の部屋で見つけたもんだけど……何やら、妙な儀式についての詳細が書かれていた」


「妙な儀式?」


 広げられた巻物を覗き込み、雪乃が訊ねた。そこに書かれている文字を読もうとしたのだが、昔の字体で書かれているために読めなかった。


「黄色い蛍は、現世を彷徨う迷える魂。青い蛍は、常世へ向かう清らかな魂。そして……赤い蛍は、暗闇の世界からやってくる死の使い……」


 ぽつり、ぽつりと呟くように、魁は巻き物に書かれた文字を読んでゆく。多少、現代語風にアレンジを加えてはいるが、大まかな意味を違えてはいない。


「これは、この村に古くから伝わる言い伝えらしい。毎年、お盆の季節になると、この村では先祖の霊が蛍に姿を変えて帰って来ると信じていたみたいだね」


「御先祖様が蛍か……。でも、それだったら、あの赤い蛍はなんなんだ? あれがこの村のご先祖様だって言うなら、どうして俺達を襲うんだよ!!」


「まあ、そう慌てるなよ、少年。さっき、俺が読んだ一説にあっただろう? 赤い蛍は、暗闇の世界からやってくる死の使いってのが。連中、どうやらただの幽霊じゃなくて、魔物に近い存在と言った方が正しいのかもね」


 はやる浩二を抑えつつ、魁はあくまで落ちついた様子で説明を続ける。時間がないことは承知しているが、ここで焦っても始まらない。


「この村では、お盆の季節になるとお祭りをするみたいでね。なんでも、魂送とか言って……巨大な藁人形を男達が背負って、家々を巡るっているやつらしい。それで、先祖の霊を藁人形に憑依させて、後は村はずれの高台の先にある鳥居のところで焼く。その際に、なにやら鏡を使った儀式をする必要があるのと……後は、お白様と呼ばれる生き神が同伴する必要があるって書いてあるね」


「生き神……。それ、人間なんですか?」


「ああ、多分そうだろうね。生き神ってことは、その名の通り生きている神だ。何らかの霊的な力を持った人間を、その神秘的な力故に神として崇め祀る。日本では既に廃れて久しい風習だけど、外国の山奥なんかでは、未だに残っているところもあるって聞くな」


「それじゃあ、そのお白様っていうのは、幽霊なんかじゃなくて人間なんですね?」


「ここに書いてあることを信じるなら、そういうことになる。ただ……どうやら、そのお白様。今では何らかの原因で、完全に悪霊と化してしまっているみたいだけどね。総ちゃんや、それからそっちの女の子……照瑠ちゃんだっけ? 彼女が遭遇した白髪の悪鬼は、たぶんお白様の霊なんじゃないかと俺は考えてる」


 赤い蛍が集まることで生まれた、赤目白髪の恐るべき悪鬼。照瑠を襲い、この屋敷に入った者を中へと閉じ込め、更には総司郎さえも窮地に陥らせた大悪霊。


 魁の脳裏に、二階の部屋で見た水墨画が蘇る。その瞳の部分だけを朱で描かれた、白髪の青年の水墨画。恐らくは、あれがこの村で崇め建てられ祀られてきた、お白様ということなのだろう。その身に障害を抱えつつも、代わりに強い霊能力を宿したが故に、神として珍重されてきたのだ。


 なにからなにまで、あの少年と似ていると魁は思った。犬崎紅。彼もまた、その身に強い霊能力を宿し、犬神を始めとした外法を操り魔と戦う。紅は神としての扱いは受けていないようだったが、桁外れの力をその身に秘め、人々から畏怖されて来たという点では同じことだ。


「この村が廃村になった理由だけど……そこから先は、俺にもわからない。儀式の中には禁忌とされるヤバいやつもあったみたいだから、恐らくはそれが原因だろうね。ただ……肝心のところで、紙が虫に食われててさ。残念だけど、そこから先は読めなかった」


 筒から紙の全てを引っ張り出し、魁はそれを他の者達に見えるようにして広げた。紙は途中から酷く破れており、明らかに何かに食われたことが明白だった。


「なるほどね。だいたいのことはわかったわ。だったら、まずはその儀式ってやつに関する情報を集めないといけないわね。それに……こっちは芽衣子も探さないといけないし……」


 魁の手からぼろぼろの紙を受け取って、皐月はそれを改めて読み直しながら言った。


「同感だ。こっちも、あの外法使いだけじゃなく、いなくなったチビちゃんも探さないといけない。儀式の詳細探しに人探し、それに祟りを打ち破る方法まで見つけないといけないか……。時間は限られているから、スピード勝負ってことになるんだろうけどさ」


 飄々とした口調で語りつつも、魁の顔もまた笑っていない。そして、そんな彼の言葉の一端を、照瑠は聞き逃さなかった。


「あの、すいません。さっき、チビちゃんがいなくなったって言ってたけど……。それ、もしかして……」


 考えたくない。予想が外れていて欲しい。そんな期待を込めた眼差しを魁に向ける。だが、彼女の期待とは裏腹に、魁に変わって雪乃が重い口を開いて話し出した。


「ごめんなさい、照瑠ちゃん。実は……私達、亜衣ちゃんに誘われて、御鶴木先生と一緒にこの村まで来たの。でも……途中で亜衣ちゃんが、赤い蛍に攫われちゃって……まだ、どこにいるかもわかってないの……」


「そ、そんな……。それじゃあ、犬崎君や芽衣子さんだけじゃなくて、亜衣までこの村のどこかに消えちゃったってこと!?」


 考え得る限り、最悪の状況だった。ただでさえ時間がない中で、探さねばならない人間は三人。しかもその内の一人は何ら霊的な存在に抗う術を持たず、もう一人は既に何者かによって憑依されてしまっている。


「ごめんなさい……。本当に、ごめんなさい……」


 友人が攫われるのを前にして、何もできなかったことに対する罪悪感からだろうか。しきりに謝罪の言葉を述べながら、雪乃はとうとう泣き出してしまった。照瑠も亜衣も、彼女にとっては大切な友達だ。それ故に、こんな事実を自分の口から伝えねばならないということが、あまりにも重たかったのかもしれない。


「やれやれ……。これはまた、随分と面倒なことになったわね。でも、悪いけど泣いている暇なんてないわよ。この村が怨霊の巣窟だってことを考えた場合、まずは嶋本さんを見つけることが先決だわ」


 泣いている雪乃を横目に、皐月がややもすると厳し目な口調で告げた。無論、悪意あってのことではない。こうしている間にも、亜衣の身に何が起きているかわからないのだ。時間がないのは承知しているが、余計な犠牲は出したくない。


「あなた達、嶋本さんが行方不明になる前に、何か彼女の持ち物を預かってないかしら? そうでなかったら、髪の毛みたいな身体の一部でもいいわ。とにかく、彼女と繋がりのあるものがあれば、私に貸してちょうだい」


 自分の力を詳しく説明している暇などなかった。この村の中で、フーチの力がどこまで役立つか。それは皐月にもわからない。しかし、闇雲に探して回るくらいならば、少しでも可能性のある方に賭けるべきだ。


「あっ! そう言えば、この屋敷に入る前に、嶋本のやつの携帯を拾ったじゃねえか。あれ、まだ持ってたよな?」


 屋敷の門前に転がっていた携帯電話のことを思い出し、浩二が両手を叩いて叫んだ。思えば、この屋敷に足を踏み入れたのは、亜衣の携帯電話が入口に置いてあったからだ。今となっては誰かの置いた罠の可能性が高かったが、そんなことは、もうこの際どうでもよい。


「ああ、あれね。俺が預かってたけど……こいつがどうかしたのかい?」


 浩二の言葉に、魁が懐から携帯電話を取り出して見せる。この屋敷に入る前に拾った、亜衣の使っていたものだ。


「携帯電話か……。十分過ぎる手掛かりね」


 なにやら含みのある笑みを浮かべ、皐月はそれを魁の手からひったくるようにして奪った。呆気に取られている魁だったが、彼女はそんなことを気に止めもしない。


 右手にフーチを、左手に携帯電話を持ち、皐月は意識を集中する。この村に漂う陰の気に乱されて、正確な位置までを探ることは不可能。しかし、亜衣のいるであろう方角を示すくらいであれば、今の彼女でも十分にできる。


 携帯電話に残された、嶋本亜衣の微かな気。それを探り、己の潜在意識と同調させることで、それを振り子に伝えて方角を指し示す。


 地図がないために、正確なビジョンを頭の中で描くことまでは無理だ。芽衣子もいないので、あまり遠くに行かれてしまっては、気を探ろうにも探れない。が、この村の中にいるのであれば、まだ希望はある。


「こっちよ……。みんな、私の後に着いてきて」


 くるくると右回りに回転する振り子を片手に、皐月は全員の顔を見回して言った。振り子が指し示すその先には、果たして何が待っているのか。


 考えていても仕方がない。今はとにかく、亜衣を見つけ出すことが先決なのだ。その上で、この村に隠された恐るべき儀式の全貌を解き明かし、詩織にかけられた死の祟りを打ち破る方法を見つけねばならない。


(絶対に、この村から生きて帰るのよ……。私と、みんなと……それから犬崎君で!!)


 皐月の後を追う照瑠の拳が、静かに、しかし力強く握られた。状況は未だ絶望的で、目の前の暗闇は晴れる兆しを見せない。だが、それでも仲間の顔を見て、自分が一人ではないと知ったからだろうか。


 白髪の悪鬼に襲われて、怯えていたときの顔は既になかった。亜衣も、詩織もそれから芽衣子も絶対に助け出してみせる。そして、紅も必ず見つけてみせる。そんな強い決意が、彼女の瞳に戻ってきていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ