~ 拾ノ刻 幻視 ~
九条照瑠がここ、夜魅原村に到着したのは、彼女が火乃澤町を去ったその日の夕暮時だった。
退魔具師の皐月の案内で、彼女たちは車を飛ばしてここまで来た。途中、幾度か迷いそうになりながらも、案外と早く目的の場所までは来ることが出来た。
これが自分と皐月だけだったら、どれだけの時間がかかったことだろう。ふと、照瑠はそんなことを考える。彼女たちの力だけでは、こうも早く目的の場所を探り当てることはできなかった。強力な助っ人の力があったからこそ、こうも簡単に事が運んだということを、照瑠は知っている。
自分の横で、中程度の大きさのジュラルミンケースを持ったまま佇む女性を、照瑠は横目でちらりと見た。
周防芽衣子。皐月が助手として紹介してくれた、少々天然気味の女性だ。皐月の助手ということは、既に社会人として働いていてもおかしくない年齢のはず。が、オレンジにも近い色に染められた髪と、先端が何重にも巻かれた髪の毛が、彼女の年齢を若く見せている。実際はどうだか知らないが、これなら大学生アルバイトだと言われても、恐らくは誰も気づかない。
そんな芽衣子ではあったものの、彼女の持つ特殊な能力は、今回の捜索にかかせないものだった。物体に残された強い意思、残留思念のようなものを感じ取る力。サイコメトリーと呼ばれる超能力にも似た力は、皐月のフーチによるダウジングさえも凌駕する。具体的な地図がなくとも、写真や物品を手にしただけで、脳内でそれを映像化できる。強い思念の残る物体でなければ力を発揮できないが、それでも照瑠からすれば、十分に常識外れの力といえる。
事故や事件に巻き込まれて亡くなった人間の、遺体の場所を探り当てるような力だろうか。以前に何かの番組で見た霊能力者の姿を思い出し、照瑠はそんなことを考えた。あれが、果たして本当の力だったのか。確かめる術は、今はない。
だが、それでも芽衣子の力が正真正銘の本物であることだけは、照瑠もここに来るまでにまざまざと見せつけられた。彼女は紅の家にあった一枚の写真――――例の、三柱の鳥居が写されたものである――――を手にし、そこから実に正確な村のビジョンを読み取ったのである。
正直、最初はこの作戦に、照瑠はそこまで気乗りがしなかった。皐月の話では、写真には霊害封じのようなものが施されているので大丈夫とのこと。だが、それでもあの鳥居は、自分達に恐るべき死の祟りを振り撒いたのと同じ物なのだ。単に写真を見るだけならば問題なくとも、その写真に残された念を直に読み取ろうとすればどうなるか。この手の話に詳しくない者であっても、何やら不吉な感じがしてしまうのは否めない。
案の定、そんな照瑠の予想は的中し、写真に残された念を探ろうとした芽衣子は、急に眩暈を起こして倒れる始末だった。幸い、命に別条はなかったものの、これでは話にならない。仕方なく、照瑠は芽衣子の身体に自らの持つ癒しの気を送ることで、彼女の負担を軽減させることになった。
もっとも、照瑠の力を使って芽衣子の負担を和らげることは、最初から予定されていたことでもあった。一昔前ならいざ知らず、今の彼女は自分の中に秘めた力もそれなりに使いこなすことができる。
芽衣子がビジョンを読み取り、彼女の負担を照瑠が軽減し、そのビジョンを基に、皐月がダウジングで正確な場所を探った後、その方向に車を走らせる。それぞれの能力を最大限に生かし、互いに足りない部分を補ったからこそ、今の結果があるのだと照瑠は思った。車を飛ばし、出発したその日の夜には村に到着できたことも、全ては三人の協力があったからだ。
唯一、問題だった部分を挙げるとすれば、それは芽衣子の性格だろう。その外見からは想像できないが、芽衣子は自他共に認める真性のレズビアン。故に、照瑠が彼女に癒しの気を送る際には「ぬほぉぉぉっ!」だの、「ふみゃぁぁぁ……」だのといった妙な擬音を連呼して、照瑠の集中力を何度も削いでくれた。
本人いわく、現役女子高生から癒しの気を送られるのに昂奮したとのことだが、果たしてどんな感情を抱いていたのか……。できることなら、あまり考えたくはない。
また、芽衣子は皐月に対して特別な感情を抱いているようで、皐月にビジョンを送る際にも一苦労だった。互いの意識を共有するには、お互いに手を繋いで精神を統一するだけでよい。ところが、芽衣子はそんなことお構いなしに、これ幸いとばかりに皐月に抱きついて甘える始末。皐月も鬱陶しそうにしていたが、そこは彼女の方が大人なのだろうか。無駄に密着されながらも、最後は気にする様子を見せず、目的の場所を探り出すのに意識を集中させていた。
この場に来るまでの珍道中を思い出し、照瑠は軽く溜息を吐く。捜索はまだ始まったばかりだというのに、随分と疲れてしまっているのは気のせいか。もっとも、そんなことを言っていられるほど甘い状況ではないことくらい、照瑠も村に足を踏み入れたときから知ってはいたが。
「さて……ここが、例の写真にあった夜魅原って場所かしら? 見たところ、単なる廃村みたいだけど……それだけってわけ、ないわよね?」
高台の上から見下ろすようにして、皐月が誰に言うともなく言った。言葉には出さないが、照瑠もそれに頷いて答える。藪を掻き分け、この村に入ったときに感じた風が、あまりに陰鬱で不気味なものだったからだ。
ここは、生者の住まう場所ではない。照瑠の直感が、本能的にそれを告げていた。
淀んだ風。鼻先をくすぐる陰の気の香り。そして、決して明けないのではないかと思わせるほどに、深くて暗い夜の闇。その全てが、照瑠の知っている現世の常識から外れていた。少なくとも、ここまで心の底から薄気味悪いと思える場所は、照瑠の知る限りでは他にない。
果たしてここに、本当にあの犬崎紅がいるのだろうか。それは、照瑠にもわからない。だが、あの写真にあった三柱の鳥居は、間違いなく自分や亜衣、それに詩織に死の祟りをかけた映像のものと同じだった。その鳥居のある場所にやってきたということは、紅の存在は別にしても、自分たちは確実に事件の核心部分に近づいているといえるはずだ。
あの鳥居の謎を解き明かし、絶対に詩織を救ってみせる。そのためにも、今はこの廃村のどこかにいると思われる、紅を探し出すのが先決だ。
高台の上から眼下に広がる廃村を見降ろしながら、照瑠は決意を新たにして拳を握り締めた。その横では、皐月が何やら芽衣子に指示を出して、銀色のジュラルミンケースを持って来させている。
「もう、酷いですよぉ、お姉さまぁ……。荷物持ちやらされるなんて、私聞いてないですぅ!」
ケースはそこまで大きなものではなかったが、芽衣子は明らかにむくれた顔になっていた。もっとも、皐月はそんなことはお構いなしに、自分の足下に置かれたケースを開く。その中に納められていたものを見て、照瑠は思わず自分の目を疑った。
「ちょっ……! な、なんですか、これ!?」
「何って……ちょっとした、私の新作武器ってところかしらね? 今回は絶対に向こう側の世界の連中と対峙することになるでしょうから、念のために持って来たのよ」
「ね、念のためって……。まあ、確かに、武器があった方が心強いですけど……」
そう言いながらも、照瑠は自分の口元に手を当てたまま、ケースの中身から目が離せなくなっている。中にあったのは、警棒や拳銃のような形をした武器。その他にも銀製のナイフなどが、ところ狭しと納められている。
「とりあえず、ここから先は武器を出しておいた方がよさそうね。私はこれを使わせてもらうから……照瑠ちゃんも、好きなの選んで使いなさい」
「つ、使いなさいって……。そんなこと急に言われても、武器なんて持ったことありません!!」
「だったら、護身用ってことで構わないわよ。何が起こるかわからないんだから、最悪の場合、自分の身は自分で守れるようにしておかなきゃ駄目よ。私は紅ちゃんと違って、あなたや芽衣子を常に守りながら戦えるほど強いってわけじゃないんだから……」
軽く肩をすくめながら、皐月はさらりと流すようにして言った。無論、それが謙遜でも、ましてや冗談でもないことは、照瑠もまた十分に承知している。
皐月の本職は退魔具師。霊と戦うための道具を作るのが本業であり、戦闘に関してはアマチュアに過ぎない。以前、初めて皐月と一緒に事件を解決したときにも、彼女は家政婦の変貌した鬼を相手にかなりの苦戦を強いられていた。武器の用意が不十分だったというのもあるが、それでもやはり紅のように、圧倒的な力で霊を屈服させることはできないのだ。
この下にある廃村が、生者にとっては極めて危険な場所であること。この地に辿り着いたときから、それは照瑠にもわかっていた。村に降りて、いきなり亡霊に襲われるということはないのだろうが、用心に越したことはない。この場所に流れている風は、既に現世のものとはその臭いからして違うのだから。
「わかりました……。でも、やっぱり私、武器なんて使える自信がないです。皐月さんや犬崎君みたいに、幽霊相手に戦えるかどうかも……」
ジュラルミンケースの中に置かれた武器に手を伸ばしつつも、照瑠は躊躇いを隠せない様子だった。それを見た皐月は「仕方ないわね」とだけ言うと、拳銃のような武器を取り出して照瑠に渡した。
「はい、これ。接近して戦う霊木刀なんかと違って、これなら照瑠ちゃんにも使えるんじゃない?」
「えっ……!? で、でも……私、拳銃なんて撃ったことありません!」
「大丈夫よ。とりあえず、何も考えずに引鉄さえ引けば、後は勝手に弾が出るから。それに、普通の拳銃と違って、反動なんかもほとんどないしね。ただ……肉体を持った相手には通用しないから、あくまで対幽霊用の銃だけど」
一通りの説明を終え、皐月が照瑠の手に銃を押しつける。いざ、手に持ってみると、意外に軽い。本物の拳銃は玩具のそれと比べても重いという話を聞いたことがあるが、これは随分と軽量化されている。金属部品だけでなく、その半分程が木で作られているからだろうか。
「それの名前は霊撃銃って言うの。霊気を込めた水晶板を動力にして、気の弾丸を放つ銃よ。自分の体内に流れる気を弾に変えるタイプもあるんだけど……それは、照瑠ちゃんにはちょっと早いかもしれないからね。一般人でも使える型の方が、安定性は高いはずよ」
「そうですか。だったら……これ、お借りします」
手にした銃を握り締め、照瑠も今度は力強く頷いた。不安は残るが、これなら自分にも使えそうだ。銃など手にするのも初めてだったが、何も持たずに村へ降りるよりマシだろう。それに、いつまでも皐月の力に甘えていては、紅を探すどころかとんだお荷物になってしまいかねない。
「うぅ……。ズルイですよぉ、お姉さまぁ! 私にも、何かすっごい武器の一つや二つ、貸してくれたっていいじゃないですかぁ!!」
自分を差し置き皐月が照瑠に武器を渡したことで、芽衣子が憤慨した様子で叫んだ。彼女からしてみれば、ここまで重たい思いをして、わざわざケースを運んで来たのだ。それを無視して自分だけ丸腰では、いくらなんでも割に合わない。
「はいはい、わかったわよ。けど……あなた、何か使える武器なんてあったかしら? 私が試作品を作ったときにテストをしてもらったこともあるけど……正直、あなたの腕じゃ、霊撃銃は使えないわよ?」
「はぅぅ……。まあ、確かに私、銃は下手糞なんですけどぉ……」
背中を少しだけ丸め、すごすごと後ろに下がる芽衣子。先ほどの勢いはどこへやら、何か知られたくない過去でもあるのだろうか。少なくとも、彼女の拳銃の腕が壊滅的であることは、皐月と芽衣子本人が、一番良く知っているようだ。
「それに、あなたは私や照瑠ちゃんと違って、そこまで運動神経がいいわけでもないでしょう? どうしてもって言うなら、小太刀の霊木刀や銀製のナイフを貸すけれど……それで、向こう側の世界の連中に接近戦を仕掛ける度胸、あなたにあるの?」
「…………ないです」
ほとんど掠れて消えてしまいそうな声だった。完全に頭を垂れて小さくなっている芽衣子の顔は、今にも泣き出しそうなときのそれに変わっている。どうやら戦闘もできる皐月とは違い、芽衣子の方は、とことん戦いに向かない性格をしているようだ。
「さて……。それじゃあ、準備も整ったところで、いよいよあの村へ行ってみましょうか。二人とも……ここから先は、何が出るか私にもわからないわ。十分に、注意して着いて来るのよ」
両腕を大きく伸ばし、それを下に降ろしきったところで、皐月は急に真剣な顔になって振り返った。その言葉に、照瑠と芽衣子もまた無言のまま頷く。
不安や涙は、既に二人の顔から消えていた。いや、実際には、皐月の言葉を受けて強引に飲み込んだといった方が正しいのか。
村から吹き上げる生温かい風が、皐月の頬を掠め、その髪を揺らす。皐月は手にした警棒のような物を一振りすると、それを伸ばして感触を確かめるように柄を握った。
「うん、悪くないわね。願わくば、これを使わずに終わって欲しいところだけど……」
そう、呟いてはみるものの、その可能性がないことは、皐月自身が一番よくわかっている。例え、村の探索が何事もなく終わったとしても、最後は照瑠たちに死の祟りを振り撒いた、その元凶と対峙する必要がある。それは即ち、祟りの元凶を力づくで叩き潰す必要があるということに他ならない。
再び強い風が吹き、三人の後ろに広がる森の梢をガサガサと揺らした。なんとも言えぬ不吉なものを感じながら、それでも三人は、眼下に広がる廃村へと続く道を下って行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村の中へと入ってみると、そこは意外な程に静まり返っていた。
ここは敵地だ。村へと続く小道を下りながら、照瑠は皐月からそう聞かされていた。なにしろ、これだけ陰鬱な気が漂っている、ほとんど地獄のような場所なのだ。そんな場所に降りたが最後、無事に帰れる保証などない。下手をすれば、村に着くなり幽霊の群れによる襲撃の洗礼を受けるかもしれない。そんな話をされていた。
ところが、そんな皐月の話に反し、村は依然として沈黙を続けていた。自分たちを取り巻く陰の気が強くなっているのは照瑠にもわかったが、それ以外には何もない。高台の上から見下ろしていたときに感じていた強い悪意のようなものも、今ではすっかり影を潜めてしまっている。
これは、いったいどういうことなのだろう。まさか、敵の罠か何かで、どこかで待ち伏せされているのではあるまいか。
不安と緊張。その二つが入り混じって、つい余計なことを考えてしまう。霊撃銃を握る自分の手が妙に汗ばんでいることに気づき、照瑠は慌てて平静を保とうと呼吸を整えた。
「…………駄目ね。ここも、収穫なしだわ」
半ば、うんざりしたような顔をして、皐月が近くにあった廃屋の中から出て来た。この村に入ってから、もうどれくらい、こうしたことを繰り返しているのだろう。少しでも手掛かりになりそうな物がないかと、片っ端から廃屋へ足を踏み入れて探索してみるものの、これといって役に立ちそうな物が発見されることは今のところない。
「やっぱり、手当たり次第なんて無理ですよぉ……。この村、ただでさえ広いのに……そこにある家をぜ~んぶ探していたら、時間がいくらあっても足りないですぅ!!」
ジュラルミンケースを地面に降ろし、芽衣子が溜息交じりに抗議の声を上げる。確かに、彼女の言う通り、この探索方法は極めて効率が悪い。こんなことでは紅を見つけるよりも先に、こちらの方がまいってしまう。
それに、今も死の祟りにその身を蝕まれている詩織のことを考えると、あまり時間がないのも確かだった。時間はかけられず、しかし祟りを打ち破るのに必要な手掛かりを見つけねばならない。互いに矛盾する二つの現実が、否応なしに彼女たちを追い立てる。
「仕方ないわね。こうなったら、できるだけ大きな家から探してゆくようにしましょう。あの鳥居のこともそうだけど……もしも、この村に残された何かの因習が絡んでいるのだとしたら、村の有力者の家にヒントがあってもよさそうだしね」
伸ばしていた霊撃棍を納め、皐月はそれを腰に挿して言った。照瑠と芽衣子も、それに頷く。闇雲に何かを探すよりも、まずは可能性の高い場所から探す。時間のない中で確実性を求めるならば、他に方法は見当たらなかった。
皐月を先頭に、三人は再び廃村の中を通る道を歩き始めた。途中、いくつかの家を見たが、今は構っている暇はない。目当ての家は、この村の有力者だった者たちの家。小さな農家を覗いたところで、時間の無駄になる可能性の方が高い。
朽ち果てた納屋。荒れ果てた田畑。それらを横目に更に奥へと進んだところで、彼女たちの前に一際大きな家が姿を現した。石壁のようなものはないが、代わりに頑丈そうな垣根でその周囲を囲われている。廃村となった今も威厳だけは保っているようで、明らかに他の家とは格式の違う造りであることが窺える。
「どうやら、ここは探ってみる価値ありそうな場所ね。それじゃあ悪いけど、ちょっと私の方で中の様子を見てくるわ。芽衣子と照瑠ちゃんは、この場の確保をお願いね」
霊撃棍を抜き、皐月が屋敷の敷地へと足を踏み出した。それを見た芽衣子が、慌てた様子で皐月を止める。ケースを地面に放り投げ、そのまますがるようにして皐月の袖をぎゅっと握った。
「い、いやですよぉ、お姉様ぁ! こんなところでお留守番なんて……もう、私我慢できないですぅ!!」
「そんなこと言ったって……家の中には、どんな危険があるかわからないのよ? 安全を確保してからじゃないと、下手に踏み込んで向こう側の世界の連中に襲われたらどうする気?」
「それなら、外にいたって同じですぅ! 私は、戦いは駄目駄目ですしぃ……。照瑠ちゃんだって、お姉様みたいには戦えないって言ってたじゃないですかぁ!!」
ほとんど泣き出しそうな声で、芽衣子は早口にまくし立てた。その手は皐月の腕をしっかりとつかみ、決して離すまいと握ってくる。
仕方がない。こうなっては芽衣子を説得するのも面倒だし、ここは一緒に連れて行くしかないか。
気乗りはしなかったが、皐月はしぶしぶ芽衣子の要求を受け入れた。途端に態度を変えてはしゃぎ出す芽衣子だったが、皐月にとっては見慣れた光景だ。同行させることに不安がなかったわけではないが、不要な心配をさせて勝手な行動を取られても困る。
それに、よくよく考えれば、芽衣子と照瑠を長時間に渡り二人きりにしてしまうのは、実はひじょうに危険なことではあるまいか。小さな農家を短時間で探索するならまだしも、この屋敷を探索している間に、芽衣子が照瑠に手を出さないとも限らない。ああ見えて、芽衣子は意外と己の欲望に関しては、その外見や態度からは想像もできない肉食系に早変わりすることがあるのだから。
「着いて来るなら、私から絶対に離れないようにね。言っておくけど……何か、妙な物が現れても、いきなり抱きつくなんてのは勘弁よ」
最後のの下りに、皐月は特に強く念を押した。仮に、この屋敷の中で亡霊にでも遭遇した際に、どさくさに紛れて芽衣子が飛びついてこないとも限らない。本人からしてみれば好意の現れなのかもしれないが、こと戦いになれば、それらの行動は全て邪魔になる。
皐月に釘を刺され、芽衣子はしゅんと項垂れたまま、足下に置いてあるジュラルミンケースを拾い上げた。やはり、屋敷の中で何かが起きた場合、あわよくば美味しい思いをしようと企んでいたのか。可愛い顔をして、まったくもって油断も隙もないと皐月は思った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
屋敷の中に足を踏み入れると、そこは思ったよりも質素な造りになっていた。戸を開けて最初に現れたのは、玄関と一つになった囲炉裏のある部屋。かつて、この村に生きた人間が暮らしていたときには、ここが食卓や応接室の役割を果たしていたのだろうか。
部屋の奥に見えるのは、裏口と繋がっている土間だ。土間は調理場であり、同時に浴室にも繋がっているようである。もっとも、かつては水場として使われていた部屋も、今や埃を被り、すっかり渇ききっている。
「うぅ……。予想はしてましたけど……やっぱり不気味ですよねぇ……。できればここに、何か手掛かりになるものがあればいいんですけど……」
皐月の服の裾をつかんだまま、芽衣子が辺りを見回して情けない声を出す。霊感の類があるからといって、霊に対する恐れがないわけではない。どんなに力を持っていようとも、怖いものは怖いのだ。
「あの……皐月さん。それで、どこから調べます?」
部屋の空気に飲まれそうになりながら、照瑠もまた皐月の顔を見て訊ねた。外の空気も陰鬱なものがあったが、この屋敷に漂っている気はそれ以上だ。なにやら、あちこちから見られているようで、どうにも気持ちが落ちつかない。
「そうね……。とりあえず、下の階よりは上の階を優先しましょうか。見たところ、下は調理場だの食卓だのしかないようだし……。二階に行けば、何かヒントになるものが見つかるかもしれないわ」
そう言って、皐月は部屋の壁に沿うようにして設けられた、古びた階段を指差した。階段は部屋の天井近くまで続いており、その先に簡素な踊り場がある。踊り場には二つの木戸が見え、どちらも今は固く閉ざされたまま沈黙を守っていた。
「足下、気をつけてね。たぶん大丈夫だと思うけど……板が腐っている場所を踏み抜いたりしたら、洒落にならないわよ」
後続の照瑠と芽衣子の様子を窺いつつ、皐月はそう言って注意を促す。階段は見た目よりも頑丈そうだったが、それでも油断は禁物だ。一歩、足を踏み出す毎に響く、ぎぃ、ぎぃという不快な音。古びた木の軋む音がする度に、何やら嫌な想像をしてしまう。
やがて、階段を登りきったところで、皐月は改めて目の前の扉と対峙した。この先は、果たして本のつに危険がないか。念のため、探っておく必要はあるだろう。
懐からフーチを取り出し、皐月はそれを静かに揺らす。円錐形の金属を先に吊るした一本の鎖が、ゆらゆらと揺れて回り出す。
まず、左側。こちらは特に、何の反応もない。フーチが右側に回転していることからして、安全であることは確かである。この村に漂う気に邪魔されて、あまり高い精度で判定をすることはできないが、対象が近ければ問題はない。
とりあえず、こちらから調べてみるか。そう思って手を伸ばした皐月だったが、直ぐに顔をしかめて手を離した。
「どうしたんですか、皐月さん?」
「駄目ね。なんか、向こう側から打ちつけられているみたい。残念だけど、こっちは開かないわ」
いきなり選択肢を断たれ、皐月は少しばかり肩透かしを食らった顔になって言った。
残るは右の扉。気を取り直し、こちらにもフーチをかざしてみる。振り子の先の錐はふらふらと揺れ、どうにも動きが定まらない。右に回ったかと思えば、今度は左に触れることもある。目標さえ定めることができず、まるで空中を彷徨っているかのようだ。
振り子が迷っている。それは即ち、自分の中に迷いがあるということだ。フーチをしまい、皐月はしばしの間、両目を瞑って考えた。
フーチとは、何も万能の判定機ではない。素人のこっくりさんに代表される自動書記と同じもので、基本的には人の潜在意識に訴えかけ、それに物事の答えを訊いているに過ぎない。
皐月のような霊感の強い人間でも、それは決して例外ではない。己の霊感が告げる正と否。それをフーチに代弁させることで、敵や味方の気を探っているに過ぎないのだ。この村に来たときのように、目的を持って特定の場所を探り当てるためには、芽衣子のように自分にビジョンを送ってくれる人間や物体が必要となる。
先ほどのフーチの答えは、正でも否でもないものだった。危険でもあり、安全でもある。結局のところ、自分の霊的な感性を持ってしても、それが判断できなかったということだ。
これはやはり、この村に漂う陰鬱な気が原因なのだろうか。それとも、ここから先には皐月自身にも予想もできない、未知の存在が待ちかまえているとでも言うのだろうか。
駄目だ。これ以上は、考えていても始まらない。皐月は意を決して目を開けると、そのまま扉を勢いよく開け放つ。その古さに反し、扉は実に簡単に、すっと滑るようにして道を開けた。
「行くわよ、照瑠ちゃん。芽衣子も、ちゃんと着いてきなさい」
霊撃棍を右手に持ち、皐月はそっと目の前に開かれた空間へと足を踏み入れる。その後に、照瑠と芽衣子も続いた。扉の向こうは細長い廊下になっており、そのまま左に伸びている。さらに進むと、廊下は直角に折れ曲がり、その先は薄暗くてよく見ることができなかった。
「随分と、勿体ぶった造りの家ね。こんなに廊下を長く伸ばして……何か意味でもあるのかしら?」
空いている方の手にペンライトを持ち、皐月は独り、思ったことを口にしながら足を進めた。廊下の空気は一階のそれ以上に湿っぽく、床も壁も染みだらけだ。手入れがされていないのが理由なのだろうが、それでも、一階よりも湿気が多いというのはどうにも解せない。何か、霊的な存在による侵蝕でも受けたのか、それとも以前から、欠陥を抱えていた造りだったのか。
ふと、廊下に設けられた格子から外を除くと、そこには家の屋根が広がっていた。屋根は酷く痛んでおり、ところどころに開いている穴が痛々しい。
部屋の間取りを思い出し、皐月はしばし考える。そういえば、この下は土間から続く浴室だ。水場が近いこともあり、立ち上った湿気が廊下を蝕んでいたのだろう。人の手が入っていた頃ならいざ知らず、こうまで朽ち果ててしまっては、湿気がこもるのも頷ける。
結局、この廊下に漂う湿った空気は、霊的な存在が原因ではなかったということか。未知の空間、未知の場所に足を踏み入れたことで、少々肩に力が入り過ぎていたようだ。
気を取り直し、皐月は廊下の奥へと進む。最後に、目の前に現れた扉を開けると、そこには畳敷きの部屋が広がっていた。
「なんですかぁ、ここ……。なんか、すっごくカビ臭いですぅ……」
後ろから、芽衣子が鼻を摘まみながら顔を覗かせる。臭いが気になるのは照瑠も同じようで、顔をしかめつつも、部屋の中の様子を窺っている。
「書斎……っていうには、ちょっと狭いですね。誰か、この屋敷に住んでいた人が使っていた部屋なんでしょうか?」
「さあね。ただ、今までの廃屋とはちょっと違うことだけは確かよ。ただの農家にしては、随分と色々な書物が揃っているみたいだしね」
部屋の中にある書棚のような物に目をやりながら、皐月は照瑠の問いに答えた。棚の上には、本もあれば巻き物もある。どれも、随分と古いものらしく、埃を被ったり表紙が黒いカビに覆われたりしていた。
とりあえず、あの書物の中に、何か謎を探る鍵となるものはないだろうか。少しばかりの期待を胸に抱き、皐月は棚の上に置かれた本を手に取った。
長年、使われていなかったからだろうか。本の上に積もった埃が宙を舞い、皐月は思わず顔をしかめてそれを払った。なんとか中身を開いてみると、そこにあったのは墨で書かれた達筆な文字。あまりに達筆過ぎるため、どう見てもミミズが這っているようにしか見えない。
「あの……。その本、何が書いてあるんですか?」
後ろから、照瑠が不安げに覗き込む。何か、重要なことが書いてある本でも見つけたのだろうか。
「えっと……。残念だけど、これはただの物語ね。誰が書いたんだか知らないけど、随分と昔に書かれた娯楽作品の一つに過ぎないわ」
「そ、そうなんですか? だったら、この部屋の本って、そんなに役に立ちそうにないんですね?」
「そうとも言えないわよ。確かにこれは、ただの読み物。でも、他に何かあるかもしれないじゃない。この村に来てから、書物なんてものにお目にかかったのは初めてなんだし……手分けして、色々と探してみましょう」
「そうですね。だったら、本はお願いします。私には、その文字は読めませんから……代わりに、あの押入れの中でも探してみます」
皐月の言葉に、少しばかり残念そうな顔して照瑠が肩を降ろした。安心が半分、期待外れな気持ちが半分といったところだろうか。
それでも、この村に来て初めて人の書いた物を見つけることができたのは、随分と大きな収穫だ。古びた農具しか置かれていない農家と違い、もしかすると、あの三柱鳥居に関する何かが見つかるかもしれない。
本棚に積まれた様々な本と巻き物を、皐月が次々に取り出して調べてゆく。そのほとんどが、何の手がかりにもならない本ばかり。だが、それでも何か読み落としがあってはいけないと、暗がりの中、ペンライトの灯りを頼りにページをめくる。
その一方で、照瑠は部屋の押入れを開けると、中から大きな木箱を取り出した。蓋を開けてみると、これは女の子の玩具だろうか。かつては錦色をしていたであろう毬や、古びたお手玉などが姿を現した。
「う~ん……。なんか、泥棒さんみたいで気が引けますけど……私も、何か探した方がいいですかねぇ?」
部屋を物色する皐月と照瑠の姿を見て、芽衣子が何の気なしに呟いた。この村に来てからというもの、自分は荷物持ちしかやっていない。ここで何か役に立っておかなければ、皐月の手前申し訳が立たない。
とりあえず、自分はあの机の上から探してみるか。目に着いた小さな机の前に腰を降ろし、芽衣子はその上に置かれていた赤い本に手を伸ばす。中を開いてみると、どうやら日記帳のようだった。
(う……むむ……。勢いで手を出してみたけど、やっぱり字が難しい……。これじゃあ、日付くらいしか読めないか……)
一枚、二枚とページをめくり、途端に険しい顔になる芽衣子。退魔具師見習いの彼女にとっては、こんな日記帳の文章を読むのでも一苦労。皐月と違い、古文書じみた書物を読むことなどは、まだあまり慣れてはいないのだ。
(そうだ! 私の力を使って、日記に残された記憶を読み取ればいいじゃない! そうすれば、こんな難しい字なんて読めなくても、日記を書いた人のことがわかるかも!!)
自分の中に浮かんだ考えに、思わず心の中で手を叩く芽衣子。我ながら、これは名案だ。自分の力は、物体に残された残留思念を読み取るもの。単なる本と違い日記であれば、その書き手の想いが強く残されている可能性は極めて高い。
逸る気持ちを抑えつつ、芽衣子はふっと息を吐いて、目の前の日記帳に意識を集中させた。赤い表紙に手をかざし、日記の中に強い想いが残されていないかどうかを探る。物体に宿る意思を感じ取り、それを自分の頭の中で、鮮明なビジョンへと変えてゆく。
日記帳の表紙を通して、何やら強い力が伝わってくるが感じられた。瞬間、芽衣子の身体がビクッと揺れ、その脳裏に過去の光景が映し出される。
(えっ? な、なに……これ……)
思わず声が出そうになったが、実際は何も言えなかった。
芽衣子の頭の中に再生されたもの。それは、日記の内容としては、あまりに奇妙で不可解なビジョンに他ならなかったからである。
巨大な藁人形を背負った葬列が、家々を巡って札を貰う。その札を人形に貼り付けて、葬列を組む男達は、新たな家へと向かって行く。
いや、あれは葬列ではない。葬儀にしては、村人たちの顔に悲壮感がなさすぎる。と、いうことは、これは何かの儀式か、もしくは祭事なのだろうか。
やがて、男達が村の中央にある広場へと辿り着いたところで、急に視界が切り替わった。
広場に中央に座っているのは、白髪を携えた赤い瞳の少年。その両側には篝火が焚かれ、彼の目の前に供物と思しき山の幸が捧げられる。少年は何も言わず、ただ差し出された供物を口にしているだけだ。
いったい、これは何の記憶なのだろう。そんな彼女の疑問に答える暇もなく、再び視界が切り替わった。今度は、これはどこか深い山の中なのだろうか。辺りは木々に囲まれて、風に揺れる葉の音まで聞こえてくる。
自分の意志に関係なく、視界が動いているのが芽衣子にもわかった。この視界の本来の主、日記を書いたであろう人物が、そっと歩を進めているのだ。
時折、小枝を踏みつける乾いた音を聞きながら、やがて開けた場所へと出る。そこにあったのは、例の写真にも写っていた三柱の鳥居。だが、そこまで古びた物ではなく、まだ人の手が入っていることが窺える。
鳥居の傍には、これは宮司かなにかだろうか。いかにも神事に通じていそうな格好をした男と、村の有力者と思しき男が二人いる。鳥居の中では先ほどの少年が白装束を着たまま鎮座しており、じっと目を瞑ったまま動かない。
宮司の男が何かを言ったが、何を言っているのかまでは聞きとれなかった。ただ、それが合図であったことは間違いなく、他の二人が互いに頷いて少年の前に歩を進める。その手に握られた、鈍い光を放つ物を見た途端、芽衣子は思わず自分の心の声を飲み込んだ。
(えっ……!?)
男達の手に握られている物。それは紛れもない日本刀に他ならなかった。何も言わず、石のように動かない少年に向かい、男達は手にした刀を振り上げる。そして、その刃が少年の首筋を斬り裂こうとした瞬間、目の前が急に真っ暗になった。
(な、なに、これ!? いったい、何が起きてるの!?)
映像を見ているだけだというのに、本物の滑落感が芽衣子を襲ってきた。肉体よりも先に、魂の方が奈落へ落ちてしまうような感覚。それに耐えきれず、思わず芽衣子は心の中で自分のことを抱きしめた。
これ以上は、見ていられない。これ以上は、もう無理だ。そう、頭ではわかっていても、不思議と手が日記帳から離れない。その間にも、芽衣子の魂はどんどん下へと堕ちてゆく。その周りでは、いつしか不気味な女の声で、あちこちから狂った笑い声が響いてくる。
「……っ!!」
肩を揺すられる感覚に、芽衣子はハッとして意識を取り戻した。気がつくと、そこは先ほどの部屋の中。日記帳を通して見た映像は、既に頭の中から消えている。
「大丈夫、芽衣子? その赤い本から、何か妙な物でも見たの?」
「あ……お姉様……。だ、大丈夫です! 私は、別に平気です!!」
いきなり皐月の顔が目の前に現れたことで、芽衣子は少しばかり動転して言った。本当は、今すぐにでも皐月の胸に飛び込んで泣きたかった。が、今しがた見た映像が何なのか、頭の中では直ぐに整理がつけられていない自分もいる。
あの少年は、やはり殺されてしまったのだろうか。しかし、見たところ、最初は随分と丁重な扱いを受けていたように思われる。それこそ、まるで生き神のように、触れることさえ恐れ多いと言わんばかり対応で。
そんな少年が、なぜあの場所で殺されねばならないのか。もしや、例の鳥居が持っている悪意というものは、あの少年の怨念が膨れ上がったものなのか。
どちらにせよ、このことは皐月に伝えねばなるまい。自分で考えていても限界だが、皐月ならきっと良い見解を示してくれるはず。
そう思って顔を上げた芽衣子だが、次に皐月に話しかけようとした言葉は、彼女自身の口から出た悲鳴によってかき消された。
「ひっ……! お、お姉様……う、後ろ!!」
芽衣子の声に、皐月と、それから照瑠も振り返る。そこにいたものを目の当たりにして、二人の顔にも途端に緊張の色が走る。
「さ、皐月さん! あれは……」
震える指先で、照瑠が部屋の入口を指差した。そこにいたのは、紛れもない亡者。虚ろな顔に、穴だけとなった両目。だらしなく開いた口からは、腐臭のように不快な霊気が漂ってくる。
「こいつ……! 今まで気配さえ感じさせなかったのに、どこから!?」
霊撃棍を引き抜いて、皐月も照瑠と芽衣子を庇うようにして前に出る。目の前の亡者が、こちらに敵意を抱いているのは明白だ。ならば、話し合いの余地などない。こちらから仕掛け、先手を取らせず相手を潰す。
亡者の口から呻き声が発せられるより速く、皐月は畳を蹴って飛び出した。決して広くない部屋故に、間合いを詰めることもまた容易。自分の中に流れる霊気を棍の持つ霊気に上乗せし、皐月は躊躇うことなく棍を亡者に叩きつける。
断末魔の咆哮を上げる間もなく、亡者はそのまま霧と化した。存外に呆気なく終わったことで、皐月はほっと胸を撫で下ろす。が、次の瞬間、照瑠と芽衣子の方へと振り向いた皐月は、思わず自分の目を疑った。
「ちょっ……! う、嘘でしょ!?」
そこにいたのは、新たな亡者だった。いったい、どこから湧いて出たのか、今度は照瑠と芽衣子に襲いかからんと、淀んだ吐息を撒き散らしながら近づいてゆく。
「退きなさい!!」
棍を横に薙ぐような形で振るい、皐月は亡者たちを一蹴した。これで三体。いったい、この屋敷にはどれほどの数の亡者がいるのか。気配を感じさせずに現れたことからして、まだ油断するのは早過ぎる。
果たして、そんな皐月の予感は正しく、再び亡者たちが姿を現した。いや、正しくは、姿を現したのではない。この場に強引に呼び出された。そう言った方が相応しかった。
皐月の前で、赤い蛍のような光が、トントンと壁を叩くような仕草を見せる。その動きに釣られ、壁から新たな亡者が続々と湧いて出る。
「なるほどね……。どうやら、あの赤い蛍みたいなやつが、亡霊を呼び出していたってわけか」
敵のカラクリがわかったことで、皐月は落ち着きを取り戻していた。奇襲をかけられたときは一瞬だけ動揺したが、仕掛けがわかれば何ということはない。亡者を呼び出している、あの赤い蛍。あれを潰せば全ては終わる。
「照瑠ちゃん。悪いけど、援護お願いね。霊撃銃は、使えるわよね?」
照瑠を横目で見つつ、皐月が確認した。銃など撃ったことはなかったが、それでも照瑠は無言で頷く。このまま皐月だけに任せていてはいけないことくらい、照瑠もまた承知していたのだから。
皐月が飛び出すと同時に、照瑠の手にした霊撃銃が火を噴いた。放たれた一撃は強烈な閃光となって、薄暗がりの部屋を照らす。その光の激しさに反し、反動はほとんどない。
これなら行ける。照瑠は口元をぐっと噛み締めると、次なる標的へと狙いをつけた。狭い部屋の中、敵もそうそう動き回れない。ならば、素人の自分が撃ったとしても、この距離であれば十分に当たる。
再び閃光が闇を切り裂き、亡者の頭が光に飲まれて消し飛んだ。その向こう側から新たな亡者が現れるものの、それさえも皐月と照瑠を止めるには至らない。
突き出された霊撃棍の先端が、亡者の頭を容赦なく貫く。強烈な陽の気を乗せた一撃を食らい、亡者は音もなく崩れ落ちて、そのまま霧となり消滅した。