青と赤
無防備すぎる。東は、そう思わずにはいられない。
天満宮でのお勤めを終えて、のんびりと書見でもしようかと決め込んだのを狙ったのかそうでないのか、従者の双葉がいきなり社務所に戻ってきて膝をよこせと来たものだ。貸せ、ではない。 静かに規則的な寝息を立てている従者に、東は少し見とれた。
彼の髪は、この千歳の国にはかなり珍しい紅に染められていた。この髪は人間の間では珍妙で、注目を浴びる。まれに恐怖や蔑視の対象にもなったらしい。
装束も、千歳の装束ではない、隣国の大陸国で見られる黒衣をまとっている。今は閉じているからうかがえないが、彼の瞳は黄金に輝く。要するに、この男は人の目を引くような容姿をしているのだ。
奇妙ではあるが、醜くはない。むしろ美しい部類の青年だ。
起こさないように、その紅の髪に、触れてみる。さらさらと、指に揺らされて艶めいている。
(無防備すぎる)
双葉が今まで歩いてきた人生なんて、東には半分の半分も知らないことだ。だが、彼の立ち居振る舞いを見てきたものとして、双葉は人と距離を置くような性格なのを見抜くことはできた。
双葉は、人を理解するためにはまず斬り合いを欲する。実際東もその目に遭った。そうして、人が自分を恐れ遠のいていくのを、計算してやっている。彼は、人と交わることを好まないし、人が自分に近づいたり触れたりするのを極端に避ける。
そんな彼が、東に対してだけは平気で近づくし、東から近づかれても遠ざかることはしない。これは信頼なのだろう。東はそれが光栄に感じられた。
髪だけでは満足できず、頬に指を滑らせてみた。身じろぎひとつしなかった。いたずら心で、軽くつねってみた。当然起きた。
「……安眠妨害か、守孝」
待ち遠しかった黄金の瞳が開かれた。
「私は静かに書見がしたかったのだけれど?」
「俺に膝を貸しながらでもできるだろう」
「やろうとすると貴方は嫌がるだろうから」
「当然」
「そういう人だよ、あなたは」
「嫌なら、断ればいいものを」
「それすら許さないだろう」
「まあな。でも、本気で嫌がることはしない」
双葉は淡々と答える。
「書見もいいけれど、あなたに膝を貸すのも嫌ではないよ」
「そりゃ光栄」
双葉はふっと微笑んだ。互いに見上げ見下ろしの状態で、笑いあう。
つい、と双葉が東の髪に触れた。黒く艶めいた長い髪は、陽を浴びると海のように深い青色を醸し出す。
「……あっ」
馬の尾のように結ってあった髪を、双葉の手がほどいた。ばさっと髪が下ろされる。
「これ、きれいにまとめるのは大変なんだよ」
「そんなもん俺がいくらでも結ってやる」
双葉は存分に東の髪に指を絡ませる。するすると指はすべり、さらさらとした髪の感触を覚える。
「……女みたいだな」
「十五の年まで女の格好していたから」
「男の格好になってまだ一年か」
東が女の恰好で十五年間生きてきたのは、母親の親心が原因だった。母は生まれつき体が弱く、病がちな人だった。そんな自分に似て病弱になってほしくないという願いから、元服するまで性別を入れ替えた恰好をさせると健康になるという母の故郷での迷信を実行した。父親はその母親の心を理解していたし、東本人もいやではなかったのでその通りに生活した。おかげでか、流行病がそこらをはびこっても、季節の変わり目になっても、東は風邪ひとつ引いた経験がなかった。
ああ、と双葉は言う。
「だからときどきしぐさが女なんだな」
「うん。でも、すぐに男のように戻るよ」
「おまえ、慣れるのもなじむのもはやいからな」
会話をしながら、双葉はずっと東の髪をいじり続ける。互いに話をするのは楽しい。だが自分の髪を弄り回して何が楽しいのか東にはよくわからない。
「……私の髪で遊ぶのって楽しいのか?」
「そりゃな。見てて飽きない。お前の髪は綺麗だから」
「髪が綺麗でもあまりうれしくない」
「そこは誇っとけ」
双葉がようやく東の膝から離れた。ひょいっと胡坐をかいて、東に向き直った。
「な、何」
自分を見据える黄金色の瞳は妙に強さを持っていて、思わずたじろいでしまう。無言で静かににじり寄られると、何かされると警戒したって不思議ではない。
本能は危険を知らせ続けていたが、双葉のほうが一枚上手だった。やたら華奢な東の肩をぐっとつかんで、そのまま床に押し倒す。かろうじて受け身は取れたが、肩に食い込んだ力は消えることを知らない。しかも馬乗りにされて、下半身は自由を奪われた。
「双葉……?」
東の問いかけに双葉は答えず、据わった目でじっと睨みつけるだけだ。ゆっくりと、確実に顔を近づけ、東のちょっとしたおびえようを楽しんでいるとも見える。口元にかすかな笑みがうかがえた。
「ちょっ、双葉⁉」
事態を察知した東は顔を真っ赤にして目をぐるぐるさせる。体は双葉にがっちり拘束されたも同然だから、今更遅い。
ちょん、と唇同士がふれた。
東の顔から火が出そうな勢いだ。抵抗もする気がおきない。一旦離れた双葉は、もう一度近づいてくる。今度は、ただ東に体を重ねただけだった。脱力状態でのしかかられているというのに、この重さはあまり苦痛じゃない。
「双葉?」
「……なあ、いいか?」
耳元でそう聞かれただけだが、東は察した。
双葉につかまれた肩や、現在腕を回されている背中や腕が、熱い。鼓動が重なる。
「守孝」
諭すように名前を呼ばれる。心なしか、吐息が温かい。
もう時は黄昏だ。日が沈みかけて世界が橙に染まる。
「……わかったから」
息が詰まって言葉が途切れそうだ。自分の承諾が、この赤い青年に届いただろうか。
恥ずかしさのあまり自分も手を回して双葉の背中にしがみつく。
「よし」
あやすように、頭をなでられた。
「私は、子供じゃない」
「こうすると落ち着くだろう。お前、ガキの頃だってなでられたことないだろが。今埋め合わせてやる」
「双葉は、ずるい」
「なんとでもいえ」
ずっとこのままでい続けた。そのうち、きっと一線を超えるだろう。それまで自分は恥ずかしさに殺されないようにしなければ。
東は、心臓の鼓動を正常に戻せやしないかと、ずっと悩んでいた。
久々にオリジナル書いたなあと思ったら結局BLだよ! そういう行為に至らなくても、こういう軽いスキンシップとかにとどまるのもなんかいいなあ。