医師の記憶 番外編 時代(とき)の語り部 第1部
『時代の語り部』
真夏の朝。
東京都内の物流センターは、まだ朝早いというのに熱気に包まれていた。
大型トラックのエンジン音。
フォークリフトが忙しく荷物を運ぶ音。
積み込みを終えた青年は伝票を確認すると、小さくうなずいた。
藤崎怜斗。
二十代半ば。
配送会社で長距離ドライバーとして働いている。
自然な黒髪を短めのレイヤーに整えたその横顔には、派手さはない。
だが、その瞳には、遠くへ向かう仕事を楽しむ穏やかな光が宿っていた。
今日の配送先は新潟県上越市。
「よし。」
シートベルトを締める。
キーをひねると、トラックが低く唸った。
東京を離れ、北へ。
仕事の始まりだった。
都心を抜ける頃には、照り返しで道路が白く揺れて見える。
「今日も暑いな……。」
エアコンを少し強くする。
それでも、高速道路を北へ進むにつれ、景色は少しずつ変わっていく。
高いビルは山並みに変わり、
空は少し広くなった。
怜斗は運転しながら、遠くに見える稜線を眺める。
(この辺りも、昔は街道だったんだろうな。)
そんなことを思うのは、日本史が好きだからだ。
だが仕事中は考え事ばかりしているわけではない。
安全第一。
前方確認。
車間距離。
プロのドライバーとして当たり前のことを積み重ねながら、トラックは長野県へ入っていった。
昼前。
長野県のパーキングエリア。
トラックを停め、ドアを開けた瞬間だった。
「……涼しい。」
思わず笑みがこぼれる。
東京とは違う。
山から吹き下ろす風が、汗ばんだ頬を優しくなでた。
怜斗は作業着の上着を脱ぎ、Tシャツ姿になる。
深く息を吸う。
木々の香り。
少し湿った土の匂い。
遠くから聞こえる蝉の声。
「やっぱり山はいいな。」
売店の暖簾をくぐると、だしの香りが鼻をくすぐった。
「信州そば……これにしよう。」
窓際の席へ腰を下ろす。
冷たい蕎麦をすすった瞬間、喉を抜ける心地よさに自然と頬が緩む。
「うまい。」
その一言だけで十分だった。
料理もまた、その土地の空気の一部なのだから。
食べ終え、売店の外で缶コーヒーを片手に山並みを眺めていると、一人の男性が近づいてきた。
「暑いですね。」
「でも東京よりはずいぶん楽ですね。」
互いに笑う。
男性も大型トラックの運転手だった。
「私は山形から東京へ戻る途中なんですよ。」
「そうなんですか。自分は上越までです。」
短い会話。
それだけのはずだった。
その時だった。
怜斗が缶コーヒーを飲もうとした拍子に、胸元のTシャツから小さな勾玉のペンダントが顔をのぞかせた。
男性の目がふと留まる。
「あれ……その勾玉。」
怜斗は視線を追い、自分の胸元を見た。
「出雲のものですか?」
「ええ。」
思わず笑顔になる。
「仕事で島根へ行った時、少し時間ができて出雲大社へ寄ったんです。その帰りに買いました。」
男性も嬉しそうにうなずいた。
「やっぱり。うちの妻が島根の出身なんですよ。」
「そうだったんですか。」
「帰省すると必ず出雲大社へ行くんです。この勾玉を見て、すぐ分かりました。」
怜斗は勾玉をそっと指先で包む。
「自分にとっても、大切な思い出なんです。」
「いい町ですよね。」
「ええ。」
神話の息づく空気。
静かな参道。
参拝を終えて食べた出雲そば。
帰り道、小さな店で見つけたこの勾玉。
あの日の空気が、今も胸元で静かに揺れている。
(また、帰りたいな。)
そう思う町が、一つ増えた。
そして、全国を走るたびに、そんな町が少しずつ増えていく。
(次回へ続く)




