Earth&Moon
キラキラと光る美しい月。漆黒の闇の中に浮かぶ月は昔から多くの人が見上げ、楽しんできた。ほら、今日も地球から、家の縁側に座っている親子や、霧に包まれた森の中から出てきた青年など沢山の人が愛おしそうに月を眺めている。____彼らが眺めている月には、同じように地球を見つめる一人の少女がいた。
___これは、今から1000年以上前に、儚く、甘酸っぱい恋をした地球の青年と月の少女の物語である。
・
「かぐや様、お食事の用意ができました。」
「かぐや様、、もう少しお上品にお過ごしください。」
「姫であるかぐや様が、呑気に遊んでいて良い訳がないでしょう?」
一日中「かぐや、かぐや」と呼ばれ続け、クタクタになった彼女は自分の部屋に戻るとすぐさま床に敷かれた布団に倒れ込んだ。布団の上で「はぁ、、」と溜息をついている彼女こそが、月の現国王である第十六代国王、真帆国王の一人娘、かぐや姫である。
何不自由なく過ごせる今の生活に不満があるわけでは無いが、毎日毎日王族に相応しい礼儀作法や学力を身につける特訓をして、茶道、花の正しい生け方、料理の仕方、月に住むウサギという生き物の手懐け方まで叩き込まれるのは、まだ16の彼女には荷が重かった。
暫く布団に倒れ込んでいた彼女だったが、ふと思い立ち、疲れた体を引きずって窓の近くまで来た。彼女が窓から眺め始めたのは、青と緑の輝きを放つ美しい星、地球。
かぐや姫はこの星が大好きだった。本当は窓から他の星など見えないのだが、我が儘をいって、なんとか見えるようにしてもらうことができた。そこまでしても彼女はこの星が見たかったのだ。
地球の放つ青と緑の輝きはとても幻想的で、しかも、この星には "人間" という生き物が住んでいるらしい。窓の側で幻想的な光を見ながら、ここに住む人間とはどんな生物なんだろう、と想像を巡らすのが彼女の日課だった。
いつもなら妄想の世界に浸ることで、日々の疲れを癒やすことができる。しかし、何故か今日は上手く妄想の世界に入り込むことができなかった。
先程、礼儀作法の特訓で何度も注意されたのがまだ脳裏にちらついてるからだろうか。地球の美しい姿と、明日からも続く月での気怠い生活がぐるぐると頭の中で交差する。
____と、そこで彼女の頭にあるアイデアが浮かび上がった。
それは何故今まで思いつかなかったのだろう、と思うほどに単純な考えであった。
"地球に行ってみよう"
・
「地球に行く」というアイデアを思いついてから、早3ヶ月が経った。ついに今日は出発の日。初めてその話をした時は、召し使いにもお父様にも相手にされなかったが、何度もその話を繰り返し、「王女になるためには周辺の星を知っておくことも大切だから」と説得することで実現にこぎつけることができた。
お父様が中々了承してくれなかったのだが、最近やっと渋々頷いてくれたのだ。但し、「地球で恋をしない」という条件付きで。もし、人間に恋をしてしまったらすぐに月から迎えに行くということだったが、そんなことは、かぐや姫にとってどうでも良かった。やっとこの日常から抜け出し、人間という生き物を見ることができる。それだけで彼女は喜びで胸がいっぱいだった。
地球に行くためには月にある技術を最大限活かし、地球まで瞬間移動するという方法を使った。暫く会えなくなるだろう召し使いや父の顔を見渡して少しだけ寂しくなりつつも、これからの地球での生活に期待を膨らませて彼女は静かに目を閉じた。
・
ここからは、誰もが知っている物語だろう。瞬間移動するときに何故か小さくなってしまったかぐや姫をおじいさんが光る竹の中から発見し、おばあさんと2人で愛情を込め、大切に育ててくれたのだ。そして、彼女は月を出た時と同じ16歳にまで成長した。
・
「かぐや、お客様が来てるよ。」
「、、お客さん?分かった。今行きます。」
16歳になった かぐやはすっかり地球の生活に馴染んでいた。月は地球より発展していなかったので最初は困ることもあったが、拾ってくれた おじいさんとおばあさんの助けもあって今は楽しく幸せな生活を送れている。人間は自分たちと同じような姿をしていて、思いやりが強く優しい人ばかりだった。ここに来てよかった、いつまでもここに居たいと思うと同時に、かぐや姫には一つ悩みがあった。
「かぐやさんに一目惚れしました。結婚してくれませんか?」
おばあさんに呼ばれて、お客さんの元へ行くと、開口一番そんなことを言ってきた男性。かぐや姫の悩みとはまさにこれだった。かぐや姫は人間から見ると凄く整った綺麗な顔をしているらしく、突然結婚を申し込んでくる男性が何人も居たのだ。
今回もおじいさんとおばあさんの力を借りながらなんとか追い返したが、毎日毎日これが続くと思うとかなり面倒くさかった。
・
そんなある時、またかぐや姫の元に一人の男性がやってきた。いつものように追い返そうとしたが、今回の男性は他の男性と何かが違った。
いつもやってくる男性は自分の話ばっかりして少しでも好きになってもらおうとしてくるのが分かるが、蓮弥と名乗ったその男性は自分の話はほとんどせず、こちらを楽しませるような話をニコニコと笑顔で話してくれた。もちろん突然結婚の申し込みなどしてこない。
毎週同じ曜日にかぐや姫の住む屋敷へ根気強く通ってきたが、かぐや姫の方も蓮弥が来ることに関しては嫌悪感を感じなかった。むしろ、毎週蓮弥が来るのを楽しみにしてしまうぐらいだった。周りに話を聞くと、蓮弥は家柄も出身も不明で、未来に起こることが分かるという能力を持った謎に包まれた男だという。かぐや姫も月の出身で謎が多いことから、蓮弥に親近感を感じ少しずつ意識していくようになった。
・
蓮弥と出会ってから約一年間。いつも隣で面白い話をして微笑む蓮弥に、かぐや姫はいつの日か恋心を抱くようになっていた。でも、地球に行く条件は「地球で恋をしない」だったから絶対好きになってはいけなかった。恋をしてしまったら月に連れ戻されてしまうから。でも、必死に抑え込もうとすればするほど、彼女の意に反して"好き"という気持ちは大きくなってしまう。もうどうすればいいか分からなかった。好きだけどそれを認めたら彼とはもう一緒に居られない。しかし、認めないわけにはいかないほどに彼への想いは溢れていく____
しかし、そんな彼女の悩みはある一つの”音”によって消え失せた。
現実は思っていたよりもずっと残酷だった。
・
は、月でとれる「月瑠石」を加工して作った鈴の音。地球の風鈴の音と似ているがそれよりも透き通って体の奥まで染み渡るような音が特徴だった。慌てて彼女が外に出ると、月の車がすぐそこまで来ていた。血の気が引いていく。これではもう蓮弥と一緒に居られない。
「かぐやさん!」
蓮弥の声が聞こえたかと思ったら手首を掴まれ、部屋へ連れ戻された。
「何してるの?」
普段温厚な彼からは考えつかないほどに、蓮弥は焦って声を荒げている。
「月に帰らなきゃ、、」
「月、、?何言ってるの?だめ、行かないで!」
「私だって行きたくない!だけど、約束だから、、、」
話している内に、月の車は地上に降り立っていた。
「かぐや様。約束です。月に帰りましょう。」
「お願い!もう少しだけここに居させて、、!」
「無理です。約束ですので。帰りますよ。」
久しぶりに会った召し使いに腕を引っ張られ無理やり車の中に乗せられる。「かぐや!」という声が聞こえ振り向くと、蓮弥が必死にこっちに行こうとして月の人達に押せられてるのが見えた。よく見ればおじいさんやおばあさん、近所の人もかぐやの方へ来ようとしている。彼女は「皆!」と叫び、必死に手を伸ばしたが、その手が地球の人と繋がることはなかった。
無情に浮かび上がる月の車の中で、かぐや姫の目から溢れ落ちた水に満月の光がキラリと反射した。
・
かぐや姫が消えてから一週間が経った頃、蓮弥は喪失感に駆られ、何をする気も起きないでいた。何かをしようとしても、天使のような笑顔を見せてくれた彼女の顔が浮かび、苦しくなる。それが繰り返される毎日だった。そんな時、突然机の上に薄っすらと光る紙と小さな巾着が現れた。もしかしたら、と思い紙を開くとそこには綺麗な文字で手紙が綴られていた。
ーーーーーーーー
かぐやより、蓮弥へ。
名月の夜、突然消えてしまいすみません。
驚きましたよね。私は月の住人で、「恋をしていけない」という条件を破った
ため月に連れ戻されてしまったのです。もうバレてるとと思うけど
好きです。貴方のことが。気づいたら好きになっていました。自分勝手かな。
けれど、この気持ちは本物です。この手紙を読んでどんな顔をしているのかな。
照れてたりするのかな。そうだったら嬉しいな。最後に一つだけ。ありがとう。
ーーーーーーーー
頭の良かったかぐや姫にしては少したどたどしい文な気がしたが、蓮弥はそんなことよりも自分のためにわざわざ手紙を書いてくれたということが嬉しくて仕方なかった。
続けて、隣にあった巾着を見るとそこにも紙が貼られていた。
ーーーーーーーー
不死の薬です。長生きしてください。
ーーーーーーーー
巾着に入った粉と、先程の手紙を何度も見返すと、蓮弥の目から涙が零れ落ちた。嬉し涙なのか、悲し涙なのかは分からなかったが、ひとしきり泣いたら気分が落ち着いてきた。彼は不死の薬と彼女からの手紙、そして少しのお金だけを持って家を出た。
・
かぐや姫が月に帰ってから何百年の時が過ぎた。朝方の太陽がキラキラと反射する浜辺を一人の男が歩いている。その時、彼の耳に子供の声が聞こえた。
「よーし、この亀ひっくり返してみよう!」
「面白そう!、、これでよしっと。」
「わっ!バタバタしてる。」
浦島太郎と呼ばれるその男が子どもたちを止めた。彼は持っていた魚と交換し、亀を助けてやった。
「蓮弥サンデスカ?」
ひっくり返っていたのを浦島太郎が直すと、亀は彼の方を向き、突然機械のような声で喋り出した。そう。浦島太郎とは蓮弥が不死の薬で生き続ける時に何度か改名して生まれた名前だったのだ。驚きつつも頷いた浦島太郎、改め蓮弥を見ると、亀は嬉しそうに笑った。
「姫様ガオ待チカネデス。背中ニ乗ッテクダサイ。」
蓮弥が恐る恐る亀の背中に乗ると、亀は海___ではなく空、つまり宇宙に向かって飛び立ち始めた。
・
蓮弥を乗せた亀は、月のクレーターにある小さな隙間から中の空洞に入り込んだ。中には地球より進んだ文明があり、沢山の月人たちが生活をしている。蓮弥は姫が自分で作った大切なペットである、ロボットの亀を助けてくれたお礼に美味しいものを食べさせてもらったり、月人のダンスや踊りを見たりと沢山のおもてなしをしてもらった。だが途中で亀に連れられ、彼は姫のある部屋の前に来た。
部屋に入ると、布団の上に正座をして待っていた姫の姿があった。
「、、私のこと、分かる?」
不安そうな目で蓮弥を見つめる姫は、、そう。かぐや姫だった。月人に連れてかれたあの日から何百年ぶりの再会。あの頃と変わらない綺麗な瞳をしたかぐや姫を、蓮弥は思わず抱きしめていた。
・
「私のメッセージ、ちゃんと伝わったんだ。良かった。」
安心したように微笑むかぐや姫に、蓮弥が頷く。
「うん、、一番左にある文字を繋げると、文になるんだね。
『かめおたすけて』って。
あの手紙読んでから、毎日浜辺を歩いて亀を探してた。」
「そっか。私、月に帰ってからどうしてももう一度蓮弥に会いたくて。
一回だけ手紙を渡せるって聞いたから、あの方法にした。だけど、ロボットの亀を作るのに思ったより時間がかかっちゃって。こんなにかかっちゃった。ごめんね。お待たせ。」
「もう一回会えたんだからいいよ。今度はずっと一緒に、、」
「あのね、そのことなんだけどね。」
ずっと一緒に居よう。と言いかけた蓮弥の言葉をかぐや姫が遮った。
久しぶりにかぐや姫と喋れた嬉しさで、蓮弥は彼女の目から涙が零れ落ちていることに気づいていなかった。
「もう、地球に帰って欲しい。」
「、、え?」
彼は一瞬何を言われたのか理解できなかった。折角何百年の時を経て再会できたというのに、もうお別れなんて信じられなかったのだろう。
「このまま、ここに蓮弥がいてお父様にバレたら大変だから。」
「え、でも、、」
何も言えなかった。言いたいことは沢山あるはずなのに、理解が追いつかなくて上手く言葉にならない。そのとき遠くから二人の耳に月人の声が聞こえた。
「人間が姫様と二人きりでいるって本当か?」
「本当だ。早く追い出さないと、、!」
かぐや姫は慌てて蓮弥に一つの玉手箱を渡した。
「これを渡したかったの。これを持って早く地球に帰って。
亀が送ってくれるから。」
「でも、、」
「お願い!今は言う通りにして?」
かぐや姫は無理やり蓮弥を亀に乗せると、亀に地球へ送るよう命令した。
「かぐや!!」
叫ぶ蓮弥に構わず、亀はフワリと浮き上がり地球へと戻っていく。「ありがとう」と口パクで言って笑ったかぐや姫の目からはまた水が零れ落ちた。その水に地球の光がキラリと反射した。
・
地球に戻ると、亀は悲しそうな顔をしながら蓮弥を陸に降ろした。
「カグヤ様は蓮弥様ノコトガ大好キデス。カグヤ様ノ オ父様ハ地球人ヲ嫌ッテイテ蓮弥様ガ見ツカルト、蓮弥様ノ身ガ危ナイノデ無理ヤリ地球ニ返シタノデス。カグヤ様ハ蓮弥様ノコトを本当ニ愛シテイマス。」
それだけを告げると「デハ失礼シマス」と言い、亀は月に帰っていった。
残された蓮弥は一人、呆然と立ち尽くした。
何百年も待ったのに、実際にかぐや姫と喋れたのは30分程。思い出せば思い出すほどにまた涙が溢れそうだったが、沢山の人がいるこの浜辺で泣くわけにはいかない。
彼が涙を堪えながら自分の家に戻ると、ふとかぐや姫から貰った玉手箱の存在を思い出した。その玉手箱の上には小さな紙が貼られていた。
ーーーーーーーー
この玉手箱を開けると、時間を巻き戻すことができます。
もう一度私達が出会う前まで遡ることができるでしょう。
でも、これを開けるとこれまで過ごした時間と記憶をあなた以外全員忘れてしまいます。
もちろん私も。
それでも良ければ、この箱をお開けください。
ーーーーーーーー
"時間を巻き戻す" その言葉が何度も彼の頭の中でぐるぐると回った。これを開ければかぐや姫にもう一度会える。しかし、それと同時にまた月人に連れてかれるかぐや姫を見て辛い思いをしなくてはならないし、亀を助ける日まで何百年も待たなくてはいけない。
それでも彼は迷わなかった。もう一度彼女に会えるならどんなことでもするつもりだから。近いようで遠い月に住むかぐや姫。その彼女をもう一度迎えに行くために、彼は玉手箱の蓋を取った。
・
深い霧の中、蓮弥は段々意識がはっきりしてきた。そして、周りの様子からここがかぐや姫と過ごした屋敷の近くにある森の中だと気づく。彼が霧の中から出ると、空に綺麗な満月が浮かんでいるのが見えた。ここから、また彼女との物語が始まる。彼はかぐや姫に微笑むように美しい満月を愛おしげに見つめた。
かぐや姫と過ごす新しい物語が、ここから始まるのだ。
loop back.