死の淵での能力発動
その日もまた、アステルは重い荷物を背負い、パーティーの最後尾を歩いていた。薄暗いダンジョンの空気は重く湿り、生臭い血の匂いが鼻を突く。いつものように、パーティーメンバーの罵声が飛んでくる。
「おい、スキル無し! 足が遅えぞ!」
リーダー格の戦士が振り向きもせずに叫んだ。アステルは必死に食らいつく。こんな場所で置いていかれれば、命はない。
その時だった。
突如、大地が揺れた。轟音と共に、目の前の通路の壁が崩れ去る。埃が舞い上がる中、現れたのは、身の丈5メートルを超える漆黒の巨躯。禍々しいオーラをまとい、赤い瞳が爛々と輝いている。
「なっ……グリモアタイタンだと!?」
魔術師が悲鳴を上げた。ギルドの報告書でしか見たことのない、伝説級の魔物。この深層にいるはずのない、圧倒的な「強者」。その威圧感だけで、パーティーの足はすくんだ。鑑定スキルを持つ者がいれば、その場で「レベル……測定不能!」と叫ぶほどの存在だっただろう。
「くそっ! 全滅するぞ!」 戦士が叫んだ。その顔には、先ほどまでの傲慢さはなく、ただ絶望が刻まれている。 「逃げるぞ! 誰か、囮になれ!」 魔術師が震える声で提案する。そして、その視線は、真っ先にアステルへと向かった。
「お、おい! まさか……」 アステルは顔を青ざめさせる。 「悪いな、スキル無し! お前は一番足手まといだったからな!」 騎士がアステルの背を突き飛ばす。バランスを崩したアステルは、無情にもモンスターの目の前へと転がった。
「う、嘘だろ……!?」 目の前には、全てを飲み込むかのような漆黒の巨躯。口からは粘性の涎が滴り落ち、獣じみた咆哮が鼓膜を破る。足元からは、恐怖で感覚が麻痺していくのがわかる。 去っていくパーティーメンバーの背中が見える。彼らは一切振り返らず、ただ一心不乱にダンジョンの奥へと逃げていく。
ああ、これで終わりか……。 結局、俺は死ぬまで「何の役にも立たない」人間だった。 この世界に来てまで、最期は使い捨ての囮として……。
絶望が、思考を白く染め上げる。グリモアタイタンの巨大な腕が振り上げられ、アステルを押し潰さんと迫る。死の影が、すぐそこまで来ていた。
その瞬間だった。
アステルの意識の奥底で、何かが弾けた。彼の内に秘められた、**「強者のみを部下にする能力」**が、極限の死への恐怖と、目の前の絶対的な「強さ」に反応し、無意識のうちに発動したのだ。
振り上げられたグリモアタイタンの腕が、ピタリと止まった。 赤い瞳に宿っていた獰猛な殺意が、まるで霧散するかのように薄れていく。代わりに、その巨大な瞳に宿ったのは、困惑と、そして……かすかな、慈愛のような光だった。
グリモアタイタンは、ゆっくりと、その巨体をアステルの前にかがませた。そして、その巨大な頭を、そっとアステルの体に擦り寄せてくる。まるで、飼い主に甘える大型犬のように。喉の奥からゴロゴロと、低い音を響かせている。
「え……?」 アステルは、何が起こったのか理解できなかった。死の恐怖は消え去り、目の前には、先ほどまで自分を殺そうとしていたはずの恐ろしいモンスターが、まるで懐いているかのように甘えている。
まさか、これって……テイム? 俺に、隠されたテイマースキルがあったってことなのか? いや、でも俺、スキル無しって言われたよな……?
混乱が思考を埋め尽くす。だが、今は生き延びたことに安堵し、目の前の信じられない光景にただ呆然とするしかなかった。まさか、このモンスターが、自分の「能力」によって従っているとは、夢にも思わなかったのだ。