癒やしの手:医術の賢者の加入
街が成長し、人々が増えるにつれ、新たな問題が浮上した。それは病と怪我だ。どれほど防衛が堅固でも、日々の暮らしや探索の中で、病に倒れたり、不慮の事故で傷を負ったりする者は必ず現れる。武具の心配はなくなったが、医療がなければ、住民の命と士気は簡単に失われてしまう。
「住民の健康は、街の未来に直結する。病や怪我で失われる命は、戦で失われる命と同じほど重い」 グランパスは、そう言って顔を曇らせた。彼の知識をもってしても、大規模な疫病や重篤な傷を治療する術はない。
アステルは、再びレイスに問いかけた。「レイス、病を癒やし、傷を治せるような、医術の強者はいないか?」
レイスは、興味深そうに目を細めた。「ご主人様。この世界の辺境に、一つの集落があります。そこには、『聖女』あるいは『癒やしの御手』と称される存在が、隠棲しているという噂。彼女は、あらゆる病を癒やし、どんな重傷も瞬く間に治癒させるという、奇跡のような力を持つとされています。ただし、彼女は争いを嫌い、その集落は外部との接触を一切断っています」
「辺境の集落……」 アステルは、地図のさらに遠い端、文明から隔絶された未開の地に目を向けた。行く手を阻むは、険しい山脈と、凶暴な魔物の生息地。通常の旅人では、たどり着くことすら不可能だろう。だが、アステルには、空を翔ける最速の移動手段がある。
「ドラゴンとソラがいれば、どんな場所でも行ける。行こう、レイス! その『聖女』に会いに!」 アステルは決意を固めた。住民が安心して暮らせる街には、確かな医療が不可欠だ。
グリモアタイタンの背に乗り、ソラの放つ光の魔法が道を照らす中、彼らは雲を突き抜け、果てしない山脈の奥地を目指した。幾日もの飛行の末、彼らはついに、地図にも載らぬ、外界から隔絶された秘境にたどり着いた。鬱蒼とした森の奥深く、穏やかな渓流沿いに、ひっそりと小さな集落が営まれていた。そこには、病とは無縁の、清らかな空気が流れているようだった。
集落の入り口には、古びた木製の柵が巡らされ、外部の侵入者を拒んでいる。アステルが、グリモアタイタンの背から降り立ち、柵へと近づいた、その瞬間。
集落の奥から、一人の女性が姿を現した。白いローブを纏い、顔にはヴェールがかかっているが、その佇まいからは、清らかでどこか神秘的な雰囲気が漂う。彼女は、アステルたちの姿に一瞬、驚きを隠せない様子だったが、すぐに警戒の色を宿した。
「外界の者よ。ここは、あなたがたが踏み入れて良い場所ではありません」 女性の声は、澄んでいながらも、明確な拒絶を含んでいた。
アステルが、女性に近づき、言葉を交わそうと一歩踏み出した、その刹那。
女性のヴェールの奥の瞳が、大きく見開かれた。彼女の全身に、甘美な麻痺にも似た感覚が走る。長年、心を閉ざし、外界の穢れから身を守ってきた彼女の精神が、目の前の「スキル無し」の若者から放たれる、抗えない「求心力」に、根こそぎ揺さぶられていたのだ。 (な……!? なぜ、この私が、この男に……!) 女性は、自らの内に湧き上がる、抑えきれない**「忠誠心」**に激しく動揺した。それは、彼女の聖なる使命とは相容れない感情だった。
グランパスは、その現象を見て、確信を得た。 「アステル! 間違いない! この魔力反応……伝説の癒やし手、『聖女』エレノア! 彼女ほどの存在が、こんな辺境に身を隠していたとは!」 グランパスの鑑定結果には、エレノアの持つ「奇跡の治癒」「生命の祝福」といった常識外れのスキル、そして、あの忌々しい一文が浮かび上がっていた。 「従属状態:主――アステル」
エレノアは、自身の聖なる矜持と、抗えない運命の狭間で葛藤した。彼女は、自身の力が争いの道具に使われることを最も嫌っていた。だが、アステルの能力は、彼女の意思をねじ伏せようとしている。
「……何故、私を……この癒やしの力を、争いに使うというのか……」 エレノアは、苦悶の表情でアステルを睨んだ。しかし、その瞳には、やがて諦念と、そして、アステルの瞳に宿る、どこか純粋な光への、かすかな希望が混じり合っていた。
「……よかろう。だが、私の癒やしの力は、命を救うためにのみ振るわれる。争いの道具には使わせない。そして、この集落の者たちに、いかなる危害も加えることは許さない。彼らの平穏を保証するのならば、この命尽きるまで、貴方様の街で医療を担いましょう」
アステルは、その条件を心から承諾した。彼は、エレノアが求める平和と、自身の街で築こうとしている理想が、決して相反するものではないと理解したのだ。
こうして、伝説的な癒やしの力を持つ「聖女」エレノアが、アステルの新たな仲間となった。彼女の加入により、アステルの街に、安心と活気がもたらされた。病に倒れる者、怪我を負う者がいても、エレノアの奇跡の医術があれば、命の危険は激減する。住民たちは、自分たちの街が、あらゆる面で盤石なものとなっていくのを実感し、アステルへの信頼と、街への愛着を深めていった。
武具の心配も、医療の心配もいらなくなった今、アステルは、自身の能力で集まった強者たちと共に、さらに大きな目標へと目を向けるのだった。




