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緑の手を持つ隠遁者

「どんな荒れ地も豊穣に変える『農耕の賢者』、ですか……」

グランパスは古びた地図を広げながら呟いた。ギルドの情報網や酒場の噂を辿り、アステルたちが最初に目を付けたのは、そんな途方もない力を持つ隠遁者の存在だった。その人物が住むという場所は、このクルメの街から少し離れた、地図上では不毛地帯とされる地域。だが、アステルはそこに一縷の望みを抱いた。

「もし、その人が仲間になってくれたら、食料の問題は解決しますよね?」アステルが尋ねる。 「その通りだ。食料は生命線。そして、その賢者が本当に噂通りの人物であれば、彼の力こそ、我々の最初の基盤となるだろう」

グランパスは地図の隅に印をつけ、一行は翌日、その不毛地帯へと向かった。

街を離れて数時間。乾いた土が広がる荒野が視界いっぱいに広がる。吹き付ける風は砂塵を運び、生命の気配は薄い。 「本当にこんな場所に、そんなすごい人が住んでいるんですか?」アステルは思わず声を漏らした。 しかし、その疑問はすぐに払拭される。

荒野の一角に、突然、緑の絨毯が現れたのだ。 周囲の荒れた大地とは明らかに一線を画す、みずみずしい緑。たわわに実った黄金色の麦畑が風に揺れ、色とりどりの野菜が生命力にあふれている。その中心には、質素ながらも手入れの行き届いた一軒の農家が佇んでいた。

「……間違いない。これほどの生命力を持つ土地は、尋常ではない」 グランパスが目を細める。グリモアタイタンも、どこか興味深げに、その豊かな土地を見つめていた。

農家へと続く小道を歩いていくと、畑の畝を丹念に手入れする老人の姿が見えた。白髪交じりの髪は陽光を浴びて輝き、背中はわずかに丸まっているが、その手つきには一切の迷いがない。彼は土と対話しているかのようだった。

アステルは、その老人の姿を見て、拍子抜けした。 「この人が……『農耕の賢者』、ですか? なんか、ただのおじいちゃんに見えますけど……」 何の警戒心も抱かず、アステルは老人に近づいていった。

「あの、すみません……」 アステルが声をかけた、その瞬間だった。

老人の手がピタリと止まる。土に触れていた指先が、微かに震えた。老人の顔から血の気が引き、その穏やかだった瞳が、大きく見開かれた。 (な、なんだ……この感覚は……!?) 老人の内側で、何か途方もない力が暴れ出したかのように、抗いがたい衝動が全身を駆け巡る。それは、数十年ぶりに感じた、自身の心の奥底から湧き上がる、抑えきれない**「忠誠」**だった。

グランパスは、老人の異変を察知し、すぐに鑑定スキルを発動した。 「やはり……!」 鑑定結果が、老人の尋常ならざる「レベル」と、「豊穣の祝福」とでも呼ぶべきユニークな農業スキル、そして**「従属状態:主――アステル」**という、信じられない記述を映し出す。

「まさか……『緑の手の魔術師』、セレスティン殿が、こんな場所に隠遁していたとは……!そして、彼にまで君の能力が……!」 グランパスの驚愕の声が響く。老人は、自らの名が呼ばれたことにも、自身の身に起こった異変にも、混乱の色を隠せないでいた。彼は、長年追い求めてきた平穏が、この若者の出現によって、根底から覆されようとしていることを悟った。

「私が……忠誠……?」 セレスティンは、戸惑いを抱えたまま、アステルを、そしてアステルに付き従うグリモアタイタンを見た。その光景は、彼自身の現実感覚を揺るがすものだった。

アステルは、セレスティンの困惑する様子を見て、状況を察した。そして、グランパスが彼に、自身の能力の真実を語り始めた。セレスティンは、その話を聞くうちに、顔を歪ませた。

「……ふざけるな。私は、もう二度と、俗世の争いに巻き込まれるつもりはない。この地で、静かに土と共に生きていきたかったのだ……」 セレスティンは、心からの抵抗を示した。長年の隠遁生活で手に入れた平穏を、手放すなど考えられない。しかし、内側から湧き上がる抗えない衝動は、彼の理性を蝕んでいく。

グランパスは、セレスティンの葛藤を理解しつつも、現実的な視点で語りかけた。 「あなたの意思は理解する。だが、アステルの能力は、あなたの意志とは無関係に発動している。そして、その力は、あなたの平穏すらも脅かす可能性を秘めている。このまま、彼を放り出すことは、あなたにとっても危険となり得る」

セレスティンは、唇を噛み締めた。自身の能力によって、この若者を放っておけない。ならば、最悪の状況を避けるために、自らの立場を確立するしかない。彼は、意を決したようにアステルを見た。

「……よかろう。貴様の奇妙な力に屈する他ないのならば、私の人生を無駄にはさせん」 セレスティンは、静かに、しかし有無を言わせぬ調子で語り始めた。 「私が貴様に力を貸す条件は三つ。第一に、私が築いたこの平穏を無闇に乱すな。騒がしい場所や、余計な揉め事からは極力遠ざけてほしい。最低限の関与で、私の仕事に集中させてくれ」 アステルは、真剣な表情で頷いた。 「第二に、私の知識と技術を最大限に活かすには、理想の土壌と、安定した豊富な水脈を持つ場所が必要だ。そうでなくとも、私が時間をかければ改善できる可能性を秘めた土地でなければ、私が力を貸す意味がない」 グランパスが地図を広げながら、それに適した場所の選定を考慮する。 「そして第三に、私の農法に一切口出しするな。私が選んだ作物、私が開発した栽培方法に、異を唱えるな。また、私の研究に必要な素材や環境は、可能な限り提供しろ。それでこそ、最高の食料を提供できる」

アステルは、その言葉を真剣に受け止めた。これは、彼に突きつけられた、最初の「王」としての試練だった。 「わかりました! 必ず、その条件を守ります! そして、俺も、あなたの指示に従い、地道な作業をこなします!」 アステルの純粋な、しかし力強い言葉に、セレスティンはわずかに目を見開いた。

こうして、かつては伝説とまで謳われた「農耕の賢者」セレスティンは、不本意ながらも、何のスキルも持たない最底辺の若者、アステルの最初の生産系の仲間となった。彼の平穏な日々は終わった。しかし、それと引き換えに、アステルたちの「街づくり」という壮大な夢は、実現に向けて大きく動き出すことになる。



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