吉岡家の食卓~肉喰いジルバ~
『オリエンタルアート』シリーズ。ナンセンス物語です。
バンデンラ・ゴジジウ、またの名を吉岡末吉。アーティストを目指して以来奇抜な名を名乗るようになった彼だが、流石に今日はくたびれた。というのも末吉、スーパーに御遣いを頼まれて焼き肉用のタレの銘柄を間違えて殊焼き肉だけの味にうるさい祖父の「ばあむくーへん・かつらーむき」本名、吉岡為吉に注意され買い直しを命ぜられた際、事もあろうににわか雨が降ってきて気持ちが折れかけながらも出掛けたのに帰宅の際、狭い路地を走る車に泥はね水を浴び、
<なんてついていない日なんだ!>
と思っていたら、家に戻ってくると為吉さんこう言うわけです。
「いち早く『たれ』にまみれているようだな」
かかか、と快活に笑う祖父は自分で巧い事を言ったつもりらしいのですが、当然下がり切ったテンションで可笑しくなるわけもなく当然憮然としてしまったわけです。するとそんな彼を見た母親、吉岡琴音がですね言うわけです。
「あんた、そういう表情してると顔が崩れ易いわよね」
母はそっけない口調で言うのですが、美的感覚はそれなりに自信のあるゴジジウにとっては図星の部分もあり、だんだんと悲しくなってきます。するとそんな瞬間に電話が掛かってきて先週やけくそ気味に描いた絵に興味を持ってくれた人が居るらしいという朗報が飛び込みます。嬉しいのは嬉しいのですが、彼はその時こう思ったそうです。
『こんな時、どんな顔をすればいいんだろう』
そりゃあねぇ…私が言うのもなんですが多分ハトがバスツアーに参加し損ねた時の、闇雲に蹴り飛ばした謎のクローバーの綻びという感じでしょうか。蹴られて逞しくなることもあるそうですね。だからどうしたと言われればそれまでですが、バンデンラもこういう毎日なので日に日に逞しくなってゆくわけです。
夕食がやってきます。シャワー上がりの末吉さん、気を取り直して肉を喰らおうと決めていたので為吉さんにこう言いました。
「じいちゃん、旨い肉を食わせてくれ」
彼は肉の焼き加減だけはしっかり教えてくれる祖父を地味に尊敬もしているのです。為吉さん、それを受けてこう答えます。
「肉は旨い」
それは彼にとって真実なのですが、逆に言うとそれだけしか言うべき言葉を持っていないのも事実なのです。出張中で父不在の食卓、黙々と肉を焼いて口に運び、舌鼓を打ちつつ追撃の白飯という機械的動作が続く祖父と孫の様子を見かねて母が何となく昔話を始めます。
「確か、末吉が5歳の頃だったかな。焼き肉を食べて嬉しそうにしてたね。その日は今みたいな雨でおじいちゃんが外で泥んこになって帰ってきて、
『いち早くタレまみれになったぞ』
って自慢げに言ってたわね…」
<というかその頃からのギャグだったのか>とやや呆れ気味に聞いていたバンデンラですが、逆に悪い印象が浄化されてゆくのを感じます。ただすかさずかつらーむきが、
「そうだ。あの時に使っていたタレが一番旨かったんだが、2年前に販売元が中毒事件を起こして人気が下火になって終売になってやむなくこのタレになったんだ」
と余計な一言。末吉は思ったそうです。
<やむなくのタレなのに、買い直しさせたのか…>
当然ですが彼の表情はますます訳の分からないものになっていきました。それを喩えて言うならば、カバンの中で潰れてのっぺりとしたサンドイッチに儚さを見出した時のような、半ば恍惚に近いものだったと思われてならないのです。