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とある星物語  作者: 黒星
82/82

第82歯 優しさには現実を背負う責任が伴う

 厚い壁を突き抜ける轟音。

 窓ガラスが震え、歴史と共に積み重ねた誇りが棚からこぼれ落ちる。

 国家警察本部は、外部から遮断されたかのように静まり返っていた。

「始まったかい」

 芦屋は窓の外に目をやる。翠に染まる空を、おぞましい咆哮が震わせていた。

「始まったねー」

 命斗は総監の威厳ある椅子に、小さな身体で飛び乗る。溢れるため息には、長年の年季が滲む。

 わずか九歳の身体、その実は二十七歳なのだから仕方がない。

「あんた、これからどうするんだい?」

 芦屋の視線の先で、命斗は足をぶらぶら揺らした。

「どうしようもないよ。総監に逆らっちゃったし……副業に専念しよっかなー」

 命斗は唇に指を当て、含み笑いを浮かべる。

「副業? あんた、そりゃ規則違反だろ」

 芦屋は表情を険しくしたが、命斗は椅子を回転させて気に留めない。

「本当はさ、秘密なんだけど……芦屋くんには特別に教えてあげよっか?」

「興味ないね」芦屋は一度、窓の外を見かけてすぐに目を逸らした。

「言うと思った」

 釣れない芦屋に、しかし命斗は嬉しそうだ。

「芦屋くんは? これからどうするの」

 命斗が芦屋を縛り上げる縄を見つめる。

「さあね。あんたらみたいに、弱さを貫く強さはないよ」

 芦屋は目を閉じ、深く息を吐いた。

「あっしはいつだって、長いものに巻かれるだけさ」

 ため息が重ねられる。芦屋の疲労は、瞬く闇にずっしりと沈んでいった。

「今からでも遅くない。あんた、国家警察の職務に戻らんかい? 国の機関にゃ、将来性もクソもない。国民が文句言わなきゃ、福利厚生だって悪かならないよ」

 芦屋は自重気味に笑ったが、瞳はどこか定まらなかった。空気ごと押し潰すような咆哮が、建物を軋ませる。

「いーやだねっ!」

 命斗は総監の椅子を飛び降り、芦屋の顔を覗き込む。

「しけた面しやがって……国家警察が。救われてえのは、てめぇのほうか? 人を救うのが俺らの仕事だろーが」

 命斗のデコピンに、芦屋は力なく笑った。

「救ってどうする。誰かを助けて、次は誰が壊れるだい?」

 命斗は軽口を飲み込む。

 現実は希望を描くだけの未熟な物語とは違う。

 倫理を貫いた者は、救おうとした誰かの代わりに壊されていく。顔を背けたくなる。

「正義が救うのは人間じゃない。多数派を守る秩序だよ」

 窓の向こうに、灼けるように赤い空が広がる。

「自分を守らなきゃ……結局、誰も守れないんだ。うんざりするね」

 芦屋の声は、理想と現実の狭間で震えていた。

 その震えを悟られぬよう、命斗は胸の奥に隠した。

「これで何度目だ……正直、気が滅入るぜ」

「何度目? 何がだ」

 芦屋が首を傾げ、命斗はしまったと顔を顰める。

「……こっちの話」

 命斗はこれまで救えなかった芦屋明道を思い浮かべる。

 いじめられっ子だった自分を救ってくれた彼は、いじめられたまま。命斗は救えなかった。

(ただの自己満足。やっぱり、芦屋を振り回しているだけなんだよな)

 魔法は時を戻せない——幸いにも、命斗の固有魔法は空間。せめて別世界の芦屋明道を救おうと、彼は旅を始めたのだ。

(今、俺は一体何歳で……誰なんだ?)

 命斗が自嘲する。

 世界を跨ぐたび、命斗も芦屋も少しずつ変わっていた。

 教え子を大人の理不尽から守ろうとする教師の芦屋。

 人間の表と裏で右往左往する政治家の芦屋。

 権力に媚びへつらう世界に辟易する医療職の芦屋。

 常識や共感を押し付けられ、何者にもなれなかった芦屋。

 

 ——そして今、倫理と秩序の間に立つ警察官の芦屋。

 

 だが結末だけは、決まって同じだった。優しさを捨てきれず、苦悩の末、折れる。

 命斗は知っている。

 芦屋明道という人間は、強くない。ただ、弱さから逃げるほど弱くはない。

「……ほんっと、お前。救われねぇ性格してるよ」

 命斗が呟く。

「あんたに言われたかないね」

 乾いた返事。何度塗り重ねても変わらない、耳に染みついた現実。

「なあ、芦屋。そんなに自分を犠牲にしなくたって……お前が救われりゃ、世界は勝手に救われるんだぜ?」

 芦屋は何か言い返そうとして、肩をすくめた。空間魔法の残滓が指先で淡く光る。

 救うたびに、世界は安定する。秩序は守られる。多数派は笑顔になる。

 しかし、その代わりに芦屋は壊れる。

「差し伸べる手には……あとで困らないだけの現実を、背負う責任が伴うんだよ」

 芦屋の擦り切れた声が、命斗を強く縛る。胸が痛む。

 それでも命斗は、やめられなかった。

「勝手に救っておいて、救われた側の気持ちは無視かよ」

 芦屋に救われた自分には、恩義に生きる義務がある。


 ——一人を救うために、世界を裏切る覚悟。

 ——世界を守るために、一人を切り捨てる覚悟。


 どちらも地獄だ。


「……今日はもう、考えたくないだけさ」

 何気ない芦屋の言葉が、命斗には重すぎた。

 それでも命斗は手のひらを打ち出し、中指と薬指の先を合わせる。できた菱形の空間に、芦屋を収める。

「胸糞悪りぃ」

 命斗の足元に魔法陣が展開する。

「無茶だよ」

「やってみなきゃ、わかんねーだろ」

 命斗の身体が悲鳴をあげ、鼻血が滲む。芦屋は目を見開いた。

「あんた……どうしてそこまで……」

 窓の向こうの轟音が、芦屋の声をかき消す。

 指が、わずかに震えた。それでも、止めなかった。

「スプリット」

 命斗が唱える。

 赤い空が、崩れ落ちた。


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