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とある星物語  作者: 黒星
76/81

第76歯 個性や違いは、恐れずに活かして

 蛍の背後で何かが激しく衝突し、乾いた破砕音が空気そのものを震わせた。震動は大気を伝い、胸腔の底へ波紋のように染み込んでいく。

 振り返ろうとした刹那、慰鶴の指が鋭く蛍の腕をつかんだ。

「振り返るな!」

 短い叫びに、焦りの色が濃く滲んでいた。足場の悪い地面に足を取られた蛍は大きくよろめく。

 慰鶴は舌を打ち、先に言葉よりも体が動いた。

 彼の腕が、蛍の身体を抱え上げる。

 乱暴なようでいて、どこか体温の滲むその抱き方に、蛍は思わず息を呑んだ。

「……たまには、頼りになるわね」

「仕方ねぇだろ。お前が、たまに頼りねぇからさ」

「悪かったわね」

 軽口の奥に、ふっと温かな繋がりがのぞく。緊張の隙間から、蛍の唇に小さな笑みが零れた。

 遠空を裂くように、稲光が胸元をかすめる光の線を描く。その光はまるで意志を宿した生き物のように揺れ、蛍の瞳に焼きついた。

 ――サラの魔法だ。

 蛍の直感が確かな形をもって告げる。

(サラさんが来てくれた……なら、大丈夫。今は前へ進むだけ)

 慰鶴の腕の中で姿勢を整えながら、蛍は彼の手をそっと握り返した。

 胸の奥底に浮かぶのは、維千の不器用で真っ直ぐな優しさ。

 ――俺は、あなたを信じる自分を信じ続けよう。ご一緒します。

 かつて維千が告げたその言葉が、静かに思い起こされる。

(あの人に何度も救われたわ。今度は、私があの人を信じる番)

 決意が透明な水滴のように胸の底へ沈みきったころ、慰鶴がふいに歩みを止めた。

「なあ、蛍。王様ってどこにいるんだ?」

 あまりに唐突で、蛍は無言のまま慰鶴の肩を拳で叩いた。

「はあ? 場所も知らずに走ってたの?」

「じゃあ、お前は知ってんのかよ。王様の居場所」

 言い返され、蛍は口を閉ざした。

 この“とある国”は王国と名乗りながら、政治の実権は十二の都市とティース議会が握り、王宮というものすら存在しない。

「……王のいない、王国……?」

 自分の声が、思いがけず揺れた。

 その時、物陰から影がひょっこりと顔を覗かせた。国民的マスコット“ビーモくん”の頭をかぶった、小柄な少年の身体。

「……姫魅?」

「え、こいつが?」

 慰鶴が眉間に皺を寄せる。

 蛍は確信していた。最初に姫魅と出会った日も、彼はこのふざけた被り物のままだった。

 「あ、蛍」

 姫魅は、場違いなほどのんびりした声で返事をした。

「懐かしい……じゃなくて! なんで今その格好なのよ!」

「いや、その……これには事情があって……」

 被り物の奥で、所在なげな声だけが揺れた。

 その背後から、やわらかな天然パーマをふわりと揺らし、朝顔が姿を現した。

「蛍ちゃん、慰鶴くん……無事で、よかった」

 安堵の息とともに、朝顔はその場へへたり込む。

「おい、朝顔。何があった」

 慰鶴は蛍を、ほとんど放り投げるように地面へ下ろすと、すぐさま駆け寄った。

「ちょっと! 乱暴すぎ!」

「悪いな。俺の腕は朝顔を抱くためにあるんだよ」

「勝手に抱えたのはあんたでしょ!」

 歪む二人の声を、姫魅が慌てて遮った。

「医務室に国家警察が来たんだ。ネルとチェンさんが連れていかれて……ネルが、僕の正体がばれたら危ないからって、被り物を外すなって……」

「正体?」

 慰鶴の眉が深い谷を刻む。

「僕……カラス族なんだ」

 最強と謳われる魔法一族。その血を隠すための滑稽な被り物——そういうことらしい。

「普段のもやしっぷり……」

 蛍が言いかけると、姫魅の指先がかすかに震えた。

「じゃなくてっ! 野菜みたいな言動にちょっと疑いはあったけど……本当にあなた、カラス族なのね」

「う、うん。自覚はあまりないけど……」

 沈黙が、重く落ちて広がった。

 昨日まで笑っていた人々が次々に捕らえられ、維千は囚われ、姫魅は素顔すら隠さなければならない現状。

「……何が起きてるの?」

 蛍の問いは、湿った空気に吸いこまれて消えた。

 慰鶴は蛍の肩をつかみ、まっすぐ前へ向ける。

「わかんねぇ。でも、やることは決まってる。王様に会う。“これは間違いだ”って、言ってやるんだ」

「王様に……会えるの?」

 朝顔の声は心許なく揺れた。

「どこにいるのかも分からないよ……」

 姫魅が小さく途方に暮れる。

「聞いてみましょう」

 朝顔は街路樹にそっと触れ、静かに目を閉じた。葉のこすれる音、根が土をさする感触——植物たちの声が指先を通り、耳へ響いていく。

「……国王は、郊外に」

「朝顔さん?」

 蛍の戸惑いに、朝顔はやわらかく首を振った。

「“さん”はいりません。私、人間になってまだ三年なんです。体は大人でも……本当は、皆さんよりずっと年下で」

 蛍は思い出した。人形めいた蔦の塊——それが朝顔の本来の姿だった。

「そっか。朝顔ちゃん、植物から人間になったんだよね」

 蛍がそっと笑いかけると、朝顔は小さく微笑みを返す。

「安心してください。困ったときは、植物たちが教えてくれますから」

 慰鶴は朝顔の頭に、大きな掌をぽん、と置いた。

「朝顔、さんきゅな。——行くぞ」

 その笑顔は、薄曇りの空を割る一筋の光のようだった。朝顔は向日葵のように、その背中を見つめた。

 蛍は胸元の首飾りをぎゅっと握りしめ、慰鶴の背を追う。

(維千さん……絶対に助けるから)

 青玉のブローチが、心臓の鼓動に呼応するかのように微かに震えた。


⭐︎


 馬車の中は、乾いた藁の匂いで満ちていた。車輪が揺れに合わせて、きしりと小さな音を奏でる。

 沈黙を破ったのは、姫魅だった。

「で……その格好は?」

 不安げな視線に、蛍は胸を張った。

「変装よ。あんたの被り物だけじゃ目立つでしょ。基本中の基本」

 朝顔は赤らんだ頬に触れながら、ちら、と隣の慰鶴を見た。

「慰鶴くん……なんだか、賢そうに見えます」

 慰鶴は細縁の眼鏡を押し上げてみせた。

「だろ?」

「胡散臭さが増しただけよ」

 蛍の容赦ない切り捨てに、慰鶴はむっとして朝顔の袖を引く。

「なあ、俺、賢そう?」

「はい。賢そう……です」

 “賢い”とは言わず、朝顔はふっと目を伏せた。

 その仕草に、馬車の軋みがやけに優しく響く。


 馬車は静けさを連れて走り、蛍がぽつりと漏らした。

「こんなことになるなんて……これから何が始まるんだろ」

 兄が兄を刺した日の光景が脳裏に蘇る。日常はあっけなく崩れるものだ。

「慰鶴……『五番目』って何? 維千さんが“手中に落ちた”って……どういうこと?」

 慰鶴の指先が微かに震えた。

「維千さんが半人半妖――人と氷妖の血を持つのは知ってるか?」

 蛍は頷く。

「心が空っぽの氷妖に、人間の欲望が混ざったら……どうなると思う?」

 蛍の背筋が冷えた。空虚を埋めようとする欲望は、際限なく肥大する――維千の姿が一瞬よぎる。

「『五番目』ってのは氷妖だ。あいつは維千さんの均衡を壊して、頭領に据えて……昔の、氷妖が支配した世界を取り戻そうとしてる」

「じゃあ……維千さんは……」

「負けねぇよ。あの人はそんなヤワじゃねえ。性格もひねくれきってるしな」

 慰鶴は視線を外へ投げ、歯をくいしばった。

「五番目の襲撃と……国家警察の平和維持軍狩り。繋がってるのかな」

 姫魅が低い声で問う。

「世界を守るはずの警察が、世界を壊す側と手を組んでるなんて……それじゃ、“秩序の崩壊”よ」

 蛍が答える。

 慰鶴が抱えた頭から、ポンッと小さな爆発音がして煙があがる。慰鶴は変装道具を投げ捨てて、勢い任せに立ち上がった。

「もうわっかんねえよ。でも、バーのマスターが言ってた。“国王に会え。ノブリスって名乗りゃ道が開く”って」

 慰鶴は姫魅を見た。

「ノブリスって……なんで?」

「さあな」

 慰鶴は肩をすくめた。

「それより……お前。カラス族ってなんなんだよ? 被り物までして……あいつら、お前を狙ってるんじゃねーのか?」

 慰鶴の率直すぎる問いに、姫魅が小さく息を呑んだ。蛍が口を開きかけたが、姫魅はそっと手を挙げて制した。

「いいんだ、蛍。……その通りかもしれないから」

 被り物越しの声は、不思議なほど静かだった。

「僕らカラス族は、魔力多増症に適応した人間の末裔だって言われている。普通の人は……大きな心の動き——つまり大きな魔力に、身体が耐えられない。でも、僕らは膨大な魔力を生むことができるんだ」

 朝顔がそっと頷いた。

「だから、恐れられたり……利用されたりするんです。チェンさんが、そう話していました」

「うん……。それで、僕の村はスピッツに焼かれたんだ。僕、自分がカラス族なんて知らなくて……ただ、暮らしていただけなのに……」

 言葉は、途切れるように落ちた。

 馬車の中には、車輪がぬかるみを踏む音だけが静かに流れていく。

 蛍はそっと姫魅を見た。大きすぎる被り物が涙のかわりに揺れ、鼻メガネが妙に真面目に見える。その滑稽な姿が、かえって胸の奥を熱くした。

 慰鶴が、不器用に言葉をこぼす。

「……悪かった」

 被り物の奥で、姫魅はかすかに笑ったように見えた。

「ううん。上辺で同情されるより……そのほうが救われるよ。ちゃんと向き合わなきゃって、思ってたから」

 沈黙が訪れた。

 それは過去と現在の境界線のように深く、重く、揺るがなかった。

 馬車は街外れの細い路地へと入り、車輪が時おり泥へ沈んでは持ち上がる。その度に軋む音が低く響く。

 朝顔が窓の外へ目を凝らした。

「……王様は、この先に」

「ここに?」

 蛍は驚いたようにまばたきをした。


 路地の突き当たりに、朽ちかけた平屋がひとつ、置き去りにされた遺物のように立っていた。壁はところどころ剥げ落ち、屋根は雨を拒む意思すら失っている。形だけがかろうじて“家”の体裁を保っているにすぎなかった。

 朝顔が運賃を払うと、馬車は逃げるように去っていった。湿り気を帯びた気配が肌にまとわりつく。風の動きすら鈍く、何か得体の知れないものが潜んでいそうな気配が漂った。

 姫魅が被り物を脱ぎ、低く呟く。朝顔も蛍も変装を解くと、身なりを整えた。

「……人が住んでいるようには……見えないけど」

 慰鶴は鼻で笑った。

「王様って案外、こういうとこにいるもんだろ」

「絶対ないわ!」

 蛍は王族の矜持で即座に反論したが、慰鶴は気にも留めず、勢いよく引き戸を開け放った。

「ごっめんくださーい!」

 引き戸がガタガタと外れかけ、姫魅と朝顔が慌てて押さえ込む。 慰鶴は土間にずかずかと上がり込んだ。

「おーい、王様ー?」

「ちょっと! 友達みたいに呼ばないで!」

 蛍の抗議も空しく、家の奥から返事はない。

「……誰もいないのか?」

 朝顔は不安げに廊下へ視線を伸ばした。

「植物は人間のように嘘をつきません。でも……この家は、ずっと前から“閉じている”感じがします。誰も入らず、誰も出ていかない」

 張り詰めた空気を、慰鶴の間のびした声が緩く切った。

「おっかしいなあ。ノブレス・オブリージュって、ハゲたおっさんが確かに——」

 その瞬間、埃を巻き上げて、ボロ布の塊が飛び出した。

「ノブレスだと?!」

「きゃあああああ!出たー!」

 蛍と朝顔は抱き合って叫び、姫魅は真っ白な顔で膝をつく。

 慰鶴は反射的に、そのボロ布を足で踏みつけた。

「なんだ、お前?」

 直後、奥の闇からくぐもった咳が響いた。

「……入ってきなさい。それと、扉を閉めておくれ」

 しわがれた声だった。年齢の見当がつかないほど擦り切れ、疲労と諦念を含んだ沈んだ声音。

 蛍は息をのんだ。

 朝顔が丁寧に、深く頭を下げる。

「失礼します。私たち、王様にお会いしに……」

「……王様?」

 闇の奥で、その声は小さく笑った。

「ノブレスが……叱りに来たか」

 慰鶴が低く問いただす。

「お前が……国王か?」

 かつん、と杖か何かが床を叩く音。

 ゆっくりと姿を現したのは、白い布を肩にかけた痩せた男だった。髪は乱れ、頬はこけている。それでも、その瞳だけは驚くほど澄んでいた。

「違う。私は使用人だ。“王”は、君が今踏んでいる、それだ」

「んー?」

 慰鶴が足元を見る。

「きゃあああああ!!」

 蛍も朝顔も、姫魅も揃って絶叫した。

「慰鶴! 早く足をどけなさいよ!」

「慰鶴くん! 王様! それが王様なんです!」

「王様! お怪我は!?」

 抱き上げられたボロ布は、弱々しくため息を漏らした。

「……もう誰にも必要とされていないと思っていたよ」

 ぼろ布の隙間から、どこかバーのマスターにも似た、穏やかな目がちらりとのぞいた。

「どうして王様が、こんなところに……」

 姫魅が呟くと、痩せた男は静かに微笑んだ。

「その前に問おう。君らは本当にノブレスの使いか?」

 慰鶴は苛立ちを隠そうともせず返した。

「疑うのかよ」

「立場上、疑わねばならない。上に立つ者は、いつだって孤独だ」

 “上に立つ者は孤独だ”——

 その一言に蛍の胸が跳ねた。脳裏に浮かんだのは、追放される前の兄・愛華の背中。

 誰より優しく、誰より孤独だった兄。

 家族からも、臣下からも、国からも。

 その名が背負う責務の重さを、兄は誰より知っていたのかもしれない。

「他に立つ者の覚悟……」

 蛍は胸が締め付けられた。

 長兄・愛華は、どれほどの孤独に耐えてきたのだろう。

 次兄の剣は、その孤独の果てに振り下ろされたものだったのか。

 沈黙を破るように、慰鶴が一歩踏み出す。

 その声は、苛立ちを帯びながらも真剣だった。

「じゃあ、お前は? 王様の証拠はあるのかよ」

 慰鶴の問いに、痩せた男は一拍置いて答えた。

「人の存在を証明するのは、人だ。外界を遮断し続けた王を王と証明できる者は、ここにいるじぃと……王の、たった一人の兄だけだ」

 慰鶴がさらに食い下がろうとしたその瞬間、蛍が前へ一歩進んだ。

「間違いないわ。彼は王よ。人の上に立つ孤独を、知っている」

 その声には、揺るぎのない芯があった。蛍の瞳に宿る強さを前に、男——王は息を呑むように瞳を見開いた。

「君も……そうなのか?」

「私は……」

 蛍は言葉に詰まった。

 脳裏に浮かぶのは、背負うべき顔、守るべき人々。 そして——孤独を抱えたまま立っていた兄・愛華の姿。

 背負う覚悟。

 跪く者ではなく、立つ者の責務。

 蛍はそっと息を吸い込み、静かに、しかし凛として言った。

「私はガルディ王国の王女、蛍」

 その場の空気が震えた。

 誰もが耳を疑い、視線を蛍に向ける。

 蛍はさらに声を強めた。

「証明してみせるわ。——国家を揺るがす重大な秘密。国王、あなたは……」

 その場の空気がぴんと張り詰め、人々の呼吸音すら消えた。

「若ハゲよ!」

 沈黙が、世界を丸ごと凍らせた。

「蛍ちゃん……?」

「蛍……?」

 蛍は、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。

 次の瞬間、王がボロ布の下から身体を起こし、潔く頭を晒した。

「……間違いない。君はノブレスの使いだ」

「ええっ!?」

 王の額には、確かな光沢があった。

「ノブリス——我が双子の兄にしか知り得ない秘密だ。……じぃ、この者たちをもてなせ」

 じぃは静かに礼をし、しわひとつ動かさぬ表情で廊下の奥を指し示した。


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