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とある星物語  作者: 黒星
71/81

第71歯 どんな時も心をほぐす瞬間を忘れないで

 目を開けているのか、閉じているのか――その区別すら溶けてしまうほどの深い闇だった。

 サラは沈みゆく石のような自分の身体に触れ、輪郭を確かめるように、指先をかすかに動かした。

「……ポチ」

 声は闇の底でひっそりと溺れ、返事はどこにもなかった。

 かつて胸の奥で絶え間なく泡立っていた魔力の気配も、今はすっかり消え失せている。

 ただの人間――それが、今の自分だった。

「こんな時に……」

 スピッツで積み重ねてきた怒りも悲しみも絶望も、すべてを絞り出すようにかすれる声を上げた瞬間、指先にかすかな電流が触れ、魔道石の壁が赤い火の粉のように光を散らした。

「……っ」

 揺れる赤光に応じるように、サラの赤い瞳が苦痛を訴える。息をするたび、魔力が身体の奥底から吸い上げられ、目の奥が灼けるように痛んだ。

 やがて、重い扉が軋んで開き、静寂に足音が落ちる。

「これは驚いた。まだ魔力を作るのか」

 差し込む光に目を細めるサラ。逆光のなか、ゆっくりと形を結ぶ影。

 黒髪をきつく撫でつけ、整えた口髭を持つ男。


 ――国家警察総監、ラスト・オーダー。


「魔力多増症。無尽蔵に魔力を生むが、余命は二年。……生き延びただけはある」

 穏やかな微笑みのまま、ラストはサラの髪を無造作に掴んだ。

「この負荷に耐えていたというから、いかほど屈強な男かと思えば……女のような顔つきに、子どものような体つきじゃないか。この病は確か――目の色を変えるのだったな。まるで宝石だ。命を燃やす赤だよ」

 その視線は、ゆっくりとサラの皮膚を刺し貫いてくる。

「ふむ。抉り取って、首飾りにしてもいい」

 ぞくり、と体温が一瞬で失われた。

「まあ、かわいらしいこと!」

 ラストの背後から、鈴を転がすような声がのぞき込む。

 少女――フルの無邪気な笑顔が、残酷さを艶めかせていた。

「お父様。この子、私が飼いたいわ」

「いけないよ、フル。彼は道具だ。用が済んだらお前にやろう。その頃には壊れているかもしれんがね」

 ラストはサラを床に投げ捨てた。

「あら、それも素敵。未完成の美学というものだわ。ねえ、維千」

 その名が空気を震わせた瞬間、サラは息を呑んだ。 フルが腕を絡め、甘えるように寄り添っているのは、国家警察の制服を纏った青年だった。

「……死神?」

 透き通った甘色の瞳には、あの冷たさすら宿っていない。

 ただ、温度が――失われている。

 サラは震える声で、その名を呼んだ。

「死神!そこで何をしている!」

 維千は視線だけをサラへ向けたが、口は閉じたまま静かだった。

「答えろ、北条維千!」

「彼は……誰ですか?」

 その問いの無垢さが、刃より鋭くサラの胸を締めつけた。

 イルカに拾われたあの日、唯一差し伸べられた冷たい手。

 酒瓶を片手にベッド脇で軽口を叩き、紺碧の髪を揺らして笑っていた男。

 総監のメロウを制し、サラを仲間と認めさせた男。

 そのどれも――いま目の前にはいない。

「ごめんあそばせ。彼はもう、私の所有物でしてよ。あなたも望むなら、コレクションに加えて差し上げますわ」

「……所有物?」

 記憶の底で、温度のない女の影がゆらりと立ち上がる。

 サラの恩師を“所有物”と呼んだ、あの女。

 もし五番目がここにいるのだとしたら――維千の意思は、もう彼女の手にあるのか。

 怒りが腹の底で音を立てて膨れあがる。

「俺に仲間を教えたのは君だろ……! 簡単に忘れるな!」

 電流が走り、雷が形を帯び、獣の息遣いを始める。

「何を言ってるのかしら。あなたは仲間なんかじゃなかった。それだけでしょう?」

「黙れ!」

 雷は龍となり、フルへと飛びかかる。

 維千は静かに刀を抜いた。

 一歩の踏み込みとともに、巨大な氷の盾が花開くように生まれ、雷龍を吸収する。

「……散れ」

 維千の声は低く、凍りつくように静かだった。

 電流をまとった氷の花が、サラの目を狙うように弾け飛ぶ。花弁は空気を裂き、瞬間、耳元で鋭い音を立てた。

 サラは肩で荒い息をしながら、次々と降り注ぐ氷柱を必死にかわす。冷たさと痛みが肌を刺し、時間の感覚が歪む。

 床に突き刺さった氷柱が、一斉に轟音を立てて砕け散る。氷片が光を反射して舞い上がるその瞬間、サラの視界の奥――そこに維千の姿はもうなかった。

 どこかで息を潜め、次の攻撃の気配を忍ばせているのか。

 恐怖と緊張が、血管を走るようにサラを包み込む。

「まだ魔法を練るのか。わんぱくな子猫だ。少し躾をしておこう」

 ラストが拳銃を構えた。

 一発、二発、三発――サラは身をひねって避けながら、その意図に気づく。

(殺す気は……ない。ならば――)

 床を蹴る。ラストの懐へ、真っ向から飛び込む。

 だが、背筋を這う殺気が手を止めた。

 その一瞬で、サラは自らが斬られる未来を鮮やかに見た。

 氷柱のような汗が背を流れ落ちる。

 背後には維千が立ち、刀の切先をサラの心臓に添えていた。

(これが……北条、維千)

 維千は静かに刀を納め、淡い影のように距離を取った。

 極限の緊張が溶け、サラはその場に崩れ落ちる。魔力も体力も、もう残っていなかった。

「無理はしないことだ。魔道石の部屋で魔力を無理に生めば、身体は粉々になる」

 穏やかな声で言い残し、ラストは音もなく部屋を去った。

「死神…」

 霞む視界の維千は振り返ることなく、フルに連れられ部屋を後にした。



 数時間後、サラはゆっくりと目を開けた。

 頭が重く、体中がだるい。意識がはっきりしてくると、目の前の光景に目が止まった。

「君たちは……」

 国家警察の凸凹コンビ、芦屋道明と命斗が目の前にいた。

「あんた、何者だい?」

 芦屋は肩にかけた巨大な数珠を、サラの頬にぐりぐり押し当てる。

「魔法石は相手の魔力が強ければ強いほど、吸う力も強くなる。並の魔法使いじゃ、こうはならんよ」

 魔法石の壁は、まるでサラの命を引き裂くかのように、彼女の魔力を容赦なく吸い取ろうとしていた。

「そのちっこい体で、どこまで耐えられるか、見ものだね」

「おい、芦屋!俺の推しをいじめるんじゃねえ!」

 命斗は9歳前後の姿で叫ぶが、その声には27歳の熱い本音が混じっていた。

 芦屋が渋々手を引くと、命斗はサッとサラを抱き寄せる。

「もー! 芦屋くんはいじめっ子だし、ラスト総監は目玉を抉るなんて言うし!国家警察って、変態しかいないの?」

 命斗は9歳ぶってぷりぷりしながらも、サラに猫耳をつける手を止めない。

「あんたがいちばん変態だがね」

 芦屋は気苦労を感じさせるため息。サラも静かに頷いた。

「国家警察……君たちは、何を考えている?」

 穏やかに聞くサラに、二人は同時に振り向き、一瞬の沈黙。

「このイレギュラーな仕事で、サービス残業をいかに避けるか…だね」

「…お疲れさま」

 芦屋の切実な思いに、サラは少し同情する。

「猫耳サラくんを颯爽と助け出すイルカくん…という萌えシナリオ!」

「なんで猫耳?」

 徐々に論点は逸れつつあるが、誰も突っ込まない。

 命斗はマイペース、サラは天然、芦屋は命斗のカオスを軌道修正するので手一杯だ。

「そんなの…キュンキュンするからに決まってるじゃないか!」

「キュン…キュン?」

「ぶはあっ!けしからん!サラくん、もう一回、もう一回言ってくれ!」

 命斗が興奮して鼻血をぶちまけ、芦屋が甲斐甲斐しく拭く。

「あんたたち。一体何なんだい?キュンキュンってのは…」

 命斗が白けた目で見つめる。

「うっわ…」

「うっわ…ってあんた。地味に傷つくよ。そっちのとあっしとで、何が違うってんだい」

「キュンキュン」

 サラがキリッと返すと、命斗は鼻血を吹き出す。

「ぶはっ!そのかわいさ、もはや凶器だ!」

 芦屋は呆れつつも呟く。

「狂気だよ……魔法石よ、鼻血も吸ってくれやしないか」

 芦屋のぼやきが、暗闇に虚しく響いた。

(イルカは必ず来る。それまでに隙を…作るんだ…!)

 魔力は消えている。脱出など不可能に思えた。

 それでもサラは、かすかな望みにすがり、隙を探る。

(魔法は使えない。扉は魔力認証式。脱出のチャンスは監視が出入りする一瞬。どうにかして、扉を開けさせないと)

 そのとき――

 ぐう〜、と間抜けな音がした。芦屋も命斗もサラに注目する。

「あんた、もう腹が減ったのかい?」

 サラは頬を赤らめ、小さく頷く。

「無理もないよ。魔力を作り続けるってことは、ずっと笑ったり、怒ったり、泣いたりしているのといっしょなんだから……魔法は心、だよ」

 命斗は自分の解説にうんうんと頷いた。

「……カツ丼、食べたい」

「警察はカツ丼屋じゃないよ。次の食事まで我慢しなさい」

「嫌だ!」

 サラは立ち上がり、拳を握りしめる。このチャンス、逃す手はない。

「脂身少なめ、衣とごはん柔らかめ、半熟卵のとろみ強め、出汁たっぷり甘め、ネギだく、大盛りカツ丼を今すぐ食べたい!」

 芦屋も命斗も、目を丸くした。サラがゴクリと固唾を飲む。

「あんたね…そんな細かいオーダー、無理だよ」

 呆れた芦屋を遮って、命斗が駆け出す。

「推しの望みは、僕の望み!必ず見つけるさ!」

 命斗が扉を開けた瞬間、サラは動いた。

「リバースチャージ20%」

 左耳のイヤリングが熱を帯び、溜め込んでいた魔力をサラの身体に戻す。

 サラは雷のような速さで廊下を駆け抜けた。

「くっ…!」

 力任せに飛び出したため、サラは肩から壁にぶつかる。

「どれだけ魔力を……」

「どれだけカツ丼が食べたいんだッ?!」

「カツ丼じゃないよ!」

 命斗の叫びに、芦屋が突っ込む。

「これでは…どちらが紛い物かわからんぞ」

 一般的に、魔力多増症に適応した人間の末裔が最強の魔法一族、カラス族だと言われている。

 しかしその実は逆で、カラス族の副産物が魔力多増症という病なのだ。

 本来、カラス族の紛い物であるはずのサラは、病に適応したことで、もはや新人種レベルになっていた。

「逃さないよ!まだ尻尾を付けてないからね!」

「あんたは論点がズレすぎだよ!」

 満身創痍でありながら、廊下を駆け抜けるサラに追いつける者はいなかった。

 命斗が左手首を反転させ、両手の親指と人差し指で四角形を作る。

「今のサラくんじゃ…この範囲を一瞬で抜け出すのは、無理だよね」

「あんた、他を巻き込む気か?!」

「ど変態総監に叱られるよりマシだろ♡ 良い子はマネしないでね、スクエア!」

 命斗は四角形の真ん中にサラを納め、カウントダウンを始めた。

「3、2、1…カット!」

 サラの身体が急にガクッと止まる。周囲の音が消え、まるで空間から切り取られたかのような静寂が広がった。

「……生きる!」

 咲蘭の無邪気な笑顔が、頭の中でふわりと浮かぶ。

 その瞬間、サラの足元の影がぐらっと揺れて、彼をまるごと呑み込んだ。




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