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とある星物語  作者: 黒星
70/81

第70歯 愛の多様性

 時間は遡る。

 通称「8番」と呼ばれる学生寮の一室で、サラは天井をぼんやりと見つめていた。

「だったらさ、思い出してよ――そういう感情、私が君にあげるから」

 熱に霞んだ意識の奥で、咲蘭の声がふわりと響く。 サラは腕で目を覆った。熱いのは微熱のせいか、それとも胸の奥のざわめきのせいか。

「頭、痛みますか?」

 柔らかな声とともに、イルカが丼いっぱいの肉うどんを手にして隣に腰を下ろした。

 部屋には最低限の家具しかなく、ソファがひとつあるだけ。殺風景だが、それでもここがサラにとっての“居場所”だった。

「大丈夫。ありがとう」

 サラはソファの隅に置かれた白い虎のぬいぐるみを抱き、ゆっくりと上体を起こした。

「イルカ、もういいよ。透牛隊の任務、任されてるんでしょ?」

 イルカは少し困ったように笑う。窓の外、学校の時計の針は約束の時刻まであと五分を切っていた。

「……絶対に、無理をしないこと」

「わかってる」

 耳にタコができるほど繰り返されるその言葉に、サラは苦笑しながらうどんを口に運んだ。

 ふと、思いついたように問いかける。

「イルカ。恋って、どんな気持ち?」

 軽い気持ちで聞いたつもりだった。

 けれど、イルカはパッと振り向き、目を大きく見開いた。手から鞄が滑り落ちる。

「……サラ。お前、恋したのか?」

「してない。ただ、ちょっと気になっただけ」

 罪悪感なんてないのに、なぜか心が焦る。

「そうですねえ……」

 イルカは遠くを見るように目を細めた。

 思い出しているのは、桜吹雪の向こうに浮かぶ懐かしい笑顔。

「その人のそばにいる自分が好き――それが恋、かもしれませんね」

「自分が好き?相手じゃなくて?」

 サラは首をかしげる。イルカは口元に手を当て、ふっと柔らかく笑った。

「さて、そろそろ行きますね。絶対に……」

「無理をしない」

「よくできました」

 にっこり笑って、イルカは玄関の向こうに消えた。 静寂が部屋を包む。サラは身支度を整えながら、心を少しずつ整えていく。

「無理と思わなければ、無理じゃない」

 イルカには申し訳ない。けれど今日は、大切な約束の日だった。


 昼間のティース都立病院は、子どもたちの笑い声で満ちていた。

「ねえ、雷小僧。遊んでよ!」

「手品はー?」

 袖を掴んで離さない子どもたちをかき分け、サラは軽く手を振った。

「ごめん。今日は先約があるんだ」

 ようやく乗り込んだエレベーターを降りると、白い扉の前に背の高い女性が立っていた。

「おっそい。もう来ないのかと思った」

「ごめん」

「いいよ」

 こちらを見下ろして笑うその顔は、子どものように無邪気だ。

 ヒールを履いた彼女――咲蘭は、さらに背が高く見えた。

(俺が……小さいのか)

 これまで自分の身長を気にしたことはなかった。だが、咲蘭はきっと背の高い男性のほうが好みだろう。 サラは自嘲するように頭に手を置き、眉間に皺を寄せた。

「さ、入って入って!」

 咲蘭に手を引かれ、病室に足を踏み入れる。廊下に比べて、ここは不思議と温かかった。

「ちーくん!来たよ!」

 ベッドの上で眠る青年――水嶋青梗斎。咲蘭の幼馴染だ。窓から差し込む淡い光が、彼の静かな顔を照らしていた。

「こんにちは」

 サラはぺこりとお辞儀をして、ベッドの隅に腰を下ろした。返事は、もちろんない。

「ちーくんはね、私のファンに刺されたの。大人気小説の映画化が決まって、主演に抜擢されたときだった。 私たち、すごく仲良くて……だから、勘違いした記者がスキャンダルにして。それを信じたファンが――」

 咲蘭の声が震えた。サラは黙って続きを待つ。

「愛って、きれいなだけじゃないって、初めて知った。天井まで飛んだ血の跡、八つ裂きにされた写真……忘れたいのに、どうしても忘れられない。ファンを怖いと思う自分が、どうしようもなく嫌で。“いちばんのファン”だった人なのに……ちーくんは、売れ始めてからの私を、一度も見たことがないんだよ」

 サラは静かに目を伏せた。

「もうダメかもって思ったとき……君の歌声が聞こえてきたの。“大丈夫”って、背中を押された気がした」

 咲蘭の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「君の歌で、ちーくんの瞼が動いたの。 気のせいかもしれない。でも……もしかしたらって思ったの。 もう一度、彼に笑ってほしいって……」

 咲蘭の声が次第に細くなり、消えかける。

 その声を受け取るように、サラはゆっくりと歌い出した。


 壊れたラジオみたいに 君の名前を呼んでいた

 誰にも届かぬまま 夜がまた降りてくる


 沈んだ街の片隅で 息をするたびノイズになる

 それでも耳を澄ませば 君の音がした


 痛みの数だけ 声が生まれて

 罪を重ねて 歌になった

 過去を許せないままの僕を

 それでも 誰かが聴いていた


 君の涙を 音符に変えて

 この世界をもう一度描くよ

 傷も祈りも 旋律うたにして

 君が笑うまで僕は何度でも 歌う


 錆びついた喉の奥で 眠ってた夢が震えた

 「生きていい」と誰かが言う そんな幻を見た

 

 君の沈黙は 僕の居場所だ

 声がなくても 届く気がした

 君の痛みを メロディにして

 過去の罪を包みこむように


 もしも僕が消える夜には

 君の中でまだ歌が響いていますように


 風が止んでも 音は残る

 君と僕の 声の欠片


 咲蘭はサラにしがみつき、堰を切ったように泣きじゃくった。

 サラの歌声はただ、優しかった。

 罪も、過去も、誰かを傷つけた手の痛みも――すべてを包み込むように。

 短い沈黙ののち、モニターの音だけが規則的に響く。

 やがて咲蘭が、小さく囁いた。

「……ありがとう」

 その声は、祈りのように病室に広がった。

「次は、俺のお願い」

 サラは右耳のピアスを外し、咲蘭の手にそっと置いた。

「俺の片方。預かってくれないか?」

「え?」

 サラの言葉に、咲蘭は一瞬言葉を失い、少し俯いた。胸の奥がざわつく。

「お守り。母がくれたものだ」

 その瞬間、咲蘭の瞳に小さな金属が映る。ひんやりとしたはずなのに、確かにサラの温もりが残っている。心臓がぎゅっと締めつけられたような気がした。

「……そんな大事なもの、私が預かっていいの?」

 サラの赤い瞳が、まっすぐ咲蘭を見つめる。その視線に、咲蘭は思わず顔を背けそうになった。

「君の笑顔。俺に、守らせてほしい」

 予想外の言葉に、咲蘭はぽかんと口を開ける。頭の中が真っ白になり、顔がみるみる赤くなる。

「え、それって……プロポーズ?」

「は?」

「え?」

 モニターの電子音だけが、二人の間の沈黙を刻む。咲蘭は心臓が飛び出しそうで、思わず両手で胸を押さえる。

「いまの……どこが、プロポーズ?」

「なっ?!違うの?!ちょ、思わせぶりやめてくれない?心臓に悪いわ!」

「ご、ごめん」

 咲蘭にバシバシ叩かれながら、サラは情けなく縮こまった。咲蘭の頬の赤みが、余計に目に痛い。

「でも……嬉しいよ。ありがとう」

「……うん」

 咲蘭が右耳にピアスをつけ、少し照れながらも無邪気に笑う。心臓の高鳴りを必死に押さえつけながら、サラも目を細め、そっと笑った。


 病院を出て夜道を歩く。

 月明かりが影を長く伸ばす。静かなはずの街に、どこか不穏な気配が漂っていた。

 季節外れの冷たさが、肌を刺す。

「……五番目、か?」

 いや、違う。もし彼女なら、とっくに自分は捕まっている。

「……誰だ」

 本能が警鐘を鳴らす。

 サラは短く息を吸い、決断した。

 “誰かを守るために”“生き延びるために”――自分がすべきことを。

 体に電流が走る。踏み出そうとしたその瞬間、膝が崩れた。

「スピッツの逆鱗が逃げ腰とは……驚いたかい?あんたのために用意したんだよ。魔道石を使った魔道具さ」

 体中から力が抜けていく。魔力が吸い取られていく感覚。

 心臓を何かに掴まれたような痛み。

「強い魔力を吸い尽い、貯蔵するってね。便利な道具だろう?」

 月明かりが、声の主を照らす。

肩にかけられた大きな数珠が燃えるように赤くなり、呼応してサラの赤目がズキズキと痛む。

 芦屋道明。国家警察の一級退魔師だ。

「君が……?なんで……」

 芦屋が不敵に笑う。サラの視界が滲み、意識が暗闇に沈んでいった。


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