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とある星物語  作者: 黒星
67/81

第67歯 失敗がなければ、成功もないでしょう?

 鼻をつく消毒液の匂いが、白い壁の向こうから漂ってくる。廊下では人々の足音が乾いたリズムを刻み、絶えず動いていた。

(ここは……)

 朝顔はゆっくりと瞬きをする。見覚えのある天井。ティース都立病院――チェンの父が院長を務める病院だ。

(そっか……。私が壊したから、医務室はもう使えなくなったんだ)

 窓の外、夕暮れの空を橙が満たしていた。ぷかぷかと浮かぶインプラントが光を反射し、その揺らぎが白い壁に柔らかく映っている。

 ふと、崩れた魔法学校の残骸と、蔦の放つ腐臭がよみがえった。

(他人の人生の上に生きる罪悪感。叶わぬ恋への絶望。蛍ちゃんへの嫉妬心……全部、全部、溢れ出して――)

 蝕むように蓄積していた感情が、すべてを壊した。自分の声を見て見ぬふりしてきた報いである。

 胸の奥が小さく疼く。朝顔はその痛みに手を当て、身を起こそうとした――その瞬間、手の甲に別の温もりが触れる。

「……慰鶴くんっ?!」

「んー?あ、朝顔。起きたか。おっはよー」

 至近距離に慰鶴の顔。朝顔は彼女の跳ねた天然パーマのように、飛び上がって叫んだ。

「は、は、ハレンチですっ!」

 顔を真っ赤にしてポカポカ叩いても、慰鶴は楽しそうに目を細めている。

「んー?」

「な、なんで同じベッドで寝てるんですか!」

「なんでって…しかたねえじゃん。俺、朝顔とくっついちまったし」

 その言葉に、戦闘の記憶がよみがえる。自分から伸びた蔦と、慰鶴の左腕が融合した、あの光景――。

「この野生児。君と朝顔くんはとっくに切り離したはずだが」

 冷ややかな声が割り込む。布団がめくられ、チェンが立っていた。

 慰鶴の左腕には、蔦の代わりに小さな花が咲いている。

「このバカ者が。僕の大切な右腕に手を出してくれるな。さっさとそこから出たまえ」

「いってぇー!」

 カルテの角で額を小突かれた慰鶴が呻く。その腕には、Gの刺青を覆うように咲く花。

「朝顔くんとの切り離しは済んだが、融合の魔法を完全に解かぬ限り、この花は消えん。蔦は焼いて成長を止めてあるが……朝顔くんが感情的になれば、また暴走しかねない。肝に銘じておくように」

「……はい」

「おう」

 慰鶴は気だるげに答えたが、その瞳の奥には不満が滲んでいた。自分の心が、朝顔への想いに引きずられていることを彼自身も分かっている。

「ちぇーっ!勝手に切り離しやがって」

「君はわかっているのか?そのままなら植物に侵食され、意思を乗っ取られていたんだぞ」

「はいはいー」

 チェンの堪忍袋が切れた。

「どうやら君は、臍の位置がずれているようだ。治してやろうじゃないか」

「は?んなもんいらねー……うわっ!」

 チェンの眼鏡が白く光り、次の瞬間、病室には狂気じみた笑い声と慰鶴の悲鳴が響いた。

 その騒ぎを聞きながら、朝顔の胸の奥に、あたたかい感覚が満ちていく。

 ――まるで、日常が戻ってきたような錯覚。

 窓に映る自分の姿に、息を呑む。裂けていた肌は滑らかに修復され、人の姿に戻っていた。

「違和感はあるかね?」

「いいえ」

「僕の固有魔法でも、君を完全な人間にはできん。形状を“限りなく人間に寄せて“書き換えただけだ。文章表現に苦労したよ」

 軽口の裏に、どれほどの労力があったか――人間になってからの3年間、彼の手足になって働いてきた朝顔には、痛いほど分かっていた。

「どうして……私なんかを助けるんですか……」

 涙がこぼれる。白い布団に滲んだ染みの上に、慰鶴の手が重なった。骨ばった指が温かい。

「救いなんかじゃない」

 向かいのカーテンがシャッと開く。咲蘭のベッドのそばで教科書に読み耽っていたサラが、力強い足取りで朝顔に歩み寄る。

「サラ…さん?」

 燃えるような赤目が朝顔を見下ろす。冷たい声に似合わず、その瞳の奥は静かに優しかった。

「過去は消えない。自分の弱さを認め、愚かさを知り、自分の命のあり方を考え続けろ」

 その言葉に、朝顔はサラにしがみつき、嗚咽をこぼした。咲蘭が小さく息を呑む。

「んだーっ!揚げまんじゅう!お前、朝顔に近づくなー!」

 慰鶴の声に、朝顔は思わず笑ってしまう。

「どうしてと言われたら、理由はないさ。医師に善悪はない。救える命があるなら救う――それだけだがね」

 チェンはまずい栄養ドリンク「FREAK」を開けて喉を鳴らす。

 だが、入り口に立つネルの姿を見て、空気が一変した。

「無償の人助けなんて馬鹿げてる。だが安心しろ。そいつはインテリぶった、ただのバカだ。俺は助ける相手を選ぶ主義でね」

「ネルさん……」

 鋭い眼光に、朝顔の声が震える。

「朝顔ちゃん。君には、親父が人間に戻る術を探す手伝いを――」

「朝顔さん!咲蘭さん!大丈夫ですか?!」

 ネルを押しのけて、姫魅と蛍が病室に駆け込んできた。

「姫魅…くん…」

 姫魅の顔を見るたびに、胸が痛む。届かない想いが、まだそこにある。

「なははっ、ちょっと疲れただけ!私は大丈夫、大丈夫!」

 咲蘭が笑いながら言う。だが、隣のベッドで無言を貫くサラを見やり、ぽつりと漏らした。

「君は……少しくらい心配してよね」

 恋焦がれる赤目は、自分に向けられない。

 蛍は朝顔に抱きついて、穏やかに微笑んだ。

「よかった!朝顔さん、戻ったんですね」

 その声に、部屋の空気が柔らかく震えた。

(戻っちゃダメ。私は変わらなきゃいけないの)

 朝顔が唇をかみしめ、サラを見上げる。

 彼は「大丈夫」とだけ囁き、姫魅に目を向けた。

 姫魅は視線の意図が掴めず、小首を傾げて優しく微笑んでいる。

 その笑顔を見た瞬間、朝顔の心臓が跳ねた。

 慰鶴の腕の中にいながらも、意識は姫魅に向かう。 ――どうしても、この距離を越えたかった。 人間になれば隣にいられると信じていたのに。

「朝顔」

 慰鶴が眉をひそめる。その声は低く、真剣だった。

「無理すんなよ」

「ありがとう……慰鶴くん」

 笑顔を作る。けれど、それは頬の筋肉で引き上げた笑顔だった。 慰鶴はその“温度”の違いを感じ取り、胸が締めつけられる。

(やっぱり、俺じゃ届かねぇのか……)

 彼は左腕の小さな花にそっと触れた。

 「咲蘭くんはゆっくり休みたまえ。二、三日は病院で様子をみて、自宅でも安静に」

「そんなに?!無理ですってば!ファンが待ってるのに!」

「何を言っている。体があっての仕事だ。あれだけの魔力放出、サラくんや姫魅くんなら擦りむく程度だが……我々にしたら軽い事故のようなものだ。無理は禁物だよ」

「……はい」

 咲蘭は唇を尖らせる。

「朝顔くんは体調に問題がなければ、すぐに平和維持軍の軍医務室へ移動しなさい。不本意だが――君を軍法会議にかけねばならない」

「当然です。どんな罰も受けます」

 朝顔は布団を握りしめ、静かにうなずいた。


 夜。

 朝顔は平和維持軍の医務室へ向かっていた。

 病院を出るまでは慰鶴が、その後はチェンが付き添うことになっている。

 誰もいない廊下は静かで、心の音だけが響いていた。

「なぁ、まだ泣いてんのか?」

 慰鶴の声は、不器用な優しさを含んでいた。

「泣いてないです」

「嘘つけ。目ぇ真っ赤だぞ」

 慰鶴は笑いながらも、そっと朝顔の肩に手を置く。 温かい掌。そこに、かつて植物だった体がわずかに反応した。

「……怖いんです。また、あんなふうに誰かを傷つけるんじゃないかって」

「傷つけたくねぇって思ってる奴が、そう簡単に傷つけねぇよ。もしそうなっても、俺が止めてやる。だから、お前は堂々と生きろ」

 まっすぐな言葉に、嘘はなかった。

「慰鶴くんは……どうしてそんなに優しいんですか」

「朝顔を見てるとな。昔の俺を見てるみたいでさ。――諦めてほしくねえんだ。俺が望んでた生き方を」

 朝顔は息を詰め、目を伏せる。

 胸の奥で、蔓のような感情が静かに絡まり始めていた。


 病室の灯が柔らかくともる中、咲蘭は窓辺に立って外を眺めていた。

 彼女の瞳は遠くを見ているようで――実はサラを追っていた。

 ベッドに腰かけたサラは、ふりがなだらけの教科書を無言でめくっている。

 光に照らされた横顔は、どこまでも孤独で、美しかった。

「ねぇ、君」

「何」

「君は……誰かを好きになったこと、ある?」

 咲蘭は笑うように言ったが、指先がかすかに震えていた。

「イルカは好きだ」

 サラは顔を上げず、淡々と答える。

「そうじゃなくて!恋とか、愛とか……」

「ない」

 静かな沈黙。

「……わからない。他人と距離を置くうちに、そういう感情までどこかに置いてきた」

 咲蘭は、自分でも驚くほど素直に口を開いた。

「だったらさ、思い出してよ。――そういう感情、私が君にあげるから」

 その瞬間、サラの目が咲蘭をとらえた。

 戦場で見せる冷たい瞳ではなく、何かを探すような、迷子の瞳だった。

 窓の外では、橙の光が静かに揺れていた。

 それは、朝顔の病室に差していた光と、同じ色だった。


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