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とある星物語  作者: 黒星
65/81

第65歯 今の自分は好きですか?

「朝顔!朝顔ー!」

 何度呼んでも返事はない。

 校内を縦横無尽に歩き回っていた植物人間たちは、医務室に近づくにつれ数を減らし、慰鶴の行く手を阻むものは、やがて複雑に絡み合った蔦の壁だけとなった。

 蔦はどんどんと太く、強固になっていく。慰鶴の人間離れした腕力でさえ、もはや歯が立たなかった。

「ちくしょう……何だってんだよ」

 苛立ちを隠しきれず、慰鶴は足元の蔦を蹴りつけた。

 いつだって大切なものは、指の隙間からこぼれ落ちていく。掴みたいほど、遠ざかるように。

「お前さえいなければ——」

 その瞬間、ふと慰鶴の脳裏に母の声が蘇った。

 母が盗賊に襲われた末に生まれた慰鶴は、彼女にとって生々しい傷跡の象徴でしかなかった。

 それでも彼女は慰鶴を命として扱い、母として懸命に育てようとした。だが、その若さに不釣り合いな重圧と不自由に耐えきれず、やがて彼女は酒と、甘いだけの男たちに溺れていった。

 彼女は幼い慰鶴にわずかな金を握らせ、五日も帰らないなどは日常茶飯事だった。

 それでも、待っていれば帰ってくる。長い留守のあと、泣きながら抱きしめてくれるから、慰鶴は彼女を「良い母親」だと信じていた。

 ——否。彼女を庇っていたのは、ただ“子ども”だからだ。

 親を無条件に愛し、親の愛を求めてしまう、どうしようもなく不幸な生き物。

 それが慰鶴自身だった。

「ごめんね、ごめんね……」

 許しを乞う悲痛な叫びが耳の奥に焼きついて離れない。

 あのとき浴びた言葉のどれが彼女の本心だったのか、今となってはわからない。

 わずかな食事を分け与えた弟の糞尿まみれになりながら、彼女を庇い続けた慰鶴は、結局捨てられた。 母は、都合のいい女であることを選んだのだ。

「ごめんな……ごめん……な……」

 枯れ木のような腕にすっぽりと収まった息のない弟の異様に軽い体を抱きしめ、慰鶴は夜の街を彷徨った。

 そのとき差し伸べられた手——。

 「今日から俺たちは家族だ」

 その声を、慰鶴は生涯忘れなかった。

 弟が手厚く葬られたあと、その手は彼にとって、離すことのできない唯一の絆となった。

 “カエルの子はカエル”。

 母を傷つけた父のようにはなるまいと誓っていた慰鶴は、結局ギャングの一員となり、頭角を現した。

 どんなに抗おうと、血は巡るのだと慰鶴は悟った。

「あーあ、朝顔もさっさと辞めちまえばいいのにな。俺は報われねぇことのために生きるなんざ、ゴメンだね。どう生きようが、生きてりゃ勝ち。死んだら負けなんだからよ」

 慰鶴はポケットから一枚の写真を取り出した。

 中央には植木鉢を抱く人物——だが、その姿は人ではなかった。

 全身が蔦で構成され、顔はなく、かろうじて人の形を保っている。

 それでも、慰鶴にはわかった。あれは“朝顔”だ。

「自分の命のあり方に、自分が納得できるなら——か。……朝顔、お前は本当に納得してるのか?」

 壁一面を覆う蔦の向こうに問いかけても、返事はなかった。

 ただ、蔦がかすかに震えた。

「なぁ、朝顔。俺、知ってんだぜ。お前の身体……お前のじゃねぇんだろ?」

 写真を見つめながら、慰鶴の表情が苦く歪む。

 数年前、彼は見た。ふわふわの天然パーマに、おっとりした目をした女が、清々しい顔で高層マンションから飛び降りる瞬間を。

 彼の異常な視力なら見間違うはずもない。あの高さから飛び降りて、人間が生きていられるはずがない。

「お前……誰だ?」

 深みのある声が空気を震わせた。

 蔦が割れる。

 静寂の膜を破るように空気が揺れ、そこに立っていたのは——朝顔だった“もの”。

 皮膚は裂け、蔦が脈打ち、頬にはいくつもの蕾が芽吹いている。

 けれど、その瞳は確かに、彼女のままだった。

「慰鶴くん……?」

「悪かったな。姫魅じゃなくてよ」

 慰鶴の苦笑に、朝顔は悲しげに微笑み、首を横に振る。

「迎えに来たんだ。さっさと出てこいよ」

「もう戻れません。私、自分のために取り返しのつかないことをしました。たくさんの人を……傷つけてしまいました」

「あ?自分のために取り返しのつかないことなんて、誰だってしていることだろ。誰ひとり傷つけないで、生きてる奴なんかいねぇよ」

 慰鶴は彼女の頬についた蕾を乱暴に払い落とした。だが、蕾はすぐに再び芽吹いた。

「……私を育ててくれた人は、心優しい人でした。クラスメイトからいじめを受けていて…植物の私に人間社会を語るのが日課だったんです」

 朝顔は慰鶴の手を包み込みながら、かすかに笑った。

「それでも、その人には光がありました。幼い頃、家族で出かけた遊園地。家にも学校にも居場所がない彼女にとって、そこは唯一の居場所でした。そこで、アルバイトをしていた姫魅くんの温かい人柄に、彼女は心から惹かれていたんです。でもその光は、彼女自身を照らせなかった。彼女は絶望のまま、命を絶ちました。——私は彼女の恋心を聞くうちに、姫魅くんに惹かれて、人間になりたくなってしまった。いけないことだとわかっていながら……彼女の身体を奪って」

「それがどうした。死んだ奴の体なんざ、どうだっていいだろ?」

「私が生きている今は、あの人が生きたかもしれない未来です。そんなの、チェンさんや姫魅くんが許してくれるはずない」

「あいつらがどう受け止めようが関係ねぇ。あいつらが許さねえなら、俺と生きりゃいい」

 朝顔は目を見開き、逡巡したあと、うんと背伸びをして慰鶴の金髪を小突いた。

「お気持ちは嬉しいですが……いけませんよ。私みたいな悪い女」

「誰にも嫌われねぇ奴より、よっぽど好印象だぜ?」

 ふたりが小さく笑いあう。慰鶴はパッと朝顔の手首を掴み、力強く抱き寄せた。

「朝顔は、なんでそんなに他人のために一生懸命なんだよ。見てて、すっげぇイライラするぜ」

 彼の脳裏に、医務室で必死に生徒を治療し、患者の心を癒し、ぶっきらぼうなチェンを小突く彼女の姿が浮かぶ。

「もっと自分のために生きろよ」

 その穏やかな声と体温に、朝顔の体から力が抜けていく。

 慰鶴は泣き出した彼女の手を引いて歩き出した。

「慰鶴くん……どうして“生きる”って、こんなに痛いんでしょうか」

「……それでも、お前は生きようとしたじゃねぇか」

「私は…あの人の代わりに生きただけ。でも、いつの間にか欲が出て…もう私は、あの人でいられません」

「誰かの代わりになんて、なれっこねぇんだよ。全部の生き物に平等なのは——いつか死ぬことだけだっての」

 先を行く彼の背中は、広く、強く、温かかった。 朝顔の胸に安堵が灯ったその刹那——甲高い笑い声が、空気を切り裂いた。

「あんたたちに行く当てなんてあるのー?そんな枯れかけた花なんか引きずって…ねえ?ゴールデントリガーくん?」

 殺気を感じた慰鶴が即座に身を翻し、朝顔を抱き寄せる。

「ゴールデントリガー?」

 朝顔は小さく呟き、おずおずと慰鶴を見上げた。

 次の瞬間、飛来した液体が床に落ちた。

 蔦も床も、じゅくりと音を立てて混ざり合い、ぐちゃぐちゃに融合していく——。

「いいじゃなーい?仲睦まじいふたりの男女。ぐちゃぐちゃにしたくなるわあ」

「何だ、てめえ?」

 慰鶴は辺りを見回したが、人影は見当たらない。

「念の為に仕込んでおいたトラップよ。純粋ってのは強い感情を生むけど、自分を見失いやすい。よく働いてくれたけど、こうも暴走されちゃ迷惑なのよね」  声は近く、でも輪郭がつかめない。笑い声に混じるのは、あざけるような甘さと、刃物のような冷たさだ。

 床に落ちた液体が、乾燥した血と樹液を合わせたように──じくり、と音を立てて広がり、やがて床を這う蔦の端と溶け合うと再びひと所に集まる。

 水たまりになった液体がふつふつと沸いて噴水のように飛び上がると、それが人型に姿を変えた。

「あーあ、せっかくその子の細胞に私の美髪を混ぜ込んだってのに、結界のせいでやっと人型が保てる程度だわ。大魔法使いジョニー、名ばかりじゃないわね」

 人型を保った液体が気だるそうに語る。

「卯月さん…」

 朝顔の震える肩を慰鶴がぎゅっと抱き寄せる。

「ねえ?ゴールデントリガー、さっさとその子を渡してくんない?」

「ーー渡すもんかよ。朝顔は俺の女だ」

 慰鶴の声が低く震え、床に滴る樹液の輪が彼らの足元で微かに光る。人型の液体は右手にグルーガンを構え、唇だけが弧を描いた。

「――女はね、物じゃないのよ」

 グルーガンの口先から迸った液体が、触れたものを溶かしながら絡み合い、世界の輪郭をぐちゃりと歪めていった。

 床が呻き、空気が泡立つ。

 慰鶴は舌打ちをひとつ鳴らし、朝顔の身体をひょいと抱え上げると、旋回するように後方へ飛び退いた。 直後、彼らのいた場所が音もなく崩れ落ちた。

「ちっせー女だな」

 軽口を叩きながらも、彼の瞳は獣じみて鋭い。

 朝顔を下ろそうとした瞬間、足元の床から蔦がするすると伸び、慰鶴の足首を絡め取った。

「っ……!朝顔、あぶねーだろ!」

「ご、ごめんなさい!あの子たちは……私、だけど、私じゃないんです。私から生まれた、クローンのような存在で――」

「んあ?ウーロン?なんだ、それ」

「つまり……金太郎飴です!」

「もとは一本の飴で、同じ顔してるけど、それぞれ別の飴ってことか」

「はい」

 戦場のただ中で頷く慰鶴。甘味となると異様な理解を発揮する慰鶴に、朝顔は思わず息を漏らして笑った。

 張りつめた空気のなかで、ほんの一瞬、春のような緩みが生まれる。

「あの人……卯月さんの固有魔法は《融合》なんです。私と、あの人の遺体を融合させて――人間に仕立てたのも、彼女なんです」

「……卯月?」

 慰鶴の眉がぴくりと動いた。

 液体の女――卯月が、グルーガンを指先で弄びながら唇を歪める。

「そうよ。試作品だけど、よくできた娘でしょう?」

「てめぇ……」

 慰鶴の声が低く震えた。

 蔦を引きちぎり、朝顔の前に立つ。その背の奥には、怒りよりも深い悲しみが沈んでいる。

 彼が拳を握りしめると、周囲の蔦が微かに震えた。 卯月の液体の身体が波打ち、艶めいた唇が吊り上がる。

「ふふ。怒った顔も素敵。ゾクゾクするじゃない。造花には勿体ないわ」

「違います!」

 朝顔が叫ぶ。頬に咲いた蕾がぱっと弾け、青白い花弁が宙に舞った。

「私は……私の意思で、生きたいと思ったんです。借り物の身体でも、痛みは私のものです!」

 その言葉が空気を震わせる。

 慰鶴は振り返らず、背中越しに静かに言った。

「それが――生きるってこと」

 卯月の笑みが一瞬だけ崩れた。

「気に入らないわね。作品が創り手を否定するなんて」

 次の瞬間、液体が爆ぜるように膨れ上がる。

 教室という空間そのものがうねり、壁も床も粘液に覆われていく。

 卯月の身体が崩れ、数十の腕となって四方から襲いかかった。

「くっそ……!」

 慰鶴は朝顔を抱き寄せ、床を蹴って滑るように退く。

 蔦を盾にして飛び越えたが、粘液が左上腕にかすり、皮膚が焼けるような痛みが走った。

「慰鶴くん!」

「何でもねーよ!」

 彼はポケットから銃のマスコットを取り出し、紐の輪を歯で引いた。

 ジジジ、と小さく鳴った瞬間、玩具は金属の光を放ちながら本物の銃へと姿を変える。

 その光が、朝顔の花弁を刹那だけ照らした。

「腹が鳴るぜ」

 引き金が絞られる――だが。

「甘いわねぇ」

 スピッツの声が、笑いとともに空間を裂いた。

 床から伸びた液体が朝顔の足を掴み、彼女自身の蔦と溶け合っていく。

「う……くっ!」

「朝顔!」

 彼女の肌が滲み始める。血管の代わりに蔦が脈打ち、緑の光が体内を走った。

 慰鶴は銃を捨て、両腕で彼女を抱きしめた。

「離れて……!このままじゃ、慰鶴くんまで!」

「黙ってろ!」

 朝顔の意思とは裏腹に、彼女の蔦は救いを求めるように慰鶴へ絡みつく。

 朝顔は必死にそれを引き剥がそうとするが、卯月の意志を宿した蔦が、ふたりを飲み込もうと蠢いた。

「慰鶴くん!」

 それでも彼は離さない。

 熱と冷たさが交錯し、世界がぼやける。

「俺は――お前がいない世界で、生きたくねぇ!」

 その一言に、朝顔の瞳が震えた。

 涙が零れ、落ちた場所から蔦が白い花を咲かせる。

 無数の朝顔が一斉に開き、粘液の黒を押し返した。

「――は……!?」

 スピッツの身体が崩れ落ちる。

 液体が乾き、残されたのは静まり返った床だけ。

 花の香が、穏やかに世界を満たした。

 慰鶴は荒い息をつきながら、朝顔を抱きしめたまま動かない。

「……生きてるか?」

「……はい。でも、慰鶴くんの腕が……」

 見ると、彼の左腕の傷口から蔦が伸び、朝顔の蔦と絡まり合っていた。

 朝顔は息を呑む。

「私と……一緒に……?」

「いいじゃねぇか。金太郎飴ってやつだろ?」

 慰鶴が笑う。

 その笑みに、朝顔は泣き笑いで応えた。

 花の香が、ふたりの間にやわらかく揺れた。



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