第63歯 どれだけ壊されても根は残る
第3演習室の入り口でそれを見つけた瞬間、蛍は息を呑んだ。
――人の形をした植物。
緑色の身体はうねうねと身を捩らせ、まるでオブジェが生き物に変じたかのように動いている。その異様な光景に、蛍の背筋が凍りついた。
「ネル?助っ人って、まさか…」
あれは……あの時、自分たちを襲ってきた化け物と同じだ。
「んなわけあるか!伏せろ!」
ネルの鋭い叫びが響いた。しかし、蛍も姫魅も恐怖に身体を縫い止められたように動けない。
次の瞬間、植物人間が突き出した両腕は蛇のように伸び、槍と化して蛍の胸を貫かんと迫る。
「ちっ!」
ネルは舌打ちをして蛍の前へと飛び出した。
どこから取り出したのか、赤い布――ムレータが彼の手に握られている。
「あっち向いて、ホイッ!」
布が閃光のように翻る。蔦の槍はまるで誘導されたかのように軌道を変え、天井へ突き刺さった。
植物人間は腕を引き抜こうともがくが、なかなか抜けない。
「朝顔!」
その横を慰鶴が弾丸のように駆け抜けた。
彼の拳が唸り、迫る植物人間たちをボウリングのピンのように弾き飛ばしていく。
「慰鶴くん!」
「あんた、危ないわよ!」
蛍と姫魅の叫びも届かない。慰鶴は廊下に蔓延る化け物たちを軽々と薙ぎ払い、あっという間に視界の向こうへ消えていった。
「な、何なの、あいつ……」
「あはは……ボーリングの玉がピンを跳ね飛ばすみたいに…」
蛍と姫魅は乾いた笑いを漏らす。常識を超えた光景が、もう笑うしかないほどだった。
「せっかくならストライクを決めてほしかったけどな」
ネルは肩をすくめながら、天井に腕を引っかけたままの植物人間を睨む。
相手はもがきながら、ついに自らの腕を引きちぎった。そして、肉のように蠢く蔓が再び伸び、新しい腕を形成する。
「おーい、勘弁してくれ……」
ネルが顔をしかめた瞬間、天井から垂れ下がった蔦が次々と植物人間の形を成していく。
「姫魅!」
「う、うん!」
姫魅がネルに向かって両手を突き出す。パッと魔法陣が浮かび、ナイフのような無数の羽がずらりと並んで宙に舞う。
「へ?ちょっと、姫魅。向ける相手、違うでしょ?」
「せーのっ!」
「ちょ、バカッ!そっちじゃないって!」
ネルの背後で蛍が悲鳴をあげ、思わず彼のシャツの裾を掴んだ。
降り注ぐ羽の刃は、ネルが翻したムレータに吸い込まれるように消える。
「さて――君色に染まろうか」
ネルが布を翻すと、魔法陣が彼の足元に浮かび上がる。姫魅のものと同じ紋章。その周囲に、吸い込まれたものより大きな羽がずらりと浮かび上がった。
「これって……姫魅の魔法?」
風がネルを中心に渦を巻き、羽が弾けるように放たれる。
切り裂く音とともに植物人間たちが悲鳴を上げ、細切れの蔦が宙を舞った。
嵐のような一瞬の後、室内は静寂に包まれる。
――しかし、倒れた植物人間の中から、低い唸り声のような音が響いた。
床一面の蔦が震え、断ち切られた茎や腕が互いに絡み合い、ぐずぐずと蠢く。それらがまるで溶け合うように融合し、中央に黒々とした塊が膨れ上がった。
「……あれ、何?」
姫魅の声が震える。
塊の表面がぱっくりと裂け、粘液を滴らせながら巨大な“蕾”を形成していく。
「進化……してるのか」
ネルが呟いた瞬間、蕾が開いた。
中から現れたのは、蔦と骨のような茎で構成された巨体――人の顔を模した花だった。花弁が軋むたび、金属のような悲鳴が響く。
「やばっ……!」
蛍が思わず後ずさる。
その“花”が息を吸い込むように開き、次の瞬間、無数の針状の種子を雨のように撒き散らした。
「伏せろ!」
ネルがムレータを翻し、紅布が空気を裂いた。
布が揺れるたび、周囲の空気が陽炎のように揺らぎ、種子は己を見失ったかのように方向を変えた。
ネルはその隙を逃さず、床を蹴った。
脚が風をまとい唸りを上げ、巨花の茎を切り裂く――が、裂けた部分から瞬く間に新しい蔦が生え、彼の腕を絡め取った。
「チッ、再生速度が速い!」
「ネル!動かないで!」
姫魅がネルに向かって両手を突き出すと、青白く輝く魔法陣が現れる。そこに並んだ羽の刃はネルを避けて降り注ぎ、ネルの腕に絡みつく蔦を切り刻んだ。
「傍観者ってのがいっちばん許せないのよね!」
蛍は演習室の倉庫から木刀を手にすると、花の中心に突き刺した。一瞬、悲鳴をあげた花はすぐに不気味な笑い声で振動を放ち、蛍たちの鼓膜を痛いくらいに揺らした。
「木刀を…食べた?!」
ネルの言葉に、蛍の顔がサッと蒼ざめる。
花が甲高い雄叫びをあげて、蔦が一斉に天井へと伸びた。 蛍の頭上で蛍光灯が砕け散り、ガラス片とともに蔓が降り注ぐ。
「蛍ちゃん!」
ネルが布を放り投げ、蛍を抱き寄せて転がる。ムレータが宙を舞い、ネルの足元で魔法陣が光を放つ。
「刻みがダメなら…ペーストにしてやる!」
魔法陣の縁から風が巻き起こり、複雑に渦巻いて蔦を見る影もないほどに裂いていく。
「……やったか?」
ネルが息を吐く。蛍と姫魅も辺りを見回し、ようやく安堵の色を浮かべた。
「さすがネル。同じ魔法とは思えないや」
「ネルさん、すっごい!」
蛍は歓声を上げ、ネルの腕にしがみついた。
姫魅もほっと笑みをこぼし、足元に転がる植物の残骸へと視線を落とす。
――その時だった。
「うわあっ!」
残骸が脈打った。
断ち切られた蔦が蠢き、肉が芽吹くように再生していく。
見る間に、すべての欠片が新たな植物人間へと変貌した。
(ふ、増えた……?!)
室内が再び緑に覆われる。
蔦が壁を這い、床を満たし、空気さえ締めつけていく。
もはや、手のつけようがないほどに――。
姫魅の足元に転がっていた小さな切れ端も、ひとつの“命”へと変わっていった。
「姫魅!!」
ネルと蛍の悲鳴が重なった。
青ざめた姫魅の前で、植物人間がゆっくりと腕を振り上げる。その影が姫魅の視界を覆い、時間が引き延ばされたように思えた。
「目を閉じろ!」
雷鳴のように響く声が空気を裂いた。
次の瞬間――バチバチッ、と耳をつんざく電撃音。白光が爆ぜ、室内のすべてを瞬時に照らし出す。まぶしさに思わず蛍は瞼を閉じた。
息をのむ間もなく、焦げた匂いが鼻を刺す。
おそるおそる目を開けた蛍の前に広がっていたのは、黒炭と化した植物人間たちの姿。そして――そこにいたはずの姫魅の姿は、どこにもなかった。




