第6歯 レッテル貼りとは、自分への目潰し
維千と蛍は大食堂で昼食を済ませると、下顎棟の施設を扉越しにザッと見て周り、8番と呼ばれる学生寮に向かった。
ジョニー魔法学校の寮はひとつの建物内に女子寮と男子寮が存在する。
玄関を入ってすぐは吹き抜けのラウンジで、左手に進めば女子寮、右手に進めば男子寮、正面に進めば男女共用の談話室に続いていた。それぞれ1階が共用スペースとなっており、キッチン、洗濯室、シャワー室、トイレが備えられているようだ。
(洗濯室、シャワー、トイレを他人と共用ですって?しかも仕切られているとはいえ、見知らぬ男子と同じ屋根の下なんて)
蛍はぞわぞわと鳥肌が立てたが、背に腹は変えられぬ。流浪生活にすら慣れたのだから、いずれ気にならなくなるだろう。
(人間らしい生活ができるんだから、文句は言えないわ)
辞退したい気持ちを抑え込んで、蛍は維千の説明に耳を傾けた。
「寮の門限は20時ですが、管理人に連絡すれば遅くなっても問題ありません。外泊は事前に申請が必要です」
維千は玄関横に配置された受付の小窓を覗き込んで、手元の呼び鈴を鳴らした。
「共用スペースは24時間使用できます。訪問者がいるときは、こちらで受付を済ませてください。受付の奥は管理人室です。寮母さんがここに居住していますので、困ったことがあればいつでも相談してください」
維千は「おっかしいなあ」と小首を傾げて、再び呼び鈴を鳴らした。
少し間を置いて「はーい」と間延びした声がする。ミルクティーのようなベージュ色の髪を揺らして奥から駆けてきたのは、ポンパドールの若い女性だった。
「キール、お久しぶりです」
「い、維千…さん?!」
餡は耳まで真っ赤に染めてパパッと身なりを整えると、慌てた様子でラウンジに飛び出してきた。
「どうしてここに?」
「姫に手を差し伸べる騎士役をメロウさんから仰せつかりまして」
「それはそれは。維千さんにお似合いの役柄だね」
「本気で言っています?冗談ですよ、冗談。事務作業が苦手なおじいさんに、仕事を押しつけられただけです」
維千は両手をあげて苦笑したが、キールは本気だったらしく、ラセットブラウンの目をきらきらと輝かせている。維千は居心地悪そうに顔を逸らすと、騎士らしからぬ口ぶりで不満を垂れた。
「執事になってから、何でも屋のように扱われて気が滅入ります」
「日頃の行いが悪いからだよ」
キールが腹を抱えてケラケラ笑うと、維千は泣き笑いを浮かべて肩をすくめた。
「キール。急で申し訳ないのですが、空きがひと部屋あったでしょう。彼女に貸していただけませんか?」
「知っていると思うけど…寮の利用者は原則、ジョニー魔法学校の生徒だよ。その子、うちの生徒じゃないでしょ?」
キールは訝しげな表情で、蛍の頭の天辺から足のつま先までじろじろと見た。洗濯はされているものの、あちこち破れた外套は見窄らしく清潔感に欠け、その下からは擦り切れた異国の服が覗いている。医務室でシャワーは浴びてきたものの、髪は伸び放題で薮のようだ。
蛍はぎこちない動きで身なりを整え、笑顔を取り繕った。
「訳ありでして。校長には話を通しています」
「校長に話して、寮母の私には連絡なし?」
笑顔を崩さない維千と不安げな蛍を見比べて、キールはふうっと大きく息を吐いた。
「いいよ、維千さんの頼みじゃ断れない。わかっているから連絡しなかったんでしょ?」
「いえ。直接来たほうがあなたは断れないと思いまして」
「相変わらず、根性悪いね」
キールは呆れ果てた様子で維千にジト目を向けたが、維千があははと愉快に笑うと吊られてふふっと笑みをこぼした。
「彼女にとって不慣れな環境です。色々と助けてあげてください」
「蛍です。お世話になります」
蛍は深々と頭を下げて、恐る恐る目線をあげた。突然の訪問者に汚ならしい格好でイレギュラーな対応を迫られて…嫌な顔をされるかと思っていたが、キールに気にする様子はない。
「私は寮母のキール。あなたのお母さんだと思って、じゃんじゃん頼ってちょうだいね」
キールの屈託ない微笑みに、蛍はホッと胸を撫で下ろした。
「さて。あとは任せて、俺は帰ります」
「ええ?」
「ええ?!来たばかりじゃない」
不安に苛まれる蛍を差し置いて、キールは残念至極と言いたげな顔で不満をぶつけた。
「急な呼び出しだったもので、残してきた仕事があるんです。蛍ちゃんもずっと気を張っていて、お疲れでしょう。この後は自室で過ごしたり、気ままに校内を散策したりして、ゆっくりお休みしてください。生活に必要なものは明日以降、ティースで買い揃えましょう。御用のときはベルを鳴らしてくだ」
維千の言葉を遮って、キールがチリリンチリリンと騒がしくベルを鳴らす。維千がにっこり笑うと気温がぐっと下がって、蛍は外套を引き寄せた。
「キール、お静かに」
「さっむ!あはは。維千さん、怒ったね」
「おちょくらない」
「もっとゆっくりしていきなよ。最近、全然かまってくれないじゃん」
「もう子供じゃないんだから」
「大人とも思ってないくせに」
笑顔の維千とふて顔のキールがいがみ合う。蛍はふたりの姿に幼い頃の記憶を重ねて、クスクス笑った。だだをこねるキールと彼女を持て余す維千は、まるで遊び盛りの蛍と忙しくする愛華のようだ。
「ああ、それと」
維千がパチンと指を鳴らして、どこからか現れた紙袋を蛍に渡した。紙袋の表にはブランド名だろうか、『Be-lMo』と書かれている。チラッと中を覗くと洒落た衣類がいくつか入っていた。
「楊さんから」
「楊さん?」
「維持軍のお色気おば…」
維千は何かを思い浮かべて苦笑すると、コホンッと咳払いをして仕切り直した。
「紫巳隊の隊長です。あの人は世話焼きだから、いつかお会いすると思いますよ」
「はあ…」
顔も知らない人物にまで親切にされて、蛍は戸惑いを隠せない。
「売店や食堂を利用したいときは、これを使ってください。上限まで入金しているので、足りなくなることはないと思います」
手渡されたのは右上にSASHIBAと印字された1枚の白いカードだ。
「あの」
「なんでしょう?」
「みなさん、どうしてそこまでしてくれるんですか」
「んー?酒が飲みたいから」
それは維千の話だ。不純だが明白でぶれがない、信用に足る理由である。しかし…
「チェンさんやサラさん、イルカさんに浦島さん…楊さんは会ったこともないのに」
「みんな、狂っているんですよ」
「こらっ!」
維千の清々しい笑顔を引っ叩こうと、キールが手を振り上げる。維千はサッと身を屈めて、彼女の平手を軽々と交わした。
「あはは、残念でしたね」
「むっかつく」
「それでは失礼します。キール、またね」
キールの頭をぽんぽんと軽く叩いて、維千はスッと姿を消した。
「子供じゃないって言うんなら、大人の扱いしてよね」
維千が立っていたところをじっと見つめ、キールは寂しげに呟いた。彼女はふうっと息を吐いて天井を仰ぐと、何かを振り切るようにくるっと体の向きを変え、女子寮に続く階段を数段かけ上がった。
「このまま部屋に案内するね。旧寮にはテックがないから、魔法を使うか自分の足で登るしかなくて」
「テック?」
「テックを知らない?乗り物だよ。臼歯の形をした椅子が、ぷかぷか浮いて高いところに運んでくれるの」
「また歯…」
顎といい、SASHIBAもとい差し歯といい、テックといい…これだけ歯のモチーフを多用するジョニー校長とは一体どんな人物なのだろう。
ぜひともその歯…ではなく、その顔を見てみたい。
「ごめんなさい。私、魔法が使えなくて」
「それじゃあ、ひと汗流そっか」
キールはガッツポーズを決めてふんっと鼻息を荒くすると、階段の先に目を向けて意気込んだ。
「維持軍のみんなはね、傷みを知っているから。だから、苦しんでいる人がいると、優しくせずにはいられないの。酒のためとか言っているけど、維千さんもそう」
先を行くキールの声は明るく弾んで、どこか誇らしげにも聞こえる。彼女はきっと維持軍のみんなや維千のことが大好きなのだろう。
「そう…だよね?いや、維千さんに限っては…ううん、そんなことない」
しばらくするとキールの表情は雲行きが怪しくなり、彼女は維千の笑顔を思い浮かべて疑心暗鬼に陥るのだった。
「キールさんと維千さんは、どういう関係なんですか?」
最上階を目前にして、蛍は息絶え絶えにキールに尋ねた。
「私はね、維千さんに助けられたんだ。赤っ鼻になるくらい寒い雪の日だった。当時まだ銀戌隊の隊長だった彼が、悪い奴らから私を救い出してくれたの」
キールは階段を上り切ると、深呼吸をして乱れた息を整えた。
「蛍ちゃん、サンタクロースは知ってる?」
「子供たちにプレゼントを配る?」
「うん。私にとって、維千さんは青いサンタクロースなんだ。あの人はきっと、私を拾い物くらいにしか思ってないけどね」
「サンタクロース?拾い物?」
「そう、サンタクロースと拾い物」
蛍の言葉を繰り返して、キールは苦々しく笑った。
「維千さんは色んなものを私にくれた。名前も彼がつけてくれたんだよ。酒の名前をつければ、愛着が湧くかな?ってさ。彼らしいでしょう?」
「いくらお酒が好きだからって…」
「いいの、私はこの名前が好き。あの人なりに精一杯、愛情を持とうとしたんだよ。それはきっと、彼にとって難しいことだから」
キールは跳ねるような足取りで廊下に出ると、窓から射し込む柔らかな陽射しの中をまっすぐ進んでいく。
「維千さんは冷酷非情だとか、冷凍人間とか、散々言われているけど。散々言われるから、本人もそうだと思い込んでいるだけで…本当は温かい人だよ。みんなが彼を強いって言うけど、本当はとっても弱い人。あの人、笑うことと怒ることしかできないんだから」
キールはふいにハッとして、「あちゃー」と顔を両手で覆った。
「喋りすぎた…維千さんには黙ってて」
「どうして?すてきなお話じゃないですか」
「あの人、自分の話はするのもされるのも好きじゃないんだ。本気で怒られる。雪冷えキールになる。いっそ冷凍される」
キールは青ざめた顔でぶるると身震いした。
「維千さん、本気で怒ると恐いんだよ。怒れば怒るほど笑うし」
「寒くなる?」
「寒くなる!」
ふたりの声がぴったり重なって、目と目がパチンとあう。蛍は口元に手を添えて、キールは維千のように腹を抱えて、クスクスと笑った。
「維千さんは表情のコマンドが基本的に『笑う』しかない」
「泣いたりしないんですか?」
「しないしない。あ、でも…どんな顔をしていいかわからないときは、すっごい冷たい顔をする」
蛍は氷のような能面顔を思い出した。あれは怒っていたのではなく、どうやら反応に困っていたらしい。
(困惑…?もしかして、照れ?うーん…気難しい)
「さあ、着いたよ」
キールは最奥の部屋の前で足を止めると、腰にぶら下がった鍵の束からひとつ取り外した鍵で開錠し、年季の入ったドアをゆっくりと開けた。
「新寮は魔力認証なんだけど、ここは古くて。煩わしいと思うけど、鍵はなくさないように持ち歩いてね」
差し出された鍵には小ぶりのキーホルダーがついている。酒を抱えて酔っ払っているカッパの幸せに満ちた顔に、蛍は思わず笑ってしまった。
「お酒…もしかして、維千さんですか?」
「あの人は全く酔わないけどね。かわいいでしょ、私のお気に入り。蛍ちゃんのお気に入りが見つかるまで貸してあげる」
「ありがとうございます」
キールから鍵を受け取って、蛍は期待と不安に胸を膨らませた。部屋にそっと踏み入れると、正面の大きな窓がパッと目に飛び込んでくる。
そこにはどこまでも続く青い空や演習場を囲うように植えられた草花の景色が、窓枠を額縁にして美しく広がっていた。
「すてき」
「でしょう?この部屋、共用スペースから遠くて不便だから不人気なんだけど…景色がいいんだよね。私のイチオシ」
キールは紙袋の中身を開けて、手際良くクローゼットに収めていく。
「寮の決まり事は…」
「維千さんから聞きました」
「なら、大丈夫かな。わからないことがあったら、いつでも管理人室においで」
「ありがとうございます」
「それじゃ、すてきな寮生活を!」
最後に窓の景色を眺めてから、キールは朗らかに手を振って部屋を出ていった。
ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃれば、本当にありがとうございます。
作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何より幸せなことでしょう。
いつの間にか第6歯となりました。書きながら思う…主人公、誰?登場人物、多くない?
大丈夫、みんな活躍します。みんなが主役ですから。
引き続き、のんびり気ままに書いていきます。
拙い文章ですが、おつき合い頂ければ作者、登場人物ともに幸いです。