第59歯 愛は求めるものではなく、与えるもの
死んでしまったかつての私が、今の私を見たらどう思うだろうか。いつも虚な表情を浮かべていたかつての私はベランダの朝顔に水をやるときだけは、暗く硬い表情をホッと和らげていた。
かつての私がこぼす言葉はどれも孤独感に溢れていたけれど、私は繊細な彼女が大好きだった。
幸せになって欲しいと心から願っていたのに、かつての私はどうして不幸という形でその命を終わらせてしまったのか。
頭が潰れ、皮膚が裂け、真っ白な骨が飛び出した遺体と同じく、私は心が押し潰され張り裂ける思いがした。
(もう3年が経つんですね)
もう2度と未来を歩めないかつての私のために、私は彼女が望んでいた未来を作ろうと思った。
彼女は知らなかったようだが、ひと所に止まろうともほんの小さなきっかけで生きる世界は変わるものである。彼女が語りかけてくれる度に、私の世界が広がっていたように。
(何だか、彼女の未来を横取りしたみたいで申し訳ないです)
一般学校の卒業を機に独り暮らしを始め、人間特有の医療という術に興味を持ち、思い切って平和維持軍白兎隊に入隊したのは3年前だ。
魔法も医療も使えず、貢献心だけが先走っていた私をチェン隊長はぶっきらぼうに迎え入れ、私のペースを保って学べるよう助手として医務室に置いてくれた。
(ひと使いが荒いのは困り物ですけど)
忙しくとも充実した日々。この生活に不満があるとすれば、たったひとつだけ。
(そばにいるだけで幸せだと思っていたのに…)
かつての私が温かく切ない目で見つめていた濡烏の少年は、今も手の届く距離にいながら夜空に輝くどの星よりも遥か遠くの存在だ。
私はそれでいいと思っていたのに、いざそばに身を置くと、遠くから焦がれているよりずっと胸が軋むのだった。
「なあなあ、朝顔。腹減ったー」
朝顔がぼんやり空を眺めていると突然、太陽のような金髪が彼女の視界に飛び込んできた。
「もうっ!慰鶴くんったら。講義が始まっちゃいますよ?」
「んー」
「今日からジョニ校生なんでしょう?早く教室に行かないと」
「んんー」
朝顔がせっつくたびに、慰鶴は眉間の皺を深くした。
「腹が減っては何もできぬってな!」
「戦はできぬ、ですよ」
「腹が減ったら戦どころじゃねーってのぉ」
慰鶴が腹に手をやり情けない顔をするので、朝顔は肩を揺らしてクスクス笑った。
「待ってくださいね。確か、チェンさんがここにお菓子を隠して…」
朝顔が診察室のデスクを開け閉めしていると、彼女の細い手首を慰鶴の骨張った大きな手がガシッと掴んだ。
「朝顔がいい」
「へ?」
朝顔の目が点になって、静まり返った医務室にカチコチと秒針の音が響く。
「へええええ?!」
秒針が10歩ほど進んで、朝顔はポンッと天然パーマを爆発させると顔を真っ赤に熱らせた。
「ええっと…ええっと…」
「朝顔が淹れるココアがいい」
「あっ…そ、そうですよね!ココアですよね!もうっ!私ったら、変な勘違いを…」
「勘違い?」
「な、なんでもないですっ!コ、ココア!今、淹れますね」
「あんがとー」
あたふたと炊事室に向かう朝顔を慰鶴は短い前髪をいじりながら伏目がちになって見送った。
「あの。いつも嬉しいですけど…私のココアで本当にいいんですか?」
「んー?朝顔のがいいんだよ」
慰鶴は天井を仰いで目を閉じると、炊事室から聞こえてくる音にじっと耳を澄ませた。
(食器のぶつかる音、ココアの缶を開ける音、パタパタと小鳥が跳ねるような足音、朝顔の風鈴のような声…どれも耳に心地いい)
慰鶴の他人より鋭い聴覚に、教室や人混みのざわめきは騒がしすぎる。視覚や嗅覚もそれと同じで、一斉に飛び込んでくる刺激は慰鶴をひどく混乱させ疲弊させた。
(こうしている時間が好きだ)
畑仕事を手伝うときのように何かに集中しているわけでもないのに、この小さな医務室は不思議と心が休まる。
(穏やかな静けさと白で揃えた景色、鼻をつく消毒の匂い…それと…)
炊事室から甘い香りが漂ってくると、慰鶴はそっと薄目を開けた。
「最初に温めたミルクをちょっとだけ注いで、ココアを練っておくんです。そうすると口当たりがよくなるんですよ」
朝顔は練ったココアに温かいミルクを少しと冷たいミルクをたっぷり流し込んで、満足げに微笑んでいる。
「慰鶴くんは維千さんのココアを飲み慣れているから、お口にあうかいつも心配で。市販のものでもおいしく作れるように勉強したんです!…維千さんには敵いませんけど」
はにかむ朝顔に慰鶴は苦々しく笑い返した。
「維千さんの凝り性は度を超えてるぞ。あの人のココアは確かにうまいけど、俺は朝顔のココアが好きだぜ?」
「嬉しいです!ありがとうございま…きゃっ!」
「どーした?」
「あわわ…入れすぎちゃいました」
「だと思った」
朝顔が両手で包むようにしてマグカップを持ち、カップの底を1cmほど浮かせてみる。わずかな傾きにココアが溢れそうになって、朝顔はそのまま身動きが取れなくなってしまった。
(あわわわわ…どうしよう。ちょっとでも動いたら溢れちゃいます)
「あはは、すっげーなみなみ!溢さないで入れたのが逆にすげーよ」
いつの間に立っていたのか、慰鶴は朝顔の背後から逞しい腕を伸ばすと、彼女の小さな手を包むようにして両手でマグカップを支えた。
「い、慰鶴くん?」
慰鶴は前傾姿勢になるとそのままマグカップの縁に口をつけ、ズズズとココアの表面を啜った。
「ほら、やっぱり好きだ」
慰鶴が朝顔を振り向いて、ニカッと無邪気に笑う。
「あの…慰鶴くん…?」
ココアの量がマグカップの半分以下になっても、朝顔の視線の先でふたりの手は重なり合ったままだ。
「離さねーよ?」
「へっ?えええっ?!」
慰鶴の不敵な笑みに、朝顔がドキッとする。朝顔の照れゲージはギュンっと振り切れて、彼女は顔から火を噴くとふわふわの天然パーマをポンッと爆発させた。
「あっはは!朝顔、プニャさんみたいだぞ」
「もーっ!大人をからかわないでください」
朝顔は頬をぷうっと膨らまし抗議したが、慰鶴はそんな事などお構いなしに彼女の髪をふわふわ撫でて笑っている。
「朝顔、うまそーだな。食っていい?」
「そんなの、ダメに決まってるじゃないですか!」
「あっはは!だってこれ、わたあめだぞー?」
「わたあめじゃないです!」
朝顔は本気で怒っているのだが、彼女の顔周りにふわふわと小花が舞って、見ているほうは何とも微笑ましくなる。
「んー、食べたい」
「ダメですぅ!」
慰鶴はそっぽを向いて困ったふうに頭を掻くと、持ち味のタレ目をますます垂れ下げて笑った。
「それじゃ、ココア。おかわりな!」
「もーっ!」
推定16歳。朝顔より5つ歳下の彼は年不相応に普段は子供っぽく、年不相応に時折大人びた顔をする。
どちらも慰鶴に違いないのだが、相反するふたつの顔はいつも朝顔を翻弄した。
「どうぞ」
「あんがと」
朝顔がココアのおかわりを手渡すと、慰鶴はニッと八重歯を覗かせて彼女の頭をくしゃくしゃに撫で回した。
(私のほうがお姉さんなのに…とってもとっても不甲斐ないです)
朝顔はそっと頭に手をやり、泣き笑いを浮かべるとしゅんっと肩を落とした。
(これではいけません。今の私には抱きしめる手も駆けつける足も伝える言葉もあるんですから。もっともっとがんばらなくちゃ、です)
朝顔が慰鶴に初めて会ったのは1年前のことである。学校の医務室ではまず目にすることのない大怪我を負いながら、彼は生き生きとした表情を浮かべ、それでいて光のない目をしていた。
(人間への諦め…この人、笑っているのに笑ってない)
慰鶴の無垢な笑顔はむしろ、他人を切り捨てる刃物のように思えた。朝顔の動揺を察してか、チェンは彼女をすぐさま治療から外すと「彼に深入りするな」と釘を刺した。
(チェンさんはひどいです。ケアの知識を持つ私たちが見放したら、慰鶴くんの心はひとりぼっちになっちゃいます)
実際、朝顔の一生懸命な働きがけで、慰鶴は彼女に少しずつ打ち解けた話をするようになっていた。
「なーあ?朝顔。テージセイガッコウってのは卒業したんだろ?看護師さんのテストは受けるのか?」
「はい。とはいえ、私ではチェンさんを納得させて、実務証明書を書いてもらえるかどうか」
「んなの、書かせりゃいいんだよ。書かせりゃ」
慰鶴がポケットからロケットランチャーの形をしたマスコットを取り出すと、朝顔は顔面を蒼白にして狼狽えた。
「あわわわ、お気持ちは嬉しいですが、平和がいちばんです!」
「えー?俺、朝顔が看護師さんなら病院行くぜ?」
「あわわ、それは責任重大です。試験、頑張りますね」
「んっ!」
慰鶴はマスコットをポケットにしまいこむと、両手の親指を立ててニカッと笑った。
「慰鶴くんは?課題は終わりそうです.…あ、終わらないですか」
慰鶴がサッと白目を剥いたので、朝顔は彼が置かれた状況のすべてを察した。
「母ちゃんが食いもん以外で探してこいって…んなの、ムリだっての!」
「課題って…好きなものの写真を集める、でしたよね?」
「そだよー」
「本当にスイーツしかないですか?趣味とかスポーツとかイベントとか…」
「ねーことはねーけど」
慰鶴は朝顔の柔らかい微笑みからそっと視線を外し、ポケットに手を触れるとがっくしと意気消沈した。
「このままじゃ、母ちゃんに殺される」
ふいにバンッと医務室のドアが開いて、慰鶴は背中に鉄パイプでも突っ込まれたかのように背筋をピンっと伸ばした。
「コッラァ!慰鶴!」
「ゲッ!?蛍!じゃねえ、ところてん!」
「逆よ!」
「んてろこと?」
「ちっがーう!」
蛍は医務室にズカズカと入るなり、慰鶴の耳をギュッと摘んで引きずった。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「それはこっちの台詞よ!」
「お昼休みになったから、迎えにきたんだよ」
蛍の後ろからひょっこり顔を出した姫魅は、蛍の気迫に畏怖して茹でたもやしよりも色のない顔をしている。
「おバカなこと言ってないで、さっさと教室に行くわよ!?」
「いだだだだ!いだい!やめろよ、かーちゃん」
「誰がかーちゃんよ!あたしはほ、た、る!いくら鶏頭でも、チームメイトの名前くらいその砂糖漬けの脳みそに刻んでおきなさい」
「俺は鶏じゃない、ツルだっての!」
「おだまり!」
廊下の向こうにズルズルと引きずられていく慰鶴を朝顔がポカンと棒立ちになって見送る。
「お、お騒がせしましたぁー…」
姫魅が気弱な声で平謝りし、スススっと扉を閉める。彼はパタンと扉を閉め切ると、蛍の元へタタッと駆けていった。
しばらくして、扉越しに騒々しくも和気あいあいとした声が聞こえてくる。
(姫魅くん、蛍ちゃんと仲良しなんですね)
静まり返った医務室にぽつんと取り残された朝顔は、うっと吐き気が込み上げて両手で口を覆った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!٩( 'ω' )و
創作仲間や読者さんから元気をもらい、ついに60歯目前となりました!
支えてくださった方々、本当にありがとうございます。
とある星物語…ストーリーは単純なのですが、人間関係が複雑でして。
まだまだ先は長いです…最後まで書けるかな?( ;´Д`)
拙い文章でも何とか形にはしたいと思います。
ペースダウンしておりますが、漫画版にあわせて最初から読み返すチャンスと捉えていただければ…_(:3 」∠)_
何の気なしに読んで、読んでいる間は話のバカバカしさに嫌なことを忘れて、読み終わったら心がちょっと軽くなっている…そんな物語にしていきたいです。




