第57歯 子を想う親は無敵
恋する少女の頬さながらに空が赤く染まる夕暮れ時。蛍は寮の自室で「大好き」が詰まったノートをぼんやりと眺めていた。
「あ。チェンさんと朝顔さん」
蛍はふとノートのどこにも2人の姿がないことに気付き、ペラペラとページを捲る手を止めた。
チェンは蛍がとある国にたどり着いた日からずっと世話になっているし、いつも穏やかに笑いかけてくれる朝顔が蛍は大好きだ。ふたりの写真はこのノートに欠かせない。
「次に会ったらお願いしよう」
チェンは快く応じてくれるだろうか。気だるそうにするチェンを朝顔が小花を散らしながらせっつく様子がすぐに浮かび、蛍はクスクスと笑った。
「仲良しといえば、サラさんと咲蘭さんだけど…いつの間にあんな…」
こちらのふたりは仲良しというより、恋心を抑えられない咲蘭の一方通行のように思える。しかしサラも拒まないのだから、きっと悪い気はしていないのだろう。
「サラさんは咲蘭さんのこと、どう思っているのかしら?」
三つ編みを切ってしまったサラはどうにもこうにも感情が読みにくい。
高身長の咲蘭と低身長のサラでは姉弟に間違われそうな気もするが、美男美女のふたりは側から見ればお似合いのカップルに思えた。
「もーっ!」
蛍はベッドにバフッと飛び込み、下世話な笑みを浮かべてキュピーンッと目を光らせた。
「私が恋のキューピッドになっちゃおうかしら?もうすぐ夏、ふたりを夏祭りに誘えばきっと…」
蛍が大人気恋愛小説「愛駆ける君に」で培った、果てなき妄想力を発揮する。
(浴衣姿で歩くサラさんと咲蘭さん…。咲蘭さんはきっとサラさんの手を無邪気に握るのよ。サラさんは照れ隠しに咲蘭さんから食べかけのりんご飴を奪い取って、そのまま食べちゃうの。動揺する咲蘭さんにサラさんは優しく微笑みかけ、彼女の首に腕を回し、顔をグッと引き寄せるわ!ふたりはそのまま…)
蛍の脳内でふたりの唇が重なる瞬間をキューピットの姿をした小さな蛍がパッと羽を広げて隠す。実に稚拙な妄想だが世間知らずの蛍は真剣だった。
「きゃー!」
ふわっふわの布団を力いっぱい抱きしめて、蛍はひとり黄色い歓声をあげた。
「恋…かあ。いいなあ、恋…」
自他共に認める面食いの自分はイケメンを見つける都度心きめくのだが、これは恋なのだろうか。もしそうだとしたら、サラの高速移動より早い自分の移り気に嫌気がさす。
そんなのは蛍が考える恋ではない。恐らく恋とは他が見えなくなる程にもっと真っ直ぐな気持ちだ。
「人を好きになるって、どんな気持ちかしら?恋されるってどんな気持ちかしら…私も恋してみたいわ」
『え。ちょっとそれはどうかな。蛍、相手はいるの?』
すぐに姫魅の呆れ顔が浮かんで、蛍は布団に顔を埋めるとげんなりした。
「いないわよ…」
布団から目だけを覗かせ見回した部屋はがらんとしていて、廊下から聞こえてくる賑やかな声が人恋しさを誘う。
「はあ…お兄様に会いたい」
自分が恋に憧れているのはただ、兄の代わりを探しているだけなのだろうか。蛍はいつもひとりになると、ふいにやってくる孤独と不安に押し潰されてしまいそうだった。
気を紛らわそうとノートに集めた大好きを振り返っても虚しさは増すばかりだ。
姫魅にも慰鶴にも家族がいるし、サラは隊長候補生になってから忙しくしている。そうでなくとも咲蘭に気を使ってしまい、これまでのようにサラと積極的に会うのははばかられた。
「って…何考えているのよ、私!祖国の存亡がかかっているというのに…恋にうつつを抜かしている暇はないでしょう?!」
混沌とする祖国からの亡命生活と平和維持軍に守られた平穏な生活。落差の激しいにふたつの世界に挟まれ、蛍は時々どちらが自分の日常なのかわからなくなった。
渇望する平和な世界がこんなにもすぐそばに実在しているのに、なぜ私たちはそれを手にすることが許されないのか。
胸が締め付けられる思いがして、蛍は祈るように母の形見の首飾りを握りしめた。
「きゃー!」
ふいに窓の外で黄色い歓声と金切り声が入り混じって湧き、蛍はすぐさま窓を開けて見下ろした。あろうことか、寮の最上階からでもわかる澄んだ青がそこでこちらをみあげているではないか。
「蛍ちゃん。お迎えにあがりましたよー」
「維千…さん?!」
急に愛想もなく立ち去ったかと思えば、急に派手な登場をしてくれる。維千を取り巻く人垣は白馬に乗った王子様を見たかのような、あるいは悪魔を目にしたかのような悲鳴をあげていた。
「ハハハ…」
青い死神と呼ばれる維千が「お迎えにあがる」だなんて言うと、些か不吉な意味に感じてしまう。
「あの人、自分が目立つことをもっと自覚したほうがいいわ」
蛍は呆れ笑いを浮かべると、駆け足で維千のもとに向かった。
維千に急かされ3分で支度を済ませた蛍が案内されたのは、インプラントの閑静な住宅地にある真新しい家だった。
「植物人間の目的が判明するまで、あなたを平和維持軍の隊長宅で保護させていただきます。ご不安かと思いますが、事件解決までご辛抱ください」
「寮にはサラさんがいるじゃない」
「サラくんは隊長候補生になってからというもの、昼夜問わず多忙を極めています。彼では不在にしている時間が長すぎますから。それに、寮が安全とは言い切れません。キールの一件がありましたし、寮内に内通者がいないとは言い切れませんので」
「それはいいけど…姫魅や慰鶴は?いっしょじゃないの?」
「おふたりに護衛は不要ですよ。姫魅くんはネルさんと生活していますし、慰鶴くんの母親はさながら修羅ですから」
「そ、そう…」
蛍は自分だけが特別扱いされているようで、何だか自分が不甲斐なくなった。
「イルカさんは女性隊長をつけるべきと粘り強く交渉したのですが…申し訳ありません」
「イルカさんが?」
「ええ。男性隊長では相談しにくいでしょうし、何かと不便でしょうから、と」
維千はつまらなそうに言ったが、そのじゃじゃ馬っぷりに異性からはあまり女性扱いされない蛍は、イルカの紳士的な態度に一瞬にしてハートを掴まれてしまった。
「はあ…イルカさんに守られて…そのまま結婚したいっ」
「飛躍しすぎですよ」
「えへへ。どっかの誰かさんと違って、イルカさんは気遣い上手で優しいんですもの。容姿がいくら綺麗でも心がなくっちゃ…ねえ?」
蛍は維千のほうをチラッと見やったが、他人の評価なんぞ気にしない彼は痛くも痒くもないようだ。
「イルカさんもイルカさんですよ。あの人に恋をしたら苦難は避けられないでしょうね」
「苦難?」
蛍はきょとんとして首を傾げた。それは恋のライバルが多いということだろうか。
「結婚ならぜひしてやってください。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
バカにしてくるだろうと踏んでいた維千に少し真剣な口ぶりで返されて、蛍は意表をつかれ呆けてしまった。
「…死人に未来はない、生者は過去に戻れないですから」
維千がスッと目を細める。サッと風が吹き抜けてサワサワと木の葉を揺らし、維千の呟きは蛍の耳に届かぬまま夕暮れの薄闇に消えてしまった。
「イルカさんと違い、うちのボス猿は細やかな配慮が不得手でして…結局、楊さんは植物人間の分析に、ナギさんは国家警察とのパイプ役に回されてしまいました」
「女性の隊長って、ふたりだけ?」
「はい。そもそも現役隊長というのが、新米の浦島くんとネルさんを含めてわずか9名ですから…あまり人手を割けないのが実情です」
それが果たして多いのか少ないのか、蛍には判りかねたが、維千は気苦労を感じさせるようなため息を吐いた。
「さて」
維千が家の呼び鈴を鳴らすと、中からきゃっきゃと子供の声が聞こえてドタバタと激しく走り回る音がした。
「本来、蛍ちゃんの保護担当は浦島くんなのですが…長きに渡り彼女がいない彼が渇望のあまり蛍ちゃんに手を出さないとは言い切れませんので」
「浦島さんが…?」
愛くるしい子犬のような浦島が狼に豹変する姿を想像して、蛍はぷはっと吹き出してしまった。失礼ながらドキドキや危機感は感じられず、残念なことにそのシュールな光景は違和感しかない。
「ないないないっ!浦島さんは絶対ないわ!それなら、維千さんのほうが…」
「俺が何か?」
維千が艶やかな髪を揺らし、蛍に流し目を送る。その目を見張る美しさに、蛍は思わず息を呑んだ。
もし維千が護衛だったなら、彼が無意識に垂れ流している誘惑に自分のほうが耐え切れるかわからない。
「維千さんって、恋人とかいないの?」
「生まれてこの方、ひとりもいませんよ。俺は色恋に興味はないですから」
維千は清々しい笑顔で言い切ったが、すぐに口元に手をやり考え込んだ。
「いえ、どうでしょう…もしかしたら…」
「へえっ?!なになに?今、なんて?!」
維千の予想外の呟きに、蛍がいやらしい笑いを浮かべて耳をダンボにしたその時だった。
「きゃはははっ」
「こら、エヴァ!待ちなさい!」
バンッと玄関の扉が開いて、2歳前後の女の子がパッと飛び出してきた。彼女は弾丸の勢いで維千の膝に飛び込むと、あっという間に彼の高い背を頂上までよじ登ってしまった。
「いーち!いーち!」
「エヴァさん。ご無沙汰しております」
「ごさぶたしてるですよぉ」
エヴァと呼ばれたその幼女は維千の冷ややかな能面顔に臆することなく、彼の雪のように冷たい頬を小さな手でペチペチと叩いている。
維千が今にもブチギレて雪崩でも起こしやしないかと蛍は気が気でなかったが、彼は意外にもされるがままになっていた。
「ちめたい!いち、ちんでる!」
「生きています」
「ちめたいから、ちんでる!」
「呼吸、心拍、そして瞳孔対光反射のすべてが確認できます。よって、俺は生きています」
「ど…どぉーこぉー?」
難しい単語が飛び出して、エヴァが目をまんまるにする。子供相手にも維千は相変わらずの事務対応っぷりで、蛍はすっかり呆れ果ててしまった。
「すまないね、維千くん」
ふいにダンディな声がして、玄関の扉枠いっぱいにモコモコと毛の塊が押し込まれる。ポンッと外に飛び出した毛玉は羊ニ頭分はあるだろうか。巨大バルーンのようなアフロには、星型のサングラスをかけたイカつい顔がちょこんとついていた。
「どっこいしょ」
ようやく現れたのは扉幅ギリギリの肩幅をした、筋骨ギュウギュウの肉体である。あまりの筋肉量に彼が着ている黒のTシャツはパッツパツで、今にもはち切れてしまいそうだ。
「こんにちは。君が蛍ちゃんだね?」
「そ…そうです…けど」
「僕はプニャ。植物人間の一件が落ち着くまで、僕が君を守ることになった」
「プニャ…さん?」
プニャはその柔らかな響きのある名前に似つかわしくない、ゴツゴツとした体格をしている。身長は維千より低いのだが、筋肉で肥大した身体はアフロを含めれば縦にも横にも維千より大きい。彼は深みのある声で穏やかに話したが、頬骨の張った彫りの深い強面に蛍は威圧されてしまった。
マッチョな彼はエヴァを両脇から抱えると、能面顔でいる維千からそっと降ろした。
「プニャさんは平和維持軍赤酉隊の隊長を務めています。しばらくの間、放課後以降の時間はこちらでお過ごしください。ここならば、1人になることはないですから」
「うんぬ。よろしくね、蛍ちゃん」
「よ…よろしくお願いします…」
プニャが差し出したグローブのように大きな手をおずおずと握り返して、蛍はぎこちなく笑い返した。
「ハハハ、そんなに緊張しないで。歓迎するよ。僕らの天使ちゃんは、お姉ちゃんができて大喜びなんだ」
「天使ちゃん…」
「エヴァはね、パパとママの天使ちゃん!」
蛍の目線の先でエヴァが天真爛漫な笑顔を見せる。なるほど。蛍は天使という生き物を見たことはなかったが、愛くるしい笑顔はそれに抱くイメージとぴったり合致した。
「驚くのはまだ早いよ。うちの妻はまさに美と癒しの女神なんだ。さあ、入って入って」
「俺は結構です」
プニャが伸ばした手をサッと交わして、維千はそそくさと踵を返した。
「プニャさんは日中、隊長の任務があります。学校までの送迎や外出先での護衛は俺が務めます。何かございましたらジョニックスでご連絡を。それでは」
最低限の事務連絡を早口で済ませ、その場をさっさと立ち去ろうとする維千の膝に、小さな腕がぎゅっとしがみついた。
「いち、かえる?」
「帰ります」
「かえらない」
「帰ります」
「うう〜」
維千が淡々と答えると、エヴァはくりくりの目に大粒の涙を浮かべた。
「いやあああああ!いーちー!いーちがいーいっ!いちがいーい!いち、かえらないいいいいいいいい!」
維千は絶叫するエヴァを引き剥がそうとしたが、小さな身体のどこにそんな力があるのか、彼女はガッシリとしがみついて離れない。そうこうしているうちにプニャの丸太のような腕が、維千の身体をしっかり捕縛した。
「せっかく来たんだ。維千くんも妻の手料理を食べて行かないかい?」
「遠慮します」
「他人の親切は何でも有り難くもらっておきなさいって、おばあちゃんが言っていたよ」
「親切と押しつけは似て非なるものです」
「そうか、そうか。妻も喜ぶよ」
プニャは星型のサングラスをギラッと光らせ頷くと、うんざりした表情の維千をそのまま家に引き摺り込んでしまった。
「最強の男が…なす術なく…」
「きゃははっ!いーち!いーち!」
エヴァは維千の引き留めに成功して欣喜雀躍している。ああ、きっと子を想う親こそ最強なのかもしれない。
「おねーちゃんも!」
「あっ!待って!」
エヴァはぽかんと立ち尽くす蛍の手を引いて、温かな光が漏れる玄関へと駆け込んだ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます٩( 'ω' )و
プニャさんは度を超えた愛妻家で良きパパでおばあちゃんっ子です。
家族がいないまたは離れて暮らしているキャラが多いんで、数少ない家庭的なキャラ(*´Д`*)




