第54歯 何事もまずは知らないことを知ることから
自分の癖っ毛が嫌いだ。
雨が少しでも降ると丸まってしまう様子が自分によく似ていて、見るに耐えない。理想の形を知りながら変わることができないところも自分にそっくりだった。
他人は「元気いっぱいに跳ねた毛先が、ふわふわして可愛らしい」なんて言うが、そんなのは癖っ毛を知らないから言えることだ。
(そんなのは私じゃない)
私はどちらかと言えば陰気な性格だし、他人を僻んで思わず言葉がきつくなることだってある。癖っ毛が作る雰囲気とはまるで真逆の人間だった。
私は嫌な奴だ。私は私が大嫌いだ。
「…疲れた」
両親は仕事が忙しく、今夜も家には誰もいない。彼らはきっと私がいじめられていることにも、こうしてベランダの手すりに座っていることにも気が付かず、今この時も無機質な画面と睨めっこしているのだろう。
両親は数値化された私を見て、私を評価する。成績が平均を下回ったり、理解できない趣味があったりすればすぐに否定し、世間体にあわせて私を矯正しようとする。彼らが育てたいのは他者から評価される人間であって、幸せな私ではない。
「…もういいよね」
クラスメイトはいじめに対して我関せずだ。きっと私が死んでからまるで親友だったかのように涙を流し、優しい子を演じるのだろう。
いちばんの加害者が自分自身であったことにも気づかずに。
「終わりにしよう」
信用できる大人なんかいない。大人こそ、自分の身を守ることに必死だからだ。それを自覚していないからか、彼らは子供相手とたかを括って、マニュアル通りの回答であれやこれやを誤魔化し、面倒ごとをやり過ごそうとする。
子供に苦労を押し付けて、大人は楽がしたいのだ。
「ひとりぼっち。それがいちばん幸せなのかもしれないね」
社会の狂った歯車に無理にはまろうとして自分を壊すくらいなら、いっそ真っ直ぐな自分のままで終わりを迎えたい。
これですべて終わるのだと考えたら、不思議と心が軽くなって笑みが溢れた。
「さようなら」
目の前に広がる世界の、果たして何人が私に気付くだろうか。私がいなくなったところで、世界はきっと何食わぬ顔で回り続けるのだろう。
私は手摺の上に立ち、明るい夜景に身を投げた。ガタッと鈍い音がして、ベランダで育てていた朝顔もいっしょになって落ちていく。
(あ。冷房切るの、忘れてた)
そんなことはもうどうだっていいのに。小さな日常にひどく後悔して、私の人生は幕を閉じた。
(ふわあ〜…姫魅くんの髪、サラサラです)
朝顔はとろけた顔で姫魅の頭にぐるぐると包帯を巻き続けている。彼女の手に触れる濡羽色の髪は、まっすぐでいて柔らかい猫っ毛をしていた。
「朝顔さん?」
「はっ!す、すみません!私ったら…」
朝顔は姫魅から離れると気恥ずかしそうにもじもじした。
(学校がお休みの日に、姫魅くんに会えるだなんて…)
朝顔は自分の手のひらと姫魅を見比べてポッと頬を赤らめると、顔の周りにふわふわと小花を散らした。
(そ、それどころか!今日は姫魅くんとお話しして、姫魅くんの髪に触れて…とってもとっても幸せです!)
(朝顔さん。何だか幸せそうだなあ。僕も心がぽかぽかしてくるや)
たんこぶを冷やしに来ただけなのに何重にも包帯を巻かれ、ふわふわした微笑みを浮かべる姫魅の頭はまるで巨大な怪鳥の卵である。
(何か…あそこだけ、マイナスイオンが出ているわ)
先程から朝顔と姫魅はふわふわほわほわした得体の知れない何かを放出し続けている。蛍は控えめに苦笑いを浮かべたが、慰鶴は遠慮なしに面白くない顔をした。
「朝顔さん。丁寧に治療していただいて、ありがとうございます」
厳重な包帯の理由は丁寧さというより、朝顔がぼんやりしていたからなのだが…姫魅は嬉しそうにしている。
(維千さんって意外と優しいんだなあ。来てよかった)
姫魅は維千への恐怖心もあり「ただのたんこぶだから」と遠慮したのだが、維千は平和維持軍本部への報告ついでだからと姫魅たちをここに連れてきてくれた。
病院が軒並み休診している休日でも、チェンの住居と化しているジョニー魔法学校の医務室は半開業状態で快くとはいかないが対応してくれた。
「と、とんでもないです!またいつでも来てくださいね…って、また来ちゃいけませんよね!私ったら…すみません」
「あはは。今度は患者じゃなくて、差し入れに来ますね」
「わあ、ありがとうございます」
「えへへ、こちらこそ」
姫魅はぺこりと頭を下げようとしたが、頭の重みでふらふらと足元がおぼついてしまった。
「あはは」
頭をこんな風にされても、姫魅は穏やかに笑っている。彼は見ているほうが少し心配になるくらいのお人好しなのだ。
「うわあ!メレンゲクッキーみてーな!朝顔!俺も俺も!」
「あんたは無傷でしょーが」
蛍は白けた目で慰鶴を見たが、彼は気にも留めていない。
「ああ、そう言えば!慰鶴くんのマリーゴールド、また花が咲きましたよ」
「おおーっ!マジか!?」
慰鶴はパアァッと目を輝かせ、開け放った窓から身を乗り出した。
ウィンドボックスに植えられた黄色のマリーゴールドは、小さな太陽のように力強く咲き誇っている。
慰鶴はポケットからカメラを取り出すと、構図にあれこれ悩んでからマリーゴールドを写真に収めた。
「慰鶴。あんた、花が好きなの?」
「ん?んんー」
うきうきした表情の割に、慰鶴の返事は歯切れが悪い。
「こいつら弱っちそうでいて、すっげー強いからさ」
慰鶴はぽつりと呟いて、カメラから出てきた写真を黙々とノートに貼り付けた。
「慰鶴くんそっくりですよね!小さな太陽みたい。マリーゴールドの花言葉は逆境を乗り越えて生きる…私も大好きな花なんです」
朝顔は指先をあわせ、屈託ない笑顔を浮かべている。朝顔はともかく、慰鶴なんかは協調性なんぞ微塵も持ち合わせていないと思っていたから、蛍も姫魅も何やら親しげなふたりに唖然とした。
「あの…おふたりはどういったご関係ですか?」
姫魅が問いかけても、慰鶴はこちらに背を向けて話す気はさらさらないようだ。蛍と姫魅はくるっと朝顔を振り返り、わくわくと期待の目を向けた。
「ええっと…」
朝顔は躊躇いがちに慰鶴を見たが、彼が止める様子はない。朝顔はホッと安堵して、穏やかな調子で話し始めた。
「慰鶴くんは筋金入りの病院嫌いなんです。お母様との特訓で怪我をされた時は、よく医務室にいらっしゃるんですよ」
「そ、そう…お母様の特訓で…」
慰鶴はなにか激しいスポーツでも習っているのだろうか。蛍も次兄から槍術を習っていたが、慰鶴の人間離れした身体能力を超える特訓となると想像し難かった。
「あれ?だけど、ジョニ校生じゃない慰鶴くんがどうして医務室に?」
姫魅が不思議そうに首を傾げると、診察室のカーテンがシャッと開いた。
「お祖父様が校長だからと言って、公私混同するのは辞めたまえよ」
「ええっ?!慰鶴くんのお祖父さんってもしかして…」
ジョニー魔法学校の校長といえば、星中に名の知れた大魔法使いジョニーのはずだが…。
「そのもしかして、だよ。まったく…部外者は大人しく、病院に行きなさい」
「ぜってー嫌だね!医者なんか偉ぶってばかりで、金のことしか考えてねーもん」
「私も医者なんだがね?」
チェンが空の注射器を顔の横に構え、メガネをギラッと光らせる。どこをどう間違えていたのか、慰鶴は初耳といった様子で目を点にした。
「チェンさんはマッドサイエンティストだって、維千さんが…」
「それ、尚更よくないわよ?!それっぽいけど」
「というか、それ。仕事じゃないよ?!それっぽいけど」
「当たらずしも遠からず、ですね。確かにそれっぽいです」
蛍と姫魅が立て続けに突っ込み、朝顔が虚な目で遠くを見つめる。
「チェンさん。するなら、さっさとしてください。俺は病気でも怪我でもないのだから、採血なんかいらな…」
「北条くん」
「何か?」
診察室の奥からひょっこり顔を出した維千を押し戻して、チェンはカーテンをシャッと閉めてしまった。
「特別だ。太、中太、極太…好きなものを選びたまえ」
「ご冗談を。そんなものを刺したら腕が千切れますよ?」
「笑止千万。阿鼻国最強の武家である北条家の者が注射ごときで千切れるような軟弱な腕はしていないだろう?」
「正気ですか?待っ…ゆっくり…!」
「草」
「草じゃねえ!マッドサイエンティスト!」
ドタバタと維千が暴れる音がして、ガッシャーンと何かが倒れる。診察室は猛吹雪のようで、カーテンは激しく捲れ上がり、漏れた冷気で凍えてしまいそうだった。
しばらくしてしんと静まり返った診察室から、頭に雪をかぶり眼鏡を真っ白に曇らせたチェンがのそのそと出てきた。彼は針のついていない注射器を手にして、採取した鮮血をまじまじと眺めている。
残念なことに使用済みの針は処分してしまったようだ。注射器の針がいかほどの太さだったのか、はたまた維千が極度の注射嫌いだったのか…気になるところだが、真相は闇の中である。
「朝顔くん。維千くんの血液だ。検査に回してくれたまえ」
「は、はい」
朝顔はチェンから注射器を受け取ると、パタパタと部屋の奥に駆けていった。
(維千さんの血、赤いのね)
(赤いんだ)
(青じゃねーのか)
診察室から出てきた維千は心なしか色白に拍車がかかっていて、蛍と姫魅は素知らぬ顔を装いながら目だけは彼に向けた。
「チェンさん。維千さんの状態は?」
慰鶴がらしくなく緊張した面持ちでおずおずと尋ねる。
「思わしくないね」
慰鶴がしゅんとして口をつぐむと、維千は彼の頭にポンッと軽く手を乗せた。
「チェンさんは植物人間の分析に集中してください。俺のことは俺が何とかします」
「そうはいかんよ。鬼が出るか蛇が出るか、わからんからね」
「邪魔立てはしたくありません」
「邪魔?いいかね。君を守ることもマッドサイエンティストの責務に含まれるのだよ。大人しく、僕に仕事をさせてくれないか」
維千は左腕に貼られた大きめの絆創膏を右手で押さえ失笑すると、好きにしてくれと言わんばかりにひらひらと手を振った。
なるほど。つらつらと道徳を解くより、仕事と言い切ったほうが維千を説得するには効果抜群だった。
「…そうは言っても、植物人間の発生はこれが3件目。僕も軽視はしていないがね」
チェンはバインダーに挟んだ資料を手に取り、顎に手をやるとうーんと唸った。
「チェンさん。僕たちが遭遇したあれは…一体何なんですか?」
「魔法かしら?」
「うーん。そんな風には見えなかったけど…」
あれが人間のような植物なのか、植物のような人間なのか、はたまた新生物なのか。それすらも蛍と姫魅には検討がつかなかった。
「分析の結果は植物だがね。細胞が不揃いにやたら大きく、自然発生したものとは考えにくい。が、残骸に残留魔力が感じられないことから、魔法で生み出したものや憑物の類とは全くの別物と思われる」
「人が手を加えたとなると、スピッツの関与も否めませんね」
「ふむ。となれば…」
チェンは医務室に規律正しく並んだベッドのうち、唯一カーテンを締め切っているベッドにスタスタと歩み寄った。
「彼に聞くのが早い」
チェンがすばやくカーテンを開け放つと、そこにハンドボール程はあろう巨大おにぎりを頬張るサラがいた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!٩( 'ω' )و
サラ、早速出てきましたね笑
脅威の巻き込まれ体質、お疲れさまです(´⊙ω⊙`)
落花流水編のサラは不憫だったり、不甲斐なかったり…の予定。
予定は未定٩( 'ω' )و
作者もびっくりなのですが、維千の血って赤いんですね笑




