第46歯 同じ人間でないのだから、他人の本音なんぞいくら考えたってわからない
「あはは。愉快、愉快!」
「笑っている場合か、維千」
目に涙を浮かべて抱腹絶倒する維千に、メロウは苦々しい顔をした。
清澄な海を思わせる天色の目とは裏腹に、彼の心は澱んでいるように見える。堕ちるところまで堕ちた人間は他人の不幸を喜ぶと言うが、彼のそれはもっと単純明快で「おもしろいからおもしろい、つまらないからつまらない」のだ。
(そもそもこいつは本当におもしろいと感じているのか?)
もう数十年の付き合いになるが、維千への疑問は底を尽きない。しかし、抱いた疑問のうち、果たしてどのくらいが解明されてきただろう。維千に聞いたって真面目に答えやしないから、彼は未だ謎のベールに包まれていた。
「維千。こいつは合格…でいいのか?」
メロウは頭を掻きむしって、ジョニックスで開いたスクリーンの向こう側に苦笑した。
画面の大半を埋めているのは、平和維持軍切っての大食漢であるサラを持ってしても食べきれないほどの揚げまんじゅう、揚げまんじゅう、揚げまんじゅうだ。
この土壇場でまさか魔法…それも緊迫した場に似つかわしくない揚げまんじゅうを生成するだなんて、恐らく蛍自身も予期していなかったのだろう。スクリーン越しの彼女は豆鉄砲を食らった鳩のように腑抜けた顔をしている。
しかし、蛍のおふざけとしか取れぬ魔法は効果絶大で、慰鶴はハンドガンを放り投げると夢のような光景を無我夢中で頬張った。
「慰鶴くんは食べることに集中するあまり、その場から1歩も動いていません。このままいけば、合格基準を満たしますね」
「それはそうかもしれないが…どうもすっきりしねえ」
口に咥えた葉巻を指先に挟み、メロウがため息といっしょに煙を吐く。維千がにっこり微笑むと葉巻の先が凍りついて、もやのように広がった煙はたちまち消えてしまった。
「勘違いなさらないでください。入学試験の目的は魔法の実力を測ることじゃない。重視すべきは、魔法を得るための素質があるかどうかです。何なら魔法なんか使えなくたっていい。魔法が何たるかを理解していればいいんです」
「おいおい。天下のジョニ校がそんなんで本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。俺で証明済みでしょう?」
維千がフッとほくそ笑んだので、メロウは眉根を寄せて葉巻を千切れんばかりに噛み潰した。
「ああ。心がないと言われ続けてきたお前が、それで魔法を習得できたんだからな」
「心がない?心はあるんじゃないですか?魔法が使えるんですから」
「どうだか」
すまし顔の維千に苦笑いを浮かべて、メロウは彼の頭をガシガシと撫で回した。
維千の養父から聞いた話によると、維千に流れる血の半分は氷妖と呼ばれる妖だそうだ。氷妖には心がない。ただ、後天的に心を得た前例はあるらしい。
(心がなくとも魔法は使えるのか、維千にも心があったのか、それとも魔法習得の過程で心を得たのか…そこんところはわからず仕舞いなんだが)
維千は魔法を使えるのか。メロウは維千と賭けた日のことを思い出していた。
もちろん、メロウは使えないほうに賭けた。メロウでなくともそうしただろう。
魔法は心ある人間でも限られた者にしか使えないと思われていたから、妖出身かつ薄情な維千が魔法を使うだなんて誰も想像できなかったのだ。
たったひとりを除いては。
今のイルカによく似て、いつも柔らかい微笑みを湛えていた女性をメロウは生涯忘れない。
「おめえの師匠は変わりもんだが大したもんだ」
「そうですね。少なくともメロウさんよりずっと、人を見る目があります」
「っるせえ!まだ根に持ってんのか?」
なんでも卒なくこなすクセに魔法だけはどうやっても使えなかった維千をメロウがひどく揶揄ったのは数十年も前のことだ。
メロウは維千を注意深く見つめたが、厚い氷のような笑顔の向こうを窺い知ることはできなかった。
(俺たちが感じる何十年ってのは、きっとコイツにとっちゃたった1日だ。出来事のひとつひとつに執着していたら、俺なら気が狂っちまうぞ)
心を持たないというのは、氷妖が身につけた生きる術なのかもしれない。だとしたら、維千が心を得るというのは自己崩壊を招く行為になり得るのではないか。
ひとり頭を巡らせるメロウに、維千はひどく白けた顔をした。
「ご冗談を。メロウさん、俺には心がないと仰ったばかりでしょう?」
「…おめえはすぐに揚げ足取りやがって」
しかし、この無自覚な皮肉屋も師匠のことは決して悪く言わない。
世界でたったひとり。維千にも魔法が使えると信じ続けた師のおかげで、彼はメロウとの賭けに勝利し、今日も魔法を使えるのだから。
サンに似つかわしい大輪の百合を魔法で生成し、花束にして彼女に手渡したときの維千ときたら…目には奢り酒、顔にはざまあみろと書いてあった。
到底、女性に贈り物をする顔ではない。
(ったく、こいつは。いらん表情だけは前面に出してきやがる)
維千はパキパキと手に氷を作っては砕いてを繰り返し、手持ち無沙汰に遊んでいる。
「さてと。俺はしばらくお役御免になりますね」
「なんだ。寂しいのか?」
「ご冗談を」
維千は甘ったるい吐息を漏らし能面顔になると、頬杖をついて展開の読めぬスクリーンに見入った。
「でき…た…私の魔法…」
翡翠色の光が消えても蛍はまっすぐ腕を伸ばしたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「なんで…揚げまんじゅう?」
だだっ広い庭を埋め尽くす揚げまんじゅうに、姫魅がきょとんとした顔で呟く。姫魅だけではない。想定外の出来事にその場に居合わせた全員が呆気に取られていた。
「なんでって…」
そんなことは蛍にだってわからない。
ただ確かなことは、目の前の揚げまんじゅうと蛍の父が土産に買ってきた揚げまんじゅうとは焼印が同じで、それが兄弟で頬張った思い出の味であること。
サラが手品に使うこともあって、揚げまんじゅうは昔も今も蛍にとって思い入れの強い菓子であった。
「はは…あはは…や…やった!蛍、すごいよ!君は今、魔法を使ったんだ!」
「魔法を?私が?」
念願叶ってついに魔法を習得したというのに、蛍は浮かない顔をしてどこか上の空だ。
(王族御用達の高級揚げまんじゅう。私にしかできないといえば、そうなのかもしれないけれど…)
欲を言えば、初めての魔法はもっとかっこいいのがよかった。思い描いていた理想とは程遠い現実に、蛍はなかなか実感が湧かない。
「蛍ちゃんが…」
「魔法を使ったっす…!」
蛍はハッと我に返ると、そこで口をあんぐりさせ棒立ちになっている浦島に叫んだ。
「試験官!カウント!早く」
「う、うっす!5、4、3…」
慰鶴は揚げまんじゅうでハムスターの如くふくらんだ頬に、さらに揚げまんじゅうを詰め込んで、浦島が張り上げた声など全く聞こえていないようだ。
「うんめーっ!このまんじゅう、只者じゃねーぞ!?すっげーうんめー!」
当然である。この揚げまんじゅうはベジタブランド産希少あずきを使用し、職人が味と食感にこだわり続け、とある国王にも献上される庶民とは無縁の揚げまんじゅうなのだから。
「…2、1!勝負あり!蛍ちゃん、姫魅くんペアの勝利っす!」
「わあーっ!ネル、聞いた?合格だよ!僕、退学しなくていいんだ!」
「ったく、お前は…これに懲りたら無茶はしないことだ。大体だなあ…」
浦島の高らかな勝利宣告に、姫魅がネルの手を取り飛び跳ねる。彼のあまりの喜びように、ネルは喉まで出かかった長い説教を飲み込むと眉をハの字にして笑った。
親子や兄弟のようなふたりのやり取りに、蛍の胸がきゅっと締めつけられる。
(お兄様がいたら、いっしょ喜んでくれたかしら?)
せめてサラがいてくれたなら、案外筋肉質な腕でぎゅっとハグしてくれたかもしれない。賑わいの中ひとり表情を曇らせる蛍に、浦島が人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。
「おめでとうっす!蛍ちゃん」
「ありがとうございます」
「維千さんのベルなんすけど、合格したら回収するように言われてて。忘れないうちにいいっすか?」
「え?ええ…」
浦島が自分の寂しさを察してくれるのではないかなんて、淡い期待をした自分がますます惨めだ。蛍は勝手に傷ついている自分を笑って、維千からもらったベルを浦島に渋々渡した。
「あの…」
「ん?」
「いえ…」
蛍は維千と個人間で契約している。無事入学を果たしベルを返したとしても、彼との関係が切れるわけではない。
ただ、ずっとお守りのように持ち歩いていたから、いつも見守られている安心感をを失って心にぽっかり穴が空いたようだった。
(弄ばれるばかりで腹が立つけど…私、意外と維千さんのことを頼りにしていたのね)
維千もどこかで喜んでくれているだろうか。彼の能面顔が脳裏に浮かび、蛍はそんなわけないかと苦々しく笑った。
浦島はうかない顔の蛍をきょとんとした目でじーっと見つめていたが、ふいにニッと笑顔になると彼女の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「蛍ちゃん、がんばったっすね!」
「…はいっ!」
浦島の案外大きな手のひらがふたりの兄を彷彿とさせて、蛍はうっと涙ぐんだ。
(愛華お兄様はもっと上品に笑うし、涼風の笑顔はもっとぎこちないけど。とっても温かいわ)
「それと…」
空になった蛍の両手を受け皿にして、浦島が小包みを握らせる。
「維千さんからっす。合格したら渡すようにって」
「あの悪魔が?合格祝い?」
「うっす!」
浦島が朗らかに笑う。
維千にはこれまで散々無理難題を押しつけられて、合格なんぞさせる気はないのだろうと思っていたから蛍は驚いた。合格祝いをあらかじめ用意していたということは、彼はいつかの言葉通り蛍を信じていたのだろうか。
「わあ!よかったね、蛍」
「ええ!姫魅も…ありがとう」
蛍が少しはにかんで言うと、姫魅も「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。
「早く開けよーぜ?俺、腹減った!」
「食べ物とは限らないわよ?ほんっとあんたは脳みそが胃袋なんだから」
慰鶴がにぱっと笑って誤魔化すので、蛍は冷ややかな目線を返した。
「何かしら?」
思いがけないプレゼントに蛍の心が浮き足立つ。早速包みを開けようとして、蛍はピタッと手を止めた。
(維千さんって…)
馬とも犬ともつかぬブサイクなキャラクターが蛍の脳裏を過ぎる。
(確か、かなり奇抜なセンスをしていたわよね?)
急にゾワゾワと背筋が寒くなって、小包が爆発物か得体の知れない何かに見えてくる。
蛍が小包みを凝視したまま、いつまで経っても動かないでいると、ついに慰鶴がしびれを切らした。
「なんだ、蛍?開けねーなら俺が開けんぞ?」
「あっ!ちょっと待ちなさい!」
慰鶴は蛍の手からサッと小包みをかっさらうと、彼女が止める間もなくビリビリと粗雑な音を立ててそれを開けてしまった。
「ちぇーっ!つまんねーの」
慰鶴の反応からどうやら中身は食べ物ではないらしい。
「維千さんが…意外っすね」
「彼らしいといえば彼らしいな」
彼らしい、とはどういうことだろうか。やはり一般人には到底理解できないブサイクが入っていたのだろうか。
「いーらね」
「いや、あんたのじゃないから」
慰鶴が投げて寄越したそれを蛍は両手で包むようにして受け止めた。
「綺麗…」
それは美しい薔薇を模したブローチだった。一枚一枚丁寧に作り込まれた花びらは、維千の瞳のように吸い込まれてしまいそうな青をしている。
「蛍、これ…もしかして、ジョニックスじゃないかな?」
「そうさね。ジョニ校に入学したら、ジョニックスは必要不可欠だけえなあ」
「特注っすか?こんなジョニックス、見たことないっす」
「これは青玉じゃないか。恋人に贈るなら申し分ないが、生徒が持つには華美が過ぎるぞ…」
教員目線の指摘を入れるネルに、姫魅がシッと人差し指を立てる。皆が姫魅の視線を追うと、蛍はピンバッジをそっと握りしめ目に涙を溜めていた。
「青い薔薇の花言葉…奇跡とか、夢叶うなんだってさ」
「慰鶴。あんた、花言葉なんて知ってるの?」
「ん?ちょっとだけ…な。教えてもらったんだ」
慰鶴の意外な一面に蛍が目を丸くする。慰鶴はらしくなく頬を赤らめると、スッと目線を逸らしてしまった。
「夢、叶っちゃったけど…」
姫魅は不思議そうに首を傾げたが、蛍は静かに笑ってふるふると首を横に振った。
「いいのよ」
「え?」
「いいの!」
もし維千が花言葉を知っていたならば、そこに込められた夢とはきっと祖国奪還のことだ。
「なら、俺はあなたを信じる自分を信じ続けよう。ご一緒します」
維千の言葉は蛍が考えていたよりも遥か先を見据えていて、彼は本気でこの獣道を蛍と共に歩くつもりでいる。
(これは合格祝いなんかじゃない。門出の祝福よ。私はこれから始まるんだわ!)
海神の加護を思わせる透明な青に、蛍の顔が思わずほころぶ。
(維千さんなら海神じゃなくて死神かしら?)
些か不吉な守神に背中を押されて、蛍は誇らしげに胸を張った。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!╰(*´︶`*)╯
維千さん、本当は誰よりも温かいんじゃないかと思う今日この頃…心、あるでしょ笑
彼は努力家なんで、キールへのプレゼントに失敗して(ブサイクと言われた)女性への贈り物を勉強したのでしょう。
…結果、やり過ぎたようです苦笑
再試験編はなかなか濃厚で、筆が進みません( ;´Д`)
体調不良もあり、お待たせしております。
もし楽しみにしてくださっている方がいらっしゃれば、申し訳ありません。
再試験編もようやく後半戦に入りました!入った…よね?