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とある星物語  作者: 黒星
43/44

第43歯 一日の長、侮るなかれ

鳥たちが夜明けを告げる午前5時。

サラが「眠い…」と寝言を呟いて、イルカはくたびれた教本から顔をあげた。穏やかな寝息を立てるサラの前髪をそっとかきあげて、イルカは口元をそっと緩ませた。

(本当に真面目なんですから)

気にしなくていいと何度も念を押したのに、様子を見にきてみればサラは着ていたパーカーを掛け布団にして床で寝ていた。

この星の男性にしては小さな体をギュッと丸めて、サラはまるで子猫のようだ。

(スピッツ内外から恐れられる緋色の逆鱗も、寝ているときはまだあどけない少年ですね)

イルカがふふっと笑みをこぼす。サラはこれまた猫のようにうーんと体を伸ばし、腹筋だけを使ってムクッと上体を起こした。

「……」

「おやおや、起こしてしまいましたか。おはようございます」

「……?」

サラはぽけーっとした顔でしばらくイルカを見つめていたが、誰だかピンとこないようで首を傾げると身を乗り出してイルカを覗き込んだ。

「サラ?イルカですよ」

「イルカ…?イルカ…あはっ!おはよう」

ようやくイルカを思い出して、サラは飼い主を見つけた犬ように無邪気に笑った。

「わっ」

寝ぼけ眼のサラがイルカに近寄ろうとして、ガクッと大勢を崩す。前のめりになった彼を受け止めて、イルカはごろんと後ろに倒れた。

『ピギィッ!!?』

イルカの下敷きになったポチが、悲鳴をあげて目を覚ます。サラはハッと我に返ると次第に笑顔を引き攣らせた。

「……」

「残念。起きてしましたか」

「…おは…よう」

「おはようございます」

サラは気まずくなったのか、そそくさと部屋の隅に移動するとさっさと寝巻きを着替えた。

「サラ。朝ごはんを食べたら、温泉に行きませんか?」

「おん…せん…?」

「身も心も休まるところです。きっと気に入りますよ」

「はあ…」

不安げな顔で立ち尽くすサラに、イルカは教本をパタンと閉じてにっこり微笑んだ。


イルカの母親が片手鍋いっぱいに作り置きしていた肉じゃがをぺろりと平らげて、サラは魔法を使えば1分とかからぬ道のりをイルカについて歩いた。

「魔法なら早いのに…イルカは手間暇が好きだ」

「ふふ。それはサラもでしょう?」

魔法が反映するこのご時世に手品をやってるくらいだから、それもそうなのかもしれない。イルカとこうして歩いている時間も嫌いじゃない。

しかし、目に映る長閑な光景にサラの気持ちは焦る一方だった。

(こんな悠長にしていて、本当にいいのか)

サラは黙ったまま、朝焼けに映える桜の花々に目を移した。空を抱き抱えるように広がった枝枝を鳥たちが跳ねるようにして行き交っている。

「ねえ、イルカ?」

「はい?」

意外に広い背中でイルカは暢気な返事を返した。

「わかっているだろ?ガリヴァーノンはスピッツ四季の冬を司る。四季が直々に動いたんだ。スピッツとの激戦は間近に迫っている。こんなのんびりしている場合じゃないんだ。もっと…」

「おやおや。サラ、珍しくお喋りさんですね」

「茶化さないで」

サラが声に不満を滲ませるとイルカはようやく彼を振り向いた。

「サラ、急がば回れですよ。今は戦闘から離れてください。先生とのお約束」

何度言ってもイルカはその一点張りだ。サラがもの言いたげな目をしているので、イルカは鼻先が触れそうなくらいサラに顔を寄せた。

「ほら」

「は?」

「近すぎると見えないでしょう?」

サラの視界いっぱいに茶色の瞳が映り込んで、サラには桜や鳥どころかイルカの顔すらまともにわからない。

「離れてみて初めてわかることもあります。躓いたらその場から一旦離れる…それは逃げでなく、知恵ですよ」

「…近い」

サラがしかめ面になってイルカを押し戻すと、イルカはあははと眉を下げて笑った。

「ふふ、懐かしいですね。僕も師匠に散々言われましたよ」

「イルカが?」

「ええ。遅刻常習犯の師匠を唯一の生徒である僕が毎朝自宅まで起こしに行くうちに、寺子屋で授業する意味がわからなくなった時。師匠が寺子屋の経費を横領し、大量に自費出版していたことを知った時。そのせいで寺子屋の家賃が支払えなくなり、慈海さんに謝罪と言い訳をしなければならなくなった時。処分に困った本が教室の半分を埋めてしまい、途方に暮れた時。師匠の夢みがちなとんでも発言の尻拭いを任された時…師匠はいつも、ひとつのことばかり考えていては大切なものを見落とすと教えてくれました」

「それは逃避だ」

サラは泣き笑いを浮かべるイルカに苦虫を噛み潰した。

「お師匠さんって、どんな人?」

「いつもふわふわしていて、だけど情熱的で頑固で…困っている人を見つけると、後先考えずに行動してしまう人でした」

「イルカみたい」

「おやおや。弟子は師に似ると言いますが」

サラの呟きにイルカは一瞬目を丸くすると困ったふうに笑った。

(師匠みたい…ですか)

嬉しいはずの言葉がイルカの心に虚しく響く。

ずっと憧れていた背中は追いつけぬまま、手の届かないところへ行ってしまった。もし本当に師匠みたいだったなら、自分はこの先どこに向かえばいいのだろうか。

イルカを見つめ返す赤目は澄んだ光を宿し、どこまでもまっすぐだ。

(そういうサラこそ。師匠そっくりで、気が滅入ります)

他人を拒絶し生きる意欲のないサラは一見、おせっかいで夢みがちな師匠と真逆の存在だ。しかし、元来の彼はそうではないらしく、サラは困っている人をどうしても放っておけない。

道に迷っている人がいれば目的地まで送り届け、泣いている人がいれば泣き止むまで寄り添う。どんなに腹が減っていても、飢えている人がいれば持っている食べ物を分け与えてしまう。

サラのそんな姿に今は亡き師の姿が重なって、イルカは時々胸が張り裂けそうになった。

「すてきな人だね」

「はいっ」

イルカが満面の笑みで答えると、サラも何だかほかほかした気持ちになってくる。

「お師匠さんのこと、大好きなんだ」

「いいえ」

思わぬ返事にサラが面食らって、イルカはふふっとおかしそうに笑った。

「僕はマナティを愛しています」

暖かい風がサッと吹き抜ける。ひらひらと舞い落ちる桜の花弁の向こうで、イルカは儚い笑顔を浮かべた。

「あ…愛…」

男女関係に疎いサラは気恥ずかしくなって耳まで赤くすると、あんぐりと口を開けた。

その様子がおかしくて、イルカはぷっと吹き出すと目に涙を浮かべて大笑いした。

「サラ、照れすぎ」

なかなか笑い止まないイルカに、サラがじっとりした目線を向ける。イルカは「すみません」と謝りながらも、やはり笑いが収まる気配はない。

「サラってさ。いつも大袈裟に反応するけど、もしかして恋愛未経験?」

「……」

「えっ。本当に?」

気まずそうに目線を逸らすサラに、イルカが信じられないといった顔をする。

サラは身長こそ低いが容姿端麗、歌がうまく、運動も得意である。どんなに他人を拒絶しても筒抜けになる優しさに、惚れる女性がいないとは思えなかった。

「好きになっても先がないから。恋愛感情は持たないようにしていたし、告白されてもすべて断ってきた」

先がないのは持病のことだろうか、旅芸人という仕事柄だろうか、スピッツに所属していたからだろうか。

あるいは自分が背負っているものを考えていたのかもしれない。

何にせよ、彼のことだ。相手を慮ってのことだろう。

(サラの天然っぷりを考えれば、そもそも相手の好意に気付いていなかった可能性もありますが…)

恋情むき出しの咲蘭にそっけないサラを思い返して、イルカは苦々しく笑った。

「イルカは?」

「僕ですか?そうですねえ…師匠に出会うまではありましたよ」

イルカはうーんと首を捻ると歴代彼女を指折り数えた。その数にサラは徐々に表情を強張らせ、最後には絶句した。

「百戦錬磨…」

「あはははは」

イルカの朗らかな笑いにサラもつられて小さく笑う。

なるほど。「愛し方を教えてやる」とは大言壮語的な発言ではなかったようだ。

ふたりは2年もいっしょにいるが、こんなに砕けた話をするのは初めてだった。心地よい静寂が訪れて、サワサワと囁くような葉擦れの音に心が安らぐ。

「サラはどんな子が好きですか?」

「はあっ?何聞いてんの?!」

サラは腕で口を隠すと荒ぶる火龍のように真っ赤な顔でたじろいだ。黒龍であるはずのポチもポテッと墜落すると、火龍さながらに赤くなってのたうち回っている。

「こんなチャンスは滅多にないので、聞いておこうかと」

イルカはあっけらかんとしてあははと笑ったが、サラは居心地悪そうにしてもごもごと口を開いた。

「……ってくれる子」

「はい?」

「だからっ!たくさん笑ってくれる子!」

サラは荒々しく言うと、足早にイルカの横を通り過ぎた。

「おやおや。僕より先を歩いたら、迷子になりますよ」

イルカは愧死寸前のポチをサッと抱きあげて、サラに追いつこうと歩幅を大きくした。

「…イルカは?」

「はい?」

「お師匠さんのどんなところが好き?」

「そうですねえ…ちょっと抜けていて、いつも一生懸命で…あ。ほらほら、着きましたよ」

川沿いにずらりと立ち並ぶ古民家に紛れて、民家よりも少し大きく一際古めかしい建物がひと文字「ゆ」と書かれた暖簾をかかげている。

「ゆ…?」

「ええ。ゆ、です」

ぽかんと立ち尽くすサラの手を引いて、イルカはさっさと暖簾をくぐった。


「これが…温泉…」

「はい。言わば大きなお風呂です」

「だから、ゆ…」

「はい」

イルカはパアアッと喜色満面の笑みを浮かべたが、サラはこの世の終わりを目にしたかのように顔を引き攣らせた。

パンピ仕様のロッカーが並ぶ脱衣所で先客たちは皆、腰にタオルを巻くのみのほぼ全裸姿で思い思いに過ごしている。

「裸?」

「もちろんです。お風呂ですから」

イルカはパッと清々しい笑顔になると、慣れた様子でテキパキと服を脱いでいく。サラは服の裾を引っ張ってみたが、怪我の治療でもないのに他人の前で全裸になるなんぞ恥ずかしくてとてもできない。

「……」

サラはイルカが脱いだ服をゆっくりたたんで、無駄な時間稼ぎを試みる。慣れない着物に悪戦苦闘するふりをしても、ついに最後の一枚をたたみ終えてしまい、サラは恐る恐るイルカを見上げた。

「終わりましたか?」

丸椅子に腰掛け、サラの悪あがきを気長に待っていたイルカがスッと立ち上がる。彼はいたずらっ子の顔になると、サラにじりじりとにじり寄った。

「い、いやだ…」

サラは首を横に振りながらじりじりと後退りしたが、この狭い脱衣所ではすぐに壁際に追いやられてしまった。

「逃しませんよ?」

イルカが眼光を鋭くして、サラの背筋にゾッと悪寒が走る。

「帰る!」

サラがパッと出口に向かって駆け出す。

イルカは彼の前にザッと立ち塞がると、身を低くして蹴り出した右足にサラの足を引っ掛けようとする。

サラは手をついて飛び上がると、イルカの上を飛び越えようとした。

サラの身体が空中に放り出され、身動きが取れなくなった一瞬をイルカは逃さない。

「たまっ!」

パッと現れた白虎に襟ぐりを咥えられ、サラはやむ無くパーカーを脱ぎ捨てて脱出した。

「九十九!フェアじゃない!」

タンッと着地するなり、サラが半裸で不服を申し立てる。

「サラの身体能力を考えればフェアです」

腰にタオルを1枚巻いただけのイルカが、自信に満ちた笑顔で言い切る。

「おめーさん達は…そんな格好で何してんだ?」

ふたりの様子を傍観していた老爺が呆れ顔になって、ついにため息混じりに言った。

「……」

「……」

イルカとサラがきょとんとして、互いに目をやる。緊迫した状況に不釣り合いな格好がおかしくなって、ふたりはぷっと吹き出すと雪崩れ込むように笑いあった。

「ほれ!笑ってないで、さっさと脱ぐ!」

「あっ」

老爺は知らぬ間にサラの背後を取ると、無遠慮にサラのズボンをサッと下ろしてしまった。


「おやまあ、源さん。驚きましたよ。僕に気を取られていたとはいえ、サラの背後を取るなんて」

イルカは口に手をやりクスクス笑い、おかしくって仕方がない様子だ。サラは湯から顔半分だけ覗かせて、源さんを警戒している。

「まだまだ若えのには負けねえよ」

「おやおや、サラはただの若いのではありませんよ?二つ名を持つくらいには強いですから」

「ほう、この若さでか?そいつはすげえ。どんな名だ?」

「雷小僧です。彼の固有魔法が雷でして」

「イルカ。それは…」

芸名と言いかけて、サラはうっと言葉を飲み込んだ。じゃあ何だと聞き直されても、「緋色の逆鱗です!」なんぞ恥ずかしくて言えやしない。

(もういいや)

どうせイルカのことだから、わかって間違えたのだろう。雷小僧のほうが可愛げがあって好きだからとか、きっとそんな理由だ。

「イルカくん、帰っていたのか!」

「見慣れない子だね。源さん、その子は誰だい?」

湯気の向こうから現れたふたりの老爺は、曲がった腰をさらに屈めて「よっ」と親しげに片手をあげた。

「熊さん、八さん。ご無沙汰しています」

「おうおう、あんたら。この子が噂の、イルカくんの愛弟子だとよ」

「おお、噂の愛弟子か」

「噂通り、かわいい子じゃないか」

「噂…?」とサラが怪訝な顔をして、イルカをゆっくり振り向く。イルカはギクッと笑顔をぎこちなくすると、サラのジト目から逃げるようにゆっくりと顔を逸らした。

「イルカくんは今や、ウララカが誇る魔法使いだがなあ。弟子は取らないんじゃないかって言われていたんだよ」

「何で?」

魔法学校が特別でなくなった今、「魔法は魔法学校で学ぶもの」は社会通念になりつつある。しかし、かつて魔法は血族や名のある魔法使いと師弟関係を結び学ぶのが当然であった。その文化の名残りから、弟子を取ることで実力を誇示する魔法使いは今も少なくない。

イルカの年齢と実力を考えれば、弟子はいて当然と思えた。仕事が忙しいからだろうか。

「愛弟子が知らないのか?」

「何でってあんた、そりゃ…」

3人の老爺はチラッとイルカを見やり、気まずそうに顔を見合わせた。

「僕はサウナに入ってきますので。みなさん、サラをお願いします」

イルカは急に立ち上がるとサラには一瞥もくれず、さっさとサウナ室にこもってしまった。

「…イルカ?」

サラはごくりと唾を飲んだ。サウナ室に向かうイルカの白い背には、蜘蛛の巣にも魔法陣にも見える大きな傷跡が確かにあったのだ。

(あんな奇妙な傷を残すのは…)

欲望のためなら手段を選ばないスピッツに身を置いていても、なかなか目にすることはない。

それは黒魔法のうち、「時間、生命、心」のいずれかに関わる「人間が触れてはならない領域」にある、絶対禁忌の魔法を使用した証だった。

(時空を歪めたかのような、実年齢にそぐわない若い容姿…)

イルカが抱えているものにハッと気がついて、サラの心に戦慄が走る。

(イルカ。もしかして君は…若く見えるんじゃなく、歳を取れないのか?)

「サラくん…だったかな?少し、年寄りの昔話に付き合ってくれないか」

サウナ室をじっと見つめて微動だにしないサラに、源は沈痛な眼差しを向けて重い口を開いた。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶


話の流れや設定を確認するため、過去の話を度々読み返すのですが…イルカもサラもよく笑うようになりましたね!

まだまだ不安定なふたりの関係ですが、作者は嬉しい限りです。


再試験編はのんびりまったりした内容となりますが、キャラは一歩一歩成長しております。

気長にお付き合いいただければ幸いです。

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