第39歯 君の隣に僕がいるのは愛されたいからでなく、愛したいから
マナティの墓参りを済ませると、イルカは境内の隅に建てられた小さな寺子屋に足を運んだ。
広い玄関に並べられた大小様々な靴はザッと数えて20足程あったが、古い廊下はしんと静まり返って小鳥のさえずりが鮮明に聞こえてくる。
壁に貼られた絵はきっと生徒たちが描いたのだろう。色とりどりのその中にイルカそっくりの似顔絵も紛れていた。
「ここは師匠が作った学舎なんです。『誰もが望めば魔法を使える世界』を理想に掲げ、読み書きや算術の他に基礎魔法を教えています。今となっては珍しくありませんが、開校当時はパンピに魔法を教えるということは無意味で異端な考えと思われていましたから。師匠の性格も相まって、この寺子屋はそれはそれは胡散臭がられました。今は14歳までの25人ほどが通っていますが、当初の生徒は僕と維千だけだったんですよ」
「イルカと…死神が?」
「ふふ、びっくりですよね。魔法どころか心の所在すらわからない彼に魔法を教えようなんて、師匠くらいですよ。維千は何も言わずに涼しい顔をしていますが、彼の血の滲むような努力はパンピ魔法教育の礎になっています。だからこそメロウさんは、反魔法国家出身の蛍ちゃんを維千さんに任せたがるのでしょうね」
イルカは親友の誇らしい話を自分ごとのように嬉々として語った。
(どこまでも澄んだ人だ)
イルカの綺麗事を体現したかのようなその姿が急に怖くなって、サラはピタリと足を止めた。少し先でイルカはサラを振り向いたまま、微笑みを湛えてじっと待っている。
(やっぱり俺は…ここにいちゃいけない)
水清ければ魚棲まず。
この越えられない壁はイルカにも見えているだろうか。血塗られた泥沼で生きてきた自分は、澄み切ったそちら側では生きられない。
「サラ、どうかしましたか?」
サラは俯きがちになると、イルカが差し伸べた手をパッと払い除けた。
「サラ?」
「イルカ。俺は君の…何?」
「ですから、愛弟子と言っているでしょう?」
サラが呼吸をどんどん速くして、苦悶の表情を浮かべる。いつもと様子の違うサラに、イルカは努めていつも通りに接した。
「俺は君の敵だ。俺たちは敵なんだよ、イルカ。君は俺の敵なんだ」
サラは浮かんでくるイルカの笑顔を塗り潰すように、自分に言い聞かせるように、何度も何度も繰り返した。
(僕は試されているんでしょうか。この2年間で築いてきた信頼関係がたった1度の再会でこうもあっさり揺らいでしまうとは…正直、凹みますね)
ガリヴァーノンと接触してから、サラの心は不安定になっている。繰り返し繰り返し自分を曝け出しては殻にこもって、まるで保護猫が安全を確認しているかのようだ。
この心の揺らぎが恐らく、彼の魔法に影響しているのだが…今の段階では、イルカになす術はない。
(僕も人間ですから。こう何度もきょさ拒絶されては傷付きますよ。あーもう…維千。こんな時、あなたならどうしますか?)
きっと維千は何も言わない。彼は実害が生じないのなら、相手の感情に対して自分が負うべきものは何もないと考えている。ひと言で言えば「あっそ」である。
冷酷無慈悲と名高い親友の顔を思い浮かべて、イルカは弱々しく笑った。
(サラが親元を離れたのは3歳のときですから…それから11年間、ガリヴァーノンとサラはお互いが世界のすべてだったのでしょう。無理に心を開かせれば反動があるでしょうし、蓋をすればいずれ溢れます。今はただ、サラがこぼした言葉を拾いながら、彼を信じて待つしかないのでしょうね)
わかっていても気持ちは焦る。せっかく平和維持軍の信頼を得て仲間と認められたのに、イルカはサラが日に日に2年前の彼に戻っていく気がした。
(2年前…)
生きることを放棄したサラはガリヴァーノンの魔法によって自害することも許されず、放っておけば死ねたところを運悪くイルカに拾われた。
当時のサラは触れるものを反射的に拒絶し、その死人のように虚な目は死を望む他にまるで意思がなかった。
(そんなサラはもう見たくないよ)
イルカがそっと歩み寄ると、サラはじりじりと後退りした。
「僕を敵だと思うのなら何故、そんなに悲しい顔をしているのですか?」
イルカは両手をそっと開き、今にも泣き出しそうなサラをぎゅっと抱きしめた。
「サラ。幸せになることを恐れないでください。無理に近付かなくていいんです。お願いですから、離れていかないで」
イルカの温もりがサラの中に渦巻く葛藤を溶かしていく。自身の願望とその選択が招くであろう結末が波のように押し寄せて、サラは自分がどうしていいかわからなくなっていった。
イルカだけじゃない。他人の優しさに触れる度に、サラは溺れるような息苦しさを感じた。
(ごめん、神奈月。俺はもう抱えきれない)
サラは少し躊躇ってから忌々しげに自分の胸を鷲掴みにして、イルカの耳元に口を寄せた。
「イルカ、俺には消えなきゃいけない理由がある。スピッツが裏切り者の俺を泳がせている理由。俺は…」
窓の外で青い目をしたカラスが怒ったようにひと鳴きし、濡羽色の羽をバサバサと羽ばたかせた。
サラの言葉を聞いて、イルカは大きく目を見開いた。
「サラ…それって…」
「みんなには秘密」
サラが儚く微笑んで、イルカの身体をそっと押し戻す。イルカは離れまいとサラの裾を強く握った。
「…サラ。そんなのはただの可能性だ」
「可能性でも。リスクは少ない方がいい」
でしょう?と言ったふうにサラが首を傾げる。イルカはいたたまれない気持ちになって、唇を強く噛み締めた。
「これこれ。痴話喧嘩はよそでやりなさい。子供たちが見ているよ」
重苦しい雰囲気を漂わせるイルカとサラの間に、つんつるてんの頭がニョキッと現れる。ふいに現れたその男に、サラはわずかに目を丸くした。
「…ハンプティ・ダンプティ?実在したんだ」
「イルカくん、彼は天然かい?私はどう見たってお坊さんだよ」
その男はふわっと腕を広げて、唖然としているサラに法衣を見せつけた。しかし、ふくよかな男に首はなく、その姿はハンプティ・ダンプティ風の僧侶なのか、法衣を着せられたハンプティ・ダンプティなのか判断しかねる。さらに言えば、顔は恵比寿さまに瓜二つだから、もはや彼が何なのかはひと目ではわからなかった。
「お久しぶりです、慈海さん。みなさんはお元気ですか?」
「見ての通りさ」
ふたりが慈海の視線を追うと、教室の戸の隙間から団子のように連なって子供たちが顔を覗かせている。
「ねえねえ。あれ、だぁれ?かりんとうみたい」
「目が血みたいに真っ赤だよ?怪我してるのかも」
「知らね!慈海さんは痴話喧嘩って言ってたぜ?」
「なんだよ。イルカ先生、ついに恋人ができたのか?」
「やだーっ!そんなの私、耐えられない…わっ!」
幾重にも重なる体重に耐えかねてガタッと戸が外れると、子供たちは地響きを立てて雪崩のごとく廊下に飛び出した。
「おやおや、まあまあ」
にっこり微笑むイルカの後ろで、サラがぺこりと小さくお辞儀をする。
子供たちは目をきらきら輝かせ、両手を広げて待ち受けるイルカのもと…は素通りし、サラの胸元からちょこんと顔を覗かせるだんごと、彼の肩でひと休みしていたポチに駆け寄った。
「だんごー!おいで」
「おっかしいなあ…だんごがこねーぞ?」
「おーい、だーんーごー?」
子供たちがだんごを力尽くで引き剥がそうとするも、だんごは爪を立ててサラにガシッとしがみつき離れようとしない。
「いっ?!!」
服の中でジタバタもがくだんごの後ろ足がサラの胸をガリガリと引っ掻いて、サラは声にならない声を上げた。
「かっわいーい!イルカ先生!この子はなあに?」
「その子はサラの九十九ですよ」
イルカは誰ひとり迎えることのなかった腕を泣く泣く戻して、ひっそりと泣き笑いを浮かべた。
「つくもちゃーん?」
『ピィッ!』
「あっ!返事した!」
「しっぽ振ってる!かわいーい!」
自分の分身を競うように可愛がられ、サラは耳まで赤くなった顔を隠すようにしてその場にうずくまってしまった。
「この子、名前はないの?イルカ先生のタマみたいにさー?」
「…ポチ」
抱え込んだ膝から目だけを覗かせてサラが答えると、子供たちはビクッとして慈海とイルカの背中に隠れてしまった。
「すまないね。どうも人見知りが…」
「大丈夫。わかってる」
サラが寂しげに笑ったので、慈海は申し訳ない気持ちになって肩をすぼめた。
(人見知りなんかじゃない)
何度となく向けられてきたその目は、サラの容姿…とりわけ血のように赤い目を恐れていた。
「初めては誰だって怖い。彼らは知らないだけだ」
サラは立ち膝になって子供たちに目線の高さを合わせると、パッと開いた両手をひらひらと振ってみせた。
「みんなが好きなもの、お兄さんに教えてくれるかな?」
サラはにっこり微笑んで、子供たちの返事を静かに待った。生徒の中でいちばん幼い少女の肩に、慈海がそっと手を添える。
「う…うさぎさん…」
慈海が優しく微笑むのを見てわずかに不安を和らげた少女は、消え入るような声でおずおずと答えた。
「うさぎさんだね。教えてくれて、ありがとう。お礼に」
サラはくるっとその場で一周してタネも仕掛けもないことを示すと、空っぽの右手のひらをひらひら振って、そのままスッと背中に隠した。同じようにして左手も背中に隠すと、サラは何処ともなく「うさぎさーん」とここにいるはずもない動物を呼んでみせた。
「………」
気まずい沈黙が流れる。
「ええっと…サラ?」
イルカが恐る恐る様子を伺うと、サラは「あはは…」と苦笑いを浮かべている。「いや、何もないんかいっ!」と皆の目が白け始めたときだった。
「こんにちは」
間抜けな裏声が聞こえて、サラの背中からうさぎのぬいぐるみがひょっこり顔を出した。
「こんにちは。私、ぴょんぴょん。お友達になってほしいな」
「わあ!うさぎさん!」
少女は先程まで感じていた恐怖心をすっかり忘れて表情をパァッと明るくすると、そこで照れくさそうにしているサラにタタッと駆け寄った。
「どうぞ」
「お兄ちゃん、ありがとう!」
サラがニコッと笑ってうさぎのぬいぐるみを手渡すと、少女は満面の笑顔になってうさぎのぴょんぴょんを抱きしめた。
「え?魔法?」
「魔法じゃない。手品」
「魔法使ってないの?!」
「うん」
「すげー!口動いてないのに、どうやって喋ったの?!」
「喋ったのは俺じゃない。ぴょんぴょんだ」
「ぴょんぴょんはどこから来たの?」
「ふわふわ森」
「嘘だー!服に隠してたんでしょ?」
「探してごらん?」
うさぎのぴょんぴょんを皮切りにして、子供たちがわらわらとサラに集まってくる。サラは揉みくちゃにされて戸惑いつつも、矢継ぎ早に飛んでくる質問にひとつひとつ丁寧に答えた。
「…雷小僧くん?」
子供たちの対応に追われていたサラは、ほくほく顔のイルカにハッと気がついて苦虫を噛み潰した。
「いつも不思議に思うのですが…それは何処に隠し持っているんですか?」
「秘密」
「あんな秘密は暴露しておいて?」
「教えない」
「それにしても、サラのネーミングセンスも大概ですね…ぴょんぴょん?」
「うるさい」
「ふふ。裏声、かわいいですよ。もう一回、お喋りしてくださいよ。ね、ぴょーんぴょん?」
「いーやっ」
サラのつんけんした態度に、イルカはぷはっと吹き出すと目に涙を浮かべて笑った。
(あんなに笑っているイルカくんは…いつ以来だろうか)
イルカにマナティが、サラにかつてのイルカが重なって、慈海は言い合いをするふたりを切ない顔で見つめた。
「イルカくん。もしよかったら、魔法学を子供たちに教えてくれないかい?そこの彼もいっしょに」
「俺は…」
「喜んで!」
イルカはにっこり微笑むと戸惑うサラの背中を押して、さっさと教室に入ってしまった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!(*´꒳`*)
イルカさんとサラくんは本当に仲良しですね。
主人公3人組にも見習って欲しいところです…(´⊙ω⊙`)
サラもサラでまだまだ何かを抱えてそうですが…はてさて、これからどうなっていくのやら。
作者の僕にもさっぱりわかりません笑
拙い文章ではございますが、読者の方の笑顔や励みになれば幸いです。
今後ともよろしくお願いします。




